【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
こんなふうに、こんな辛い時でさえ、つい、失笑させられて。
こんなふうに、こんな辛い時でさえ、つい、失笑させられて。
「地下壕……了解です」
ザフエルはかすかな表情の変化をも交えつつニコルをひたと見つめた。そのまま次の下知を待ち受ける。
「シャーリア殿下も南門にいるはずです。途中で別れたので無事到着してるかどうかは」
「ただちに確認させます」
「お願いします。それと、街の住民の皆さんが一時避難できる野営地を確保して、野戦病院を設営。場所は――広さ的にも時計塔前の広場で大丈夫ですよね」
「十分可能と思われます」
「ではそちらにいったん全員で避難するよう呼びかけてください。できれば明日の朝から水と食糧の配給ができるように、それと街の復興のための早急な工兵隊の派遣は可能でしょうか」
「早駆けにて先ほどツアゼル神殿騎士団に軍医部衛生所の手配を命じました。一両日中には治療および配給業務を開始できるかと。ただし通信線は全線不通。グルトエルベルクとの連絡網も途絶中です。早馬をやるしかないでしょうな」
「何者かが」
つい口を滑らせ、あわてて口許を押さえる。だが黙っているわけにもいかなかった。
「来る途中……敵部隊と遭遇しましたか」
「その件に関しては後ほど。シャーリア殿下ともすぐに連絡がつくでしょう。ヴァンスリヒト大尉はいるか」
ザフエルは懐かしくさえある安堵の名を呼ばわった。
「大尉!?」
「はっ、おそばに」
ザフエルの背後から満身創痍のヴァンスリヒト大尉が現れる。
思いもかけぬ再会にニコルは表情を輝かせた。
ヴァンスリヒト大尉はニコルを見て男らしく笑うと先ほどの神殿騎士と同様、ザフエルを前にひざまずいた。
かるく握ったこぶしの先を地につけ、頭を深く垂れる。
「猊下、お呼びでしょうか」
よほど癇に障るらしい。ザフエルは手を振ってぴしゃりと遮った。
「軍における呼称としてはいささか不適切だな」
「申し訳ございません、第五師団参謀副司令ホーラダイン中将閣下」
ヴァンスリヒト大尉は直立し、命令を待ち受ける。
「元帥閣下の報告によると、シャーリア殿下は南門前に退避中だそうだ。時計塔前へお連れしろ」
「了解。ただちに合流します」
「道中、悪魔の残党がいるやもしれぬ。気をつけろ」
「はっ」
ヴァンスリヒト大尉は敬礼した。身をひるがえす。ニコルはその進路に沿って駆け寄った。
「大尉、よくぞご無事で。何よりです」
「アーテュラス閣下」
ヴァンスリヒト大尉は直立不動で立ち止まった。
「両殿下のこと、本当に有り難うございます」
「殿下には、フランゼスのことはお任せくださるようにと伝えてください」
「すべて猊下と閣下のおかげです。では私はこれにて」
ニコルを見下ろし、万感こもった最敬礼を送ってくる。ニコルも身の引き締まる思いで同様の礼を返した。
大尉が急ぎ立ち去ったその、あと。
ふと背後が騒然としはじめた。チェシー、救出、そんな言葉の端々が伝え聞こえる。ニコルはぞくりとして立ちつくした。
大至急とか出血がどうとか、そんな切羽詰まった叫びばかりが耳ではなく胸の奥に突き刺さってくる。
本当は、今すぐにでも駆け寄りたかった。
誰よりも先にその安否を確かめたい。爆炎に包まれたチェシーの姿が脳裏によみがえる。
血の臭い。焦げた髪の臭い。煙に呑み込まれる指先。
立っているだけで我知らず膝がふるえ出してしまいそうになる。
でも、今は、まだだ。できない。師団長たる自分がそんな個人的な感情のままに戦場の指揮をザフエルに押しつけてしまうわけにはいかない。
血を吐く思いを必死に噛み殺し、ザフエルを眼で探す。
「そ、そうだ、あの、ですね、チェシーさんが、言ってたんですけど、その、ええと、シャーリア殿下をア、アルトゥシーに釘付けにすることで第一師団と第二師団が分断されるおそれがあるって……」
声が、無様に揺れ動いて。
おさえきれない。
「き、きっと、ゾディアック第四師団が、どこかに」
「その件に関しても」
おだやかな声が頭上から降る。
「また後ほどご報告申し上げるということで」
身をすくませたニコルに、ザフエルは何かをすっと差し出した。
それは、予備の眼鏡だった。
「な、何で……?」
差し出されたメガネを右手で受け取ろうとして、ニコルはおもわず顔をゆがめる。
ザフエルはメガネのつるを指先で開いてからニコルの左手をとり、そっけなく握らせた。
