12−1 魔都ベルゼアス

国賊サリスヴァール討伐の是非や如何に

 儀仗兵が、銃のかたちに似た杖を掲げた。踵を高く床に鳴らして直立不動の姿勢を取り、女帝の栄光を讃える。

 女帝アリアンロッドは、仮面のように整った、それでいて慈悲に満ちあふれた完璧な面差しを正面に向け、しずしずと枢密院議場へと入ってきた。

 星々をちりばめた冠を、高々と結い上げた髪に留めつけてなお、あふれんばかりになだれおちる金髪が腰まで届いている。

 むろん、もう若くはない。が、国家の重鎮を所有物の如く眺め渡す瞳は、命令し慣れたもの特有の傲岸な火を宿していた。怖いほど透き通った、青く、きらめく、瞳。

「始めなさい」

 女帝は、古いゾディアックの言葉で儀礼的に宣誓し、上座に腰を落ち着けた。

 いくつかの議題が処理され、報告がなされた。女帝アリアンロッドは短い承認の言葉を述べ、時に質問する。大法官が書き記してゆく。

 顧問官の一人が言った。

「国情の安定にはまず法を作るべきだと訴える革命派がおります。街角で啓蒙の本を売り、平等、自由、改革なるものをうたい、あるいは戦争をやめ産業を興し、砲ではなく法により民の生活を守るべきと」

「笑止。平和など絵空事だ」

 大法官は、走らせていたペンを止めた。

「しかし市民の中には、度重なる敗北により、陛下のご威光に対し公然と疑問の声を上げる者も」

 大法官は、ちらりとレディ・ブランウェンを見やった。麗しの女王アリアンロッドが、大法官の傀儡だなどと夢想する愚昧なる革命家どもには、女帝の名において死の栄誉を取らせねばならぬ。あでやかな《死の娘たち》が放つ毒の芳香によって。

 レディ・ブランウェンは、雫の形をした宝石瓶のネックレスを触った。華奢な鎖を指先に絡ませる。

「終戦は、すなわち野犬の群れを帝都に放つこと」

 だが口に上る言葉はまるで違っていた。大法官はおもむろに続ける。

「戦争こそが、我が国最大の産業である。軍こそが、大量の雇用と国家の安定を創出していることを忘れてはならぬ。民にとっての平和とは、すなわち血に飢えた復員兵、すなわち失業者が町に溢れる無法状態に等しい。つまらぬ夢想家どもが掲げる平和など、紙に書いた食物にすぎぬ。世界の北半分に君臨する我が帝国が、大陸の南の端に貼りついた小国を相手に、本気で立ち向かう必要などあろうはずがないではないか。しかし、陛下の御威光をけがす敗北の二文字はもはや許されぬ。我らには、血塗られた勝利の祝杯が必要だ」

 大法官は、暗い眼差しを末席の軍人たちへとくれた。アルトゥーリはまったく動じない。だが、イェレミアスはあからさまに口元をゆがめた。

「あの裏切り者のせいだ。天蠍宮てんかつきゅう師団が、奴の亡命を見逃しさえしなければ、こんなことにはならなかった」

「あら、ずいぶん古い昔話を持ち出してきたわね。しつこい男は嫌われるわよ」

 レディ・ブランウェンは鼻で笑った。女帝を振り返る。

「わたくしの姉妹である、イル・ハイラームのレディ・シルグンデと、ツアゼルホーヘンのとある高貴なレイディより、それぞれ、興味深い手紙が届きましたことを、ご報告申し上げます」

 アリアンロッドが、仮面の表情をわずかに剥がした。黒衣のレディ・ブランウェンを見つめる。

「何事ですか、レディ・ブランウェン」

「まずは一つめ。国賊チェシー・エルドレイ・サリスヴァールが、ノーラスを離れました。シャーリア公女麾下の第一師団へ正式に転属されたとのこと。おそらく、次節にはリーラ河以北の最前線へ出て参りましょう。それと、もう一つ」

 最後まで聞かず、イェレミアスは、がたりと椅子を蹴った。立ち上がる。

「あの裏切り者め。ついに来たか」

「そんなに気になるのかしら。彼の活躍が。貴方の元上官じゃない」

 レディ・ブランウェンは、話をさえぎられたことに対し、冷ややかな侮蔑の笑みで答えた。イェレミアスは癇癪を起こして怒鳴る。

「ふざけるな。サリスヴァールの面皮めんぴぐのはこの私だ。陛下、国賊サリスヴァール討伐の是非や如何に」

「大法官」

 アリアンロッドは、揺れ動く眼で傍らの老人を見やった。大法官は手を上げ、イェレミアスの語気を制する。

「控えよ、イェレミアス。陛下の御前である」

 イェレミアスは歯ぎしりしながら怒鳴った。

「今すぐに御裁可を頂きたい。逆賊追討の勅令を、私めに。魔を召喚しさえすれば、烏合の衆たるシャーリアの師団など、物の数にも入らない!」

「貴下の第四師団は昨年、アルトゥシーにて、第二師団アンドレーエの部隊に手痛い反撃を受けたのではなかったかな」

「シャーリア師団に対しては勝利している!」

「勝利とは、完膚無き痛撃を言うのだ、イェレミアス。貴公が、撤退中の第一師団に対して無謀な追撃を行った結果、ツアゼル神殿騎士団とアンドレーエ麾下の猟騎兵大隊に挟撃され、潰走した時のようにな」

