残された手段は、ただひとつ。カンニングである。


「えー、つまり、《召喚術》とは、これら異界の影響を受けた生物や物質を、触媒と霊的に怪学けがく練成する技能でありまして。この技法を用いることにより、様々な属性を帯びる物質に再構成することが可能となるわけであります。けだし、聖騎士の皆様方におかれましては、土俗的、眉唾物とされることも多々あろうかと思いますが、我ら《召喚術士》は、神と聖なる薔薇の御名において化学的に貞淑ていしゅくたらんことを誓い、闇との契約をかたく禁じてまいりました。よって、ここに、ご進講しんこうの機会を与えて与えてくださいましたこと、あつく感謝するものであります。余談はさておきまして、怪学けがく練成できる種類には、治癒薬ちゆやく滋養強壮じようきょうそうの秘薬をはじめとする――」


 うららかな午後のひとときである。開け放った窓から、木漏れ日が射し込んでいた。いたずらな風がまぶたをくすぐる。

 過ぎ行くは、青い空にほわんと流れる綿雲のような、怠惰な時間。

 ニコルたち《召喚術》の聴講生は、ちょうど日だまりになった場所に集まって、椅子を並べていた。

 ピンクの葉っぱが揺れ、極彩色のキノコが催眠性の胞子を撒き散らし、顔よりも巨大な人面蛾が飛び交うなか。ときおり――いや正直に言ってしまおう最初からだ――こっくりこっくりしつつ、召喚術の教師であるゾロ博士の『技能講座レベル1』を、睡眠学習ばりに聞かされている。

 背後で、ヒルデ班長が豪快ないびきをかいていた。

 エンピツをカリカリ鳴らしているのは、看護班のビジロッテ中尉。真面目な性分らしく、必死にノートを取っている。後で写させてもらおう、とニコルは思った。

 窓から聞こえてくるのは調練の掛け声。戛々かつかつと土を蹴立てる馬蹄の音には一糸の乱れもない。土ぼこりがもうもうと渦巻いて、空を黄色く染める。

 威勢の良い進軍らっぱが鳴り響く。どよめきが起こった。乾いた空砲の音がぱらぱらと空に散らばる。煙のにおいが鼻をついた。

 突撃隊形転換の檄を飛ばしているのはチェシーだろうか。まだ怒っているのか、やたら声がするどい。

 どんなふうに騎兵を訓練しているのか、今すぐ窓から身を乗り出して、用兵を眺めたい気持ちに駆られる。

 ザフエルは、皆とすこし離れた場所に一人で座っていた。ゾロ博士のど真ん前に陣取っている。ほとんど一対一で向かい合う形だ。

 そのくせ、腕を組み、ブーツの足を組み、妙に姿勢良く椅子の背にもたれて、堂々と眼を閉じている。うたた寝しているらしい。

 完璧な、しかし無防備な寝顔。ちょっと、かわいい。

 ニコルは小さく笑った。ザフエルにしては、らしからぬ状態だ。なんだかんだ言いながら、相当に眠かったのだろう。結局、ニコルの半徹夜に付き合ったせいで、昨夜はろくすっぽ寝ていないはずだ。

「それでは実技に入ります」

 ゾロ博士がぼそりと言う。

「準備をいたしますので少々お待ちを」

 声が聞こえたのか、ザフエルは、すっと目を開いた。

 しばらくぼんやりとした後、やや眉間にしわを寄せ、痛みをこらえるかのような顔をつくる。

 と、気配を感じでもしたのか、唐突に振り返った。

 ニコルは、あわてて眼をそらした。

 資料を立てて本の陰に隠れ、頬を染めてうつむく。ずっと、寝顔に見とれていたことに気付かれたのだろうか。

 いや、待て。である。その反応はおかしい。よくよく考えたら、こそこそと恥ずかしがらなければならない理由などどこにもない。そもそも『男同士』なのだから、一夜ぐらい席を同じくしたところで問題は――

 絶望的に大ありである!

