ただ、私は、閣下を

「届け先は、第十磨羯宮まかつきゅう師団アルトゥーリ。品名はツアゼルホーヘン製の銃砲、鉄鋼石、そして爆薬ダイナマイト

「おいおい、一番凶悪な決戦兵器ブツの名が抜けてんぞ」

 アンドレーエは、黙っていればつややかにぷっくりと色づいて見える唇を、にんまりと台無しになる形に吊り上げた。片目をつぶって、あごでザフエルを示す。


「それにしても、よりによって司教伯御みずから、敵国に軍事機密を横流しするとは。やるねェ、あんたも」

 ザフエルは顔色ひとつ変えない。

「私が裏切るよりはましでしょう」

「寒気がするようなことを言わないでくれ」


 アンシュベルは不安そうに手を結び合わせ、交わされる物騒な話を聞いていた。

「あの……ベルゼアスに行ったら、その、本当に、師団長を」

 おずおずと口を開きかけ、ためらって言いよどむ。

 ザフエルは、星の散らばる北の空を眺めた。


 夜空の中心に、くぎで天界に打ち付けられたと伝えられる極北の星がかかっている。めぐる星々をしたがえ、永遠に光輝を放つ。羅針の示す唯一無二の先。

 だが、それは人の歴史の営みから見た話でしかない。

 たかだか百年、千年、動かぬというだけの星を、果たして永遠と言えるかどうか。

 神々の御世にまでさかのぼれば、そこには全く違う別の空があったのかも知れなかった。


「もしルーンを取り戻す大義を持って神殿騎士団を動かせば、それは失われた聖杯を取り戻す泥沼の聖戦となるだろう。たとえ何百万の人間が死のうとも構わぬ。必ずベルゼアスを陥とす。サリスヴァールを殺す。異教徒どもを皆殺しにし、必ず閣下と、失われたルーンを」

 声が、途切れる。

 アンドレーエは鋭い視線をザフエルへと突き立てた。


「そうまでしてアーテュラスを連れ戻しに行く理由はなんだ。処刑されると分かっていて、なぜ」

「理由などない」

 ザフエルは、黒い手袋をはめた自分の手を見下ろした。今まで、かたくなに感情を表に出さなかった黒い瞳の奥に、極北の光にも似た決意が映り込む。

「ただ、私は、閣下を、この手に」


「おぉい聞いたかアンシュ」

 アンドレーエは、大きく息を吸い込んで破顔した。

 アンシュベルは眼をぱちくりさせる。

「この鉄面皮野郎、言うに事欠いて、あのちびに惚れた腫れたで宿怨の敵国まで取り返しに行くと白状しやがった」


 鬼の首を取ったように大はしゃぎで樽ごとはねて、茶化し回る。


「何てこった、すっげぇ初耳だ、まさか司教伯猊下ともあろう御方が、わが身の立場もかえりみず、こんなデレッデレの理由で助けに行くだなんて。いやはやそんなに惚れてたとはなあ! 驚きだよ、あのちびのメガネのひょろひょろド近眼のどこがそんなにかわいっ……んぐ」


 黒い殺意が、ごうっ、と空気をすくい上げた。アンドレーエの声が、中途半端に止まる。

 同時に、唾を飲み込んだ。

 喉仏を上下させる。

 いつの間にか、喉元にサーベルの刃がつめたく添い当てられていた。

 なめらかな刀身に、真下の角度から見た顔が映り込む。

 喉の皮一枚が、すっ、と横に裂けた。

「それ以上言ったら、首だけを塩の箱に詰めて運ぶことになりますが」

 さらに、すぅ、と横一文字に浅い傷。

「……できたら、全身丸ごとがいいです……」

 ザフエルはふんとそっぽを向いた。サーベルを振って鞘に納めるついでに、出力を最低に抑えた《黒炎射こくえんしゃ》一撃で、樽を粉砕する。


 ようやく樽から解放される。アンドレーエは、女二人係できつく縛り上げたはずの縄をあっさり断ち切って脱出した。女商人アル・バシードが、感嘆のまなざしを向ける。

「あら、すてき」

「まったく、どっちが茶番だよ」

 腕をさすり、喉のひっかき傷を触りながら思案する。

「ベルゼアスへ行き、アーテュラスの居場所を探り出して救出し連れ戻す。それはいいが」

 不安にかられ、アンシュベルに目をやる。


「あたしなら大丈夫ですよ、アンドレさん」

 アンシュベルが荷馬車から飛び降りた。荷物の山に潜り込み、何やらごそごそとやっていたらしい。


 女物のチュニックに、すけすけの黒タイツ、フリフリのフリルチューブを引っ張り出して、にっこりと微笑む。

「はい、これヨハ子ちゃんのお洋服!」

「うっ」

「顔だけかわいくお化粧して、下に迷彩服着てるのはおかしいです。着替えるです」

「うぐぐぐぐ……」

「あら、とってもすてき」

 アンドレーエにおめかしさせる一方、女商人は部下に持ってこさせた細長い赤革のトランクを開けた。漆黒の銃を取り出す。

「これなんかどう? 短銃身で扱いやすいと思うわ」

 アンシュベルに手渡す。


「ありがとです、バシードさん」

 アンシュベルは怖気づきもせず、騎銃カービンを受け取った。


 細腕にもかかわらず、平然と片手でループレバーに指をかける。

 腕をそらして人がいない背後の方向へと銃口を向け、銃本体を縦一回転。スピンコックの小気味よい金属動作音が響いた。

 虚空に向けた銃口はぴたりと闇をさして、ぶれもしない。


「いい音」

 にこにこしてうなずく。

「お代は副司令にツケといてくださいです」

 アンドレーエはおもわず口笛を吹いた。

「うひょぉ……お見それいたしやした。いやはや、末恐ろしいな」

「恋と鉄砲はメイドのたしなみ」

 アンシュベルは肩から回しかけるガンベルトを巻き付けながら、スカートの縁をつまんで軽くお辞儀する。

「あたし、足手まといになんか、なる気ありませんから」


 決意の笑みが、アンドレーエを見つめていた。


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