28話  偶然


「あ」

「はぁ……?」


 駅前の24時間営業スーパーに向かう途中で、思わぬ人物とばったり出くわした。

 お互いに阿呆のように口を開けたまま数秒停止して、そして同時に相手を指さした。


「吉田センパイ」

「なんでこんなところに」


 夜道に立っていたのはスーツ姿の三島だった。


「あー……映画を観てたので」

「仕事上がってそのまま映画かよ。体力あるな」


 スーツ姿のまま、ということは自宅には帰っていないということだろう。

 呆れて言うと、三島も曖昧な笑みを浮かべて頷いた。


「どうしても観たいのがあって」

「なんてやつだ?」

「あー……っと、『紫陽花あじさいの歌』って映画です」

「ああ、あの駅前に思い切りポスター貼ってあるやつか」


 毎朝駅に向かう途中に特大ポスターが目に入る。確か主演女優が、橋本の好きな女優だった気がする。あいつもあの映画について「絶対に観たほうがいい」だのなんだのと言っていた気がするが、適当に聞き流していたので詳細は覚えていない。


「良かったか?」

「まあ、そうですね……泣けました」


 三島にしては歯切れが悪いと思いつつ彼女の目を見ると、目の下が少し赤くなっているのが分かった。本当に、泣ける映画だったようだ。


「にしたって」


 俺の意識は、映画の話から、彼女がここにいることについてに戻った。


「なんでこんなとこに。駅とは逆方向だろ」


 映画を観るためにこの駅まで来たのは分かるが、駅から離れてゆくこの道に三島がいることには違和感があった。こちらの方面に歩いてきても、特に彼女の立ち寄りそうな店があるというわけでもない。ただの住宅地だ。

 俺の質問に、三島は頬をぽりぽりと人差し指で掻きながら答えた。


「ちょっと散歩したい気分だったんですよ。そういえば、ここは吉田さんの住んでる街なんだよなぁって思って」

「なんだそりゃ」

「そういう吉田さんはどうしたんですか?」

「あ? あぁ……」


 家に後藤さんが来ていることは言えまい。

 朝食のための食材を買いに来たのだが、どうも、俺におつかいを頼むときの沙優の様子が引っかかる。俺を追い出そうとしているかのような、そういった意図を少しだけ感じた。しかし、沙優が積極的に後藤さんと二人きりになりたがるとは考えづらいし、俺の思い過ごしの可能性もある。


