第五話:すずちゃんがあぶない 後編


 「すず!」

 すずが震えながら掲げていた手が、ぐったりと落ち、びくん、びくんとその小さなからだを突き動かされる様に痙攣させる。夕凪はワームホールを降り、目や口から奇妙な液体を噴き出し続けるすずの身体をひしと抱きしめる。ああ、と悲嘆の息が漏れた。この状況に似た情景をどこかで見た事がある、とも思った。

 続いて司がワームホールから華炎を携えて降りた。すずから強い悪臭がする。すずはかっと目を見開き口をぱくぱくさせて、何処でもない何処かを見て居る。

 すずの異変で、ようやくヒコにもすずの居場所が分かった。

 「あっちか!」

 「行かせるかよこの糞野郎ッ!」

 踵を返そうとしたヒコの背中を、ラグの剣が十字に斬った。霊力そのもので出来ているこの剣は、薊丸の様に相手を弱らせる事が可能だ。ヒコの顔が苦痛に歪む。

 夕凪がゆっくりと振り返った。

 「司。すずを連れて妙月山の泉に行って、すずをそこに浸せ」

 「え?」

 「俺を包んでいる更紗をすずに巻いてやれば、祟り神になる時間を遅らせる事ができる」

 夕凪がすうと立ち上がり、霊体のまま、妖刀夕凪をすらりと抜いた。そしてヒコが乱舞している戦場へと、己も駆けていった。


 当然、突如現れた侵入者の気配にサリエルも気がついた。マシンガンを抱え、こちらに突っ走ってくる長着の男をひたすら撃つ。が、弾丸は呆気なく男の身体をすり抜けた。本体はあの大太刀か。しかしマシンガンで刀に当てるのは至難の業、兎に角数打ちゃ当たる方式でいくしかない。駄目だ。近づいてくる、振り下ろされる、思わずマシンガンの銃身で頭からの一撃を塞いだ。

 「レミー、援護しろ!ラグは絶対にヴァンパイアを山神の所に行かせるな!」

 指示を受けた瞬間、レミーは鹿が跳ねる様にジャンプすると、空中で液状化し、ばさりと妖刀夕凪に覆い被さった。夕凪が振り切ろうとしても、液体金属と化したレミーが重く、巧く刀を振れない。レミーはずるずると刀身を這い、柄の部分に重心を集中させ、身動きを止めた。そこに銀弾のアサルトライフルに持ち替えたサリエルが、怒濤の連射を撃ち込んだ。 ガキン、ガキンと音が公園中に響く。


 司は兎に角の形、妖刀夕凪を包んでいた清めの更紗ですずを巻いて背負った。女の子とはいえ、とてもひとひとり担いでいるとは思えないくらい軽かった。恐らく祟り神になる事で霊体へと近づいていっているのだろう。戦場を迂回する様にして走り、山道に出ると一直線に妙月山に向かって駆けた。暫く公園の山道を駆け下り、警察の封鎖に沿って騒然とこちらを見て居る野次馬の中に、母とコロの姿があって司は肝を冷やした。

 「つ、司!何やってるの!お母さん司が遅いからコロちゃんの散歩に・・・」

 「お袋!コロ借りるぞ!」

 息子に腕を引っ張られ野次馬の中から出た母はきょとんとして、言われるがままに司にコロのリードを手渡した。どうやらすずの霊力が弱すぎて、母にはすずが見えていないらしい。何か荷物の様なものを背負っているとしか認識できない。司はすこし離れた所に行ってコロに経緯を説明した。どうやらコロにも、もうすずは見えない様だ。

 「司の背中のその布の中に、すずちゃんがいるのか?」

 「そうだよ。だから頼む、こないだみたく背中に乗せて山まで走ってくれ!」

 「わ、わかった・・・でもいいのか?昼間だと目立っちまうぞ?」

 司はいい加減苛々してきたのか、物わかりの悪いコロの顔にぐいと顔を寄せ、

 「いーから乗せろ!またすずちゃんになでくりされたいだろ、お前だって!」

 リードをコロの首から取り、おんぶ紐の様にしてすずを身体に括り付け、コロに跨がると、

 「いけコロ!おやつ後で買ってやるから!」

 「お、おう!」




 「まさかそんな・・・老師は街ひとつ潰す気か!?」

 ガブリエイラから告げられたミーシャは狼狽した。十三番目の小隊がある事も知らなかった彼は、自分がまるで老師達の掌の上で踊っているかの様な虚しさを感じた。老師の秘密主義にはほとほと呆れる他ない。

 「俺はよっぽど信用されてないみたいだな・・・」

 ふうと溜息を吐いた。所詮隊長職なんてお飾り、責任の所在としか思っていなかったミーシャにも、矜恃の様なものがある。それががらがらと崩れていくのが悔しかった。ラファエロの密命だってそうだ。自分には何も告げられていなかった。もしマティーナを敵に回さなければ、勝てたかもしれないのに。