 ニコルは、心労でげっそりとけたほっぺたに手を当てた。喉の奥で、うぐぐぐ、と唸る。

 あれは単なる事故だ。前日からずっと半ば軟禁状態で働かされ続けてきて、寝落ちしてしまわない方がどうかしている。

 それよりも。

 問題は、なぜ、ザフエルが朝まで執務室にいたのか、だ。

 鉄の軍規をもって鳴らすザフエルが、たとえ自分も眠くなったからといって、そのまま師団長たるニコルの部屋でぐうぐう寝てしまうなどという失態を演ずるだろうか。そんなことはまずあり得ない。絶対という修辞を添えてもいいぐらいだ。

 では?

 ニコルは、ううむ、と腕を組み、首をひねった。ついでにパイプをくわえる探偵のまねごとなどしながら考え込む。

 まず、現場の状況から推理してみよう。

 犯行時刻は深夜二時。被害者ニコルは(おそらく)デスクに突っ伏して熟睡している。手元には、被害者が書き残したとおぼしき謎のダイイングメッセージ。『オー~~ーーフレれ』と読める。どうやら、室内をひどく荒らされたようだ。周囲に未サインの書類が散乱している。

 その状況に違和感を覚える。何か足りない。いったい、何がないというのか。

 一応、犠牲者の位置を、カクカクとした白いテープでかたどっておくとして。

 それを見た犯人ザフエルはどう出るか。

 おそらく、被害者と愚にも付かない口論を続けたせいで、心身ともに消耗していただろう。その上で取りそうな行動として推測できるのは、以下の三つ。

 まず第一の行動。放置。

 思いついた瞬間、げんなりする。

 だがこの可能性が一番安全だ。気持ち的にはもっと憤慨すべきなのだが、ほかの選択肢に比べればずっとずっとマシに思える。

 第二の行動。さすがに放置はどうかと思い、とりあえず襟首を掴んでソファまで引きずってゆく。

 何と言う神対応。ザフエルの目にも涙。たまには優しい気持ちになるときぐらいあるだろう。

 そして、問題の行動その三。

 ソファに寝かせようとはしてみたものの、なぜか抱き枕状態で被害者ニコルが腕にくっついたまま、離れなくなった。なぜそうなったのか。

 頭の中に、もわぁん、と当時の状況が再現され始める。


『閣下』

 ザフエルがニコルの肩に手を置き、揺り起こす。ところが髪の毛を引っ張ろうがほっぺたを引っ張ろうが、ニコルは目を覚まさない。しかたなく襟首を掴んでデスクから引きずり下ろし、ソファへとずるずる引っ張ってゆく。しかしその様子は、どう見ても死体を遺棄しているようにしか見えない。ザフエルは不穏な無表情のまま、ソファと、ニコルとを見比べる。ここで緊迫感を煽る音楽。やがて身をかがめ、背中に腕を回し入れ、抵抗のない身体を抱き上げて……『ううん、僕の枕、持ってっちゃらめれす……』『ご命令とあらば致し方ありませんな』『むにゅぅ……万年筆ほしい』『駄目です』


 ──というわけだよザフエル君! すべての謎は解明された! というか何だこの妄想劇場!!!

 想像しただけで、ゼンマイねじを巻いたみたいに首がキリキリと縮みそうだった。頭のてっぺんから、ぷっしゅぅぅ、と湯気が吹き出す。何たるはれんち!

