どきな、うすのろども!
「それでも聖騎士か、てめぇ」
アンドレーエは低く吐き捨てた。普段は陽気なはしばみ色の眼が、ぞっとする本性の色に塗り変わる。
エッシェンバッハは、薄い唇をさらに血色悪く引き結んだ。
「勅命である」
聖ローゼンの教えにそむくは、背教の罪。
アーテュラスはすでに本人不在の魔女裁判で死罪を言い渡されている。聖女の血統を偽り、性別を偽り、聖騎士の栄光を地に堕とし、神を愚弄した異端の罪だ。異端隠避は、異端に次ぐ背教の重罪とされる。
アンドレーエは、己の見通しの甘さに内心、ほぞを噛んだ。
アーテュラスが女だと見抜けなかったのは、エッシェンバッハとて同じだ。
外見や性格がどれほど軟弱に見えようとも、一度でも暗黒のカード、《
あれほどまでに凄まじい力を振るう者が、まさか、本当に女であるはずがない──と。誰しもが当然に思い、疑いすら抱かなかったのも不思議ではない。
しかし、何年もの間、アーテュラスの傍近くに仕え、身の回りの世話をしてきたアンシュベルに、その釈明は通じない。
「異議を申し立てる」
アンドレーエはかろうじて平静を取りつくろった。
はらわたの煮えくりかえる思いを噛み殺す。
「まだ罪が確定したわけじゃねえだろう。なのに何でいきなり」
「逆らえば、貴公も同罪である」
エッシェンバッハは、表情を隠す色眼鏡越しにアンドレーエの背後を透かし見た。
遥か高い空に、豆粒大の点が滑るように動いている。
鷹が一羽、悠然と弧を描いて飛ぶ。その姿を、視線で追っているのだった。
「へえ……? そいつは納得がいかねェなァ。俺が何の罪だって?」
アンドレーエは物騒な形に眼をほそめた。ほの暗い笑みを浮かべ、鼻で笑う。
「ヨハン。何言ってんだい、この馬鹿。口が過ぎるよ。落ち着きな」
ヒルデ軍曹が焦った声をひそひそと殺してたしなめる。
アンドレーエはわざと口汚く言い返した。
「うっせぇんだよ、たかが飯炊きババアの分際で! 口出しすんじゃねェ! ビクビクしやがって、カタギの素人はおとなしく台所でガタガタ震えてりゃあいいんだ。たかが有象無象の、やる事と言やぁぞろぞろ群れて後ろから女子供を撃つしか能のない連中ごときに、いったい何の遠慮がいるってんだ、あぁ?」
「貴様! 元帥と言えど聞き捨てならん!」
神殿騎士が声を荒らげ、いきり立つ。
鉄甲の爪先が殺気の靴跡を擦りつけた。輪になって取り囲む。
構えた銀杖の環が、けたたましく鳴り渡った。
「双方とも控えよ」
エッシェンバッハは鎖を巻き付けた腕を物憂げに持ち上げた。
血気にはやる神殿騎士をさえぎる。
「おとなしく罪人を引き渡せ。そうすれば、貴公だけは見逃してやる」
「いやだね! 誰が大人しく罪人扱いされてやるかってんだ!」
「アンドレさん」
かすかな声が後ろから聞こえた。
「もういいですから」
冷たい手が心臓を掴む。アンドレーエは背後を見やった。
「はあ!? 何言ってんだ。今からが見せ場なんだぞ。あきらめんなよ」
ヒルデ軍曹の後ろに隠れていたアンシュベルが、おずおずと姿を見せた。エッシェンバッハに一礼する。
アンドレーエは、必死に鼻をふんふん言わせたり、眉を上げ下げしたり口をへの字にしたりしながら、顔芸だけで何とか意図を伝えようと足掻いた。
「ありがとです、アンドレさん」
アンシュベルは小声で笑った。ぎごちない笑みがアンドレーエを見つめる。
水色の大きな丸い瞳が、いっぱいに水をたたえたように揺れ動いて、潤んで、今にもあふれそうだった。
「でも、もう、これ以上のご迷惑はかけらんないです」
「いやだ、アンシュ。どこにもいっちゃいやです」
チュチュが悲鳴にも似た泣き声をあげた。後ろから駆け寄ってアンシュベルのスカートにすがりつく。小さな手が、スカートをくしゃくしゃに丸めて引っ張った。
「いっしょにおやつたべるやくそくしたのを、なんでまもらないのです」
アンシュベルは屈み込んだ。そっと振りほどこうとして、手を重ねる。
「ちっちゃなレイディ、ここは危ないから、どうかおうちに……」
「やだ!」
チュチュはぐずって泣く赤ん坊みたいに
「どうしてそんなこというの。アンシュまでうそつきになって。みんな、うそばっかり! だいっきらい!」
チュチュは、か弱いこぶしでアンシュベルの手を何度も叩いた。
「ととさまのばか! いつも、いつも。おんなじところでまちがって! かかさまがなくなったときも、おねがいだからかえってきてくださいってあんなにひっしになんまいもおてがみかいたのに、しらんぷりして、おくにのためにがまんしろってせんそうばっかりして。なのにまだおんなじことをしてる。ばかばかばか! ととさまなんてだいっきらい!」
チュチュはアンシュベルの手を振り払った。
そのまま荷馬車の行き交う往来へと飛び出してゆく。
「いけません、そっち行っちゃ! 危ない!」
アンシュベルが無我夢中で後を追う。
「待て! 止まれ! 動くな!」
脱走するとでも思ったのか。神殿騎士たちが血相を変えて立ちふさがった。
銀杖を交差させ、行く手をさえぎる。
「そんなことしてる場合じゃないんですってばー!」
アンシュベルはふわりとスカートを舞い上げて身をかわした。器用に銀杖の下をかいくぐる。
「逃さんぞ!」
銀杖が風を切って回転した。アンシュベルの背中めがけ、何本もの杖が振り下ろされる。
「女の子相手に、大の男が寄ってたかっていったい何やってんだい!」
甲走る残響が跳ね返った。交差する二丁のお玉が、銀杖の束をがっきと受け止める。
金属片が削れてこぼれた。鉄臭い煙が吹き流れる。
束になった銀杖の重みが、二丁お玉にぎりぎりと食い込んでゆく。
一瞬の溜めを置いたあと。
「ふんっ!」
ヒルデ軍曹の鼻息と同時に、銀杖もろとも神殿騎士が吹っ飛んだ。
柳の爪楊枝をばらまいたかのようだった。もんどり打って四方に散らばる。
杖を取り落とした神殿騎士は、手首を押さえた。苦痛に顔をゆがめる。
「何をする。おのれ、神殿に逆らうか……!」
「どきな、うすのろども!」
ヒルデ軍曹は怒れる象のごとく突っ込んだ。
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