「ここはひとまずメガネをおかけ下さい。どうせろくに何も見えていないのでしょう」
「すみません、その、いつもいつも」
うろたえ背を向けて、ぎごちない手付きでメガネをかけにかかる。
手が震える。どうしようもない。
メガネをかければ、すべてがまざまざと目に入ってくる。
ぼやけて見えていたチェシーの姿も。きっと。
直視するのが怖かった。
「ところで」
そんなニコルの背に、粛としたザフエルの気配が近づいた。
「准将も他の傷病兵とともに野戦治療所にいったん収容するとのことですが。どうなさいます。慰問に行かれますか」
ニコルは呆然とザフエルを振り返った。
まさかチェシーの容態を見て来いとでも言うのか。
うながされるがままに歩きかけて、ニコルはすこしつんのめった。
かぶりを振る。
「いえ、今はあの、僕が行っても足手まといっていうか、治療の邪魔になるだけですから」
「了解。しかし、まさかサリスヴァールほどの男が一敗地にまみれるとは」
ザフエルはぼんやりとつぶやいた。どこか遠くを見ている。
「え……?」
「申し訳ございません」
ザフエルは視線を戻し、ニコルを静かに見やると、わずかに頭を垂れた。
「それほどの難局をよくぞ、民を見捨てることもなく――お持ちこたえ下さいました」
突然の話に、どうしたらいいのか分からなくなる。
真摯な顔でとんでもないことを矢継ぎ早にああでもないこうでもないとたたみ込んでくるのがいつもの手管なのに、そんな、まるで普通の常識人みたいに言うなんてぜんぜんザフエルらしく――
「ざ、ザフエルさん」
声をつまらせる。
堪えに堪えてきた涙が不覚にもこぼれそうだった。
「ぼ、僕」
ザフエルはふと目をすがめた。
「どうかなさいましたか」
いつもの超然とした風情に戻り、そらぞらしい流し目をくれる。
「珍妙なお顔をして」
「は……?」
頭の中がぽかんと真っ白になる。
「さては腹でも下されましたか」
「珍妙!?」
「ですから拾い食いだけは絶対にしてはなりませんとあれほど申し上げたのに」
「お、お腹!?」
ニコルは目を皿のようにしてよろよろした。
「いけませんな」
ザフエルはニコルの背後にすすす、と音もなく忍び寄った。両手を不気味に広げる。
「かくなるうえは全身全霊を込めて看病をば」
「ひぃっ!」
「ご希望とあらば添い臥しましてでも」
「うえっ!?」
「高熱で正気を失ったりしていただけますとなお一層興奮するのですが」
「ち、ち、ちちちちがうチガウ違うでしょうっっ!」
ニコルはみるみる真っ赤になってゆきながら全力で拒絶し否定し突っぱね反論し却下した。
「おおおおおかしいですよザフエルさん発言内容が激しくおかしいです」
続いて激烈に青ざめ、ザフエルを見上げて子犬のようにかたかたと震える。ザフエルはにべもない。
「ふむ、どこがです」
どうせこう来ると思っていた。矢継ぎ早に訳の分からないことを連呼する、まさに毎度の如くだ。面と向かって話をしているのに結果まともな会話として成立したためしがない。
「さ、さ、参謀たるもの時と場合を弁え常に適切に発言して下さらなくては」
ザフエルは、ぼそ、と力強く呟いた。
「……我が言動は常に適切と存じておりますが何か」
うああああぁぁああ……
ニコルは頭を抱え悶絶した。
いつだってこうだ。言い負かされ、手の内に丸め込まれ、乗せられて。気がつけばザフエルの思う壺だ。こんなふうに、こんな辛い時でさえ、つい、失笑させられて。
「も、もういいです。救出作業の手伝いに行ってきます」
ニコルは半泣きにうるんだ表情をあわててごまかしながらぷい、とそっぽを向いた。これ以上傍にいたらまた甘えてしまう。
「どうぞご随意に」
悠揚とザフエルは答える。
「ただしくれぐれも穴に落ちたり罠に引っかかったり迷子になったりなさいませんよう。二次遭難だけはお断りですぞ」
「そんなことしませんってば、もう!」
ニコルは真っ赤な顔でザフエルを睨み付け、ぷいと背を向ける。
視界の隅に、数人がかりで運ばれてゆく担架が見えた。
一瞬、焦点を泳がせる。ニコルはメガネをとって、ハンカチでぬぐった。改めてかけなおす。
担架の上から、赤く染まった毛布がかけられている。
しかし、その下から伸びた手は、なぜか。
付き添う看護兵の尻を撫でているように見えた。
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