ニイトゲエム

南校舎入口

1話 プロローグ

 声量に十分注意して叫ぶ事を『叫ぶ』と言うのであれば、俺は叫び、『阿修羅鬼神斬り』を繰り出した。


 刀が六本に見える程に剣撃速度を上昇させる『阿修羅化』というスキルがある。だが、『阿修羅鬼神斬り』なんて名称のスキルは存在しない。


 阿修羅化状態で繰り出す、我流の連撃コンボ。

 もう少し詳しく言うならば、無我夢中に、無茶苦茶に。例えるなら駄々っ子のように。ただひたすらに双剣を振り回すだけの、ヤケクソじみた動作に、勝手に名前を付けたもの――それが、『阿修羅鬼神斬り』である。


 今回の討伐対象『凍嵐とうらん纏いし黒竜』の身体に、凄まじい斬撃の嵐(レバガチャコンボとも言う)が叩き込まれる。


 阿修羅化は五秒と持続しない。即座に訪れるタイムリミット。その寸前、最後の一撃が、黒竜の弱点である胸部──そのド真ん中を、貫いた。


 痛快なヒットSEの後、大気をビリビリと震わせるようなバインドボイスが上がる。そうして声の主は、糸が切れたかのように地響きを立てて崩れ落ち、完全に沈黙した。同時に鳴り響く、任務完遂を告げるファンファーレ。


 ――――完ッ全に、決まった……!!


 それはもう、HP管理でもしてたのかってくらい綺麗に。完璧に。ガッツポーズの一つでもかましたい気分だったが、今はマルチプレイ中だ。そんな事をしてしまっては、折角の格好良いラストアタックも、魅力を失ってしまう。


 ので、澄まし顔で黒竜の死体から素材を剥ぎ取りながら、他の三人が剥ぎ取りをしに駆け寄ってくるのを待つ。正確には、『駆け寄ってきて、称賛の言葉を浴びせてくれるのを』だ。


 まぁ、一人は言ってくれるのがほぼ確定しているわけだが。等と思っていたら、案の定だ。


「お疲れ様でした! 凄かったです!!」


 一番に駆け寄ってきて、剥ぎ取りそっち退けで称賛の言葉を送ってくれたのは、ミリタリー装備に身を包んだ女の子――『EVE《イヴ》』だった(ゲーム内アバターなので、リアルは男かもしれないが)。


