「俺はあんたと違ってそっちの趣味はないッ」 「誤解してもらっては困りますな」

 数分後。


 首から下を縄でぐるぐる巻きにされ、樽に放り込まれた美少女が一人。

「出せ! 卑怯者!!」

 樽入りの美少女ことアンドレーエは半分絶望、半分は諦めきった悲しい気分に浸りながら怒鳴った。

「ありえねえ、ゼッタイありえねえってこんな展開! 待て、嫌だ、おいこら止めさせろホーラダイン、頼む、ぎゃああああ!!」


「キャッハー! アンドレさん、可っ愛いーー!」

 よく焼けたアンドレーエの頬に、さらに褐色の肌クリームを塗りたくり、その上からきゃあきゃあと大喜びでシルクの粉をはたいているのは。

 もちろん、すかさず異国の踊り子衣装に着替えたアンシュベルである。

 袖のふくらんだ丈の短い上着、胸まで引き上げたさらさらのアラジンパンツ、皮サンダル。やわらかな金髪はヘンナの染料で自然な黒に染め変えられ、一枚布でかろうじて縛り止めているようにしか見えない胸元からは、はち切れんばかりに弾むたわわな谷間が、今にもこぼれ出しそうな勢いで眼に飛び込んでくる。

 まさに眼のやり場に困る、けしからん格好だ。


「あら、まあ、お可哀想。じゃなくてお可愛らしい」

 女商人のアル・バシードも、すっかりノリノリの気分でアンドレーエの変身に一役買っている。

 くしゃくしゃな髪を何とか櫛でといて、赤と青の付け毛を足し、リボンでひとまとめに結わえる。

 ゾディアック宮廷の貴姫や女官たちに高値で売りつけるべく持ち込んできた南国製化粧用具一式入り、七色にかがやく豪奢な螺鈿の化粧箱を前に置いて。

 暴れるアンドレーエを二人がかりで縛り上げ、念入りに化粧を施している最中であった。


「次は~ピンクのルージュぅ〜〜」

 アンシュベルは、どれにしようかな、などと歌いながら紅の入った六角皿を選び、紅筆の先にとった。嬉々としてアンドレーエの唇に紅を引く。

「ぁぁぁぁァァァやめろォオオ……やめてくれぇぇぇ……!」

 名状しがたい感触に、再びアンドレーエはぎゃあぎゃあと喚き始めた。

 あまりの騒々しさに、黒衣の人物が、樽ごとサーベルを突き刺す。

「大人しくなさい」

「痛いわアホ!!」


 アンドレーエは、アンシュベルのカワイイ魔の手を必死に振りほどいて怒鳴りつけた。

「俺はあんたと違ってそっちの趣味はないッ」

「誤解してもらっては困りますな」


 黒衣の女──ではなく、妖艶な美女の装いに身をやつしたザフエルが、冷然と答える。


「粗野なけいとは違って、私は別に濃い化粧などしなくても最初から自然な変装術を身につけておりますので」

「うるせえっ、どこから見てもバッチリ化粧をキメてるくせに偉そうにふんぞり返ってんじゃねえッ!」

「元々の土台が良いのでそう見えるだけでしょう」

「貴様ァ! 国土防衛の任務はどうしたァ!! なんでこんなところにいる!」

 その間にも、アンシュベルは手際よく目の縁につけまつげを貼り付け、最後の仕上げに、ぷしゅ、と香水を吹き付ける。

「そんなところでいいでしょう」

 ザフエルが評価した。

「お褒めいただき、ありがとうです」

 アンシュベルはうきうきとご機嫌でお辞儀した。紅筆を手に提案する。

「副司令さんもおひとついかがです? もっとすっごい美人さんになれるかもですよ」

「結構。これ以上は無駄だ」

 ザフエルはにべもない。


 アンドレーエは、みるみる可愛らしく塗り替えられてゆく鏡の中の現実から必死に眼をそらそうと、かろうじて自由になる足をどたばたと踏み鳴らした。

「無駄って何だ! ずるいぞてめえだけ。卑怯者ーッ!」

「文句があるなら鏡を見てからにするのですな」

「うるせえこんちくしょう!」


「ああん可愛い〜! ちゅっちゅしちゃいたいです!」


 アンシュベルは両手を結び合わせ、うっとりと恍惚の声をあげた。眼をつぶって唇を突き出し、アンドレーエに迫る。


「おおお落ち着けアンシュベル!」

「ふむ」

 ザフエルは、ちらりとアンドレーエを見やった。

 わざとらしく咳払いする。

「……意外とカワイイですな」

「黙れ貴様しれっとした面で何抜かしやがるそれでも司教伯かよおおお覚えてろよ後で絶対に一泡吹かせてやる!」



「さてと、皆様」

 女商人アル・バシードは、アンドレーエに確認の手鏡を突きつけたあと、手を鳴らした。衆目を集める。

 鏡に映った愛らしい美少女姿にすっかり打ちのめされたアンドレーエ以外、全員が注視する。

「猊下、これでゾディアックへ渡る準備がすべて整いました。冬が来る前には、何とか後続も含めベルゼアスへ参りたいと思っております」

 ザフエルは無言でうなずく。

 アンドレーエは、苦々しく口を挟んだ。

「まるで俺がベルゼアスに来るのを知っていたような口ぶりだな」

「来なければ見捨てるつもりでしたが」

「どうせエッシェンバッハからタレコミがあったんだろう」

「ない方がおかしいでしょう」

「分かった。続けろ。それと、もうひとつ質問だが」


 アンドレーエはゆっくりと隊商の貨車を振り返った。

「荷物の中身は、何だ」

 女商人はかすかに笑った。

「私が、それをお教えするわけには参りません」


 アンドレーエは苛々とさえぎった。

「どうやってベルゼアスまで行くつもりだ。こんな殺気まみれの殺し屋みたいなのがいる隊商が、仮にも帝都たるベルゼアスへ、のこのこと入れるわけが」

「もとより通商手形はいただいております。チェシー・エルドレイ・サリスヴァール様から、前の戦へご出陣なさる直前に」

「……どういうことだ」


 ザフエルは無表情のまま答える。

「サリスヴァールを第一師団付きとした時点からずっと、憲兵を貼り付けて動静を報告させていた。バシード商会と接触していることも分かっていた。あとはいつ裏切るかだけで、それは時間の問題だった。閣下もすべて了承済みだった。我々が最後の詰めに失敗した。それだけのことだ」


 女商人は如才ない微笑みをたたえ、アンドレーエを見やった。

「よくある事ですのよ。お金と信用を天秤にかけて、素性も問わぬ凄腕の手練れを雇わねばおいそれとは運べぬものを世界のどこにでも届けるのが、わたくしどもの仕事ですので」


 アンドレーエは紅を塗ったくった口元をゆがめた。

 ただならぬ怒りを込めた低い声でつぶやく。

「おいそれとは運べぬ荷物って……ホーラダイン、まさか、貴様」

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