第14話 ふたたび即位大祝宴の夜

 ロンドンの街は闇色の幕を被り、人々は息を潜めていた。


 プロテスタントである新国王の即位と、カソリックの前国王の退位が決定し、ようやくこのイングランドにも明るい兆しが見えてきた、とはいえ。


 長く打ち続いた新旧教徒の対立と、内戦の傷跡。外国では戦乱の嵐が続いている。


 こんな状況では浮かれ騒ぐ気分には、まだなれない。




 この闇の向こうのどこかに、彼女がいる。

 ダイモークの証、『地に突き立つ剣』の記章を取り返しに来い、と。


 チャールズ・ダイモークは、迷ってなどいなかった。

 いかに制止されようとも、必ず決闘の場に立って見せる、と。


 シュロウズブリ伯爵の都合など知った事か!


 国王の守護闘士たる者が挑戦から逃げてしまって、王室に累が及ばぬ訳があるか!

 いかにしてこの軟禁を脱出するか、彼はひたすらそれを思案していた。


「止まれ! 何者か? この先はシュロウズブリ伯爵、マールバラ伯爵両閣下のご命令で立ち入り禁止だ!」

 チャールズを軟禁している棟の警護に当たるマールバラ伯麾下の常設軍兵士である衛兵は、一組の若い紳士・貴婦人を制止していた。


「私は、リンカシャーはスクリーヴズビー荘の領主、チャールズ・ダイモーク卿の妻ジェーンと申します。こちらに私の夫ダイモーク卿が宿泊と伺って参った次第です。同行しておりますのは、チャールズ様の弟御ルイス様です」

 背後に従う若い紳士は目深に被った帽子を取りもせずに頷いた。


「奥様、お生憎ですがこちらは先に申し上げた通り……」

「こちらに海軍委員会ネービー・ボード長官のサミュエル・ピープス閣下の添書きを頂いております。お改めください」

 ルイスが差し出した、封緘済み証書を受け取った衛兵は、同僚と顔を見合わせてどうしたものかと思案した。

 政府高官の名を出されては一介の兵士の手に余る。

「しばしお待ちを」

 こんな微妙な問題は、早々に上官に判断を仰ぐほかない。

 ノーフォーク公の書類を握った衛兵は、二人を待たせて上官の下へ走った。


「あの老いぼれが余計なことを……」

 サミュエル・ピープスの文書を受け取ったマールバラ伯は苦虫を嚙み潰した。


 サミュエル・ピープスはサンドウィッチ伯爵エドワード・モンタギューの腹心の部下でチャールズ二世からジェームズ二世の二代に渡り海軍を掌握した実力者だった。


 王政復古の際、オランダまで艦隊を挙げて迎えに赴いたのがエドワード・モンタギューである。


 以降、モンタギューとその腹心ピープスは王室に重用され海軍に対する絶大な影響力を誇った。


 サミュエル・ピープスは『英国海軍の父』と呼ばれるほど数々の海軍改革を成し遂げ、それらは現代でも国際標準として残っている。


 スチュアート朝(前国王)寄りの人物ではあるが、今回の内乱は主に陸上での出来事であり、彼の出番はなかった。そしてそれ故に塁も及ばず、その地位に動揺はなかったのだ。


 文書には、罪を得て囚われている訳でもないダイモーク卿に妻との面会も許さないとは何事か、との糾弾が記されている。


 これを拒絶するのは難しい。


 一体どんな関係だか知らないが、この人を利用してくるとは、してやられたか。

 これはシュロウズブリ伯でも断り切れまい。


 この女房、やっかいだな。


 マールバラ伯は知らぬ事であったが、サミュエル・ピープスはケンブリッジ大学モードリン・カレッジの卒業生である。

 つまり、チャールズ・ダイモークとは先輩後輩の関係であった。

 そして、ダイモーク卿夫人であるジェーンは、ダイモーク家とチャールズの交友関係をあまねく把握していたのだ。


 マールバラ伯ジョン・チャーチルは意見を添えて文書をシュロウズブリ伯へ回させた。身の安全のためには、判断は上役にさせるべきだ。


 ただし、万一の備えは怠らない。それが、ジョン・チャーチルという男だ。


 シュロウズブリ伯から面談を許可する旨の通達が届いたのは、しばらく待たされた後のことであった。


「ジェーン! ルイス!」

 思いもよらない二人の夜更けの来訪に、チャールズは安堵を覚えた。

 だが、妻の方はそんな甘い空気を許しはしなかった。

「あなた、決闘の相手はあの人……クリスティーナね?」

 チャールズは一瞬怯んだ。だが、あの当時ダイモークに関わっていた者なら誰もが至る予想である。ジェーンがそう考えても、不思議はない。

 そして、ジェーンもチャールズが決闘をあきらめるなどとは、全く考えてもいない様子であった。


「おそらく、そうだろう」

 ジェーンは、彼の眼を直視して言を繋ぐ。

「兄さまは、彼女に会いたくて行くの? それとも……」

「もちろん、国王の守護闘士として、逃げることは許されないからだ。それに、剣士としても彼女とは決着を付けなければならない」

「そう……分かったわ。それじゃ、脱いで」

「えっ⁉」

 

 微かに軋む音を立てて扉が開く。

 先ほど入室を許可された二人が出てきた。

 許されていた時間をやや過ぎていたが、そこは大目に見る。

「ダイモーク卿は、今日中に解放されますのね?」

「理由あって宮殿内に滞在いただいておりますが、拘束されている訳ではありません。夕刻までには用件も済みますので」

(白々しい……)

「そうあって欲しいと期待します。それでは」


「……うまくいった?」

「しっ! 衛門を出るまでは油断しないで」

「ありがとう、ジェーン」

 髪の色も背格好も似通っているチャールズとルイスは衣服を取り換えることで入れ替わった。そのために帽子を目深に被り、衛兵とのやり取りもジェーンが表立って行っていたのだ。


 無事、室内から出られてチャールズは安堵しているが、ジェーンはまだ警戒していた。なぜ、衛兵は監視のため室内に入ってこなかったのか?

 その場合に備えて、衛兵を追い出すためのちょっとした寸劇の用意までしてきていたのに。

 罪人ではないから、監視が緩かったというのも不自然な気がする。


「この先の角を曲がれば宮殿の裏門に出られるわ」

「ほんとうに、ありがとうジェーン」

「ダイモークの務めを果たしきて、あなた」


 そっと扉を押すと、冷たい外気が顔を撫でる。

 門衛には鼻薬(賄賂)を嗅がせてあった。

 あとは、門をくぐり抜けて決闘の場へと向かうだけ、だ。


 ジェーンの胸に、刺さったままでなかなか抜けない棘が疼いた。

「あなた……」

「うん?」

(最後は、私の下へ帰ってきてね、兄さま)

 その言葉を、彼女は口にすることが出来なかった。

 ここにはいないはずの第三者が発言したからだ。


「こんな夜更けにご婦人を一人にして置いてゆくとは、感心しないな。ダイモーク」

 門前に星明りを受けて立ちはだかる人物の影が浮かび上がった。


マールバラ伯ジョン・チャーチル……?」

「うそっ……そんな!」

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