 などと脳内自己批判を繰り広げていると、背後から。

 ゾロ博士が影の薄い背後霊のように近づいてきた。

「師団長閣下。準備できておりますのでそろそろ」

「はいっ!?」

 ゾロ博士は鬱屈した視線をやや遠くへ転じてから、とある机の前にニコルを案内した。

 机を中心とした床に、薄紫色の透過光を放つ魔方陣が描かれている。

「こちらになります。ではごゆっくり」

 慇懃な暗い顔が、奇怪に笑っている。何をごゆっくりすれば良いのか。全然分からない。

 一人、ぽつねんと取り残される。

 ニコルは片頬をぴくぴくひきつらせ、机上を眺めた。

「はい?」

 二度見する。

 机の上には、虫かごというには余りにも巨大な、あえていうならば犬小屋とか檻の部類に近いしろものが、ででんと置かれている。

 中には、苦悩の叫びを描いた油絵にも似た、芸術的な羽の模様を持つ蛾が一匹。下手な猛禽類ほどの大きさはあろうか。

 そいつが、ばっさばっさと羽ばたくたび、蛍光色のあやしげな燐粉が舞い上がる。一息吸い込むだけで、そのまま発疹が吹きだしそうな毒々しさである。

 蛾は、ニコルを威嚇するかのごとく檻に突進した。毛がぞわぞわと逆立っている。無数の複眼が脂ぎった青銅色に光った。ガラスを掻きむしるような怪音波が放出される。

 怖い。怖すぎる! ニコルは頭を抱えた。

 ゾロ博士が言うには、これら異界の影響を受けた魔物たちは、決して会議室の床に描かれた魔方陣から逃げ出すことができない――《らしく》、つまり魔方陣の境界さえ保持できれば、《たとえ召喚術に失敗して悪夢のような状況に陥ったとしても》絶対安全、なの《だそうだ》が。


 《らしい》だの、《だそうだ》だの、《たとえ失敗して悪夢のような状況に》、などという、いかにも取って付けたような言い訳に、少々、いや、かなり嫌な予感を感じてしまう。気のせいだろうか。いや、決してそうではない。

 どうやら、講義の肝心なところ、及びその周辺を全般的に聞きそびれてしまったらしい。

 この蛾の何を、いったいどうすればよいのか。それさえ分からないのでは、どうしようもない。

 残された手段は、ただひとつ。

 カンニングである。

 というわけで、ニコルはさっそく、隣にいるヒルデ班長の索敵に出かけた。

 のんきに口笛など吹く振りをしつつ、何気なく、しかし極めてわざとらしい仕草で衝立からひょこんと頭だけを突き出す。

「やあやあヒルデ班長、調子はいかがですか」

 言いながら、何かヒントになるものはないかと鵜の目鷹の目で探り回る。挙動不審にも程があろう。

「おや閣下、さすがだね。もう終わったのかい」

 ヒルデ班長は手の甲で額の汗を拭い、振り返った。

 いつもの格好と同じだ。すなわち腕まくりして長い木べらを手に持ち、腰エプロンに白い長靴、バンダナをきゅっとねじり巻いている。

 台の上には、焼いた石を放り込んで煮立てた鍋。中身は、真っ赤なトカゲ一匹まるごとの豪快なぶつ切り。にも関わらず、やたら美味そうである。

「それ、何ですか」

 ニコルは指をくわえてたずねた。

「マグマトカゲのスープさ。精が付くよ。滋養強壮にいいんだとさ」

 ヒルデ班長はご機嫌に答える。

 つい、ぐるるると腹が鳴る。い、いやいやきっと気のせいに違いない。こんなもの食べたらきっと口から熱線がゴーーーッと……

 じゃなくて。

 ニコルはなぜか無差別に火を吹いてまわるザフエルを夢想した。背筋がひゅぅと寒くなる。似合い過ぎだ。余計な妄想は速やかに記憶の淵へと片付けるに限る。

 結局、何の参考にもならない。さらに隣をのぞく。

 隣はビジロッテ中尉だった。

 ニコルが見ているのに気づきもせず、緑の葉っぱや根っこを一心不乱に乳鉢で擦っている。

「むきむきまーーーーっちょ!」

 突然、まな板の上の鯉状態で横たわっていた根っこが立ち上がって叫んだ。ムキムキのこぶになった根っこで筋肉ポーズを取り始める。

「まーっぢょ! まーっっぢょ!」

 ビジロッテ中尉は一瞥すらせず、手にした木槌で根っこの後頭部を殴った。

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