第9話


 自分の手に巻かれた白い包帯を、みおはぼーっと眺める。


 こんなに綺麗に巻かれるなんて。

 父や兄に自分で巻いたと言っても、信じてもらえないだろう。

 他の誰かに手当てしてもらったことがバレてしまう。


 それに、時計を見ればもう11時過ぎだった。

 今から帰って昼食の支度をしても、「遅い」と怒鳴られるだろう。

 かと言って、時短重視で簡単な昼食を用意したらしたで、「何故手を抜く」と怒られるのだろう。


 みおは家に帰るということが、とても憂鬱に感じられた。


 それでも、自分の手に巻かれた白い、綺麗な包帯を見ていると、先程のれいとの会話で冷えた心臓が、暖かくなっていくように感じた。


 人に優しくされるのは、沙紀以外では久しぶりのような気がした。


 しかし、こんな風に怪我をしていることは、沙紀や親戚にも教えていない。気付かれないように、最大限の注意を払っている。


 それなのに、まだ数回しか話したことがない同級生に怪我を見られてしまった。その姉に、手当てをされてしまった。


 どうしよう、とみおが考えていると、視界が急に白みがかった。


 みおが驚いて顔を上げると、綾華が笑顔でマグカップを差し出していた。

 湯気だったのか、とみおがマグカップを受け取ると、綾華は口を開く。


「ココア好き?おいしいわよ。」


 その笑顔は、やはりれいととてもよく似ていた。

 しかし、彼女はまず無言で行動してから喋るのが癖なのだろうか。


 みおは小さな声でお礼を言いながら、マグカップを受け取った。


「インスタントだからおいしいに決まってるじゃない。ねえ、みおちゃん。」


 れいが少し離れた位置からそう言うと、綾華が目付きを鋭くして彼(彼女)を振り返った。

 同時にれいは目を逸らす。


 しかし、逃げられなかった。


 あっという間にれいの側まで行った綾華は、彼(彼女)の耳を思いっきり引っ張り上げた。

 彼(彼女)が何か気に障ることを言ったりしたら、耳を引っ張り上げるのが綾華の決まり事のようだ。


 それはそうと、みおれいと綾華に頼まなければいけないことがある。


「あ、あの!桜井くん、桜井くんのお姉さん!今日のことは……」


 みおが意を決して話しかけると、二人は勢いよくみおの方を振り向いた。


 そして、ほぼ同時に、口々にこう言った。


「『さくらちゃん』か『れいちゃん』って読んでちょうだい。」

「そんな長い呼び方じゃなくて『綾華』でいいわよ。」


 言動まで似ているとはさすが姉弟、とみおは少し感心する。

 自分の兄たちと自分とではここまで言動や仕草は一致しないだろう。


 いや、違う。そうではなくて。今はそんなことどうでもよくて。


 みおは改めて口を開く。


「今日のこと、誰にも言わないでください……」


 そう言う時には、二人の顔は見れなかった。

 優しくしてもらっておいて、こんなことを言うなど厚かましいとは思ったが、みおにはこう言うしかなかった。

 今日のことを、どうしても父や兄に知られたくないのだ。


 しかし、その頼みごとはあっという間に却下された。


「だめよ。警察や児童相談所に言います。あなたをこのまま帰す訳にはいかないわ。」


 みおが顔を上げると、さっきまであんなに笑顔だった綾華が、とても怖い顔をしていた。


 みおはそれに怯んだが、主張を変えるわけにいかない。


 今、警察か児童相談所に報告されて、父や兄から解放されたとしても、今後はどうなるかわからない。

 父や兄が今すぐ遠いところに行くわけでも、すぐに死ぬわけでもないのだ。


 いつか必ず、見つかってしまう。


 そもそも、怪我をした原因は誰にも話していないのに、何故綾華は警察や児童相談所などと言い出したのだろうか。


「なんでって顔してるわね。わかるわよ。そんな火傷を放置する親がいる?服の下もひどい傷があるんじゃない?」

「そ、それは……私がお父さんに言わなかっただけで……」


 みおは再び綾華から視線を逸らす。

 自分でも苦しい言い訳だという自覚はあった。


「みおちゃん、『お父さんが怒ってて、びっくりして火傷した』って言ってたわよね。みおちゃんがびっくりするぐらい近くにいたのよね、お父さん。」


 今度はれいが口を開いた。

 はっきりとは言わなかったが、「近くにいた父親がみおの怪我に気付かないわけがない」という意味だろう。


 みおはもう言い返さなかった。

 このまま押し問答を続けても、いつかボロが出るだけだ。


 そして、きっと現状は変わらないだろう。


 みおは手当てしてもらった方の手を少し上げる。


 綾華が各所に電話を掛けるのを、みおは手の包帯と一緒に、ぼーっと眺めていた。

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