2.その日も、

 その日も、学校を昼から早退した、とゆうよりバックレタ僕は、親不幸道りの近くにあるジャズ喫茶で、コーヒーを飲んでいた。


 誰のレコードがかかっていたかは憶えてないが、多分、クールジャズだと思う。


 マスターは、僕が行くといつも、マイルス デービス とか ジョン コルトレーン とかのレコードをかけてくれたから、もちろん他の客がいない時だけだが。


 「また早退したとか、出席日数大丈夫とね?」とマスターは少し心配そうに聞く。


 「大丈夫やと思いますよ。」と答えながらハイライトに火を点けると、


 「高校ぐらいは、卒業せんといかんとばい。」と優しげに言う。




 その頃の僕は、学校を休んだ日か休日以外は、たいがい学生服を着ていた。学校からそのまま遊びに行っていたし、着替えを持ち歩く程には、服装に興味がなかったからだ。


 ただ誰が見ても、だらしがない格好をしていたと思う。


 上着のボタンはかけず、シャツはズボンにいれず、髪もくしは入れず、寝癖の付いたままの, ぼさぼさ頭。大人達の目も気にせず、タバコも吸ったし販売機で買った缶ビールも飲んだ。


 ただの不良高校生、それが僕だった。


 でも、その格好は、中学からのトレードマーク。


 校則とゆう意味の無い決まりで、服装を規定されるのがとても嫌だったが、他の奴らみたいに、校則違反の長かったり短かったりの学生服を着るのも嫌だった。だから生徒手帳には記載されていないその様な格好をしていた。


 教師からは度々、

「シャツを入れろ。ボタンをとめろ。」と注意されたが、


 「生徒手帳の服装のルールを印刷し直したら、シャツを入れるし、ボタンもかける。」と言って彼らを困らせた。


 単なる反抗期だったと思う。


 僕が中学を卒業した翌年、

「校則が変更され、服装のルールが細かく成った。」と偶然、地下鉄の駅で会った後輩から聞かされた事を覚えている。




 5時に成ったので、マスターに礼を言って店を出る。


 扉の向側から、

「あまり遅くまで、遊び回っとたらいかんとよ、補導されるばい。」のマスターの声に、


 「はい、気を付けます。」と僕は答えた。



 約束の本屋には、予定の時間より15分程早く着いたのだが、彼女は音楽雑誌を見ながら、僕を待っていた。


 1つ下の彼女はいつもの様に、派手な格好をしている。


 赤と黒のタータンチェックの超ミニスカート、所々破れた黒のフィシュネットストッキング。 上は Pistols のTーシャツと沢山の安全ピンとボタンピンを付けたジャケット。 髪はショートのボブで、スプレィでパァフと立てていて、しかも青とオレンジのメッシュ。 白い顔には、分厚い黒のアイシャドウと赤いルージュ。高いヒールの付いたブーツを履いていたが、背は僕の肩より低くく、そして少し痩せ気味。


