第15話 戦場の剣と守護の剣

「出し抜けると思ったか? 甘く見られたものだな」


「行かせてくれ、マールバラ伯!」

 マールバラ伯ジョン・チャーチルは数人の部下とともに門を背にして立っている。

 彼を倒さずして、この途は開かない。


「これも宮仕えというものだ。行かせてはやれんな」

「私が逃げれば、それは即ち国王陛下の恥辱だ! どう言い逃れようとしても、その指摘を避けることはできない! なぜそれが分からないんだ⁉」

「ただでさえ問題が山積みなんだ。少しでも頭を悩ませる事を減らしたいのさ、お歴々はな」

「それは目先の逃避に過ぎない!」

「まぁ、その通りさ」


 すべて承知している。そのうえでこの場にあるのだ、というマールバラ伯に対して、チャールズはそれ以上ぶつける言葉を見つけられなかった。


「どれ、お前さんの逃げ道を塞いでやろうか」


 なに?


「国王の守護闘士ダイモーク卿に申す! 我、マールバラ伯ジョン・チャーチルは新国王夫妻の即位に対し奉り、異議を申し立て貴殿に挑戦するものなり!」


「なっ⁉」

 何を言い出すのか、それでは謀反ではないか!

 混乱でチャールズは言葉がうまく出てこない。


「さて、お前さんが最優先にしている決闘の挑戦だぞ? まさかこちらを放ってはおけまい? いくぞ」

 ジョン・チャーチルが佩剣を引き抜き構えを取る。


 隙のない、練り上げられた構えだ。手ごわい相手であることが見て取れる。


 チャールズも覚悟を決めて剣を抜く。

「ジェーン、下がっているんだ」

「あなた!」


 チャールズが構えを取るや、すかさずマールバラ伯が突きを入れてきた。


「なっ!」「きゃあっ!」


 まだジェーンが十分に離れていないうちに戦端を切ったマールバラ伯に対する怒りが燃え上がる。


「危ないじゃないか!」


 マールバラ伯は呆れ顔で剣先を揺らす。


「お前は目前に迫った敵に『女房と別れを惜しんでいるのでちょっと待っててくれ』とでも言うのか? 守護闘士ってやつはなんとものんびりした稼業なんだな?」


 チャールズの頭にさらに血が上る。

 目が吊り上がって今にも飛び掛かりそうな姿勢だ。


「落ち着いて、あなた! ワザとあなたを怒らせようとしているのよ!」

 ジェーンの叫びに、チャールズははっとした。危ない。


 マールバラ伯はちっ、と舌打ちする。


「……ずいぶんと良い女房を持ったもんだな。長生きするぜ? いや、むしろあまりに励み過ぎて早死にするかな? クックッ」

「ぬかせ!」


 二人はこのやり取りの間にも、既に数合打ち合っていた。

 マールバラ伯は余裕の表情だが、チャールズはやり難さを感じている。


 マールバラ伯の剣裁きは、独特の、というよりもほとんど出鱈目なリズムで繰り出されていた。


 そのせいでチャールズは、慌てさせられたりすかされたり、主導権を握られて防戦一方となっている。


 これが、現実の戦で鍛えた剣というものか!


 チャールズは、いい様に彼を切り裂いてゆく剣先に翻弄されていた。


「ふ。しょせんは道化の剣だな」

 マールバラ伯の嘲笑が耳を打つが、チャールズは必死に自分を抑え、冷静に相手の技を観察・分析した。


 予備動作なしに繰り出される刺突と、一方で予備動作だけで遅れて出て来る剣先。

 そのフェイントを変幻自在に繰り出すのがマールバラ伯の『技』だ。


 ならばっ!


 チャールズは、バックステップを踏んで距離を空け、自身の剣を立てて構えた。


 マールバラ伯はその構えの意図を読み取ろうとして目を細める。

 だが、その暇も与えずチャールズは突進を仕掛けた。


 (真正直に過ぎるぞ! ダイモーク!)


