凡ては神の定めたもうた運命

「何だと」

 身構えるチェシーを差し置き、ゆらりと手を伸ばして左腕にはめた《破壊のハガラズ》を眺めやる。

 漆黒の光がぎらりとくねり、放たれた。


 一瞬、悲痛な喘ぎが無意識のニコルの喉からこぼれる。《破壊》の呪に反応しているのか。

 身じろぎした拍子に毛布がはらりとめくれて落ちた。

 《封殺のナウシズ》が氷の光を甲高く弾かせた。反射した光が毛布を突き抜け、漆黒の天井を揺れる流氷の色に染め上げてゆく。


「《ナウシズ》だと」

 ぎょっとした顔でチェシーは振り上げた手をこわばらせた。

 後ずさる。

「まさか」

 その表情から怒りが消し飛んでゆく。


 凡ては神の定めたもうた運命。

 ザフエルは感情の欠落したまなざしをニコルへ落とし、次いでチェシーへと突き刺した。


 憫笑を含んだ声が脳裏によみがえってくる。

 風。

 土の匂い。

 純白の柱廊。

 青い小鳥にまとわりつく黒猫。

「逃げることは、許さない」

 鋼鉄の弦が幾重にも震うかのごとき不協の唱和。世界をゆるがす音が、響き渡ってゆく。

 ニコルと、その

 護るべき真実を、他の誰にも知ろしめさぬ為ならば。

「そう来るか」

 チェシーが剣を掴んだ。青ざめた笑みが口の端に走る。



 だが、そのとき。

「なななな何やってるんですか二人とも!」

 聞き慣れた――ありえない甲高い声が、地下の空気を凍り付かせた。


 頭上を照らし出すまばゆいカンテラの光が揺れ、あふれ、撒き散らされて、夜陰に慣れた眼を光の洪水で押しつぶす。

「こんな狭いところでまったくうわったらばらたわあ!」


 ごすがすぼきぐわんがらんどすんぐわしゃぷぎゃあああ。


 とかなんとか。安易に擬音で表記すれば、大抵はこんな感じになろうか。

 想像してみるまでもなく、おそらくは盛大に足を滑らせたのであろう、最上段からどんがらがっしゃんと団子状になって転がり落ちる物音が手に取るように聞こえてきたかと思うと。


 一瞬にして闇へと回帰し、すべてが元の木阿弥。ガラスの割れる音、ブリキのバケツを宙に放り投げたような音が右へ左へと移動して、最後、無数の足音がずどどどど、と差し迫ってくる。


