第11話 夏は来たりぬ

 何用だろうか?


 呼び出しを受け、主の待つ部屋の前まで来たところで、彼はひと思案する。


 長年にわたりダイモーク家に仕え、スクリーヴズビー館を取り仕切ってきた老家宰ウィリアムは、自らの記憶をさらってみたが、思い当たる節は見つからなかった。


 というのも、その主からの呼び出しにはメイド長を伴うこと、と付け足されていたからだ。


 家宰とメイド長、二人揃って呼び出されるとなると、真っ先に思い浮かぶのは宴席の催しである。

 だが、近々にその様な催しの予定はなく、また臨時にそれを催すきっかけになるようなことも、心当たりはない。

 メイド長も彼の背後で怪訝な表情を見せている。


 もう一度、自らにやましいことや後ろめたいことがないのを確認してから、家宰は主の待つ部屋の戸をノックした。


 入れ、と許しを受けて入室する。


ご主人様ミ・ロード、御前に」


 室内には主であるダイモーク卿と、その法定推定相続人あととりむすこであるチャールズが座して待っていた。


 おや? と、思う。


 チャールズはいずれダイモーク家当主を継ぎ、ダイモーク卿となるだろう。

 だが、いまはまだ若過ぎる。家政に関わるのは時期尚早だ。


 視線に思いを乗せて主を見つめるが、返ってきた答えは意図せぬものだった。


「ウィリアム、迂闊なことだが、客人との会食を失念しておった。遅ればせながら、ではあるが晩餐の席を設えるよう」


「客人、と申されますと?」


「もちろん、我ら親子に剣の稽古をつけてくれている剣士殿親娘よ。剣の事で頭がいっぱいで任せきりになってしまったが、万事不都合なくお過ごしいただいているであろうな?」


「お客様の御用周りはメイド頭に任せておりますが……」

 そう言いつつ、後ろに控えるメイド頭の蒼い顔を見て家宰は不穏な予感を感じた。

「何か行き届かぬ点がないか、お客様に伺って早速対処いたします」


「頼んだぞ。ダイモークが客人を粗末に遇したなど、名誉に関わるからな」


「はっ。もちろん心得てございます。失礼いたします」


 卒倒しそうなメイド頭を引っ張るように家宰が退出する。


「これでよいかな? チャールズ」

「はい、父上。ありがとうざいます」

「なに。言った通りだ。我らも迂闊だったよ。レディ・スノーデンには礼を伝えておいておくれ」

「はい」

 



 客人扱いとはされていたが、クリスティーナ親娘の扱いは不十分なものだった。


 老人の風体の異様さ、門前でのいきさつがあり、さらには直前まで親娘が旅芸人の一座とともに旅をしていたことが村人の口から知れ伝わったことなどが原因で、メイドたちの間に親娘を軽んじる傾向があった。


 メイドたちの認識は、「主人に気に入られた旅芸人が仮宿している」に過ぎないものだったのだ。


 自然、部屋や食事の質から水場の使用(当時はまだ浴室という設備の普及どころか入浴という習慣自体稀だった。水浴びや湯で体を拭く程度が一般的)まで、制限を受けて不自由な生活が続いていた。


 それでも、旅から旅の生活に比べれば屋根の下で寝台に横たわって寝られるだけでも随分ましなものだった。


 親娘は不満や抗議もせず、黙って受け入れていたのですっかりそれが定着していた。クリスティーナが森の水辺で水浴びをする様になったのも、メイドたちとともに水場を利用することを拒否されたからだ。


 ジェーン・スノーデンの従者であるエマは、ダイモーク家のメイドたちのそうした振舞いを語ったのだった。


 義憤に駆られて今にも飛び出して行きそうな勢いのチャールズを、押し止めたのはジェーン嬢である。


 曰く、このままチャールズがメイドたちを吊し上げに行けばエマが告げ口したのが原因と悟られる。更には未来の当主から面と向かって叱責を受けてはメイドたちも立つ瀬はなく、より深い恨みの原因となりかねない。


 チャールズはいくぶん不満気味ではあったが、エマに迷惑がかかる様では前言を違えることになると指摘され、しぶしぶ思いとどまった。


 そのチャールズに対して、ジェーンはクリスティーナ親娘をダイモーク卿との晩餐の席に招くことを提案した。


 主人の晩餐のテーブルに招かれるような客であれば、メイドたちも疎かには扱えなくなるだろう。


 誰も傷つけずに事態を解決するための方策である。


 チャールズはジェーンの提案を受け入れ、ダイモーク卿に親娘を招くよう提案したのだった。


 その結果、クリスティーナ親娘はダイモーク卿との晩餐の席に招かれることとなったのだ。


 ジェーンは将来、女主人としてダイモーク館の家政に君臨する立場である。


 ダイモークの使用人たちがこの様に振舞うのは、根が善人である彼女の性分としても好ましくないし、ダイモーク家中に波風が立つのも看過できないことだ。


 チャールズにも頼りにされたうえ、提案を称賛されて彼女は大層誇らしい気持ちに満たされた。


 だが、その一方で心の隅に僅かに渦巻くモヤモヤとした感情の澱を感じる。


 チャールズが自分の母親と婚約者であるジェーン以外の女性に、あれほどの関心を見せたことはない。


 正しいことをした、という確信はある。

 だが、ほんとうにこれでよかったのだろうか?

  


 

 親娘と晩餐の共にした翌日の昼過ぎ、いつもの様に森へと分け入るクリスティーナの姿を見つけたチャールズは、その後を追った。


 はたして、彼女の姿はいつもの水辺にあって、だが今日は水には入らず岩に腰かけながらチャールズにも聞き覚えのある古い民謡を口ずさんでいた。


 本来はカノン(輪唱)だが、この場の歌い手は一人だけだ。

 夏を迎える喜びを歌う曲で言葉は古めかしいが、跳ねるように浮き立つ陽気な旋律には生の喜びが溢れていた。


さぁ夏が来た!Summer has come in 歌えよ声高らかにSing loudly,クック―cuccu!


 チャールズは彼女から少し離れた岩に腰かけ、穏やかな気持ちで耳を傾ける。

 歌う合間に交わされた、とりとめのない会話。

 枝の隙間を縫って照らす初夏の日差しに水面は煌めく。

 別れ際、彼女が告げた「ありがとう」の一言が、彼の世界を光で塗り替えてゆく。


 夏は来たりぬ。


 彼の心の深いところに、この日の光景が決して消えぬよう刻み込まれた。

 

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