見たくもないものを見せられることになるかもしれないぞ

 頭を抱えて七転八倒していると。


「そこ、静かになさい」


 ザフエルが軍靴を鳴らして現れた。いつもと同じ、白い軍装にかっちりと身を包んでいる。慣れ親しんだ姿に、ニコルは表情をゆるませた。白く吐息をつく。

 ザフエルは腰に手を当て、ぐるりと一同を見渡した。

「これで全員集合ですな」


「あ、いえその、まだ」

 ニコルは、喉の奥でくぐもった声をあげた。

「チェシーさんが」

「私ならここにいる」


 玄関脇の暗闇から皮肉な声がする。ニコルは、ぎくりとして振り返った。

「いつの間に?」

「最初からだ」


 チェシーは傲然と肩をそびやかせ、底光る雪の闇から光あふれる玄関へと歩み入ってきた。豪奢な魔剣を床に突き立て、軍コートの肩に積もった雪を払い落とす。

「この騒ぎは何だ」


 顎をしゃくって、無粋な騒音をがなり立てる警戒警報をとがめる。ザフエルはチェシーを無視し、ニコルの前に立った。

「ツアゼル大聖堂より急報。オダルの聖女がかどわかされました」

「なにっ」

 アンドレーエが血相を変えてザフエルを睨みつける。岩のような顔つきをしたエッシェンバッハでさえもが、弾かれたように顔を上げた。


「なんでそんなことになる。神殿の見張りは何やってた」


 ザフエルはアンドレーエの糾弾など意にも介さなかった。

「警護の神殿騎士が賊の捕縛に向かったところ、どうやら山腹を強引に横切って城側の斜面に入り込んだもよう。犬に跡を追わせておりますが、何せこの雪と寒さです。賊も、聖女も、外にいては長く持ちますまい」

「分かりました。救出を急ぎましょう」

 ニコルは乾ききった唇を噛みしめた。

 よりによって、今朝、神殿に落飾したばかりの赤ん坊を拉致するとは。

 みぞれまじりの突風が、平手打ちのような痛みを伴って頰に貼りつく。

「しかし、いくら聖女とはいえ、乳飲み子をさらって冬山に逃げ込むとはな。自殺行為以外の何物でもないだろうに」

 チェシーが腕組みをして苦々しく舌を鳴らす。

「普通ならば泣き声で気付かれそうなものだが」


 触れただけで火がついたように泣くであろう赤ん坊を、やすやすと掠ってゆく賊。頭の中に浮かんだ最悪の状況が、なぜか。

 赤子を奪われ、泥まみれで地面に這いつくばっていたあの母親の姿と重なった。


「なるほど、山狩りか。俺の独壇場だな」

 話を聞いたアンドレーエが、ふいにぞっとしない笑みを浮かべ、ルーンを留めた右手を凍り付く闇へとかざした。

 薄緑色に明滅する《静寂のイーサ》――局地的ではあるが意のままに風、水、光を操り、荒れ狂う暴風雨の影響すら遮断する効力を持つ《気象無効》のルーン。

 悪天候と悪路の間隙をついての一撃離脱。闇から闇へ電光石火の攪乱戦法こそが、《静寂のイーサ》を有する第二師団猟兵隊の真骨頂だ。


「任せろ。すぐに探し出してやる」

「アンドレーエさん」

 たとえ相手が賊であろうと、くれぐれも乱暴なことだけはせぬように、と。焦って釘を刺そうとしたその矢先にはもう、アンドレーエの姿はとうに消え失せている。


「あっ消えた」

「まだ消えてねえぞ?」

 耳元でアンドレーエの声がした。

「な、な、何!?」

 反射的にぶん殴りそうになる。もやもやした幻影のようなものが動いていた。視覚では定かに捉えられないが、確かにまだいるらしい。それもまた《静寂》のイーサの力だ。

 弾んだ笑い声がした。

「驚かして悪かったな。じゃあ行ってくる」


「……聖女の捜索はアンドレーエ卿に一任すればよかろう。奴が最も適任だ」

 消えるもやを見送りながら、エッシェンバッハが低い声で言った。

「我々の役割は別にある」


「賊の退治か」

 チェシーは身をもたせかけていた壁から起こした。ふと、表情を改めてニコルを見やる。

「君はどうする」

「え」

 唐突に問われて、ニコルは目をまたたかせた。

「どうするって。何で、そんなことを聞くんです」


「南国育ちの君は、城で待機していた方がいいんじゃないのか。それに、見たくもないものを見せられることになるかもしれないぞ」

「行くに決まってるでしょう」

 ニコルは、邪険な表情でチェシーを睨み返した。

「勝手に虚弱体質扱いにしないで下さい。こんな雪ぐらいどうってことないです。それに僕だって聖騎士の端くれなんですから」

 ニコルはじりじりと焦り出す気持ちを極力抑えながら、ザフエルを振り返った。

「ですよね、ザフエルさん」


 返事はない。ザフエルは、なぜか奇妙なほどぼんやりとしてニコルの足下を凝視している。

「ザフエルさん?」


「御意」

 だがザフエルはすぐにいつもの無表情を取り戻した。

「お供します」


 突然、庭先がざわついた。

 光と鉄の音。するどい誰何の叫びが乱れ飛んだかと思うと、墨衣に雪の斑をまみれつかせた伝令が駆け込んでくる。


「主祭台下に申し上げます」

 雪を蹴散らしてひざまづく。

「第二師団アンドレーエ元帥より伝令。賊と聖女を発見いたしました」

 寒さにかすれた声が響き渡った。

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