【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
それではいけないと、内心分かってはいるのだけれど。でも、でも、やっぱり、ね?
それではいけないと、内心分かってはいるのだけれど。でも、でも、やっぱり、ね?
どうやら失神したらしい。根っこは静かになる。ビジロッテ中尉は、根っこの鼻毛(要するに細根だ)をぷちん、と引きちぎった。それを金属片の上にのせ、ピンセットで板をつまんで、ランプであぶっている。顔を近づけすぎて、眉毛がアフロになりそうだ。
作業に没頭しているところを見ると、よほど《召喚術》の実験が性に合っているらしい。
ニコルは、しばらくの間、ビジロッテ中尉の燃える眉毛を見つめ続けていた。だが、中尉もヒルデ班長と同様、蛾を材料にしている様子ではない。
ためいきが出た。
ニコルは、少しうらめしい気持ちになって、ピンクと白の斜めシマシマ模様になった窓枠を見やった。可愛らしいキャンディの形をした花キノコが咲いている。ぽふ、と黄色い胞子が吹き出した。その向こう側。広大な練兵場に響いていた調練の声は、もう聞こえない。
チェシーは、今、どこで何をしているのだろう。
チェシー一人に《召喚》の重荷を背負わせるのは酷だと思って、わざわざ《召喚術》の技能講座を開いたというのに、よく分からない理由で怒っていなくなってしまうなんて。
少しぐらい忙しくったって、たまの授業参観ぐらい見に来てくれたらいいのに、とか。どうせ何だかんだ理由をつけて来ないんだ、とか。晴れがましい場に姿を見せぬ親に拗ねる子どもみたいな、もやもやした卑屈な気持ちを胸の内に抱え込む。
となると、残る最後の希望は――ザフエルしかないのだが。
手首に、電気の針がちくりと刺すような痛みが弾けた。《先制のエフワズ》が、せわしなく、ちりちりと瞬いている。
そうじゃない。誤解だ。
ザフエルは、何も悪意を持って接してくるわけじゃない。喜怒哀楽の感情をほとんど表に出さないから、普通の人相手より遥かに取っ付きづらすぎるだけのことだ。
また、ためいきをつく。
こんな、うじうじした気持ちのまま、改めてザフエルと顔を合わせるのは、さすがにためらわれた。
もちろん、イヤだとか照れくさいとか気まずいとか、そこまでの気持ちでは当然ないけれど、やはり、今朝のこともあって、何とはなしに気が引ける。なかなか、いつものように冗談は冗談としてさっと切り替えよう、という気にはなれない。
それではいけないと、内心分かってはいるのだけれど。でも、でも、やっぱり、ね?
などと、指をつんつん突き合わせ、モジモジとうなだれてはみたものの。
よく考えたら、そんな悠長なことを言える立場では全然なかったのであった。
今は、一夜をともに(してないけど)したかどうかより、このまま、何もできず情けなくも追試の憂き目にあう懸念のほうが、よほど重大と言えた。居眠りしたあげく、
ニコルは意を決した。
隣の
道場破りにでもなったかのような気分だ。ままよ、とばかりに手を掛け、向こう側を覗く。いや、覗こうとした、そのとき。
「うぎゃあああああああ」
しゃがれた悲鳴が、ザフエルのいる衝立の向こう側からほとばしり出た。
次いで、何か重いものがびしゃりと床へ倒れ込む音と振動。
のたうち回る蛇がたてるにも似た、ねじれた粘着質の音が伝わる。
ニコルは衝立を払いのけた。視界を覆い尽くすのは巨大植物の葉や、吊り橋のロープ状に架け渡されたツル。大発生したジャングルが、緑とピンクのシマシマとなってあふれ返り、なだれかかり、それ自体をねじり潰すような悲惨な音をあげながらのしかかってくる。
床に描かれた魔方陣が、あっけなく押しやられ、効果を失うのが見えた。
天井が、波打ちうごめくツタに押し上げられる。
衝立が、机が、椅子が、なぎ倒された。ぎっちぎちに撚りあわさって伸びる植物に埋め尽くされてゆく。室内が闇に飲まれた。
外壁が砕けたのか。ガラスの割れる音がした。だが、もう、光すら差し込まない。
いったい何が起こったのか。
信じがたい光景に、ニコルは声を呑んだ。うごめくジャングルへ、闇雲に駆け込もうとする。
「入っちゃだめだ」
松明の火を片手にすっ飛んできたヒルデ班長が、ニコルの腕を掴んだ。無理やり引き戻す。
「でも、中に、ザフエルさんがまだいる。誰かの声がした」
ヒルデ班長の手を押しのける。危急を告げるルーンの感覚は、まるで嵐の波濤に揉まれているかのようだった。
