第11話

 少し久々の登校で、みおは注目の的になった。


 今まで、沙紀以外のクラスメイトがみおに話し掛けてくることはほぼなかった。


 みおのおどおどした性格が原因で、会話が成り立つまで相手が待てないことがほとんどなのだ。


 それが今は、みおの返事を待たず、代わる代わる話し掛けてくる。


 混乱するみおに浴びせられる言葉は、どれもほぼ同じような内容だった。


「聞いたよ、梅林さん。」

「虐待受けてるんだってね。」

「大丈夫だった?」

「学校来ていいの?」

「施設に行ったって本当?」

「心配したんだよ。」

「どうして相談してくれなかったの?」

「これからは何でも言ってね!」


 好奇心半分、心配半分。


 みおは自分の中にどろどろした感情が湧いてくるのを感じた。


――あなた達に何がわかるの?沙紀ちゃんだって、知らなかったのに。


 彼らの言葉に悪意が無いことも、自分が彼らに心を開いていないこともわかっている。虐待の事実を沙紀すら知らなかったのは、自分が言ってなかったからだということも。

 それでも、みおには彼らに笑顔を返すことができず、なんとか小さくお礼だけ言った。


 どうやらクラスメイトの耳には、“虐待”の事実だけ入っているらしい。

 みおが現在、施設暮らしではなく帰宅していることも知らない様子だ。

 さらには、男子が当たり前に話し掛けてくるので、誰もみおが男性を苦手としていることを知らないし、知ろうともしていないだろう。


「許せないよな!小柄な女の子に暴力振るうなんて!」


 みおがお礼を言ったことで気を良くしたのか、クラスメイトの話はどんどん進んでいく。


「何かあったら呼べよ!男子何人かで行ったら、さすがに怯むだろ!」

「いや、今は施設にいるんだから、家族と会うことはないんじゃないかな……」


 そこで、話を遮るように、大きな物音がした。


 クラスメイト達は、みお含め、一斉に物音がした方を方を振り返る。


 そこには、机に片手をつき、みおを囲んでいるクラスメイト達を無表情で見ている、沙紀がいた。


 どうやら、今しがたの物音は、沙紀が机を叩きながら立ち上がった音だったらしい。


 綺麗な顔立ちの無表情というのは、そこそこ恐怖を与えるらしく、クラスメイト達は固まっている。


 数秒後、沙紀は笑顔を浮かべた。目が笑っていない、綺麗な笑顔だ。

 それを見たクラスメイトの何人かは、思わず後退る。

 過去、この笑顔に怯まなかったのは、れいくらいのものだろう。


 沙紀は笑顔のまま、スタスタとクラスメイトの群れに近付き、みおの机に手をついた。

 今度は物音を立てずに、とても静かに、だ。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


みおの兄は二人いて、一人は暴力に躊躇いがない。もう一人は屈強な上に、頭が狂ってる男よ。父は権力者で、逆らえばあなた達の親は明日には無職になるでしょうね。」


 みおの机から手を離し、その手を腰にあて、沙紀はまた無表情になる。


「それでも、みおのこと助けてくれる?」


 クラスメイト達は返事に詰まったが、一瞬の後、誰かが「もちろん」と言った。


 それをきっかけに、他のクラスメイト達も口々に賛同の声をあげる。悪は見過ごせないと言わんばかりに。


 次々とあがる声を、沙紀は一喝した。


「即答できないくせに、責任取れないこと言ってんじゃないわよ!あんたらはみおのこと何にも知らないくせに!」


 先程まで賑やかだった教室が、しんと静まり返る。

 いくつか抗議の声があがったが、沙紀は無表情のまま、それらを潰していった。


「クラスメイトのために何かしたいって思っただけなのに……」

「この間まで、みおと話をしようともしなかったのに?」

「なんで藤島さんにそんなこと言われなきゃいけないんだ!」

「少なくとも、あんた達より私の方がみおのことをわかっているからよ。」

「じゃあ、梅林さんを見捨てろって言うのか!」

「そうは言ってない。状況をややこしくしてみおに迷惑かけないでって言ってるだけ。」


 そのうち、クラスメイト達からあがる声の数は減っていき、一人、また一人と自分の席に戻っていった。


 みおの席に残ったのは、本人と沙紀だけになった。


 朝のHRホームルームまで、あと少し時間があるが、クラスメイト達がみおのもとに戻ってくることはなさそうだ。


 沙紀は小さく息を吐いて、みおの机の脇にしゃがみこむ。

 その動作は何気ないものだったが、やはり見た目が整っているだけに、絵になるものだ。


 みおは一瞬、息を呑む。沙紀とはもう三年以上の付き合いになるが、たまに魅せる仕草には、未だに心臓が高鳴ることがある。

 そして、それを沙紀に気付かれないように、みおは平静を装う。こういう嘘には慣れたものだ。


 それはともかく、先ほどの沙紀の発言には問題があった。早く言い訳なり弁明なりしないと、沙紀がクラスから浮いてしまう。


 みおが口を開くより前に、沙紀が喋り始めた。


「やっちゃった、って思ってるわ。孤立するんでしょうね……あ、みおがいるから孤立ではないか。」


 その言葉に、みおは目を丸くする。


 普段から気が強く、友人といえばみおくらいで、しかし面倒見がよく、男女問わず人気がある。それでも、人付き合いに執着があるわけではなく、そこそこの人間関係で問題ないと考えている。


 そんな沙紀が、自分の発言を後悔しているとは。


 みおは自分を責め始める。

 沙紀と違って、自分は唯一の友人沙紀に執着している。沙紀も、執着されていることに気付いているだろう。

 面倒見のいい彼女のことだ。みおが困っていることに気付き、クラスメイトを一喝したのだろう。


 どんどん顔色が悪くなるみおを見かねて、沙紀は微笑んでみせる。


みおのせいじゃないからね。私が勝手にしたことよ。」


 みおは何も言えないまま、沙紀の目を見つめる。その顔色は悪いままだ。


 それを見て、沙紀は困ったように笑う。


「ごめんね。気にしないでっていうのは無理だろうけど、私は私の言いたいことを言ったんだってことはわかってほしいわ。」


 沙紀はそう言って立ち上がり、自分の席に戻ろうとした。

 それをみおは彼女のブレザーの裾を掴んで引き止め、顔色は悪いまま口元だけでも笑みを作る。


「沙紀ちゃん、ありがとう。」


 笑みは無理矢理作ったが、その言葉は無理矢理ではなかった。


 みおが手を離すと、沙紀はニッと笑って、自分の席に戻っていった。




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