 その彼女が、

「もぅ、遅いっちゃ!」となぜか怒った様にブツブツ言っているので、


 「何が、5時半やろ。」と僕は答えたが、


 「また UK かジャズ喫茶で時間潰してたっちゃろ。たまには私よりも早く来たらよかとに。」と口を尖らせながら言う。


 「お前が来るの、めちゃ早いだけやろ。」


 「お前って呼ばんで。結婚してる夫婦みたいやなかとね。」


 「君が、」


 「硬すぎっるちゃ。名前で呼んで!」と言い、僕を置いて歩き出してしまった。


 「何や、PMS?」と聞いたが、返事は無い。


 彼女に追い付き、腕を彼女の肩にかけ、

「どないしてん?」と聞いて、彼女の顔を覗き込むと、


 彼女は目を少しウルウルさせながら、

「もうこれ以上、家にいたくないっちゃ。」と小さな声でつぶやくので、


 「そうか。」と言って彼女の肩を少し抱きしめた。 


 震えが止まらない彼女を、強く抱きしめると、”ふぅー” と息をもらした彼女から、力が抜けていくのがわかる。


 「ちょと座ろうか。」と地下道から上につながる階段に2人で座りこむ。


 「どないした、お前、気ィ強いくせに?」


 「お前って呼ばんで!」


 「まぁ、落ち着けや。どないしてん、アミ?」と聞いたが、返事はない。


 「まぁえーわ、話したくなったら、いつでも聞くわ。」と言って、煙草に火を点け、彼女の肩に腕をまわすと、彼女は僕の胸に頭を押し付け、体の力を少し抜き、


 「この暖かさだけが、、、欲しい時があるっちゃよ。」と淋しそうにつぶやく。




 僕達は何も話さず、しばらくの間、行きかう人を眺めていた。


 「なんか、映画のシーンみたいやな。アクション大きすぎるで。」


 「何、、、何にっちゃ?」


 「そやけど、もう6時半過ぎてるで、7時やろ、ライブ。」


 「え?」


 「俺ら、ここに1時間ぐらいおるんやで。」


 「なんで早く言ってくれんとね!ライブ、遅れちゃうっちゃよ!」


 「大丈夫、間に合うって、、、、それよりお前、疲れてんなぁ。」

 

 「またぁ、、、お前って呼ばんで、恥ずかしぃちゃ。人に聞かれたら、どげんするとね、別によかけど。」とアミは弱々しく言うので、


 「何が、恥ずかしいっちゃや。お前のそのド派手な格好の方が恥ずかしいわ。お前な、綺麗な顔してんねんから隠すなよ、メークで!まぁええわ、行くで!」と彼女の手をひっぱり、僕らは歩き出した。


 「体の具合はどないや、休学したんやって?」


 「食事しても、もどしてしまうっちゃん、、、貧血ぎみやし、目がクルクルするとよ。」


 「当たり前や、食事せんかったら、、、もしかして、妊娠してるんか?」とわざとオドケテ聞くと、


 「してないっちゃ!」と言って、アミは僕の背中をおもいきり殴り、


 「りょう君がしてくれんとに、どうやって妊娠するとね?ねえ、りょう君、、、ねえ、今晩、どうっちゃ?」と、甘えた声で僕の腕にぶら下がりながら言う。



 アミはローラーコースターや猫の目の様に、感情のふり幅が大きい。


 小悪魔とはアミの事だと思う。




 付き合っていた彼女が亡くなってから、1年半ぐらいになるが、まだ心の整理ができていなかった。Sex だけの関係なら別だが、その頃のアミは僕にとって、とても身近な存在で、大切にしたいと思う人に成っていたので、心の整理がつくまでは、この子とはそんな関係に成りたくなかった。