「朝飯用の食材を買いに行くんだよ」

「あれ、吉田さんって料理とかするんですか? しなさそうだと思ってました」

「失礼な奴だな。俺だって少しくらいはするっつの」


 見栄を張って言い返したが、沙優が来るまではほとんどコンビニやスーパーで買ったものばかり食べていたので、三島の言うことは図星である。


「私もついて行っていいですか?」

「別に構わねぇけど、買い物なんてついてきて楽しいか?」

「吉田さんが何食べるのか気になって」

「なんだそりゃ」


 三島は締まりのない笑顔を浮かべたまま、当然のように俺についてきた。

 スーパーでニラと卵と味噌を買っている間も、三島はあれやこれやと茶々を入れてくる。


「ニラタマですか」

「あー、まあそんなとこだ」

「なんですかそんなとこって。ニラと卵でそれ以外に何作るんですか」

「別に俺の朝飯の献立なんてどうでもいいだろ」


 俺が言うと三島は露骨にムッとした顔をする。


「どうでもいいかどうかは私が決めます」

「そうですか……」

「というか、なんなら私が明日の朝ごはん作りましょうか」

「冗談だろ」


 鼻で笑って、そういえばビールの買い溜めを切らしていたと思い缶ビールに手を伸ばすと、それをひょいと三島が取り上げた。


「……なんだよ」

「冗談じゃないって言ったら?」

「は?」

「明日の朝ご飯。私が作りましょうか? って」


 俺は一瞬ぽかんとするが、三島の言っている意味を理解して再び鼻から空気が抜けた。


「いや、何言ってんだお前」

「言葉のままの意味ですけど」

「明日の朝わざわざうちに来るのか?」

「いやいや、吉田さんこそ何言ってるんですか」


 三島は呆れたように笑って、はっきりと言い放った。


「今晩泊めてくださいってことですよ」

「いや、無理」


 即答して三島から缶ビールを奪い返す。加えて二本ほど棚から取り出して籠に入れてレジへ向かう。


「いいじゃないですか吉田さん、一人暮らしでしょ? 帰るの面倒くさくなっちゃったんですよ~」

「うるせえ、帰れ」

「家に誰かいるんですか?」


 三島の質問に一瞬言葉が詰まりかけるが、三島を横目で睨んで首を傾げてやる。


「いると思うか?」


 質問に質問で返す。後藤さんがよくやる技だ。


「いないならいいじゃないですか。宿代で明日の朝ごはん作りますって」

「飯くらい自分で作る。諦めて帰れ」


 レジで商品の清算をしてもらっている間も、三島は不服そうな表情で隣に立っていた。


「別に来て面白れぇところじゃねえよ、俺ん家なんて。狭いし」


 スーパーを出て駅前に出たところでそう言うと、三島は俺の話を聞き流して駅から少し離れたところにある建物を指さした。


「吉田さん、ホテルありますよホテル」

「そうだな。でもあれはビジネスホテルじゃないから多分一人じゃ泊まれねえぞ」

「一緒に泊まります?」

「馬鹿、ラブホだよ。なんもしないのに泊まれるか」


 俺が言うと、三島は目を細めて、わざとらしく口角を上げた。


「泊まるなら何かするでしょ、普通に考えて」


 何かがおかしい、直感的にそう思った。

 三島はもともと掴みどころのない奴だが、ここまで脈絡なく意味不明なことを連呼するような人物ではなかったはずだ。


「お前、今日どうした。なんかおかしいぞ」


 俺の言葉に、三島はぴたりと動きを止めた。そして、その表情がみるみる変わっていくのが目に見えて分かった。

 下唇を噛んでから、俺をキッと睨みつける三島。


「おかしいのは吉田さんの方でしょ」

「何がだよ」

「吉田さんはどんな時も嘘つかない、まっすぐな人だと思ってたんですけど」


 三島はそう言ってもう一度唇を噛んだ。

 目元が潤んできている。


「嘘ってなんだよ。俺は朝飯の具材買いに来ただけだぞ」

「じゃあ、なんで」


 三島は今にもこぼれそうになる涙をこらえながら声を発した。泣きそうになっている三島など初めて見たものだから、俺はうろたえてしまう。


「ど、どうしたほんとに」

「なんで、お、おかしいじゃないですか……」


 三島は同じ言葉が頭の中で回っているように、言葉を押し出すように、くぐもった声を出した。鼻を啜ってから、もう一度俺の目を射貫くように見つめた。


「……なんで、『後藤さんが家にいるから帰る』って言わないんですか」

「な……」


 心臓が跳ねた。

 なんで三島がそれを知っているのか。そして、俺の動揺は思い切り顔に出てしまっていたようだった。

 俺の表情を見て、三島は冷笑を浮かべた。


「素直にそう言ってくれればこんなに食い下がらなかったですよ……」


 三島はそう言ってから、視線を地面に落とした。

 俺はその間も、言葉が出てこない。


「今日は私、珍しく自主的に残業したんですよ。明日吉田さんに褒めてもらおうと思って」


 三島は俺と視線を合わせないまま、ぽつぽつと語った。


「それで、一つプログラムちゃんと組んでから退社したら、駅前のファミレスから吉田さんと後藤さんが出てくるの見ちゃって。気になって。それで、どの駅で降りるのか見てたら、吉田さんの最寄り駅で降りるじゃないですか」


 三島はそこまで言ってから、ちらりと俺の方を見た。


「その……けるようなことして、ごめんなさい。そこは謝ります」

「いや、別に、まあ……」


 曖昧な言葉しか出てこない。怒りというよりは、焦りの方が大きかった。


「それで、はずみでこの駅に私も降りちゃって、二人の姿追いかけたら、明らかに住宅地の方に二人で歩いてくのが見えたから、ああ、お家に行くんだなって、思ったら……なんか……どうしようもない気持ちになって……映画館行って、観たかった映画観たけど、全然頭に入ってこなくて……」

「ちょ、おい……」


 途中からぽろぽろと涙を流しながら話し続ける三島に動揺して、慌ててポケットをまさぐるが、よくよく考えれば部屋着のまま家を出て来てしまったのだ。ハンカチなど入っているわけがない。

 ついに鼻をぐずぐずと言わせて泣き始めた三島。泣いている女の前に立つ俺。通りすがる人がちらちらと俺を横目に見ていく。


「おい……大丈夫かよ。泣くなって」

「私だって……うっ……泣きたくて泣いてるわけじゃないでず」

「と、とりあえずどっか店入るか?」

「……ホテル」

「は?」

「ホテルがいいです」

「お前な……」

「吉田さん」


 三島は急に俺のシャツをぐいと掴んで、ぐしょぐしょの目で俺を見つめた。鼻の穴から、少し鼻水がのぞいている。


「私とホテルに行くか、本当のこと話すか、どっちかにしてください」


 わけのわからない二択を突き付けられて、俺は困惑する。

 三島とホテルに行かねばならない理由が分からない。俺をホテルに連れ込んで彼女になんのメリットがあるのだろうか。

 しかし、彼女の目はおよそ冗談を言っているような様子ではなかった。

 俺は溜め息をついた。


「分かった、話すよ、話すから。とりあえず涙拭けって。すげぇ顔だぞ」


 俺がそう答えると、三島は思い切り鼻を啜って、「うう」と唸り声を上げた。

 そして、俺のシャツに思い切り顔を押し付けた。


「うわ、なにしてんだお前」


 ぐりぐりと胸に顔を押し付けられて困惑していると、三島はすぐに俺から離れて、それから何故か俺の胸を平手ではたいた。


「涙拭けって言うから」

「いや他人ひとのシャツで拭くなよ」

「吉田さん、喉渇きました」

「……カフェでも入るか」


 溜め息一つ、俺がそう返すと、三島は満足げに頷いた。






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