第8話

 れいの後を着いていくこと五分。

 彼(彼女)の家に到着した。


 れいの家の外観は白を基調としている。造りは三階建てで、一階部分は病院になっている。


 家の前に、病院の名前が書かれた看板があった。それを目にしたみおは、見たまま文字を読み上げる。


「桜整形外科……?」


 そういえば、兄達が「近所に病院が出来た」という話をしていた気がする。


 スーパーからも近く、徒歩で来ることができる距離にあるこの整形外科を、彼女は知らなかった。

 まあ、この近辺に用事ができたことがないので、仕方ないと言えば仕方ない。


 全体的にきれいで新築のようであるし、最近出来た病院というのは、れいの実家だったのだと、みおは考える。


 れいみおを振り返り、話しかける。


「ここがアタシのおうちよ。アタシの高校入学に合わせて越してきたの。」


 まだ新しいでしょ、と笑うれいを見て、みおは心臓が冷えるような気がした。


れいの入学に合わせて引っ越しした」ということは、彼(彼女)が家族に愛されている証拠のように感じた。


 みおも過去に引っ越ししたことはある。しかし、それはれいとは違い、4月中旬であったり、小学校卒業直前であったり、みおの都合は一切考慮されなかったのだ。

 タイミング的には兄二人の都合も考慮されてはいなかったが、彼らが通学しやすい家かどうか、という部分は考慮されていた。

 もちろん、みおにとっては校区の端ギリギリであったり、距離的な部分も考慮されていなかった。


 父兄に愛情を求めることはないし、仕方がないことだったが、今後は引っ越しの予定は無いと聞いていたので、高校は近場を選んだ。


 そして、れいの新居は高校から徒歩十五分程度の位置にある。


 それが、れいが親から受ける愛情と、みおが親から受ける愛情の差を表しているようだった。


――慣れたはずなのに。気にしないはずなのに。愛情なんかいらないのに。


 心臓を冷たくする、この感情が何だったのか思い出せないみおは、また別のことに気付く。


 整形外科なんかで診察を受けたら、日常的に暴行を受けていることがバレてしまうのではないか、と。


 もしそれを通報されたら?

 通報されなくても、誰かに手当てされたことはわかるのでは?

 そうなったときに、家族はどういう行動を取るのか?


 先ほどとはまた違った意味で、みおは心臓が冷えるように感じた。


 そして今度は、今心臓が冷える原因を知っていた。


 恐怖だ。暴行を受けていることが他人にバレてしまったということを、家族に知られる恐怖。


 桜整形外科に入ろうとするれいを見て、みおは彼(彼女)が持ったままの買い物袋の端を掴む。


「桜井君……私、やっぱり帰る、ので……荷物を……」


 そう言いつつ、買い物袋を引くが、全く動く気配がない。

 恐る恐るれいの顔を見ると、彼(彼女)は笑顔のままだった。


 彼(彼女)の厚意を無駄にしていることに耐えられず、みおは下を向き、買い物袋から手を離した。


「みおちゃん。アタシは誰にも言わないし、アタシの家族は姉含め大人なんだから、あなたの不利益になることはしないわ。」


 優しいれいの言葉に、みおはさらに居心地が悪くなる。


 彼(彼女)に優しくされる理由など、自分にはない。しかもその優しさを拒否したのに、まだ優しくしてくれる。


 父兄の恐怖と、れいの優しさとどちらを取るか、普段ならすぐに決められるのに、とみおは頭を抱えそうになる。


 下を向いたまま、先ほどのスーパーの前のときのように動かなくなったみおを見て、れいは頬に片手を当てて悩み始める。


 男性に怒鳴られただけで、あれだけ萎縮してしまったのだ。生物学上“男”の自分が腕を掴んで引っ張ったりでもしたら、彼女に余計な恐怖を与えるかもしれない。


 二人していろいろ考え込み、桜整形外科の前で突っ立って動かなくなる。


 そのまま数十秒程経過した頃、整形外科の横――れいの自宅のドアが開いた。


 二人とも音に気付き、ドアの方を見る。


 そこには、れいに似た女性が立っていた。


 年の頃は二十代後半だろうか。目付きはれいよりかは鋭くないが、きつめの美人といった印象だ。

 背は平均より高く、身に纏っている白い膝丈のワンピースがよく似合っている。


 その美人は、ツカツカと二人に近付いてきて、れいの耳を思いっきり引っ張り上げた。


「いったぁーい!!」


 急な痛みに、れいは裏声で悲鳴を上げる。

 普段から裏声に慣れているから素で出るのか、裏声を上げるだけの余裕があるだけなのか。


 それでも、痛がる素振りを見せているので、みおはどうしたものかとうろたえる。


「あ、あの……」


 みおが声を掛けようとしても、美人は無言のままれいの耳を引っ張り上げ続ける。


 無言。終始無言。

 無言なことがものすごく怖い。


「せめて何か言ってよ、お姉ちゃん!」


 さすがにれいも抗議し、なんとか美人の手から自分の耳を解放する。

 その抗議に対して、仁王立ちになった美人はようやく口を開いた。


「女の子に暗い顔させたまま、何突っ立てんの。情けない。」


 れいが口応えする前に、美人はみおの右腕を掴み、整形外科の方に歩き始める。

 もう何がなんだかわからないみおは、今まで以上にされるがままだ。


 れいはそれを見て、自分も歩き始める。


 美人は自宅のドアを開け、みおを招き入れ、そのままドアを閉めた。

 後から来ていたれいはタイミング良くドアにぶつかったらしい。ゴン、という鈍い音にみおは振り返る。


 少ししてドアが再び開き、額を押さえたれいが入ってきた。


「お姉ちゃん、わざとでしょ……」


 少し涙声の彼(彼女)と美人を、みおは交互に見る。

 しかし、美人はさっさと靴を脱いで玄関に上がってしまう。

 三人でも少し余裕のあった玄関が広くなった。

 それでもとの距離としては近く、みおは思わず美人に続いて玄関に上がってしまった。


 上がってから、「やってしまった」と思うが、既に遅い。れいと美人を見ると、少し嬉しそうに微笑んでいた。


「いらっしゃい。私は桜井綾華りょうかれいの姉よ。よろしくね。」


 綾華とれいの笑った顔は、先ほどの印象よりとてもよく似ていた。


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