6 悪魔の紋章
包帯
救助作業は夜通し続き、夜が明け初めてもまるで終わりそうになかった。だが陽の光があるのとないのとではやはり作業効率が違う。いったん明るくなってしまえば、動物の鼻と手燭に頼るしかない夜よりもはるかに救出作業ははかどると思われた。
と、いうわけで――
ニコルは交代に来た兵と入れ替わりにひとまず救護所へ引き上げることにした。夜の間に保護した迷子のおちびさんたちの手を引き引き、ゆっくりと歩く。
「みんな、足、痛くない?」
「痛ーい」
「おんぶー」
「抱っこー」
「もう歩けなーい」
「うっ……び、病院に着いたらお父さんやお母さん探して貰おうね」
「かあちゃん、どこいっちまったんだよう」
「おまえ、べそかくなよ。ちっちゃい子が、な、泣いちゃうだろ……うわああん!」
「うわあああん!」
「かあちゃあああん!」
「ううっ」
ニコルはたじたじとしつつ、子供たちを抱き寄せた。
「だ、大丈夫だよ、きっと見つかるよ」
「おいら知ってるぞそういうの子供だましって言うんだぜ。もし見つからなかったらどうしてくれるんだよう」
「子供だましって言うなよ。ちっちゃい子が、な、泣いちゃうだろ……うわああん!」
「うわあああん!」
「かあちゃあああん!」
「うううっ」
声を揃えてわんわん泣き出す子供たちを前に、ニコルもまたしょんぼりとつぶやいた。
「ぼ、僕も泣きたいです」
救護所は人で溢れかえっていた。次から次へと担架に乗せられた怪我人が運び込まれてくる。
ほとんどの者は自力で歩いていたがそうでない者も当然多かった。墨衣をまとったツアゼルの神殿騎士が忙しげに行き交う合間、軽傷の者は自ら外で待機し、より重傷の者を優先して天幕へと送り込んでゆく。
そんななか、子どもの集団を引き連れたニコルの姿を見て、治療を待つ行列から喜びはじける声がいくつもあがった。たちどころに数名が駆け出し両手を広げて涙ながらに子供たちと抱き合う。
そして最後の一人、なかなか見知った顔が見つからず難儀していた女の子もまた、ベッド代わりの板がずらりと並ぶ重傷者用の天幕にて無事肉親と再会することができたのだった。
「よかったね」
ニコルが微笑んで言うと、女の子はくしゃくしゃの泣き顔を心からの笑顔にかえて大きくうなずいた。
「うん、ありがと、おねえちゃん」
「えっ」
ニコルはぴきんと顔を引きつらせた。
誰か他の者に聞かれやしなかったかとあわてて周囲を見渡す。
「いいいいいや、おねえちゃんではなくて自分はその、一応、軍人でありまして」
無論そのような手緩い言い訳に少女が聞く耳を持つはずもない。女の子はにっこりと天真爛漫な笑顔で手に持っていたぬいぐるみを差し出した。
「はい、おねえちゃん。これ、お礼にあげる。可愛いでしょ」
耳までくたっとした、やや間の抜けた顔立ち。うさぎと言えばうさぎ、猫と言えば猫に見えなくもない謎の黒い物体を押しつけられ、ニコルは緊張の面持ちで後ずさった。
「い、いや、でも、それはあの、ちょっと」
「可愛がってあげてね、おねえちゃん」
「ええっ!」
「じゃあね。さようなら。ごきげんよう」
女の子はスカートの裾をつまんで行儀良くぺこりとお辞儀をすると、祖父母らしき老夫婦に連れられ小さな手をふりふり去っていった。
「え、ええ、元気でね」
思わずつられてにこにこと手を振り返す。女の子が見えなくなるとニコルははっと自分を取り戻した。呑気に手など振っている場合ではない。
「お、おねえちゃんて」
手にした謎のぬいぐるみをおそるおそる、見下ろす。ネコのようにも思ったがもしかしたらタヌキかもしれない。何とも言えない微妙な気分がこみ上げた。
「もしかして、やっぱり、そう見えるのかな」
体つきがまったく女の子らしくないことには悲しいぐらい絶対の自信があるのだが……さすがにちょっと心配になってくる。
やはりここは付けヒゲをするとか眉を真一文字に太く描くとかあるいは”まっちょ草”を定期的に服用するとかすべきかもしれない、などと向こう見ずな思いを馳せつつニコルは無意識に手を胸元へ押し当てた。
ぬいぐるみの柔らかな感触をぎゅ、と抱きしめる。
「どうしよう……困ったな」
「子供は正直だな」
「うひゃあっ!」
不意打ちを食らってニコルはのけぞった。あんまり驚いたせいで口から心臓が二十個ぐらいごろろろろと転がり出かける。
「何ばばばばば馬鹿なことを言っ……チェシーさん!」
「よう」
手といわず顔といわず、ほぼ全身を包帯で巻き尽くしたチェシーが二つ三つ離れた板ベッドから半身を起こし、手を振っている。
「い、いったいいつからそこに」
「最初からだ。というか動きたくても全然動けないんですが、師団長。よって美人看護婦二名による完全看護を要求する。これは患者としての正当な権利だぞ」
片目を包帯で覆ったチェシーは好き放題言ったのち、にやりと笑った。
「しばらく姿を見なかったんで心配していた。君のことだからちゃんと切り抜けているだろうとは思ったが。元気そうで何よりだ」
ニコルは一瞬、気が抜けた心地になってチェシーを見つめた。
馬鹿みたいな顔で立ちつくす。
ふいに、さまざまな感情が一気にこみ上げた。
傍に寄ろうと思ったが、足がひどくこわばってしまって、根が生えたように動かない。
「ひ、人の心配してる場合じゃないくせに」
声がふるえる。
「まったくだ。面目次第もない」
チェシーはまた少しかすれた声を立てて笑った。
「とはいっても命に別状はないらしいぞ。戦時下ならばこれぐらいの負傷はざらだしな。二、三週間もたてばきっちり治ってくるだろうさ。それにしてもやれやれだな。まさか傷病者の後送に来て自分が送り返されるはめになるとは思わなかった」
ニコルはチェシーの目を覆う包帯を見て、無意識に目をそらした。声にならない。
「頼むから深刻な顔をしてくれるな。すぐに包帯は取れる」
チェシーはややきびしい口調で唇をゆがめる。
「ご……ごめんなさい」
ニコルはぬいぐるみをつぶれそうなほど握りしめた。うつむいて、声をわななかせる。
「本当に、ごめんなさい。僕が、もっとしっかりしていれば――チェシーさんにも、街のみんなにも、こんな」
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