 このゲームはプレイ人口が少ない事もあって、同じ人と顔を合わせる機会が多い。その中でもコイツとの付き合いは特に長いと言える。


 近頃はプレイスキルを認めてくれているのか、よく俺の事を持ち上げるようになった。


 それについては悪い気はしないのだが、パーティーの他プレイヤーを置いてけぼりにしてしまい、気まずい空気が流れる事も少なくない。

 そこだけが難点なのだが、今回に限っては心配は要らない。


「お疲れ様ー、大活躍だったねぇ」


「いやぁ、実に見事だったよ。僕も見習わなくちゃあいけないね」


 残りのパーティーメンバー――白髪の青年『S』と、黒尽くめの男『YUKIO』が、イヴの後方から顔を覗かせた。


 この白黒コンビと出会ったのは最近だ。

 二人は親しい間柄らしく、珍しい事に、この過疎ゲーを揃って始めたばかりの新規さんだそうだ。


 それ以上の事は知らないが、その余裕ある物腰から、精神の成熟した大人だという事だけは、何となく分かった。イヴの持ち上げムーブにも、笑って乗っかってくれている。


 白黒コンビの賛同を得たイヴは、何故か得意げにフフンと鼻を鳴らした。


「流石、黒剣さんですね!」


 黒剣――本名『黒野剣』をもじった、俺のプレイヤーネーム。この名を界隈中に轟かせる事が、俺の野望だ。


「――で、次何行きます?」


「この、『深淵より出ずる巨神』とか、どうかな?」


「えっ、それは――」


 楽しげな会話が進んでいく。

 ──ふと。その様子を遠くから眺めているような感覚に襲われた。


 寂しさ、申し訳無さ、羨ましさ、焦燥感。様々な感情が突然湧き上がってきて、俺の脳を締め付けた。


「……あ、済まん。俺、この後用事あるからさ、この辺でお暇するわ」


 ――刹那の、嫌な、沈黙。


「……そうなんですね、分かりました! お疲れ様です!」


 イヴは、いつもと変わらない声色で言った。

 白黒コンビも、それに続いた。


 俺はそれに適当な相槌を打ち、楽しげな会話を再開する三人を尻目に、逃げるようにルームから退室。ゲームを終了した。


 コントローラーを置き、VRゴーグルを外し、その先に横たわる現実を視覚野に受け入れる。


 ……ついさっきまで此処で、仲間に背中を預けて、モンスターと熱いバトルを繰り広げていた筈なのにな。


 今は、エアコンの運転音だけが響く、見飽きに飽きた俺の現実へや。まるで、夢から醒めたみたいだ。


 黒竜の放つ猛吹雪の中ですら熱く燃え滾っていた俺の心が、こんなショボいエアコンの冷気でみるみる冷まされていく。


 調子の悪い日はいつもこれだ。嫌になる。


 余りの虚しさに目を伏せたのも束の間、聞き慣れた耳障りなアラーム音と共に、眼前に『五時◯◯分』という、時刻を意味する文字列が浮かび上がった。


「あぁ、もう……!」


 虚しさが苛立ちへと変わる。このアラームをセットしたのが自分だから余計イラつく。


 時刻表示に人差し指をかざし、あっち行けと言わんばかりに、指先をスライドさせる。すると時刻表示は、指に合わせて滑るように動き、スーッと視界の端に消えていった。それを見届けたところで、ようやくアラーム音が鳴り止む。

 

 魔法で目覚ましが宙に浮いていた訳じゃない。

 未だゲームの世界という訳でもない。紛れもなく、此処は現実だ。なら、は何か。


 インカネイター――俺が今、耳に付けている物の名前だ。大昔で言うところの『片耳イヤホンマイク』というやつに似た形状をしているが、これはそんな陳腐な代物ではない。


 二年前――西暦二○四○年。前時代の携帯端末が完全に廃れ、新たに普及したのがこの現実拡張ARデバイス、インカネイターだ。


 当時──人々が未だ鉄の板切れに指紋を擦り付ける作業を延々と繰り返していた頃。『人の五感を司る神デバイス!』などという、何とも胡散臭い謳い文句の広告が、いつの間にか目に付くようになっていた。


 広告が言うには、『そこに無いものを、そこに在るかのように。そこに居ないのに、そこに居るかのように体験出来る』とのこと。

 見て、触れて、匂いも嗅げる。味も分かるかもしれない。もしそれが、あらゆるゲームや動画に適応出来るとしたら――成程、想像するだけで凄そうだ。


 しかし、広告に対する世間の反応は冷たいものだった。


 当たり前だ。もし謳っている内容に嘘偽りがなければ、インカネイターは、百年後の未来から持ってきたレベルのトンデモデバイスだ。そんなものがいきなり出来たと言われても、信じるのは難しい。オモチャの宣伝と勘違いする人までいたくらいだ。


 疑心暗鬼の現代人。信じない人が九割九部。とは言え、謳っている機能が機能だ。何だかんだ、インカネイターは世間の耳目じもくを集めていった。


 勿論、悪い意味で。


 要は、発売と同時に袋叩きになるのをエンタメ気分で傍観しようという腹だ。かく言う俺もそのクチだった。


 しかし、そうはならなかった。

 端末の発売日。誰もが掌を返した。

 このインカネイターというやつは、本物だったのだ。


 初めて使用したときの衝撃は、今でも覚えている。装着し、起動すると、眼前にポコンポコンと浮遊物が出現した。アプリのアイコンが描かれた大量の箱。それらが、ホーム画面の如く、陳列した。


 恐る恐る、その中の一つ──いつも使っている動画サイトのアイコンが描かれた箱に触ってみた。すると、箱の群れは消え去り、代わりに様々な動画のサムネイルが映った小ディスプレイが、俺を取り巻くように所狭しと出現した。


 これも同じように、触れれば中身を視聴することが出来た。正確には、


 猫の動画を再生すれば、実際に触れて撫でられたし、絶叫マシン実況は、風圧や振動、浮遊感が全身で感じられた。飯テロ動画は、料理の香りまで伝わってきて――そこは不便なところか。推測通り、味を確かめる事は出来たが、腹に溜まりはしないからな。


 とにかく、高画質だとか、3Dだとか。そんな次元じゃない。『そう、それは正に、電脳世界との融合! インカネイターで、私達の世界は一変する! 五感を司る神デバイス、インカネイター!』


