師団参謀としての貴様の判断を問う

 アンドレーエは、詰めていた息を吐いた。濡れねずみのように頭を振るう。髪を伝う雨滴うてきが振り飛ばされた。

 それでもまだ、絶え間なく落ちて止まらない。

 落雷が空を震わせた。足下が揺れる。

「ユーゴ!」

 頭ごなしに怒鳴られ、ユーゴは、ようやく呆然とアンドレーエを振り仰いだ。

「師団参謀としての貴様の判断を問う。今後の方針を示せ」

 ユーゴ自身、答えなければならないのは分かっていた。だが、顎が、錆びたちょうつがいのように動かない。

「即答しろ」

 するどい声が飛ぶ。火の如く燃えるアンドレーエの眼に、ユーゴは息を呑んだ。

「この場に留まるのは……無意味と思われ……」

 旗手を始め、ヴァンスリヒト隊の兵たちが、弾かれたように顔をあげた。呻吟がこぼれる。

「続けろ」

 猛禽を思わすはしばみ色の眼が、爛々と光をはなった。食い入るように睨みつける。

 ユーゴは、歯を食いしばった。敗北の様相を帯びはじめた戦況は、どんなに言いつくろっても、くつがえしようがなかった。

「我々第二師団も、ヴァンスリヒト隊も、ともに再度の攻勢を掛けられる状態にあらず! よって、いったん退却し、第一師団本隊と合流し、防御体制を固めるほかにないと」

 生木を裂くようなうめき声が聞こえた。

 胸が、軋む。

「同感だ。当たって砕けてちゃあ、まともに戦えねえ」

 アンドレーエは険しくうなずいた。全員を見回す。

「今、この場にいないものは見捨てる。総員、ただちに撤収を開始せよ。ユーゴ、お前が退却の指揮を執れ」

「師団長……」

「返事しろ!」

「は!」

「第二師団、全員に告ぐ」

 雨足が強まる。鷹が、すうと弧を描いて舞い降りてきた。白い飛沫を散らして、アンドレーエの腕に落ち着く。

 アンドレーエは、放射状の軌跡を引く荒れ模様の空を振り仰いだ。

「何度も言うが、この雨だ。敵はしばらく動けねえ。その間に、ヴァンスリヒト隊の生存者を可能な限り救出。護衛しつつ、先行する第一師団本隊に合流して、ノーラスへ向かえ。指揮はユーゴに執らせる。俺は、敵の動向を探ってから後を追う」

 ユーゴは、泥水がむなしくあふれて流れくだる斜面を睨みつけた。唇を噛む。

「師団長、小官は」

「ぐずぐずするな、ユーゴ」

 叱責がユーゴを追い立てた。

「とっとと準備にかかれ」

 若い旗手が、泣いていた。

 土気色の顔をした兵が、それでも無理やりに旗手の腕を掴んで引っ立てた。連れ去られてゆく。

 この判断は正しい。

 ヴァンスリヒト隊の士気は最低、いや、それ以下だ。指揮官を失ってなお戦い続けられるほど、人間は、兵器になり得ない。

「師団長」

 雨の彼方に、アンドレーエの迷彩服が見えた。豪雨の中へ、ただひとり、歩き出して行こうとしている。

 その孤独な後ろ姿に、ユーゴは立ちすくんだ。

「師団長」

 声が、心もとなくもうわずる。

 アンドレーエの姿が、暗い雨に溶けまぎれ、消えてゆく。なぜか、その背中が、本当に消えてしまうかのように見えた。

 ユーゴは我に返った。傍らの部下を呼び止める。

「待て。先ほどの師団長命令を訂正」

 消えゆくアンドレーエの背中から、片時も目を離さずに口早に命じる。

「各自、ヴァンスリヒト隊と行動をともにしノーラスへ向かえ。最大多数の生存、および、ノーラス帰還を第一目標とする。接敵せってき機動は絶対に回避せよ」

「了解」

「以上。後は任せる」

 ユーゴは水たまりを蹴散らし、アンドレーエの後を追って駆けだした。

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