ごちーん
一気呵成にわめき散らすなり。
ごちーん、と。意表を突いた渾身の頭突きをチェシーの顔面へと食らわせる。もちろん、チェシー本人にしょっちゅうぶん殴られていたおかげもあって鍛えに鍛え抜かれた最強の石頭である。
自業自得の反撃にチェシーは、らしからぬ悲鳴をあげて吹っ飛んだ。何が起こったのかも分からぬまま顔を押さえ、苦悶の呻きをあげてよろめき、ふらつく。
ニコルは爛と燃える眼をチェシーに突き立てた。
「聖騎士ともあろう者が、ふつつかにも取り乱して相済みませんね! でも、聞こえてるって分かればこっちのものです。もう我慢なんかしてやんないんだから。いいですかチェシーさん。僕なんかのために、無理して格好つけてくだらない御託をべらべらと並べる暇があったら、そんな悪魔の後ろなんかに隠れてないでとっとと出てくるべきです。引きこもりの、意気地なしの、女ったらし!」
さんざん言いたい放題言ってしまうと、ニコルはひらりと飛びすさった。さらに一歩二歩と飛び跳ねて下がって、間合いを十分に取り直す。
「……この場合、女ったらしは余計かと」
ザフエルが珍しくも長いため息をつくのが聞こえた。
「ごめんね、ザフエルさん。やきもきさせちゃって」
ニコルは片目をつぶって謝った。あらためて、くしゅっと拳の背で鼻をこすり上げる。
「ちゃんと確認したかったから。でも、もう大丈夫」
まだ慚恚の顔を押さえるチェシーに、ニコルは、笑みの刃を凛と突きつけた。
「そもそも簡単な話だったんだ。君がフランに取り憑くことに甘んじた時点で、その弱点に気づくべきだった」
チェシーは顔を手で鷲掴んだまま動かない。
「ル・フェ、君は心の傷にかこつけて忍び込む無形の悪魔だ。ならばなぜ、僕らにはそうしてこなかった? 僕がまだナウシズをろくに使えもしなかった時でさえ、フランの命を盾に、いわば悪魔らしく正々堂々と血の契約を迫った。なぜだろうね?」
ニコルはわざと相手を怒らせるために、ぐりぐりメガネをくいと鼻梁から押し上げた。こまっしゃくれた微笑を口許に浮かべてみせる。
「フランが言ってた。自分が何をやってるのかは分かってたけど、どうしても止められなかったって。どこかの誰かさんに食らったっていうヘヴンズ・ゲートのことはよく分からないけど、昔のチェシーさんも、きっと同じだったんだと思う。だから、君の意志に反して、致命的な攻撃をわざと受けることができたんだ。紋章を砕き、望まぬ支配から逃れるためにね」
「それがどうした」
チェシーはふいに狂気に黒ずんだ笑みに唇を吊り上げた。人の言葉ではない闇の呪が毒の息となって吐き出される。紋章の宿る掌が地に向けられたとたん、底ごもる陰鬱の地響きが鳴り、紫電が伝い走った。
岩盤の軋る音とともに、大地がめりめりと張り裂けてゆく。
「あ、そうそう」
ニコルは封殺のナウシズを留めつけた左手をひょいと振った。
弓弦を鳴らす破魔の音とともに、封殺のナウシズが青く冷たい光の矢を放った。射込まれた光の矢は、ふざけた落書きみたいな軌跡を描きながらも、狙い過たず闇をつらぬく。
深淵の裂け目が、がちりと縫いとめられた。中からあふれ出ようとしていた闇のものが、牢獄の檻を掴んで喚き散らすのが聞こえた。
「召喚は無効だから」
黒鉄の羽根が虚しく舞い散る。ニコルはふんと鼻先でいなし笑った。
「君の攻撃はすさまじく卑怯で残酷で嫌らしくてそのうえ強力きわまりないけど、そのぶんどうしようもなく単調で防御しやすい。まず第一の致命的弱点は、君を含めた魔物の召喚さえ封じれば、攻撃の大半を削ぐことができるってこと。執拗に僕を狙ってくるのがその証拠だよね」
召喚を弾かれたチェシーは後ずさった。肩口の袖で顔の血をぬぐい、唾を吐く。そのおもてには憎悪と恐怖の入り交じった影がどす黒く浮かんでいた。
「それと、もうひとつ」
ニコルはザフエルを振り返った。青く光るナウシズを逆手にかざし、ぱきん、と指を鳴らす。
「ザフエルさん、いつものアレをどうぞ」
「了解」
あらかじめ予想していたらしき、撃てば響く冷静な反応が返ってくる。
ザフエルは右手にチェシーの太刀、左手に黒うさのぬいぐるみをたずさえ、たおやかなる薔薇の光をまとった天使が微笑みで蛮斧を遮る図柄のカードで精緻な印を切る。
氷霧の帯を解き放つに似た呪魂の奔流が溢れ出した。
チェシーは息を止め、自身の手にからみつく光の帯をまるで汚らわしいものでも見るかのような目つきで見やった。
「何だ、これは。何をした」
「あれえ? 覚えてないんですか」
ニコルは笑った。二本指でメガネの真ん中を軽く持ち上げる。きらりと白く、ぐりぐりめがねが反射した。
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