霧中の群像

若狭屋 真夏(九代目)

猫と老人

 いつもと変わらない朝がこの場所にもやってくる。お日様の光が等しく大地に降り注ぐ。植物は太陽の光でキラキラと輝き、蜂は蜜を集めている。

音は鳥のさえずりのみが聞こえるだけだ。

ここは小高い丘へと続く山道だ。

遠くに海が輝いて見えた。

この山道をまっすぐ行くと住居が数件あった。


しばらくするとエンジンの音が聞こえてきた。一台の軽トラックが道を上っていく。すこし錆びれたエンジン音で周囲から猫が集まってくる。

エンジンが止まった。「バタン」とドアを開けて一人の人物が出てくる。

作業着を着てキャップをかぶっている老人だった。キャップの間から白い髪の毛が見えた。

老人はいつものように車の進行を遮っているフェンスを開けていた。

フェンスには「これ以上立ち入り禁止」と赤い字で書かれていた。


「おはよう」と老人は笑顔で寄ってくる猫たちに挨拶をする。

優しい顔だ。

フェンスを開けた老人は再び軽トラックに乗り込みゆっくりと前進する。

ゆっくりゆっくり軽トラックは山道を登る。


やがて軽トラックは住宅の駐車場にたどりつくとエンジンは止まった。

「よいしょ」と老人は腰をあげて車から降りてくる。

「ちょっとまってろな」そういうと家のカギを開ける。

老人は家に上がるとまっすぐに仏間に向かう。

老人は雑巾で仏壇を拭きだす。「今日もいい天気だな、かあちゃん」と老人は話し出す。昨日あったこと。昔話。孫の成長。まるで今まで言葉をかみ殺していたように堰を切ったように言葉が出てくる。