「指揮官が、部隊を放棄しアルトゥシーへ下がっているとの情報はレディ・ブランウェンからのものだった! 私はそれにしたがったまでのこと」

「アンドレーエは奇襲の名手だ。我々に情報が入るならば同時にもっと詳細な経緯があの忌々しい城砦の僭主せんしゅ、ホーラダインへも届いていることも理解すべきだった。当然、応援が派遣されるであろうことも、その準備に要する日数が最短となるであろうことも」

「たかだか三千の被害だ」

 イェレミアスは、強硬に言い張った。

「第十師団がノーラスへ砲撃したときは、ノロノロと鈍重な鉄くずを引きずっていたせいで撤退もできず、万近い捕虜を取られたうえに、砲までも鹵獲ろかくされたではないか」

「ターレン型重砲は開発途上だ。制御も難しい。それにあの時は、気持ち悪い《召喚》の失敗物がいっぱい降ってきて、誰も逃げられなかった。俺だって、ぱんついっちょで逃げ出した」

 アルトゥーリは、聞き取りづらい声で言った。ふんと鼻を鳴らす。

 黒っぽい、ぼさぼさの前髪の下から、焦茶色をした端整な眼がのぞいた。理知的に光っている。

「どこの誰が、《召喚》の失敗物を攻撃に転用する、なんて奇策を思いつくんだ? ありえない逆転の発想だ。失敗することが許されない前提の我が軍ではね」

「その程度で済んでいたと言うべきよ、むしろ、今まではね」

 レディ・ブランウェンが、冷ややかに口を挟んだ。

「《悪魔の紋章》と、《紋章の悪魔》を従えたサリスヴァールが最前線に投入されるとなれば、当然、今までのように手ぬるい抵抗では済まないわ」

 イェレミアスは激しく机を叩いた。耳にした名に対する嫌悪感もあらわに吐き捨てる。

「奴に、魔を制御する能力はない。奴の《紋章》は出来損ないだ! その証拠に、奴はずっと、《紋章の悪魔》に魂を削られていたではないか」

「相変わらず人の話を聞かないのね。出世できないわよ」

「黙れ!」

 それを聞いたアルトゥーリがぼそりと独りごちる。

「一度でも、あいつ並みの魔物を呼び出してみせてから偉そうに言えよとか何とか言ってみたりして」

「アルトゥーリ、貴様!」

「あー失言しちまったかもー」

「このネジ男が!」

「控えろ。二人とも。御前であるぞ」

 大法官が叱りつける。レディ・ブランウェンは横を向いて舌打ちした。

「何でちゃんと話を聞かないのかしら。無能? ツアゼルホーヘンの状況をよく知りもしないで」

 それでも、イェレミアスは聞いていなかった。憎悪にどす黒くゆらめく眼を、この場に存在しない男、かつての上官サリスヴァールの幻影へと向けながら、主張し続ける。

「大法官、自分に提案があります」

「聞こう」

「現状、ホーラダインの防衛するノーラスが難攻不落であることは明らかな事実です」

 レディ・ブランウェンは黒く染めた指先をネックレスにからめた。

「誰かさんにとっては、の間違いじゃないかしら」

 イェレミアスは、レディ・ブランウェンを毒々しい眼で牽制しつつ続けた。

「よって、以下の戦略案を提案いたします。軍主力を東部方面へ回し、ツアゼルホーヘン奪回に注力。敵主力の国境渡河を阻止するべく全力を挙げるべきと考えます」

「東部戦線は野戦中心となる。決戦を模索するはいいが、アルトゥーリ第十磨羯宮まかつきゅう師団の後方支援なくば、とうてい前へは兵を進められぬ。そのアルトゥーリは、ノーラスの牽制が本分。下手に突出し、背後の街道を封鎖されてしまえば、それこそ進退に窮することにもなろう」

「むしろ、その間隙を突けば、ノーラスをも陥落させられるかと」

「二正面作戦を採るは、最大の愚策ぞ」

「我が第四巨蟹宮きょかいきゅう師団を筆頭とし、レディ・ブランウェンの第八天蠍宮てんかつきゅう師団、アルトゥーリの第十磨羯宮まかつきゅう師団に加え、ディラン皇子の第一白羊宮はくようきゅう師団のお力添えをいただけますなら可能かと存じます」

「だがなぜツアゼルホーヘンだ。ホーラダインを討ち取る功を急ぐか」

 大法官は唇を湿らせた。時計を見る。イェレミアスごときの話で、女帝の時間を無駄にするわけにはいかない。

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