 それに、亡くなった彼女の事を想う事が度々あったから、この彼女、アミとはそう簡単に寝る事が出来なかったのだと思う。




 ビルの最上階にあるライブホールの前に着いたのは、開演10分前位で、着飾った人達は、ほとんど中に入ってしまっていた。


 「君らは、何時も一緒やね。」と後ろから聞き慣れた声がする。


 そこには、この辺りでは有名なギターリストと、彼の超派手な奥さんが立っていた。


 「お前のバンド終わったんやって? 何かおしかね、いい音しよったとにね。ところで、この前、市民会館で演奏したやろ。」


 「なんで知っとぅとですか?」


 「俺ら会場におったけん。面白か曲やったね、また新しい曲書けたら、声かけてくれんね?」


 「勿論です。ありがとうごさいます。」


 すると、突然、

「何んね、それ、私、知らんちゃよ、何、何?」と、アミが騒ぎはじめた。


 「何言うてんねん、フェストで歌わんかって聞いたやろ。」


 「市民会館て、ミュージクフェストの2回目の事?そんなん、私、聞いとらんよ!」


 それを聞いたギターリストの奥さんは、

「この子ら何時も言い合いしようね。なんか、昔の私らみたいと思わんね。」と言い、


 「そうやねえ、いつも言い合いしようね。ところで君ら、チケット持っとうとね?」と僕らに質問をする。


 僕とアミが、

「いや、これからです。」、「まだだっちゃ。」とほとんど同時に答えると、


 「じゃぁ、付いて来ぃんさい、俺ら顔パスやけん。」と彼に誘われるまま、裏口から一緒に中に入れてもらう事に成った。




 「どげんして、1回目出とらんとに、2回目に行けるとね?」と聞くアミに、


 「下手なんがおらんと、勝つバンドが上手く聞こえんやろ。」と誤魔化しながら答える。


 「そうじゃなくて、なんでフェスト側が、りょう君のインフォメーション持っとうとね?」


 「それは、俺が1回戦目に出た知り合いのバンドに曲を書いたからで、」


 「それも知らんちゃ、何んね、何隠しとうとね?もしかして、、、りょう君、彼女でも、できたとね?」と少し怒った様な感じで追求してくるので、


 「そんなん、おらんわ、彼女は、お前1人で十分やろ。」と答えると、


 「彼女はお前1人で十分って、、、えっ、ついに私、オフィシャル彼女。はずかしいっちゃー!」と顔を紅くしながら、ニヤニヤと照れ笑いをする。


 「どうもここには俺らの居場所はなかね。ばってん、ライブ終わったら、ここで待っときんさい。バックステージに連れてってやるけん。行くやろ?」


 「ありがとうございます。」、「ご好意に甘えさせていただきます。」

と僕とアミは、また同時に返事。


 それを聞いた彼らは、

「ホント、仲よかね。」と言うと、笑いながらバックステージに向った。


 するとアミは、僕の肩を突きながら、

「どおゆう事だっちゃ?ちゃんと話して、彼女に!」


 「調子に乗ってんな、お前。」


 「もちろん。」

 

 「2ヶ月ぐらい前に電話があってん。同じ様な曲のバンドが多いのと、俺の曲が気にいったから、それで、やらんかって。」

 「すごいっちゃ!それで、ソロ?」


 「いや、中学の時の連れに、スネヤとハイハットでリズムやってもらって、2人で。」


 「え?じゃ、りょう君がギターとソロヴォーカル?」


 「まあ、そおゆう事かな。」


 「嘘、あんな大きな箱で、すごく見たいっちゃ! 聞きたいっちゃ! 録音した? コピーあるちゃろ?」


 「連れが持ってるよ。」


 「ちゃんとコピーもらってね!めちゃ聞きたいっちゃ、りょう君の新しい曲。どんな曲?」



 その時、天井のライトが消えて、ステージに立つ Johnny にスポットが灯った。


 「Love You, Johnny!」


 「Let's Go !]


 などの声援と共にライブが始まった。


 その日のライブは、七十年代のグラムバンド、New York Dolls のギターリストの Johnny Thunders のアコギソロライブだった。


 ライブ自体は、相当酷いものだった。彼は、酔ってるのか、ハイなのか、音も、歌も、むちゃくちゃだった。


 彼の曲が好きだから、彼は伝説だから、、、ライブは最後まで見た。


 でも、レコードの中で輝いている Johnny はそこにはいなかった。 抜け殻だ。 生活のために、音楽をするとゆう事は、こおゆう事なのかと思い知らされた。


 ライブの後、楽屋に連れて行ってもらい、Johnny にあいさつをする。

 