老人の頬を涙が伝う。

仏壇は古く、しかも大きなものでこの家のかつての繁栄が分かるものだ。

仏壇の前の写真には一枚だけ写真が残されていた。

写真には猫を抱いた老婆の姿が映されていた。

一通り終えるとお線香をあげて手を合わせる。


「にゃー」と猫たちが家に入ってきた。

「わかった、わかった」そういうと家の中からたくさんの皿を持ってくる。

猫たちは実におとなしい。

老人は軽トラックに載せてある餌を降ろす。そしてそれを皿に分けていく。

猫たちは餌にありつくと老人は水の入れてある皿を回収しそれをホースから流れてくる水で洗う。そしてトラックに載せてあるタンクから水を入れる。

このために老人は朝と夕方軽トラックで通っている。


男は大学生から一方的に殴られていて人々が群れを成している。

「ぴっぴぴっぴ」と機械音が聞こえてきた。

「はい、5分経ったよ」男は水を口に含み吐く。血が混じっている。

「じゃあ、これ」と大学生は財布を取り出して5千円を男に渡した。

「毎度」と男はそれを受け取った。

足元には「何でもやります。なんでもや」と書かれた看板が見えた。

上手い字ではない。

看板通り彼は何でも屋だ。殴られることもあれば犬の散歩もする。

犯罪はしないがすれすれの事はやる。

「生き急ぐ」彼の生き方はそう見えた。

なにか死を目指しているような眼をしていた。

男は服を払い、ほかの場所で仕事をしようとペットボトルを持った。


「ようにいさん」と男性の声が聞こえた。

またここらへんのヤクザが喧嘩を吹っかけてきたと思って鋭くにらんだ。

しかし声の主は農作業着をきた70歳過ぎの老人だった。

「なんだ、じいさん?おれを殴りたいのか?」

「いや。にいさん、何でも屋だって?ちょっと頼みたいことがあるんだ。」

「仕事の話か。。。」

「ちょっとつきあってくれねえか」老人は頭を下げた。

「わかったよ。」老人は近くの喫茶店まで男を連れて行った。


「ちりんちりん」とドアを開けると音がした。案内したのは古い喫茶店だった。

「いらっしゃい」というと老人が腕をあげる。店主とは古い付き合いらしい。

二人は椅子に腰を掛ける。

「言っておくけど人殺しとクスリだけはやらないぜ」男はいった。

「そ、そんな事は頼まねぇよ。コーヒーでいいかい?」

「ああ」

老人は煙草を取り出すと、まず男に差し出して「にいさんもやるかい?」といった。男はうなづき差し出された煙草を一本とりだす。ポケットからライターを出すと火をつけた。

「ふー」と息を吐くと

「で、なんなんだい。爺さん俺に頼みって」と男はいった。

「実は、、猫に餌をやってほしいんだ」

「はあ?じいさん頭は大丈夫か?そんなこと誰でもできるだろ」

老人は口を開かない。

「話にならんな」といって男が席を立とうとする。

「誰でもできないんだ、」老人は拳を強く膝の上で握った。


「わかったよ。詳しく話してみろよ。俺もガキの時じいちゃんに育てられたんだ。俺が出来る事ならやるよ」


「おまたせ」と言って店主がコーヒーを持ってくる。

「武夫ちゃんの事だろ。」

「う、、、うん」マスターの言葉に老人は頭を下げる。

「俺たちの同級生で農業をしてるやつがいるんだ。そいつの奥さんが7年前に亡くなったんだ」マスターは老人の心のドアをそっと開けた。


老人は男の目をまっすぐに見た。

「猫が好きな人でさ。野良猫にも餌をあげて懐かせちゃう。いい人だったよ。」

「で、なんで猫に餌をあげなきゃいけないんだよ」


「20キロ圏内なんだよ」マスターは一言言った

「え、」男は驚く

「それでも武夫ちゃんは毎日家まで通ったんだよ、雨の日も風邪の日も。。。。」


「それがこの前仕事で武夫ちゃんが足を怪我しちゃんだ。年取ると骨ももろくなる。それから俺とマスターとで餌や水を猫にあげてたんだが俺たちも毎日のように通えない。だからにいさんにお願いしたいと思ってさ」

しばし沈黙が包む

 「お願いだ」と老人は椅子から降りて頭を地面につけた。

「武夫ちゃんはベッドに横になっても俺が行くって聞かねぇんだ。このままじゃ死んじまう」

カーペットの上に数滴の水が落ちた。


男はコーヒーを口に含んだ。「わかったよ。じいさん孝行だと思ってやってやるよ」

老人は男の手を握った。

「ありがとう、、俺は哲也、テツでいいよ。マスターは増田だ。」



それから彼は毎日武夫の軽トラで武夫の自宅まで通い始めた。

初めて行った日は始めは猫が出てきたが出てきた人物が武夫でないと警戒した。

その夕方も行ったが猫は餌に手を付けていないようだった。

「チッ」とおもった。

次の日も水しか飲んでいなかったようだ。

それでも男は通い続けた。そして1週間ほどたった時ふと餌をみたら無くなっていた。「やった」と男は喜んだ。

なんだか認められたようだった。今までは否定されてばかりの人生で達成感を猫によって得たのだ。。。

次第に猫たちが姿を見せるようになった。子猫がまず姿を見せた。

無邪気さは男の曲がっていた考えをゆっくりと溶かしてゆく。


一月して武夫はリハビリが始まった。男はテツからその話を聞くと「金の回収」と称して病院に通い武夫のリハビリを手伝った。

武夫の子供たちは東京にいて故郷に戻ることもなかったがヘルパーさんに依頼していた。

武夫の怪我も少しずつ良くなっていった。


男はある日喫茶店にテツを呼び出した。

「テツさん。おれさ。。。猫たちをまともに育ててくれる飼い主をちゃんと探したほうがいいと思うんだ」

「ほう」

「インターネットでさ飼ってくれる人がいた方があいつらだって幸せだよ。俺みたいなのの世話になるより。。。」

「うん」男のまなざしに嘘がないことはすぐわかった。

「しかし、、、金がなぁ」

テツの顔が渋るが男は通帳を差し出した。

100万ほど入っている。

「どうしたんだ?この金」

「武夫さんからもらった金さ。なんだかもったいなくて使えなかった。あとは俺の気持ちだ」


男の知り合いがインターネットでホームページを作ってくれた。知り合いをテツ達に紹介するとテツは驚いた。男を以前殴っていた大学生だったのだ。

ネットで資金を募るためNPOをつくった。以前は一匹狼だった男の周りに人が集まってくる。

資金も集まってくるが猫のエサも送られてきた。

一匹、また一匹と飼い主候補が現れ、飼い主になっていった。

やがて一匹の猫もいなくなった。



その日男は退院した武夫を連れていつもの場所に連れて行った。

懐かしい風景に武夫は涙を流す。

そしてゲートがあった場所にゲートは無くなっていた。

やがて武夫の自宅に着いた。

エンジンの音に出てきたのは猫ではなく若者たちだった。

「武夫さんお帰りなさい」と若者たちが花束を持って武夫を出迎える

皆誇りをもっている目をしていた。








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霧中の群像 若狭屋 真夏(九代目) @wakasaya

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