愚かだと、分かっていた
ターレン型重
こんなところにまだ、無傷で、何基も隠していたのか。
ヴァンスリヒトは、ふと、シャーリアのことを想った。
ずっと叱られて、怒鳴られてばかりだった。なのに、なぜか、笑顔ばかりが思い出される。
血まみれの胸襟を開き、赤黒く汚れた擲弾をつかみ出す。
あの場で、ユーゴに会わなければ。
おそらく支隊全員が非業の最期を遂げるまで、全滅も厭わずに戦い続けただろう。
この火こそ、神の導きだと思えた。懐かしい友にも会え、部隊の者の
ユーゴがいるなら、きっと、アンドレーエ元帥も遠からぬ場所にいる。悪天候を物ともせぬ《
思い残すことも。
「殿下」
最期の力をふりしぼって、導火線に火を点ける。
身の程知らずな思いだと、分かっていた。サリスヴァールのような真似はできないし、する勇気もない。
擲弾に灯った火花が、黄色く弾けた。
今にも消えそうな、弱々しい赤い火。
その火すら、消えかけている。苦い煙がたなびく。
それでも。
戦場に立ちこめる血と油煙の臭いに、ヴァンスリヒトは咳き込んだ。穴の開いた身体から、血が、意識が、あふれんばかりの想いが洩れて、むなしくこぼれおちてゆく。
怒声が聞こえた。
銃弾が耳をかすめ、飛び去った。
重
銃を構えたゾディアック兵が、あおざめてゆがんだ顔で立ちふさがろうとした。行く手を塞ぐ。だが、近づいては来なかった。ヴァンスリヒトの手元を指さし、後ずさる。
立ち消えたかに見えた導火線の火が、ふいに、じりじりと音を立ててよみがえった。勢いを増して燃え進む。
投げる力はもう、なかった。
「馬鹿、撃つな。撃ち方やめ! 馬ッ鹿じゃねえの、あんた」
くぐもった声が、耳に飛び込んできた。
耳当てをつけ、白いマフラーにゴーグルをかけたゾディアック軍の砲術将校が、行く手をさえぎるように飛び出してきた。
「もういい。投降しろ。何ムキになってんだよ。止めろって言ってんだろ」
蒼白の面持ちで怒鳴っているのは、敵の第十
ヴァンスリヒトは、かすかに嘲り笑い、よろめいた。誰を恨むこともできない。あとは、自分を笑うしかなかった。
「爆弾を捨てろ。いいから、ちょっ……手を放せってば。逃げりゃいいだろ、やめろよ、何も死ぬ必要ないだろうに、おい!」
うすれゆく意識の下で、助命の叫びを聞き流す。
ヴァンスリヒトは、擲弾を手にしたまま、ターレン型重
銃声が聞こえた。よろめいて、足を踏み外す。
「ばか、撃つな! やめろ!」
アルトゥーリが泣きながら怒鳴っていた。
最期の導火線が赤く光った。擲弾内へと吸い込まれてゆく。
「殿下……どうか、ご無事で」
愚かだと、分かっていた。
取り落とす。
灼熱の轟音が飛び散った。
ゾディアック軍の陣地から、恐ろしい地響きと同時に、黒煙を孕んだ炎があがった。火薬に誘爆したらしい。燃え続けている。
背後から降り注いでいた銃弾が、一瞬、止んだ。
爆風にあおられたユーゴは、命からがら木陰の茂みに転がり込んだ。即席の塹壕に身を伏せる。
身をちぢこめ、息を吐き散らして。
愕然とあえぐ。
奇襲はとりあえず成功した。が、これ以上の戦果を望むのは無謀に思えた。
間隙無く飛び交う火線の激しさに、塹壕から頭を出すこともできない。
敵の喊声が、波濤のごとく打ち寄せてくる。
銃弾が跳ねて、目の前の泥を飛び散らせた。《静寂のイーサ》の加護を受けていたときとは天と地の差だ。
一歩も動けない。歯を食いしばる。
目を転じると、丘のふもとあたりの道を、旗印もなく退却してゆくヴァンスリヒト配下の騎兵が見えた。
ふと、周囲を見回す。付いてきていると思っていた友がいない。
「クラウス」
ユーゴは、思わず中腰に立ち上がった。身体が枝に引っかかる。がさりと音が鳴った。
いつの間にか、目の前にまで忍び寄ってきていた敵兵が、はしばみ色の眼をひんむいて硬直した。
ユーゴは無言でナイフを抜き払った。敵の腋下を狙って、突き込む。
「うわ、待て、俺だっ」
いささか大げさにひっくり返りながらも、相手は、確実な身のこなしでユーゴの一撃をかわした。せわしなく手を振る。