 あまりに単調で工夫のない直線的な攻撃に、マールバラ伯はやすやすとチャールズの背側に予備動作なしで切っ先を突き込み、狙い通り相手の肉を切り裂いた。


 だが、その刺突の結果として、血しぶきが吹きあがったのはチャールズだけではなかった。同時にマールバラ伯の右脇腹にも血が滲み広がった。


(こいつ、相討ち狙いか⁉)


 チャールズは防御動作を全く無視した。今までは、変幻自在に繰り出されるマールバラ伯の剣を、いちいち自分の剣で払おうと対応したがために防戦一方になっていたのだ。


 ならば、防御を捨てればよい。


 自分の間合いに入ったら自分の攻撃を繰り出すだけだ。


 チャールズはマールバラ伯の剣を無視して己が剣を伯の胴体目掛けて突き込むことに集中した。


 当然、チャールズも傷を負う。


 だが、これでマールバラ伯の優位も消えた。


 マールバラ伯が看破した通り、相討ち狙い。ただし、チャールズからすれば致命傷となりやすい胴体に刺突を入れた分、儲けがある。


 肉を切らせて骨を断つ。

 彼らの知らぬ東洋の地であれば、そう評したであろう。


「はぁーっ、まぁーけた、負けた! こんなことに命なんか賭けていられん!」


 唐突にマールバラ伯が剣を下げ、敗北を宣言した。そして、

「おい、腹を斬られた。すぐに止血を頼む。あぁ、そっちの坊やもな」

 遠巻きに見守っていた部下たちに治療の指示を出した。


 その間、チャールズは狐につままれた様に茫然としてしまった。


 チャールズがマールバラ伯に与えた傷は先ほどの一太刀のみだ。

 まだ、お互いに戦うことができる、そんな状態なのに。


 ここで負けを認めてしまうくらいなら、何故決闘など……。


「おっと、何故って顔してるな? まぁ、十分意味はあったさ。さて、だいぶ時間を潰せたと思うが、これから大急ぎで駆け付けたとして、くだんの決闘相手はまだ待ってくれているかねぇ?」

「なっ⁉」

「おいおい、せっかくなんだから止血だけはちゃんとして行けよ。たどり着いたはいいが立ってもいられないんじゃ、意味はあるまい?」




「お優しいことですな」


 包帯で止血だけ済ませたチャールズが駆け出し、ジェーンが宿へ帰るのを見送っていたマールバラ伯に、背後から声を掛けたのはオーバーカーク卿であった。


「見ていたのですか?」

「まぁ、たまたま」

「負けてしまいました」

「仕方ないでしょう。彼の剣はその一戦に勝つ事だけを目指す剣。たとえどれほど傷つこうとも、勝つ事だけが必要とされる。一方、あなたは軍人だ。目先の勝利ではなく、最終的な勝利のためには戦力を温存し、ときには潔い撤退を選択する覚悟が求められる。もともと、噛み合わない勝負ですよ」

 マールバラ伯は肩を竦めてみせた。


「それにしても、つくづくお優しいことで。監視に穴を作り脱出しやすくしたのは、わざとでしょう?」


「……」


「じっと朝まで大人しく待つなら、それはそれでよし。我慢しきれずに抜け出して決闘に赴くなら、それもまたよし。後から決闘を妨害された、と騒ぎ立てられるよりは好きにさせたうえでつべこべ言えない様にしておく、と。ただし、簡単に抜け出されたのでは警備の責任上問題があるので一応、門前での決闘を演出して見せる。ことが公になっても大衆受けはいいでしょうな」


「……シュロウズブリ伯爵に報告されますかな?」


 オーバーカーク卿は意外なことを言われたような顔をしてみせた。


「いえ? 私もマールバラ伯に近い考えですから。現在の政情を考えればダイモークに余計な事はして欲しくない、というのは、十分な対策を打つ余裕がないからであって、本来は真っ当に決闘を行い勝利してもらうのが最善です」


「だが、今は本当に余裕がない。決闘に敗北しても、それを材料に策動される余地を与えないような対策をとっている時間などありませんな」


「そう、その通り。ですが、我々の問題を仔細に検討してみると、実は要点となるのは、この決闘の結果を大衆世論に知られるかどうか。それが問題であることが分かります。世論に影響を与えないのであれば、それはただの決闘に過ぎません」


「……」


「決闘の結果が、大衆に知られなければよい。では、どうすればよいか? マールバラ伯におかれては既にその対策の手を打たれていると、私は予想しておるのですが、いかがですかな?」


 マールバラ伯ジョン・チャーチルは、その問いには直接答えず、傍に控える副官に振った。

「おい」

「はっ! 以前から小官にまとわりついていたロンドン・ガゼットの記者の一人に、決闘場所と時刻について、極秘情報として耳打ちしておきました。『ハイドパークにて二時から四時』と」


「ほう! ハイドパーク、ですか。なるほど、なるほど」


 オーバーカーク卿は西の方角に目をやり呟く。

「あとはダイモークがその務めを果たすだけ、ですな」


「さて? 道化の務めなど知った事ではありませんが」

 憎まれ口を叩きながら、マールバラ伯は胸中に呟く。


 この脇腹の傷に見合うぐらいの成果は出せよ、ダイモーク。

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