「全員せいれーつ!」


 有りうべからざる声。

 だが、それは間違いなくいつもと同じ、少し馬鹿げた、だが懐かしくさえある声だった。

「目標、地下書庫! われらの同胞ニコルを! 救ーー出ッ!」


 進軍らっぱに太鼓にシンバルぴいひょろろ、うおおとかきゃああとかいやぁん触らないでぇなどと、もはや渾然一体、玉石混淆、何が何やら分からない鯨波の怒濤が迫り来て。

「全軍、突撃イイイ!」


「ちょっ……!」

 チェシーは絶句。

 ザフエルは静止。

「お、おい待て、な、な、何が、ぎゃああ」

「……むう」


 避難する間も、なかった。


 大地をどよもす鬨の声とはまさにこのことか。狭い、暗い階段をが一気に乗り越えて乱入。

 互いに互いを乗り越え、転がり落ちながら突っ込んできたかと思うと、チェシーをなぎ倒し。

 書庫の鉄格子をひんまげ、吹っ飛ばし、ザフエルと眠るニコルを、その濁流に呑み込んで書庫を突き破り、ずかどかばきと本を書棚を机を椅子を毛布を粉砕し――



「な、何だよ今の騒ぎ……うわあ!」

「す、すんごいことになってるです」

 あわてて後を追いかけてきたらしいフランゼス公子とアンシュベルの震える声が、かぼそく響き渡る。


「何でもいい」

 つぶれきったチェシーの声が地の底から聞こえてくる。

「灯りだ。灯りをよこせ」

「いやんおしり触らないで」

「!」

「俺の女になれなれしく触ってんじゃねえ」

「!?」

「ぁぁんそこは、ダ・メ」

「まさにこの世の地獄ですな」

「逢いたかったよ私の愛しいレイディ」

「何なのこの騒ぎは。わたくしを差し置いて生意気だわ」

「ザフエルさま、お怪我はありませんか……?」

 が、口々に唱和した。



「とっとと灯りを持ってこい!」

 チェシーが再度怒鳴る。

「は、はいですっ」

 あわてたアンシュベルが階段を駆け下りてくる。

「痛っ」

 が、途中で何かを踏んづけたらしい。すてーんと転倒する。


「ぶぶっ」

「おお」

「白だ」

「きゃうん!」

 ふいにぐもももと沸き上がった声に、アンシュベルは思わず悲鳴を上げてカンテラを放り投げた。

 愕然としてスカートの前を押さえ、階段の途中ですくみ立つ。


「し、師団長が」

 声が途切れる。

「いっぱいいるです!」


「白だ」

「白だよね」

「い、いやあん違うですっ」

 ようやく合点がいったらしくアンシュベルは顔を真っ赤にして恥ずかしがった。

 そこへわらわらわらとニコルの大群が群がった。

「ぱんつっ」

「しーろっ」

「ぱんつっ」

「しーろっ」


「そうじゃないですっ」

 連呼される恐怖に顔を蒼白にし、ふわふわの巻き毛をぶんぶんと振りながら、アンシュベルは全力で否定にかかった。

「アンシュはぱんつには一家言あるですっ」

 眼に涙をいっぱいためて声を張り上げる。

「絶対にいちごサンのアップリケ付じゃないとっ!」

「いちごッ」

 フランゼスががたりと足を踏み外しざまに仰け反って、ぶぶうっと鼻を押さえる。


 その隙にひゅるるる、とカンテラが書庫の宙を舞って。


 チェシーは無造作に手を伸ばし、飛来するカンテラの取っ手を掴み取った。

 勢いあまってからからと激しく空転し、揺らいで、今にも消えそうになりながらようやく止まるのを冷ややかに一瞥する。

 灯りを掲げ、周りを見回す。

「ほう」

 凄味のある笑いが口元に広がってゆく。

「何だ貴様ら……このていたらくは」


「えへへ、お騒がせしちゃったかなあ」

 頭にうさ耳を付けたニコルが笑う。

 ついでにもう一人。パンダ耳が頭を掻く。

 さらにもう一人。こちらはピエロ鼻である。

 よくよく見回せばニコル。ニコル。あっちにもこっちにもニコルニコルニコルニコル。書庫一面ニコルがうじゃうじゃと大発生している。それらが一斉に顔を上げ、気味悪いほどぴったりと声を揃えて、元気よく「やあ!」と挨拶する。


「閣下の大群かと」

 真っ赤なドレスのせくしーニコルに腕を取られ、埋もれていたぱふぱふの海からざばあと身を起こして、ザフエルは厳正につぶやいた。

「ああんザフエルさまぁん」

 ほっぺたに口紅のあとが三つほど付いている。

「百年の恋も冷めますな」

「困ったことがあったらいつでも相談に来な、兄弟」

 隣にいたまっちょニコルがぱき、と指を鳴らしてにやりと笑う。

「話だけなら聞いてやるぜ」

 空気椅子で足を組み、テンガロンを跳ね上げ、ショットグラスをからから空回す真似などしている。

「未成年は飲酒厳禁」

「安心しろ。ホットミルクだ」

「ならば結構」


「ああんチェシーさまぁん」

「しな作るな!」

「怒った顔もス・テ・キ」

「媚び売るな!」

「いやんもお、イ・ジ・ワ・ルぅ」

「脳みそ洗ってこい!」

 どうやら我慢の許容限界を超えたらしい。チェシーは神速の拳を振り上げると、けばけばしい紫のカツラを被った女装ニコルの頭をごいんと一発ぶん殴った。


 いつものごとく、たんこぶを作って吹っ飛んでゆくかと思いきや。

 偽ニコルは、ぼひゅん、と気の抜ける音をたてて、たちどころに消え失せる。


「んまあ」

「いやだわ」

「暴力反対」

「こわあい」

 口に手を当て、偽ニコルの集団が互いにひそひそとささやき交わす。


「……なるほど、《召喚》か」

 チェシーは消え去った悪魔の感触と己の拳を交互に見比べ、腑に落ちた様子で階上を見上げた。

 凶悪な笑みが浮かぶ。

 ぎくりと眼をそらして立ちすくむフランゼスを無視し、さらにその背後へと眼を転じる。

「貴様の仕業だな、ル・フェ」


 フランゼスの背後に暗い影が浮かび上がっている。

 青黒い《紋章》がゆらりとかぎろった。

「全部、偽者というわけか。こいつらだけでなく、彼女も」


 《紋章》の悪魔はぱたぱたと翼を振るった。三角にとがった尻尾をゆらりと波打たせる。

「なぜこんな真似をする」

 声の底辺に不穏な響きが流れる。


 悪魔はしらじらしい仕草で耳を掻いた。ふんと鼻で嗤い、地下書庫にはびこるニコル型小悪魔の奏でる狂想曲に耳を傾けるふりをする。


(さあね。何のことだか)

 ぬいぐるみはありもしない前髪を気障に掻き上げる素振りをしてみせた。

 一瞬、ザフエルに冷ややかな嘲弄の視線をくれる。

(……なかなかに面白い見物だったぜ? 楽しめただろ、全員、それなりにさ?)


 くくく、となおも甲高く喉を震わせあざ笑う悪魔を、ザフエルは無常のまなざしでただ見上げていたのだった。


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