口元に巻いた茶色の覆面を剥がす。
現れた顔は、アンドレーエだった。
ユーゴは驚き呆れ、舌打ちした。
「くそ、何だ、師団長ですか」
「は? くそとは何だくそとは貴様。上官に向かって。それに今の、完全に殺しに来てる眼だったぞオイ!」
気色ばむアンドレーエを制して、ユーゴは詰め寄った。
「それは失礼しました。ところでクラウスを、ヴァンスリヒトを見ませんでしたか」
「ヴァンスリヒト」
アンドレーエは周辺にするどい探索の視線を走らせた。
いつもはくしゃくしゃに寝癖のついた前髪が、今は濡れそぼってつぶれ、長く額に貼り付いている。雨だれがしたたり落ちた。
「まさか、逃げ遅れたのでは」
ユーゴは青ざめ、うわの空で腰を浮かせる。アンドレーエが舌打ちした。ユーゴの腕を掴む。
「馬鹿。撃たれたいのか」
「ですが」
「友なら見くびってやるな。お前が言ったんだぞ。あのヴァンスリヒトに限って、とな」
けたたましい噪音が、雨に紛れてせめぎ寄ってくる。
銃を持ったゾディアック兵が、稜堡の土塁を乗り越え、進んでくるのが見えた。アンドレーエは、荒くれた笑みを頬に貼り付かせた。
「退却だ。逃げるぞ」
ユーゴは躊躇した。
「しかし」
「しかしもかかしもない。今は退け。命令だ。来い」
アンドレーエは、親指を立ててぐいと崖下を示した。
立ち上がった途端。
容赦ない掃射が浴びせかけられた。
一気に走り、雑木の生い茂った崖から飛び降りる。斜面を這う幹を蹴り、枝を弓なりにたわませて落下の勢いを殺しながら、ちぎれ飛ぶ青草もろとも、崖下へと転がり出る。
相当の距離を滑落したらしい。
さすがに無傷とはゆかなかったか。ユーゴは、右腕を押さえつつ起きあがった。
アンドレーエはと見ると、呑気に尻を撫でている。頭上から、ゾディアック兵の怒鳴り声がした。
「ヴァンスリヒト隊は脱出させたんだよな?」
「先ほど撤退してゆくのが見えました」
掛けていたはずのゴーグルは、どこかへ吹っ飛んでいた。動かない右手の代わりに、左手で眼鏡の位置を直しながら答える。
アンドレーエはユーゴに近づき、腕を掴んだ。ゆっくりと関節の位置を確かめる。
「大丈夫か」
「勘弁してください。師団長について行くだけでも骨が折れるのに」
「大丈夫。関節なら戻しといた」
「敵前から逃亡するより、先に第二師団を脱走したいです……」
「勘弁してくれ。お前がいないと、俺一人じゃ何もできん」
アンドレーエは、茂みから頭を突き出した。指をくわえ、指笛を吹く。どこから現れたか、荒天を衝いて、
「仲間に位置を知らせろ」
雨を散らして腕に止まった鷹を、再び、豪雨の空へと投げ放つ。
鷹の描く弧を見た第二師団配下の猟兵たちが、旋回を目印に集結し始めた。中の一人が、傷ついた兵の一団を保護していた。
泥まみれになってうずくまる負傷兵のうち、一人は、まだ少年といって良い年齢に見えた。長旗だけになった旗竿を握りしめている。
異様な雰囲気だった。アンドレーエが眉をひそめる。
「何かあったのか」
少年兵は、顔を上げようともしなかった。
ユーゴは、脳裏に閃くものを感じて、少年兵に詰め寄った。足元に転がる旗竿。軍旗のない旗。
うつむいた兵の肩を掴み、乱暴に上向かせる。その顔には見覚えがあった。
「クラウス隊の旗手だな。軍旗を棄てたのか。クラウスは。どうした!」
「申しわけ……申し訳ありません……!」
旗手は、ユーゴの腕から逃れ、泥に頭をすり付けんばかりにして這いつくばった。拳で泥を握りしめる。嗚咽があふれおちた。
「だから、クラウスは」
さらに問い糾そうとして。
ユーゴは、言葉を失った。
雨足が激しくなる。
降りしきる大粒の雨。土砂降りに降って、降って、降り荒んで。
ぬかるんだ地面を打ち叩く。跳ね返りの泥飛沫を散らす。
横殴りの突風に、枝葉があおられた。激しく揺さぶられる。
雨が、すべてを押し包んだ。
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