これってどう考えても手に手を取り合っての愛の逃避行!

 渾身の体当たりで中央突破。哀れ神殿騎士の隊列は、九柱戯ボウリングのピンみたいに吹っ飛んだ。


 ヒルデ軍曹はごうごうと吼え猛った。

「レイディたちに何かあったらどうすんだい!」


 群がり寄る敵をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。お玉どうしを牙のように打ち合わせては、鬼の形相で蹴散らしてゆく。

「おのれ、逆らうぶぼあっ!」

「お退きったら!」

 曲げた腕にひっかけた神殿騎士の首を、大車輪状態で回転させ、腰を捻って盛大に投げ飛ばす。

 神殿騎士は両手両足をバタつかせながら、往来を越えたはす向かいの家の屋根に落下した。

 手のつけられない暴れようだ。神殿騎士たちは、じりじりと後ずさる他はない。


「何をしている。さっさと取り押さえろ」

 エッシェンバッハは苦々しく腕を組んだ。ヒルデ軍曹を睨みすえる。と、口ではそう言っておきながら、自ら手を下す様子もない。


「はー、相変わらずヤベェ破壊力だな」

 また一人、神殿騎士が牧草ロールの側面に突き刺さった。足だけがむなしくジタバタしている。

 アンドレーエは半分笑い、半分呆気にとられてヒルデ軍曹の勇姿を眺めた。

 先ほどまでの険悪な雰囲気はどこ吹く風。傍らのエッシェンバッハの肩を叩きながら、気安く話しかける。

「あの二丁お玉なァ、ホーラダインも一撃でぶっ飛ばす威力だってよ。そんじょそこらの一般人が太刀打ちできるわきゃねぇわな」

 松葉杖の先で神殿騎士を指し示す。

「かくいう貴様は、いったいそこで何をしている」

 低い声が耳を打った。

「皆が自分の使命を果たそうとしている。それに引き換え、貴様はいつまでその腑抜けた面をグズグズと晒し続ける気だ」

「男なら筋を通せって言われたんでね。やっぱ引き際は綺麗にしとかないと」

「笑止」

 エッシェンバッハは上背のある肩をそびやかせた。振り返る。

「退け。たとえ何があろうと、我が信仰は盤石の大地の如く、決して揺るがず」

 すれ違う。肩が触れた。鎖が鳴る。

 騒動の渦中だというのに、エッシェンバッハは軍帽の庇をぐいと引き下げた。

 故意に、ヒルデ軍曹とアンシュベルから目を離す。

「俺は、空を飛ぶ鳥にはなれん。だが」

 広い空を自由に羽ばたく鷹を振りあおいだ。まぶしげに眼をほそめる。


「この石頭が」

 アンドレーエは鼻の先で笑った。手をひらひらさせ、頭を掻く。

「ちっちゃなお嬢ちゃんの言う通りだわ。融通効かねえわ、ひねくれまくってるわ、頑固一辺倒だわで。全っ然、素直じゃねェ」


 激闘の記憶が甦った。

 魔の眷属に身を堕とし、ティセニアを裏切ったサリスヴァール。

 その帰還を馬鹿みたいに信じ込んで、泥まみれになりながらも橋を守り続けたアーテュラス。

 常に冷静沈着だったホーラダインまでもが、敵陣に単身突入し、一敗地にまみれ、川に這いつくばった惨憺たる姿を晒してまで、前へ進もうとしていた。

 そして今、チュチュを守ろうと必死に後を追いかけるアンシュベルの背中を眺める。

 それに引き替え、この、自分は。


「俺は臆病者だ。逃げて、隠れて、忍んで生きるしか能のねえ、騎士なんて名乗るもおこがましい由緒正しき山賊の末裔よ。その俺が」

 アンドレーエは自嘲の限りを尽くして自分を振り返る。

 エッシェンバッハはぴくりとも眉を動かさない。

「最後まで元帥の肩書きなんてえクソ有難くもねえ免罪符に未練があったなんてよ。石頭もびっくりだよなあ、おい」

「世迷い言などどうでも良い」

 エッシェンバッハは不興げに鼻を鳴らした。軍帽の庇をさらに深く引き下げる。

「さっさと行け」

「あんたとも長い付き合いだったな」

「それも今日限りだ。明日からは神敵と見なす」

強敵ともと書いて仲良しツンデレと読む的なアレか」

「一発殴らせろ」

「イイねぇ。悪くねェ響きだわ、仲良しツンデレ

 アンドレーエは肩をすくめた。指で鼻をこすり上げる。静寂のイーサがきらめいた。


「おーい、ちっちゃなレイディ。話がついたぞ」


 松葉杖ごと手を大きく振る。指向性の声がいきなり耳に飛び込んでびっくりしたのか。チュチュが立ち止まった。その場でアンドレーエの姿を探す。


