それを――僕の口から言わせる気ですか

「相変わらず泣き虫だな」

「はあっ!?」

 からかうような言いぐさに、ニコルはつい引っ掛かってチェシーを睨み返し、逆に見つめ返されてあわててまた眼をそらした。

「そ、そんなことチェシーさんには関係ないでしょう……」

「むしろ、そんなことだろうと思ったから来たんだがね」


 ニコルが黙っていると、チェシーはうすく笑った。肩をすくめる。

「こういうときはまず、長年の友に椅子をすすめるべきじゃないか? 立ち話も何だ。ここは、じっくりと酒でも酌み交わしながら腹を割って……ああ、君はまだ未成年だったな」

「もう遅いですからアンシュベルにお茶は頼めませんよ」

「もとよりそんなつもりはない」

「だったら、いちいち訊かず勝手に座ればいいじゃないですか、いつもみたいに」


「これでも案外、空気を読むたちでね」


 そこまで言われてニコルはようやく、勝手に入ってきたはずのチェシーが未だ壁際にとどまったまま、部屋の中にまで入り込んで来ようとしていないことに気がついた。

「でしたら、どうぞ。お座りください」

 わざと取っ付きにくい態度を装って、つんとした背中を向け、招き入れる。背後で扉を閉じる重たい音がした。

「催促したようで悪いね」


「チェシーさんが空気を読めるなんて初耳です」

「なるほど、去る者は日々に疎し、というわけか。やるせないね」

 と言いつつ、いったん許可を取ったからにはもう、疎隔どころか遠慮するつもりは微塵もないらしい。チェシーはどっかとソファに腰を下ろした。

 足を組み、悠然と背もたれて、しばらくの間、何も言わず黙りこくって部屋の様子などを見渡している。


 その静寂に耐えきれず、ニコルは苛立たしい吐息をついた。

「何か用があって来たんじゃないんですか」


「君は馬鹿正直すぎる」

 いきなり無遠慮にチェシーは切り出した。

「もっと冷淡になれるはずだ。あるいは超越的に」

「何を……」

「それだけの権力を君は持っているはずだ。ルーンの聖騎士を名乗るのであれば、な」

 何かに気づいたらしい。チェシーはおもむろに身を起こし、立ち上がった。壁に向かってそぞろに近付いてゆく。

 天井からぶら下がる白い伝声管の蓋を開けては閉じ、また開けては閉じして子供じみたいたずらを始める。

「錆びてるな。音が割れている。らしくない」


「そんなこと」

 ニコルは険しくさえぎった。

「いきなり言われたって何のことだか」


「自覚もなしと来たか」

 チェシーは伝声管で遊ぶのを止め、冷ややかに含み笑った。振り返る。

「少しはホーラダインを見習ったらどうだ。君とあの男と、何が違う? 君は《ナウシズ》と《エフワズ》、二柱のルーンに選ばれた証しである、やんごとなきを持つ。他方、あの男は家督である《ハガラズ》の守護騎士というを継いだだけのこと。君が、もし、になっていさえすれば、今ごろはあの男と対等に渡り合えるだけの権威を手にしていてもおかしくはなかった。君の、その強さと裏腹な脆さを、君自身が隠し持つ致命的な弱点を、他の誰かに利用されなければ、の話だがな」

「弱点……」

 愚かな鳥が声真似するかのように、同じ言葉をただ、口の中で転がして反復する。

 チェシーは棘のある声で付け足した。

「少しは危険だと気付けよ」


 ニコルは執務机に戻り、窓を背にした椅子へと腰を下ろした。

 ぬるくなったチョコレートを一口、口に含む。

 ざらりとした舌触りがひどくほろ苦い。

「悪かったですね、危機管理に疎くて」

 真正面から言葉を浴びせかけられることに、これ以上は耐えられそうにもなかった。


「まるで分かってないから言ってるんだが」

 チェシーはうすく眼をほそめ、肩を揺らした。苦笑いする。

「私がもし君だったら――今すぐ目の前にいる男を粛清するね」


 ニコルは、がたりと椅子を後ずさらせた。

 カップを握る手が震え出す。

「どういう意味です」

「言葉通り。すべてに於いて。知りすぎたことに対して、だ」

「分かりません」

「例えば、今日の昼。今日の夜、いや、もう昨日か」

「な、何……」

 ニコルは口ごもった。ごくりと唾を飲み込む。

「何のことです」


「……君と話していると、本当はちゃんと分かっているのに白々しくすっとぼけてるのか、それとも本気の片生りでまったく分かってなくて狼狽えているのか、ときどき判断に苦しむんだが」

 ニコルは唇をかんだ。

 喉の奥から、熱い感情のかたまりがせり上がってくる。嗚咽にも近い、それは恐怖だった。

「それを――僕の口から言わせる気ですか」

「そうだ」

「何のために」

「自戒を促すためにさ」

「何の!」

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