第12話


 陰湿。


 その光景を見た沙紀は、とりあえずそう思った。


 クラスメイト達を一喝した翌朝、沙紀が教室に入るなり、昨日のように教室内は静まりかえった。


 それから1秒程間を置いて、クスクスと笑い声が聞こえてくる。

 クラスメイトの何人かが、沙紀を見て、嬉しそうに笑っているのだ。


 その理由はすぐわかった。


 沙紀の机が無いのだ。

 沙紀の席だった場所には、机の代わりに花が飾ってあった。


 わざわざ沙紀より早く登校し、どこかに机を運んだのだろうか。花は造花ではないようで、こちらもわざわざ持ってきて、花瓶に飾ったのだろうか。


 なんというか、まあ、ご丁寧なことだ。


 その陰湿さに、沙紀も全く傷付かないわけではない。ただ、呆れが勝ってしまう。


 沙紀は心からのため息を吐く。


 これを見たら、みおはどう思うだろう、と心配になる。

 臆病で優しい彼女は、きっと自分自身のことを責めるだろう。


 しかし、今すぐ机を見つけて、みおが来るより前に、席を元通りにすることは不可能だ。


 沙紀がそんなことを考えていると、沙紀より少し遅れてみおが教室に入ってきた。


 そして、沙紀の席の異変に気付き、もともと良くない顔色が余計真っ青になる。


「え……あれ……ど……」


 どうして。

 みおはそう口にしようとしたが、うまく声が出ない。


 そんなみおに、クラスメイト達の一部が笑顔で近寄っていく。

 その際、沙紀を突き飛ばすこともしっかり忘れずに。


 沙紀がよろけ、みおは駆け寄ろうとしたが、クラスメイト達はそれを許してくれなかった。


「梅林さん、おはよー!」

「今日の一限体育だけど、大丈夫?」

「見学するなら、一緒に居てあげようか?」


 次々と話し掛けられ、みおは口を挟む暇すらない。


 どうしてこうなったのか、みおは混乱する。


 確かに、昨日の沙紀の態度を、クラスメイト達が不愉快に思っても仕方がない。

 しかし、たったそれだけで、机をどこかに運びだし、花まで飾り、みおと沙紀を引き裂こうとするのか。


 理解ができない。

 せいぜい、無視をするとか、嫌味を言うとか、それくらいではないのだろうか。


 無視も嫌味も良くない。悪いことだ。

 でも、机や花よりまだ可愛いげがある。


 みおと沙紀は、泥水の中に放り込まれたような気分になる。


 みおはやっとのことで、うまく出ない声を絞り出す。


「あの、沙紀ちゃんの机は、どこですか……」


 クラスメイト達がすっと黙りこむ。

 みおは怖くて、クラスメイト達と目を合わせることもできない。


 それでも、震える声で喋り続ける。


「昨日の……沙紀ちゃんの言ったことが気に障ったなら、私も謝ります……でも、沙紀ちゃんは、悪気があったわけでも……あなた達が嫌いなわけでも、ないんです……沙紀ちゃんの机が、どこにあるのか教えてください。」


 どうか、どうか。これ以上ひどいことをしないでほしい。


 そう願いながら、みおはクラスメイト達に頭を下げる。


 クラスメイト達はそれを見て、一斉に笑いだした。


「やだー、こんなの冗談じゃん。」


 誰かが言ったその言葉に、みおは思わず顔を上げた。


 冗談でこんなに悪意がこもったことができるなんて。

 みおにとって、彼らは父や兄と変わらない。とても怖い存在に感じる。


 その恐怖が伝わったのか、みおの目の前に居たクラスメイトの一人が、気分を害した顔になり、みおを睨み付ける。


「何その顔?私達は梅林さんのことを心配してあげてるんだけど?」


 目の前にいるのは男子じゃないのに、みおの体は強張る。


 完全に恐怖に染まったみおの顔。

 それを見た沙紀は、すぐにみおとクラスメイト達の間に割って入った。


「私のことが気に食わないんでしょ!みおにまでそんな言い方しな……」

「偉そうにしないでよ!」


 沙紀が途中まで言ったところで、クラスメイトの女子は沙紀に平手打ちをし、怒鳴り散らした。


 痛々しい音と金切り声が教室に響く。


 それについては、遠巻きに見ていたクラスメイト達も、さすがにざわつく。


 平手打ちをした女子も思わず手が出てしまい、まずいと思ったのだろう。

 震えながら、沙紀から目を反らした。


 そして、ゆらり、と沙紀が動く。

 先ほどの平手打ちで勢い良く首が回ったため、どこか痛むのか、首を斜めに傾けた状態で、平手打ちした女子を見つめる。


 見つめるだけで、何も言わない。

 何も言わないというより、何も言えないのだ。呆れてしまって、言葉が浮かばない。


 沙紀の記憶では、この平手打ちをした女子は、沙紀のことを嫌っていた。

 噂によると、沙紀に告白してきた男子の一人は、彼女が中学時代から想いを寄せていた人物だったとか。その男子は、入学早々、沙紀の容姿に一目惚れしたとかなんとか言っていたが。

 そのせいか、彼女は沙紀の容姿に嫉妬し、一方的に恨んですらいた。


 そこに、昨日の沙紀の発言。

 いろいろ積み重なって、余程頭に来ていたのだろう。


 ただ、平手打ちは今時小学生でもしないのではないだろうか。


 沙紀は、平手打ちをした女子を見つめたまま、長いため息を吐く。


 平手打ちをした女子はビクリと肩を震わせるが、沙紀はやはり何も言わなかった。


 そこで、みおが沙紀の腕を掴む。

 けっこうな力で叩かれていたので、頬が腫れるかもしれない、と心配になったのだ。


「沙紀ちゃん、保健室に……」

「そうね。」


 みおに促され、沙紀は教室を出ていこうと、振り返る。

 そしてすぐに、驚いたように足を止めた。


 みおも沙紀に付き添おうと出入口の方を振り返ったが、沙紀に続けて足を止める。


 出入口には、机と椅子のセットを持った、男子が立っていた。


 少し長めの茶髪は一つに結われており、鋭い目付きでみお達の教室を眺めていた。


 いつからそこに居たのかは不明だが、彼(彼女)は裏声でこう言った。


「すっごく陰湿ねえ!嫉妬かしら?女の子の顔に手をあげるなんて最低じゃない。」


 心底呆れた、というような声と表情だった。どうやら、だいぶ序盤から見ていたようだ。


 彼(彼女)――れいは、机と椅子を持ったまま、教室に入っていき、沙紀の席に辿り着く。


 不自然に空いた場所に花が飾ってあるので、別のクラスのれいにも一目瞭然だった。


「ねえちょっと、これ邪魔だから片付けてくれない?」


 れいに声をかけられた男子は、慌てて花瓶を持ち上げる。


 れいは机と椅子を下ろし、不自然に空いた場所を埋める。

 椅子も机の上から床に下ろし、沙紀の席は元通りになった。


「これでよし!さあ、みおちゃん、お友達と保健室に行きましょう。頬が赤くなってるわ。」


 れいは、みおが学校に来ていることに触れることなく、優しく微笑んで、みおと沙紀に退室を促した。


 完全に固まっていたみおと沙紀は、れいに促されるまま教室を後にする。



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