「さすがはアンドレーエかっか。べんがたちますのね。もうそちらへもどってもよろしくて?」

「ああ、いいぞ。策士すぎるだろ、お嬢ちゃん。ととさま半泣きだったぞ。謝っとけよ」

「あとでたっぷりとドゲザしておきますわ」

「そこまでしなくても」


 チュチュは疲れ果てたアンシュベルの手を引いて戻ってきた。

「ただいまですわ」

「はぁ、はぁ、足が早すぎです、ちっちゃなレイディ……」

「しっかりなさいな、アンシュ。おにごっこはこれからがほんばんですのよ」

「ううっ、無理ですもう走れないです……」

 アンシュベルは完全にへろへろ。疲労困憊こんぱい状態だった。

 前かがみの手を膝でつっかえ棒にして、肩で大きく息をつく。そのたびに、金の巻き髪が上下に揺れた。

 アンドレーエは陽気にウィンクを送った。

「おう、お疲れさん。さっそくで悪いが、準備はいいか」


 アンシュベルは、ぱちくりと大きな眼を瞠った。

「何わけわかんないたわごとを抜かしてるですアンドレさん」

「ずらかるぞ」

「はいっ?」

「いいから来い!」

 アンドレーエはアンシュベルの手を引き、心置きなく身をひるがえした。

 邪魔な松葉杖をその場に投げ捨て、すたすたと厨房を通り過ぎる。

「ちょっとおまちになって。おわすれものですわよ」

 チュチュが追いかけてきた。おやつがいっぱい入った籐かごを差し出す。

「どこにでもゆける自由の翼を」

 輝く笑顔だった。

 アンシュベルは、何度かぱちぱちと眼をしばたたかせてから、胸いっぱいの息を吸い込んだ。

「ごきげんよう、お元気で。レイディ・チュチュ。いつか、きっと、またお会いしましょうね」

 万感の思いを声に込める。

「ええ、ごきげんよう。すてきなたびを」

 チュチュは可愛い手を振る。大きな丸い瞳が、きゅっとまぶしげにほそめられた。


「全く、これだからお嬢様は。優雅に挨拶とかしてんじゃねェよ」

 アンドレーエは、わざと粗暴に急かした。

 表ではまだ盛大に暴れ回っているらしい。ヒルデ軍曹の雄叫びが聞こえてくる。

 裏口から頭を突き出し、二、三度、左右を確認。人の気配がないことを見て取る。

「行くぞ」

 人差し指をくいと曲げてアンシュベルに合図を送った。外へと忍び出る。


「おい、貴様ら。何をしている。罪人が逃げたぞ」

 エッシェンバッハがしらじらしく神殿騎士を呼び集めた。

「さっさと追え。取り押さえろ」

「はっ!」

「おっと、こうしちゃいられねェや」

 アンドレーエは苦笑いした。こんなところで捕まっては、せっかくの心尽くしが台無しだ。

「こっちだ!」

 アンシュベルの手を引き、路地から路地へ、破れ木戸を野良猫のようにくぐり抜ける。

 とはいえ、一直線に逃げるだけでは芸がない。わざと迂回してジグザグに逃げ回った。

 子豚をひっつかまえて放り投げ。

「ブヒィイイ!」

「きゃあああ!」

 豚の柵を大開放して集団脱走させ。

「ブヒイブヒイブヒイ!」

「きゃあああああああ!」

 野良犬の群れに拾った骨を投げつけて大げんかさせる。

「わんわんわんわん!」

「きゃんきゃんきゃん!」


 ここぞとばかりに益体もないことをやりたい放題。思いつく限りのチンケな悪事をはたらきながら追っ手をまき、悠々と村の外れまで到達する。


 実際のところ、《静寂イーサ》の加護さえあれば、まったくそんな紛らわしい陽動作戦の必要はないのだが。


「きゃあああカッコイイですステキですおもしろーい!」

 アンシュベルは、吹っ切れた笑い声をあげ、アンドレーエの首にかじりついた。

 ふわふわの髪と胸を弾ませながら、有頂天で笑いころげる。


「アンドレさんの悪行ざんまい、もうこのまま悪の組織に入りましょうっ!」

「むしろ悪の組織から脱出してるつもりなんだがね」

「というか、これってどう考えても手に手を取り合っての愛の逃避行! じゃないですか!? きゃぁあん、愛しい彼女をさらって駆け落ちの名場面! まさにオトメのあこがれ! たとえ世界の全てを敵に回しても君を守る的な! もーこのまんま地の果てまでアンシュをさらって強引に逃げちゃってくださいですーーーーっ!」

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