第16話 決闘の朝


いにしえの慣習に従い、イングランドの守護闘士(ダイモーク)は、磨き上げられた全身鎧を纏い、盛装して鳥の羽を被り物に飾った乗馬に跨り、国王と女王が晩餐中のウェストミンスター・ホールへと乗り入れた。

 そして、イングランドの王冠に対する彼らの主君の権利に対して、異議を唱える者に通例となる挑戦の機会を与えた。

 彼が通路に籠手を放ると、松葉杖を突きながらホールへ入った老婆がそれを拾い、翌日の指定した時間にハイドパークにて相見える旨の挑戦を記した彼女の手袋を残して素早く逃げ去った。

 この出来事はホールの末席で騒ぎとなり、誰もが老婆を追跡することに夢中になった。

 翌日、指定された場所には、同じドレスを身に纏った人物が現れた。だが、一般的にはその姿でも優れた剣士であるはずだ。

 しかしながら、イングランドの守護闘士は、女性を相手にしてはいかなるその種の闘争(決闘)も礼儀正しく拒絶し、決して(決闘場所に)現れなかった。”

― 名誉革命からおよそ百年後、一七八四年八月に出版された地名集 gazetteerの記事より ―




「よう、ほんとにここなのかい?」


 早朝の寒気に身を震わせた相棒が、もう何度目かの同じ問いを発する。

 テムズ川に発する霧がここまで広がってきていた。


「間違いないって! あのジョン・チャーチル将軍の副官さまから直々に頂いた情報だぜ。そんじょそこらの眉唾物なネタ元とは格が違わぁな!」

「でもよぉ……」

 ロンドン・ガゼット紙に属する記者である二人は、ブラブラとこの広大なハイドパークを、しらみつぶしにそれらしい人影を探し求めて歩いていた。


「全然、人っ子一人見かけねぇぜ?」

「まだパーク全体の半分も見てねぇじゃないか……おっ? おい、あれ……」

 片割れが指さす先に、霧を背に魁偉な偉丈夫の姿が浮かび上がっていた。


「あれか? でも、話じゃ松葉杖突いた婆さんだって……」

「ばっかおめ、そりゃ油断させるための替え玉に決まってるだろぉ? 手袋置いた奴が自分で決闘に立たなきゃならない決めなんてねぇし……でも、厳つい大男がドレス着てたことにしたら、面白れぇかもしれんな? よし、それ頂きだ!」


 相方はやや呆れ気味だが、この頃の『新聞』の役割としては、そうした娯楽性が強い傾向を持っていた。


「腰に剣も吊っている。あれで間違いねぇだろうなぁ。後はダイモークが来るのを待つだけだ」

「凍えそうだよ、早く来てくれ……」


 だが、彼らが待つ所にチャールズ・ダイモークが訪れることはなかった。




 この時代、国王夫妻の正式な居住地となっていたのはホワイトホール宮殿である。


 このテムズ川沿いの広大で巨大な宮殿から、西の方角へ並んで存在したのがセントジェームズパーク、(当時はまだ存在しないが、バッキンガム宮殿を挟み、)グリーンパーク、ハイドパークである。


 このうち、ハイドパークが最も宮殿から離れており、かつ、けた違いに広大だ。


 逆に、宮殿に最も近いのがセントジェームズパークである。


 かってはワニやゾウ、ラクダなどが飼育される動物園の様な場所であったが、この当時にはいささか不道徳な行きずりの快楽を求める悪所となっていた。


 チャールズは、そんなセントジェームスズパークの中心部を東西に長く掘られた人工運河の堤を、西の端を目指して駆けていた。


 霧が出ているので誤って水に落ちたりしないよう、警戒しながらだ。


 あれだ。


 運河の端が見えてきた。


 あそこに、いるのか?


 黒い人影が浮かび上がる。


 息を整えるため、駆けるのを止めて歩調を歩く速度に変える。


 あぁ、やっとこの日が来たのだ!

 彼女と、剣を競う日が。

 ダイモークが、守護闘士として本来の役目を果たす日が。


 決闘場所として指定されていたのは、実はセントジェームズパークであった。


 挑戦状の内容は、限られた者たちしか見ていない。


 だから、チャールズは周囲に見物人が居ないことを不審に思ったりはしなかった。


 彼は、マールバラ伯がハイドパークを決闘場所とする欺瞞情報の流布を行っていることなど、当然知る由もない。


 さらには配下の常備軍から、見た目威圧感が並外れた兵士をハイドパークにたむろさせ、擬装を行っていることなども。


 ハイドパークに誘導されたロンドン・ガゼットの記者たちが、「ダイモークは決闘場所であるハイドパークに来ず、決闘は行われなかった」と記事にしたとしても、政府議会が公式にこれを認めることはない。


 真相は闇の中へ。

 それが、マールバラ伯が打った対策である。




 五年ぶりに見た彼女の後姿は、最後に会った時よりも心なしか痩せて見えた。


 暗色の帽子と外套に身を包み、明るい金髪をまとめて背に垂らし、霧を背にした彼女が振り向く。

 

 白い肌と切れ長の目、特徴的な緑の瞳。

 彼を認めて目を細めたのは、懐かしさと嬉しさだろうか。


 彼と彼女は、これから王国の王冠を賭け、鍛え上げ練り上げた技を競いあう。


 (やっと、ここまで来た)


 脈絡もなく、そんな気持ちが溢れて涙がこぼれそうになる。


 まだだ。まだ、やっとこれから始まるんだ。

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