【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
「初級以下の秘薬なぞ、食中毒で死ねと言っているようなものだ」
「初級以下の秘薬なぞ、食中毒で死ねと言っているようなものだ」
「起きたことに呵責を覚えるだけなら誰にでもできる」
チェシーは静かにさえぎった。
「だが君はこの混乱を打開すべく今も全力を尽くしているのだろう。ならば遺漏には当たらんさ」
何気ないそんな言葉に、迂闊にもニコルはうろたえた。
あやうく眼から汗が垂れそうになるのをぶるぶると必死に頭を振ってごまかす。きっとこんなときは泣くより無理にでも笑ったほうがいいのだろう。負傷したチェシーに逆に励まされるだなんて師団長失格だ。情けないにも程がある。
「そうだ、良いことを思いつきました」
ニコルは鼻の頭を真っ赤にしながら、けろりと笑った。
「ノーラスに戻ったら、せっかくこの間講習も受けたことですし最高に効く秘薬を調合してあげますよ。そしたらきっと、そんな傷の百や二百、あっという間に完治です!」
「君の錬術技能はいくらだ」
「……三です」
「初級以下の秘薬なぞ、食中毒で死ねと言っているようなものだ」
チェシーは小馬鹿にした仕草で肩をすくめた。意地悪くせせら笑う。
「またぞろ失敗してノーラス中に不気味な物体が溢れかえったりしなければいいが」
「ぬ……」
そのとき、音もなく背後に忍び寄ろうとしていた気配が唐突に乱れ、立ち止まった。ニコルは振り返った。この気配は――
純白の軍装に黒の佩剣。肩から下がる晴れがましい金の飾緒に傷だらけの万年筆を揺らすもまた勲章に似て歴戦の参謀たる装いにふさわしい。
やはりザフエルだ。まさしくザフエル、であるのだが。
心なしか表情が青白く凍りついている。
「ぶ、ぶ、ぶき、不気味っ」
――か、固まってる……!
単語ひとつで崩壊の兆しを見せはじめたザフエルに、ニコルはあわてて駆け寄った。
どうやらあの事件(※第五話 男装メガネっ子元帥、ちょっとした手違いで、触れると服が溶ける謎の物体Xに襲われる 参照)、よほどの精神的外傷であったらしい。
……が、そんな話はさておき常日頃から一見冷静沈着で鳴らすザフエルをよもや衆人の面前で壊れさせるわけにはいかない。矜持高いザフエルのことだ、そのような生き恥をさらしたとあっては萎縮するどころか逆に何をしでかすやら知れたものではない。下手すれば一人残らず粛清矯正再教育の嵐吹き荒れること必定の地獄絵図に陥りかねない……
「ザフエルさんももももう復旧作業の手筈はよろしいのですか」
半ば意識のないザフエルの袖を、ゆさゆさ揺すぶって必死に呼びかける。
「それとも、あの、食糧配給の目処がついたとかっ?」
「む……」
ようやくザフエルの意識が幽体離脱状態から戻ってくる。
うつろな眼がニコルをとらえた。二、三度、夢とうつつを行き来してまたたく。
「ほう」
チェシーは面当てめいた笑みを浮かべた。ザフエルとその背後に控えた鈍色の一団へ、探りを入れる視線をちらりと忍び込ませる。
「これはこれは司教伯猊下」
「貴様、異教徒の分際で」
なれなれしい物言いにツアゼル神殿騎士の面々は当然気色ばんだ。憤然と詰め寄る。
ザフエルは無言で手を振った。一触即発の気色を制したのち、あからさまにチェシーを無視し、落ち着き払った態度で背後を見やる。
「目立った傷痍があればさらに加療。さもなくば下がってよし」
神殿騎士たちが運んできた担架に横たわる人物の顔を見て、ニコルは唇を噛んだ。
息を吸い止める。
それは気を失ったフランゼスだった。
ぐったりとして身動きひとつせず、瞼を閉じた横顔もまた血の気がなくひどくこわばっている。
「具合は……どうなんですか」
ニコルは気後れの目線でザフエルを見上げた。
「良くはありませんな」
秘めた感情の片鱗すらうかがわせない、いつもと同じ鉄の眼差しが見返してくる。
やはり元の穏やかなフランゼスに戻ったわけではないのだろう。よく見れば手も足も未だ囚われの鎖で苛酷に縛められたままだ。
四辺にひそやかな緊張が走り抜ける。
眼を覚ませば、また――
一方、チェシーはフランゼスのことなどまるで頓着もしていなかった。神殿騎士が去ったのを良いことにさっそく減らず口を叩きはじめる。
「さすがは御大尽。良い身分だ。百はいるな。揃いもそろって役に立たない連中ばかりを」
挑発の視線でザフエルを煽りたてる。
「あれだけの手勢を平然と伏せておきながら、よくものこのこと出てこられたものだ」
「下手な言い訳を。貴方こそ、たかだか悪魔の一匹ごときに何度足下をすくわれたら気が済むのです」
ザフエルも何気に負けてはいない。冷ややかに腕をこまねき、チェシーを見下す。
「ほう」
チェシーの目つきが剣呑に変わった。声がみるみる低くなる。
「悪魔一匹、ねえ?」
「なっ、な、なな何をいきなり」
出会い頭の戦闘とはまさにこの展開を称して言うに違いない。ニコルは冷や汗を滝のように噴出させながらうろたえた。
「あ、あ、あの、ここは穏便に、穏便にですね」
ばちばちと火花散る冷戦の応酬に耐えきれずおろおろと手をもみしぼる。
「部外者は黙ってろ」
チェシーが怒鳴った。
「お望み通り今度こそきっちり話をつけてやろうじゃないか。おい、そこの朴念仁、表へ出ろ」
「……チェシーさん確か動けないんでは……」
「君が根性で何とかしろ」
「ええッ!」
「いくらご自分の行動が行き当たりばったりだからといって何もお分かりでない閣下に八つ当たりとは」
ザフエルは表情一つ変えない。平然とうそぶく。
「……見るに見かねますな」
「何だとこの野郎。もう一回言ってみろ」
「ふ、下世話な」
「何ぃっ!」
これぞまさしくのれんに腕押しぬかに釘である。端から見れば子供の喧嘩にしか見えない。
しかし、気慰みもそこまでだった。チェシーがするどく言い返す。
「自分は平然と遅参しておいて。いや、遅参というもおこがましい。逆に聞かせて貰おうか。あんた、早くからアルトゥシーに来てたんだろう。どうして合流しなかった。最後まで兵を伏せるような真似をして」
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