 ――端末の発売後、よく広告に出るようになったアイドルの吐く台詞は、正しくその通りだ。


 俺達の日常は、電脳世界と融合し、一変した。


 勿論、良い意味でだが、良い事ばかりとはいかなかった。様々な電子機器や、五感情報操作に対応していないサービスが下位互換と見なされ、オワコン呼ばわりされるようになったのだ。


 そのまま廃れてしまったり、或いはインカネイターと競おうとしたり、取り入ろうとしたり……市場は大混乱に陥った。というか、今でも陥っている。何せ、発売からまだ二年しか経っていないのだから。


 世の中の色々なものが、インカネイターという万能機の登場によって、良くも悪くも影響を受けた。こんなに凄いものが生み出されても満場一致で喜べないのだから、人間という生き物はつくづく我が儘だよな。


 きっとどれだけ技術が進歩しても、俺達が生きている限り、生き物である限り、不満が絶えることはないのだろう。


 まず身体からして不出来だ。食事、排便、睡眠、入浴、歯磨き──必須項目が多過ぎる。それらをこなしても、病気になるときはなるし、怪我すれば痛いし、車に轢かれれば死ぬ。轢かれなくともいずれ死ぬ。必ず。


「……」


 そのうち、不老不死の薬が出来たり、死んだ人間を蘇らせたり出来る時代も来るのだろうか。生死の概念が無くなれば、人の不満も無くなるのだろうか。


 ……いや、俺には関係ないか。そんな時代は、俺が生きてる間に来やしないだろう。もし来たとしても、俺ニートだし。そんなもんに手出せる金ないし──。


 ――ちらりと、先程まで付けていたVRゴーグルに目をやる。


 ……確か、黒竜を倒したときのタイムが十三分で、報酬金が十万Gだっけか。


 たまに思う。このゲーム内マネーを、リアルマネーとして現実に引っ張り出すことが出来たらどんなに良いだろう。それが叶うなら、こんなにボロい仕事はない。ゲームの設定上は命がけだから報酬も大金だが、俺からしたらただの――。


 ピロリンッ。


 不意に響いた軽快な電子音で我に返ると、眼前に便箋アイコンが浮かび上がっていた。そのすみには【1】の表示。メールが一件来ていることを、インカネイターが報せているのだ。


 ちらっと、視線だけを右上に向ける。インカネイターによって、視界の右上に常時表示されている現在時刻は、未だ五時過ぎ。


 こんな時間に、しかも、SNSツールではなくメールで連絡を寄越してくるような知り合いはいない。つまりこれは、迷惑メールというやつだ。


 エロサイトへの出入りを繰り返した結果だ。毎日のように送られてくるもんだから、全部ブロックした筈だったが……生き残りがいたか。


 たった一件だ。放置しても何ら問題はない。

 が、俺は眼前の便箋アイコンをタップする。


 メールを一度開いて確認しなければ、未読メールがあることを示す通知ドット──【1】が消えないのだ。ああいうのを残したままにしておくのは、性格上どうも好かん。


 確認し終わったら風呂行くか。早くしないと家族と被っちまう。その後は……またゲームやるか。アイツらまだやってるかな……。


 そんな事を考えながら便箋アイコンをタップし、メールの本文を開いたところで俺の思考は止まった。


 ――違う。


 そのメールには、『お荷物の再配達はこちら』とも、『退会申請はこちら』とも書いていなかった。何かのファイルが添付されているだけで、本文は空欄になっている――かのように思えたが、空欄の右端にスクロールバーがある。


 スクロールバーは、眼前に表示し切れないくらい本文が長い場合のみ、出現する仕様の筈だ。

 つまりこれは空欄ではない。空白か改行でびっしり埋め尽くされているのだ。


 この感じ──見覚えが無くはない。これは、一番下まで見れば重要な事が書いてあるよ〜という、勿体つけた餓鬼のお遊び。


 誰が。何の為に。


 次なる疑問が浮かんでくる。

 無視が安定な筈なのに。なのに思考が止められない。俺の深読み癖のせいなのか、それともこのメールが持つ、見たくなる魔力のせいなのか。


 ……思う壺って感じで少し癪だが、まぁ、これ書いたヤツが見てるわけじゃないしな……。


 空欄部分をタッチし、上にスライドさせる。




































 変工夕イナラ開ケ.

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