ニコルは松明を受け取りながら、集まってきた全員に指示した。
「ヒルデ班長はサリスヴァール准将を探してください。ノーラスで《召喚術》をまともに使えるのは、博士の他はたぶんチェシーさんだけです。ビジロッテ中尉はできるだけ後方に下がって待機。怪我人がいるはずです。そのほかは全員、安全な場所まで退避」
歯を食いしばり、うごめくジャングルを見上げる。
「いったい、何でこんなことに!」
そのとき。
地響きが聞こえた。一回。二回。
小さな魔界の生き物たちが、ジャングルの隙間から、転がるように走り出てきた。何かに追われてでもいるかのように、てんでばらばらに飛び、跳ね、逃げてゆく。
顔の横を、ちっちゃいおっさんの顔がついたキノコがすり抜けていった。続いて、毛足の長いブラシを裏返したみたいな形のゲジゲジが、超高速の小股でダッシュしてくる。見たこともない生命の神秘大爆発。
再度、また地響き。床が揺れた。振動の距離が近づいている。まるで何かの足音のようだ。
直後、ジャングルの奥に潜んでいたものが、いきなり、天井まで津波のように盛り上がった。
茫然自失したニコルの目の前に這いずりだしてくる、それ。
松明の火に照らし出され、ゆらゆらと透ける光を反射させながら。自身の重みを支えることもできず、みるみる溶けくずれ、あふれ落ち、それでもなお前に進もうとのたうって、ぼたぼたとしたたる身体をとめどなく垂れ流す――薄緑色をした半透明の巨大なかたまり。
ぶよぶよと、無数に、うごめく、それが。
ふいに赤く染まった。
ジャングルの奥から、漆黒の光条が放射状に放たれ、半透明の怪物内部を屈折しながら突き抜ける。
直後、ぶよぶよの塊は、闇の矢から炎へと変わった光に沸騰蒸発し、爆散した。
べちゃりと音を立て、ゼリー状の物体が床にかすれ飛ぶ。両生類の卵めいた目玉が、ぎょろりと動いた。
ザフエルがどこか
右手には、《
左の手には、ゾロ博士の姿があった。襟首を引っ掴み、ボロ布のように引きずっている。
無惨なありさまだった。博士は今にも怪物に食われる寸前だったのか、ぱんついっちょで失神している。びしょぬれの破れ墨衣一枚だけが、かろうじて首に引っ掛かっていた。
「ザフエルさん、いったい、これは、何が」
駆け寄ろうとしたニコルへ、ザフエルは凄惨な視線を突き立てた。
「来てはなりません」
こわばった声でうめく。
顔色が悪い。蒼白にちかい血色だった。
ニコルはつんのめった。足が止まる。
ザフエルの背後に、再び、半透明の
ようやく意識を取り戻したらしい。ゾロ博士が、くわっと目を開けた。波間を漂うようだった目の焦点が、スライムに向けられる。
ゾロ博士は、また、ぎゃあああああ、としゃがれた声を撒き散らした。
「《召喚》を失敗したぐらいで、何でこんな不気味な物体が大量に発生するのじゃ。ええい、来るな、ワシは美味くないのじゃ。食うでない。カスカスの骨とシボシボの皮と優秀な脳みそしかないのじゃ。食うならもっと、若いぴちぴちしたのを食えばよかろう。たとえばそっちの」
子どもみたいに手足をバタつかせ、逃げ出そうとする。
ただでさえスライムの残骸が飛び散った足場は、ぬるぬると汚れて、ひどく歩きづらい。自分勝手に暴れるゾロ博士の反動で、ザフエルは足を滑らせた。
「危ない」
ニコルは、あわててザフエルを支えに走った。駆け寄る。
だが、大の男二人分の重みと落下の衝撃を、ニコルひとりの細腕で支えきれるわけもない。一緒くたになって、押し倒されかける。
すると、あろうことかザフエルは、ためらうことなくゾロ博士を後ろへ放り投げた。代わりに、ニコルをぐいと腕の中に抱きとめる。
「ふんぎゃぁぁぁ……」
せっかく助け出されて来た道を、博士はまた巨大スライムめがけて転がり落ちてゆく。
「博士」
伸ばした手が、むなしく空を切った。ニコルは青ざめてザフエルの腕を掴んだ。
「取捨選択早すぎです。何てことを」
「も、うしわけない、失礼、閣下、その」
ニコルを、腕に強く抱えたまま、ザフエルはなぜか取り乱した様相で口ごもった。眼がうつろに泳いでいる。
「あれだけは私の生涯最大の宿敵にして、その、あの、ようちょうのみぎり」
「
一瞬、ぽかんとする。何をうねうねと回り道するというのか。ザフエルの言わんとする意味がまったく分からない。
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