 やっぱり、ラリっている。


 なんとなく、悲しい気持ちになってしまった僕は、礼を言ってバックステージを出た。アミも僕の後に付いて来た。


「なんか、悲しいちゃね。」とアミが、ボソッとつぶやく。




 僕とアミは、地下鉄の駅に向かっていた。


 「急がんと、最終、間に会わんよ。」と僕はアミを急かしたが、


 「明日、バイトないっちゃ、、、今晩、りょう君と、一緒にいたいと。」と急かす僕を拒絶するかのように、小さな声で答える。


 「君は休学してるからいいけど、まじめな学生をしてる僕は、明日、学校があるんですよ。」と茶化して言ってみたが、


 「何がまじめだっちゃ、今日は、家に帰りたくないちゃ!」とまるで我ままな子供のように、大声で言うので、


 「今日はじゃなくて、今日もやろ。 しかたないなぁ、ちょっと待っとけ。」と言って電話を掛ける。


 「今晩は帰らへん、明日そのまま学校に行く。」と母に伝えた後、


 「しゃぁないなぁ、また脱線コースや。お前といると、いつもやな。」


 「ごめんっちゃ。」と少しばつが悪そうに言うアミに、


 「食事でも、行こうか。」と言って、僕はまた腕を彼女の肩に乗せ、両親とたまに行く店に、行くことにした。 


 その店はもともと屋台営業をしていたのだが、その頃は天神の駅から10分程離れた雑居ビルの1階にあった 。気のいい夫婦がやってるその店なら、午前2時位までは居られるし、他の人に気を使う必要も無いと思ったからだ。


 アミは、

自律神経失調症がひどくなってきた事。

学校を休学して、ケーキ屋でバイトを始めた事。

あまり絵を書いてない事。

生け花を始めた事。

ギターを始めようかなと思ってる事。

彼女の母親に新しい恋人が出来た事。

その男がちょくちょく、母親がいない時に家に来る事。

一日も早く家を出たいけど,体のことが不安でできない事。

その様な事を、道々ポツリポツリと話した。


 やっぱりなと思った。早く彼女を、その様な状況から開放してあげたかった。



 「こんばんわ、」と言いながら、のれんをくぐって店の中に入る。


 「おう、りょう君、1人ね?」と言う大将に、


 「いいえ、この子と2人です。」と言って、後ろに立ってるアミを店の中に引っぱり入れる。



 店では、15、6人ほどの大学生や会社務めの人達が、ガヤガヤと喋りながら飲んでいたが、学生服の僕と Punk な服装のアミは、確実にその場所には、場違いで、浮いていたと思う。


 「おーい、、、りょう君が彼女ば連れてきたばい。」と大将が大声で言うと、奥さんは裏から飛んで出てきて、


 「まぁー、さぁさぁ、ここに座りんさい。」と言って、僕らをカウンターの席に誘う。


 「そーね、ついに、りょう君にも彼女ができたとか。」

 

 「りょう君の彼女の、あゆみです、始めまして。」


 「友達です!食事したいんですけど、僕はラーメンで、それと彼女には、なんか消化しやすい物、お願いします。」


 「麦茶でよかね?」と奥さん。


 「はい、お願いします。それとアミ、化粧落としといで、けっこう、ひどいよ。」と言って、アミを急かせ自分も席を立つと、


 「もちろん、お前って呼んでいいちゃよ、彼女なんだから。」と笑みを浮かべながら言いい、僕の肩を、ポンポンとたたく。



 トイレから戻った僕に、奥さんはすぐさま、

「なんか、可愛いらしか子やね! どれぐらい付き合いようとね?」と興味深々に聞いてくるので、


 「別に、付き合ってないですよ。でも知り合って1年半ぐらいです。」と答える。


 やっと化粧を落として戻ってきたアミに、

「その方が好きやな。」と言ったら、肘で思いっきり突かれた。 


 「そうやね、素顔の方がよかね。」と言う奥さんに、アミは顔を紅くして、


 「もー、からかわんといて下さい、はずかしーちゃ。」と下を向いてしまった。


 そうこうするうちに、

「熱いけん、ゆっくり食べんさい。」とラーメンと野菜スープを持ってきてくれた大将に、


 アミは、

「いただきます。」と言って、一口スープを食べ、


 「ものすごく美味しいです。」と嬉しそうに言う。


 「そりゃ、よかった。ばってん、りょう君には、もったいなかね、このベッピンさんは。」と、大将は僕をからかう様に言うので、


 「僕もそう思います。」と彼に同意した。



 食事がほぼ終わる頃、奥さんが

「りょう君、急がんと、もうすぐ最終、出るよ、、、今夜どないするとね?」と心配そうに聞く。


 「店が終わったら、港でも行って、星でも見ながら、始発まで時間をつぶします。」


 「今日、よく晴れとるしね。」とアミも僕に続けて答えると、


 「君ら家に来るね?」と大将。


 「そうしんさい、ね!」と奥さん。

 

