仕組んだのは君が《《最も信じていたはずの男》》だ

 天幕の外が騒がしくなった。

 鐘が鳴り、人々が集まってくる。水と食糧の配給が始まったのだろうか。順番と節度を守るよう案内する声は地鳴りのような人々のさけびに呑み込まれ、全く聞きとれない。


 チェシーはしばし口をつぐみ、耳をすまして、騒擾の波が去るのを待っていた。だが騒ぎはまるで収まりそうもない。


「どうやら手っ取り早く済ませた方がよさそうだ」

 髪を指でくしゃくしゃと梳き、苦笑して続ける。ザフエルは反応すらしない。


「どこまでが偶然でどこからが術計になるのかは知らないが、ホーラダイン、あんたが聖ワルデ・カラア防衛の要たるノーラスを捨て置いてわざわざアルトゥシーくんだりまで出て来たのはひとえにを知るためだったんだろ」


「え」

 ニコルはぎくりとしてチェシーを見やった。突き立てられる碧眼のするどさに思わずたじろぐ。


「だから、最後まで出てこなかった。あんたが――あんたたちが、というべきか。後生大事に抱え込んでいるそいつの、ナウシズの騎士としての能力がまるで使ことを知っていながら、ご立派な儀仗兵の招集を名目に出立をずらし、別行動を取るよう仕組んで、その実ひそかに兵を伏せ、召喚の破壊力を陰で検証していたんだ。封殺の力云々を問うまでもなく、あんたがその気になれば最初から悪魔ごとき、ヘヴンズ・ゲートで街の人間ごと殲滅すればすむ話だからな。ちょうど、あんたが時計塔をぶっとばしたみたいに、な」


 まさか。

 ニコルはザフエルの横顔を凝視した。


 それまでは単なる国境の街、破壊され廃墟と化した戦場の片隅に過ぎなかった街。

 だが、おそらくチェシーの亡命により、が存在するアルトゥシーは俄然圧倒的な存在感を与えられる。


(全部、茶番だったんだよ)


 千々にちぎれていた記憶が閃光を放って一本の有り得べからざる想像の糸へと収斂してゆく。

 ヴァンスリヒト大尉から破壊された聖堂の物語を聞かされたフランゼスは、フレスコ画と古文書を求めアルトゥシーを訪れる。そして――


(仕組んだのは君がだ。彼が)


 ひそかに神殿騎士団を配し、万全の態勢を整えたうえで、紋章の使い手であるチェシーと、封殺の力を持ちながら使いこなせずにいたナウシズの守護たるニコルを同時に絶対的不利な状況へと送り込む。


 一方には堕落の闇、もう一方には母なる導きの曙光をそれぞれ見いださせるために。

 ただ、それだけのために、街を。


(この国を真に動かす強大な意志の手先となって、この場に居合わせもせず、己の手を汚しもせず、さも知らぬ気に口裏だけを合わせることによって君とサリスヴァールを)


 ザフエルは憚りもなく冷酷にチェシーを見下ろした。

 口の端をかすかにゆがめ、荒涼たる光を帯びたぞっとするまなざしを走らせる。


 だがそれも束の間のことだった。

「たわいもない戯言を」

 自制のきいた低い声がきっぱりと疑惑を否定する。


「ずいぶんと突拍子もない発想ですな。いつ暴発するやも知れぬ紋章の脅威に備えるは領封の主として当然の対処。騎士団の配備怠りなきことを疑うは難癖以外の何物でもないと存じますが」


 その端正なおもてにはもはやいつもの疎遠な表情以外、何の痕跡もない。幾重もの仮面の気配がザフエルを取り巻いている。

 ニコルは呆然と周りを見渡し、ザフエルを凝視して立ちつくすシャーリアの蒼白な顔に気づいてはっとした。

「そ、そうですよ、そうに決まってます」

 我に返ってあたふたと口添えする。

「何言い出すんですかチェシーさん。ザフエルさんがツアゼルの騎士団を急いで連れてきてくれてなかったら逆に僕らがどうなってたか分からないんですよ。早ければ早いほど助かる確率も高くなるんだからこれでいいじゃないですか。やだな、もうまったく変な口車に乗せようとしないでくださいよ。あやうくまた信じちゃうところだったじゃないですか!」


「何だと。まだ信じるのか。信じられんな」

 チェシーはげんなりと笑った。うんざりと目を細め、ためいきをつく。

「分かった。君がそういうなら、お望みどおりにしてやるよ。おいニコル、肩を貸せ」


「え」

 ニコルは呼びつけられるがままに傍へと赴いた。ベッド脇にちょこなんとひざまずき、小首をかしげて包帯姿のチェシーを見やる。

「それはもちろんいいですけど……どうする気です」

「君を踏み台にする」

「えええッ!」

「今さら驚くな。いつものことだろ」

 チェシーは凄味のある邪笑を浮かべてニコルの頭にぽんと手を置いた。ぎごちなく身体をひねって足をベッドから下ろすと、顔をゆがめるなり、ぐっと全体重をかけて立ち上がる。

「お、重いいい!」

 ニコルは顔を真っ赤に茹で上がらせてうめく。

「任務のためだ。耐えろ」

「うぎぎぎ……!」

 上から力任せに押し込まれ、身動き一つ取れず両手をばたばたさせて呻く。

「チェシーさん確か重傷で動けなかったはずでは……!?」

 チェシーはしどけなく笑った。

「嘘だ」

「な!?」

「撫でる尻も美人看護士もいないのにいつまでも寝てられるか」

 そこでついに耐えきれなくなってニコルはべちゃ、とぬいぐるみごと顔からベッドに押しつぶされた。

「ぐぎゃぁぁぁ……」


「よく頑張った。誉めてやる」


 ニコルを突っ支いにして立ち上がったチェシーは、そらぞらしく笑って膝から落ちたシーツを投げやった。ばさりと広がってニコルの頭にすっぽり覆いかぶさる。

「みみみ見えないっ」


「鉄の戒律……いや、むしろがんじがらめのイバラの掟というべきか。驚いたよ。まさか、あんたがこいつを犠牲にしてでも戒律に従うとはね」

 シーツに絡まってわあわあ言っているニコルを後目に、チェシーは豹のように隻眼をほそめた。

「まあ、良しとするか。どうせ、も目的は同じだ」

 にやりと笑ってから左腕に巻かれた包帯の端を、獲物を食いちぎるようにしてくわえ、しゅるりと一気に解き放つ。

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