卿には漆黒が似合う

「まったく」

 チェシーは声を上げて笑い出した。

「この上もなく革新的だな、あの御方は。どれ、見せてみろ」

 ひょいと手を伸ばす。チェシーは、すばやくぱんつをかっさらった。

「恐れ入ったよ。もちろん、ありがたく頂戴しておく」

「いやなら無理に穿かなくてもいいんですよ」

「まさか。とんでもない。勝負ぱんつとしてさっそく着用させていただくよ。どうやら長旅になりそうだからな」

「はい?」


 ふいに、廊下から硬質な靴音が聞こえてきた。一気に近づいてくる。

 チェシーは、にやりと唇をゆがめた。

「私から話すまでもない。御大のお出ましだ」




「閣下」

 冷静な声色の奥底に、険しい響きが伏せられている。

 ニコルは姿勢を正し、ザフエルの到着を待ち受けた。

「はい」

「何です、この」

 言い訳を並べ立てる暇もない。郵便袋の山を迂回し、足早にザフエルが近づいてくる。

 ザフエルは、床一面にばらまかれたぱんつの手前で、ぴたりと静止した。

 腰に手を当て、重々しい所作で周囲を見回す。

「……ぱんつの海は」


 ニコルはぎくりと顔を引きつらせてザフエルを見返した。

 まだ先ほどのかぼちゃ映像の衝撃すらさめやらぬと言うのに、黒い、深淵をも遙かに見下げ果てるかのような瞳がひたとニコルを見つめて、離さない。

「そ、その、これはですね要するに」


(この中からお好きなぱんつを選んで下さい)

(では、黒を)


「ザフエルさん」

 ぱんつの海が広がるにいたった経緯を、何をどのように説明すればいいのか。

 考えれば考えるほど、黒い毛糸のぱんつを穿くザフエルの図が、脳の許容限界を遙かに超えて頭の中をぐるぐると回転する。穿くザフエル。脱ぐザフエル。穿くザフエル。脱ぐザフエル。

「あ、あのっ、かぼちゃ!」


 ……ちーん。

 頭の中で終了のベルが鳴った。


 ――か、かぼちゃゃああぁあwぁぇせfふじ○×▼ぇ※ゞ∇ゃぁ……!!


 ニコルは、顔を真っ赤っ赤のぱんぱんに膨れ上がらせ、両手で覆った。言うに事欠いてザフエルをかぼちゃ呼ばわりするとはまさに言語道断、神をも恐れぬ所業である。

「ふむ」

 ザフエルは、かぼちゃ呼ばわりされようが、それでも顔色一つ変えなかった。

 ごほんと咳払いをし、おもむろにニコルの襟首を掴んで吊り上げる。

「かぼちゃがどうかいたしましたか」

「ぐえっ」

「周辺の状況から推測するに」

「ぐっぐるじい」

 青い顔で喉を押さえじたばたと抵抗するニコルを見ながら、冷然と考察を開始する。

「おそれながら、毛糸製かぼちゃ型防寒厚手下着に関する議と愚察いたしますが」

「……」

「御返答は如何に」


「どうやら、われわれ二人に、毛糸のかぼちゃぱんつを穿けと言いたいらしいぞ我らが師団長は」


 チェシーは身をかがめ、ザフエルの手から、ニコルの襟首を奪い取った。しかるのち、頭に片手を置いて、遠慮会釈なしにぐーりぐーり抑え込む。

「痩せても枯れても公国元帥の下知である。命令には従わざるを得ないと愚考するがどうだろうかホーラダイン中将」

 極めて優しげな気色もわざとらしく言い放つ。

「さもありなんですな」

 ザフエルは腰に手を当て顎に指を添えて、ふむ、と得心した様子をみせる。


 チェシーは凄味のある笑みをにやりと浮かべた。

「特に、卿には漆黒が似合うとの思し召しだ」


「仕方ありませんな」

 ザフエルが、すっ、と腰のサッシュベルトを抜き払った。軍袴ずぼんを脱ぎはじめる。

「ご命令とあらば、いますぐにでも」



「い、い、いい加減にして下さい二人ともっ」

 ニコルは真っ赤な顔をして、じたばたと足を泳がせた。

「かぼちゃの話は後にしてください。まずは報告! いったい何の用だと聞いているんです!」


「まあそう真に受けるな」

 チェシーが猫なで声でなだめる。

「つまり、我々ふたりとも、君のその立ち直りの早さにだけは尊敬の念を抱いている、ということさ」

「だけって何ですかだけって!」

「気にするな。言葉通りの意味だ」

 チェシーはけろりとして言った。

「さあ、もうお遊びはこのへんでいいだろう。ホーラダイン、説明しろ」

「え」

 ニコルは眼をぱちくりとさせる。

「二人とも同じ用件で……?」


 ザフエルは返事しなかった。

 無言の視線だけが、ニコルの手元を探るように追っている。

 ニコルは自分が手にしていたものの存在を思い出し、ザフエルに差し出した。


「ザフエルさん宛の手紙です」

 ザフエルは眼を暗くほそめた。

「ど、どうかされました……?」

「いえ」

 ザフエルは慇懃に黙礼すると、手紙を受け取った。

「何でもありません。恐れ入ります」

 それきり、なぜか一瞥たりともくれようとせず、封も切らぬまま半分、さらに半分の四つに折りたたんで、ポケットへとしまい込んでしまう。

 ひそかに漂った邪険の気配が、ふつりと途絶えて。


「実は」

 ザフエルは、いささか唐突に口を開いた。

「我が領国であるツアゼルホーヘンにて、急遽、《オダル》の聖女花誕祭が催されることになりましたので、そのご報告に参りました」

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