 「ありがとうございます、でも、話したい事があるけん。」


 「いつもの事やけん、気にせんといて下さい。」とアミ。


 「家には、電話したとね?」と奥さん。


 2人が本当に心配してくれているのが良くわかるが、

「もちろんです。アミといると何時もこうなんで、本当、大丈夫ですから。」と丁寧に断わった。



 しばらくして、アミが、

「りょう君、、、話って何ちゃ?」と少し不安そうな声。


 「ん、、、」と茶を濁すように返事をすると、気を使ったのか、大将は奥さんの肘を突いて、裏に行ってしまったので、


 「俺が先に行って、住める条件を作るから、体を治してから出ておいで。べつに治てなくても俺は、かまわんけど。」と真面目な顔で彼女の目を見ながら言う。


 その場の空気が凍り付く。


 「え、何っちゃ?」と言うアミの声は少し震えている。


 「えっ、、、もう、決めたと?」


 「ああ、決めた。」


 「そうなんだ、、、、決めたんだ。、、、いつっちゃ?」 


 「7月の初めごろ。」



 アミはうつむいていた。いくつかの涙が、スカートとを握り締める彼女の手に落ちるのが見える。


 2、3分程黙ってうつむいていた彼女は、ゆっくりと顔を上げ、

「うん、わかった、、、、治して、すぐに行くっちゃ。」と大きく作り笑いをしながら言う。




 僕らはある雑誌の投稿欄を通して知り合った。


 「東京に移って、今起こってるアンダーグラウンドなアートを体感したいと思ってます。お手紙待ってます。」と書いてあった。


 僕は、”音楽と舞台に興味がある。” と簡単な手紙を彼女に出すと、2週間後、”今度、博多に行く事があるので、会えないか?” と言う手紙が彼女から戻って来た。


 初めて会った時、彼女は、

「あゆみが名前だけど、アミって呼んで欲しいちゃ。」と言った。


 それが1年半前。




 僕は、

「ご馳走様。」と言い支払いをすませ、アミはもう1度手を洗いに行くと言って、席を立つ。


 すると、大将は真面目な顔をして、

「りょう君、男は責任あるけん、ちゃんと、あれ使わんといかんとばい。わかっとろうね?持っとうとね、あれ?必要やったら言いんさい、いくつかあるけん。」と心配そうに聞く。


 「いえ、彼女とはやっとりませんし、今日もやる気はありません。」


 「ばってん、彼女は本気やろうも!目を見たらわかるばい。勝てるとね、そんな誘惑に?それとも、あれか?」


 「好いとらんとね? そげんやったら、早く話してあげたほうがよかとよ。」と奥さん。


 「んん、、、もちろん、好きです。そやなかったら、合ったりなんかしないし、ここにも連れて来ないです。ただ、今はまだ、そんな関係に成りたくないんです。けじめとゆうか、、、なんか、そういう事です。」


 「泣かしたらいかんとよ。」と奥さん。


 「だから、せんとです。」



 手を洗い終わって戻って来た彼女に、

「またきんさい、べっぴんさん。」と大将は優しい声をかけた。


 「調子に乗りますけん、それぐらいで、、、それと、この娘の事は、ここだけで。俺の両親には、まだちゃんと紹介してないけん。」



 僕らはもう1度礼を言い、店を出て港に向かう。既に2時半を過ぎていた。


 「いい人達やね」


 「なんか、すごく人間臭いやろ、俺、好きだよ、あの人達。」


 「なんで、ああゆう大人に会わんとやろう、私、、、」


 「何言うてんねん、今会ったやろう。今度、1人で行ってみ。ちゃんと受け止めてくれるから。」




 まだ肌寒い空気が張り詰めた春の夜、僕らは、お互いの肌の温もりを感じ合いながら、ゆっくりと港に向かって歩いていた。


 天神の駅を過ぎ、中州の繁華街を越えた所から、町の灯は弱くなり、その代わりに潮の香りと共に星が輝き始める。その間、僕らはほとんど何も話さず、ただ時々、立ち止って、目を見合ったり、抱きしめ合ったりしながら歩いた。


