君に話がある

「な、何でそうなるかな!」

「でも、この間から、な、何て言うかさ」

「べべべ別に何でもないってば。勘違いだって。いつどこで誰がチェシーさんと喧嘩したって言うんだよ、ぜんぜんそんなのないからっ」

 ニコルは抑えても抑えても手からあふれる毛糸のぱんつをぽとぽとと落としながら、濡れた子犬みたいにふるいあがった。

「チェシーさん」

 追求の視線から逃れるように、あえて高く呼びかける。

「こっちです。奥のほう」


(やれやれ)

 話を聞いていた悪魔が、陰湿な声を上げて背中をまるめた。

(世話が焼けるね)

 羽を震わせ、尻尾をゆらして、ククク、と軋み笑う。


「どうしたことだ。この無駄に巨大な袋の山は」

 チェシーが、郵便袋を横目に見上げながら回り込んでやってくる。

「何だその毛糸の……」

 さすがに最後まで言い切るのは、騎士としてはばかられたらしい。

 チェシーは苦々しく口をつぐみ、次いでフランゼスに視線を移して、なぜかニヤリと笑った。

「公子、お邪魔するよ」

「い、いえ、おはようございます、准将」

 フランゼスは、ぽっちゃりとした手で肩肘張って敬礼した。

「朝早くから酔狂に付き合わされて大層なことだ」

「何が酔狂ですか」


 とっさに感傷を封じ込め、ばたりばたりと何重にも蓋をして秘め隠す。

 ニコルは、いつも通りのふくれっつらを装って、ぶうと唇をとがらせた。

「これでもちゃんとした福利厚生の一環ですから」


「いや、最近、君の愉快なメガネ面を見ていなかったような気がしたものでね。ご機嫌をうかがいにきたんだ」


 チェシーは素知らぬふりで眼をそらした。

 郵便袋から今にもこぼれ落ちそうにはみ出している手紙を一枚、引き抜く。

 心ここにあらずといった様子で、勝手に宛名を見、意味もなく封筒を表、裏と返して、ひらひらともてあそぶ。


「ほう、これは奇遇だな」

 チェシーはふと感じ入った声を上げた。

 虹色の光沢を帯びたなめらかな絹紙の全面に、型押しした百合の紋様が施されている。

 うっすらと紅の色に彩色された流麗な縁どり。

 白の封蝋に混ぜあわされた花の甘い香りが、ふわりと立ちのぼった。


「見ろ」

 ニコルは封筒を受け取った。捺された印影を見る。


 薔薇の花棘絡まる楯。白と黒の十字。交差した剣。ホーラダインの紋章である。


「ザフエルさんあてだ」

 手を口に押し当てる。

 見てはいけないと思いながらも、思わず裏書きに眼を走らせる。隅の方に小さく、うすく、名が見えた。


 ユーディット。


 なぜか、はっとした。胸の奥が、ちくりと痛む。女性の名だ。


「今朝のことだが」

 チェシーは、沈みかけた空気を引き立てるかのように話し出した。

「偶然というか半ば故意というか、どうやらたまたま、ホーラダインと士官食堂で鉢合わせしてね。しばらく一緒に食事しながら、君が来るのを待っていたんだ」

「えっ」

「おい。まさか朝食も摂らずにこんなことをしていたんじゃあるまいな」

 チェシーの目つきが青くするどくなる。


「……あっ、そ、そうだ」

 フランゼスは、突然手紙を散らかして立ち上がった。

「ご、ごめん。そういえば昨日、書庫に大事な資料本を置きっぱなしに、し、してたの、すっかり忘れてた」

「えっ!」


「ご、ご、ごめん、ニコル。なくしたら大変だ。ちょ、ちょっと行ってくるから」

 引き止める間もなく、フランゼスは一目散に逃げていく。

 ニコルは呆然として、恐るべきその判断力と逃げ足の早さを見送った。


「逃げられた」

 ぽかんとつぶやく。


 チェシーはやれやれと首を振った。

「ちなみに私は手伝わないからな」

「分かってますよ」

 ニコルは恨めしい気持ちいっぱいの上目遣いで、チェシーを見やった。

「ぜんぜん期待なんてしてませんから」

 さながら、馬鹿な猟犬にわんわん吠えられたせいで、せっかくのカモに逃げられた猟師の気分だ。しょんぼりと肩を落とす。


「そう哀れがましい声を出すな」

 チェシーは、しれっとして慰めの声をかける。

「君にはル・フェという有能な悪魔がついてるだろう」

(は!?)

「もういいです……」


 仕分けすべき大量の郵便物を見上げ、ニコルは、げんなりと苦笑まじりのためいきをついた。チェシーが傍らにいるこの状態で、記憶と集中力が頼りの分配作業に没頭できるわけがない。


「あ、あの、チェシーさん、えっと、そのう」

 ニコルは言いかけて、口ごもった。

 チェシーがニコルを見つめている。

 ニコルは、なぜかうろたえた。

「な、何か用でも?」

「君に話がある」

「な、何の?」


「いや」

 チェシーはぶっきらぼうにかぶりを振った。

「そちらの用件を先に済ませてくれて構わない」

「はい? いや、僕、別に、そんなこと言ってませんけど?」

「今、何か言おうとしただろ」

 チェシーは頑として固辞しつつ、ふと表情を和らげた。

「払われてしかるべき敬意だと思ってくれ」

「えっ、べ、別にそんな」

 ニコルはどぎまぎした。また、肩を小さくする。

「何も、あの、そんな」

 ニコルは、まるで御守りのようにぱんつをぎゅっと握りしめながら、詰めていた息を吐き出すようにして言った。

「え、ええと、義母さまがあの、チェシーさんやみんなに冬の贈り物をくださってですね」

「暖かなお気遣い、心より痛み入る」

 チェシーは隻眼をうすくほそめた。

 軽いためいきをつく。

「ありがたいな。感謝していたと言付けてくれ。だが、そう聞くとなおいっそうの北風が天涯孤独の独り身にしみるね」


「そ、それでですね」

 ニコルは、さっきまで手に持っていたはずの毛糸のぱんつを探して、あたふたと周りを見回した。

 トランクの中に、もう一通、手紙が入っている。

 ニコルは、チェシーに背中をむけたまま、無言で手紙を拾い上げた。裏を返し、わずかに眉をひそめる。


 不思議なことに、宛名もなければ、差出人の名もなく、封蝋すら捺されていない。


 とはいえ、このトランク内にある以上、自分に宛てられたものであることは間違いない。

「どうかしたのか?」


「いいえ」

 チェシーの視線を背中に感じて、あわてて手紙をポケットへとねじ込む。


「ええと、どこだったかなあ……っと」

 きょろきょろと辺りを見回す。視界の隅に、無駄に華やかな赤色が飛び込んできた。

「あ、あった!」

 ニコルは思わず歓声を上げた。

 手にした毛糸のぱんつを全色放り出し、身をひるがえして、赤ぱんつに走り寄る。


「これですこれ。このぱんつを、是非ともチェシーさんに穿いてもらうようにって」


 ときめく声を弾ませ、勇敢なる闘牛士のごとく、手にしたど派手な赤かぼちゃぱんつ(金ラメ刺繍入り)を、目一杯たかだかと振り回す。


 ……。

 …………。


「私にその毛糸のぱんつを穿けと」

「はい」

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