 何度かチンピラ達に声を掛けられたが、それも無視して歩き続けた。


 いつもの事だ。これで何度目だろう、ここに来るのは。


 途中、自販機で熱い缶コーヒーを買い、2人で飲む。



 僕らは沢山の星と、甘い潮の香りと、波のポチャポチャという音に囲まれて、朝までの時間を過ごした。


 「それで、どげんするっちゃ?」と聞くアミに、 既に、7月の15日から9月の終わりまで、軽井沢のホテルで住み込みのバイトが決まっている事を話す。


 「食事付きで、寝る場所もあるから、無駄づかいせんかったら40万ぐらい貯められる。俺の仕事しだいでは、正月まで雇ってくれるって。そしたら、東京に出るための金が貯められる。お前が出てきても、しばらくは働かんでも暮らせるやろ。 ウェィターの経験があるからレストランやって。朝と晩だけで、コース料理らしいから、楽勝やな。4時間ずつらしから。自分の時間も、十分取れる。 しかも温泉やで。現実に戻れんかもな、なんか人生の終着駅みたいな、仕事やもんな」


 そうすると、アミはすごく真面目な顔をして、

「ね、りょう君、、、、私の事、本当のとこ、どう思っとうと?」と小さな声でボソッと聞く。


 「お前、そんなん、確認せなあかんの?」


 彼女は、僕の目を見ながら、ゆっくりとうなずいて、

「ちゃんと、言葉で聞きたぃっちゃ。」

 

 「ほな言うで、、ちゃんと聞きや、、、愛してるかどうかは、わからんけど、、、大好きや、大切にしたい女の子やと思ってる。アミとは、いろんな事を話してきたし、いろんな気持ちも共有してきたと思う。これからも、できれば、そうしたいと思ってる。」と言って、アミの唇に初めてキスをした、とてもゆっりと。


 今まで何度となく、彼女の頬や目や額にキスをしてきたが、唇にしたのはこれが初めてだった。


 「私でも、、、よかと?」


 「今は、君と一緒に、時間を過ごしたい。」と答えた。




 その晩、僕たちは、何度となく抱きしめ合い、キスをした。


 あんなに長い間、熱いキスをしたのは、前の彼女以外では、アミだけだと思う。




 空が白くなり始めたので、僕たちはまた歩いた、駅に向かって。途中、パン屋でポップコーンとコーヒー牛乳を買い、2人で食べながら歩いた。


 まだ、朝の6時を少し過ぎたばかりなのに、大勢の人たちが博多駅の構内を足速に行き交っていたが、改札で人の目も気にせず、またキスをした。


 そのキスは、時間の止った永遠の様でもあり、また一瞬のまたたきの様でもあった。


 「りょう君、私ね、あの最初の手紙、とても嬉しかったっちゃ。私ね、、、初めて会った時からね、、、一目惚れだったのかも?りょう君だったら、私の事、お前って呼んでもいいちゃよ。」とアミは顔を少し紅くして、恥ずかしそうに言う。


 「早よ行き、また電車遅れるで。」と言い、アミを強く抱きしめ、頭にキスをしてから、彼女の背中をかるく押した。


 何度か振り返って手を振るアミの後姿が、見えなくなるまで見送った後、僕は、ただ寝る為だけに学校に向かった。


 


 その日、1日中、僕は、アミの香り、胸の温かさ、唇の柔らかさ、舌の感触を、教室の机の上で、ぼんやりと、夢うつつの中、感じていた。


 でも、僕が求めていたものは、彼女の、アミの、それではなかった。




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