 「あなた、少し戦列から離れた方がいいわよ。私はそう思う」

 「・・・」

 沈黙がICUの空気を固める。

 「・・・これが終わったら、老師に直談判しに行くよ。少し疲れたみたいだ・・・寝かせてくれ」

 「ええ」

 キュイ、とリノリウムの床と車椅子のタイヤが擦れる音がして、ガブリエイラがカーテンを揺らして出て行った。ミーシャは何も言わず、点滴のぴた、ぴたと落ちる様をずっと見つめていた。




 戦況は完全にラグとヒコの一騎打ちに持ち込まれていた。サリエルの銃で刀を折るのは不可能に近く、レミーに足止めさせて居るほかない。レミーの力で刀を折れないものか試してみたが、妖刀夕凪の妖力が凄まじく、あまり長い時間刀身に触れているとレミーの霊体エネルギーを消耗してしまう。かと言ってサリエルが妖刀を奪って己の物にするには、妖刀夕凪は強すぎる。恐らく精神を乗っ取られて気が狂って終わりだろう。霊体を安全に斬れるのはこの場ではラグしか居ない。ラグが早くヒコを再起不能にしなければ、戦況は変わらない。

 「いい加減ぶっ潰れろや、この餓鬼!」

 罵声を吐いてラグが斬り込みにかかる。セルジュの羽で飛んで躱したヒコを追いかけ、ラグもブースターを作動させ、宙を跳ねた。が、跳ねたその先に待っていたのは、今度は垂直に加速をつけて飛び降りてきたヒコの海嘯だった!ザシュッ、と音を立て、ラグの左手が縦一文字に切り裂かれた。特に手首の出血が酷く、血糊がぼたぼたとグラウンドの地面に落ちて吸い込まれていった。

 「あああああッ!!」

 地面に降り、左手首を掴んで蹌踉めいたラグに追い打ちをかける様にヒコも着地し、

 「餓鬼はどっちだ、五十年も生きておらぬ若造が!」

 振り下ろされた海嘯を何とか右手の剣で防ぎ、ラグはその切れ長の瞳でヒコを強く睨むと、ブースターを全力にして旋回、油断したヒコの脇腹を抉る様に蹴った。ヒコの口から痛々しい咳が漏れ、その場に倒れ込んだ。

 「・・・っ畜生、なめやがってチビ爺が!五百年も七百年も長生きした様な爺はとっとと成仏しろ!!」

そして再びサマーソルトの様に、倒れているヒコの顔面を回転して蹴り上げた。軽いヒコの身が二メートル程吹っ飛んだ。それだけでは飽き足らないのか、止めを刺すつもりか、

 「その首かっ斬ってやらぁ、死んでろ!」

 ブースターで一気に間合いを詰めると、ヒコの首を一刀両断にしようとした、その瞬間、

 「いい加減にしなさいよね、この女男!」

 腰に差したままだった薊丸から、二本の蔦が物凄い勢いで伸び、あっという間にブースターのついた脚を絡め取った。ラグは中空でつんのめった形になって、どさと地面にその身を擲った。

 「・・・てめー今女男つったな?」

 ぎりぎりと脚を締め付けられ激痛が走っている筈なのに、顔を挙げたラグは激怒の表情をその綺麗な顔に滲ませ、匍匐の形でじりじりとこちらに近づいてくる。だがそんな物で怯む度胸の小さなデュファイではない、蔦を振り上げラグの細い身を宙に浮かすと、またビダンと地面に叩きつけた!その衝撃で、具現化していた脚部のブースターが音を立てて砕け散った。

 「黙ってなさい、これ以上若には触れさせないわ!秘宝の力、なめるんじゃないわよ!!」

 これでは埒があかない。サリエルは妖刀夕凪の足止めをレミーに一任すると、ラグの援護に駆けだした。

 「う・・・」

 「若、起きて!デカブツが来るわよ!」

 相手は間合いを詰めてくる。恐らくゼロ距離でマシンガンをぶっ放し、ヒコの頭を打ち砕く心算だ。デュファイはラグを掴んだまま、蔦をサリエルに向かってぶん回した、が、巧く躱された。その勢い、ラグは中空高く放り投げられ、飛ぶ霊力もないままどさりと地面に落ちた。あの出血では恐らくもう動けまい。ブースターもデュファイの蔦で締め付けられ、粉々にされている。もう一度ブースターを作り出す霊力もないだろう。

 「化け物がなめんじゃねえぞ!」

 蔦目掛けて小脇に抱えていたアサルトライフルを乱射する。そのうちの一発が蔦の一本の根元に当たりぐにゃりと力を無くした。デュファイの悲鳴が木霊する。しかしもう一方の蔦がサリエルの胴体を捕らえ、ぶんと振り回し逆さ吊りにした。だがサリエルも射撃を止めず、ヒコの頭上に銀弾の雨を降らせた。咄嗟にセルジュが己の羽でガードしなければ、ヒコが蜂の巣になるところであった。

 一方レミーは何か変な感じを覚えた。頭が段々ぐらぐらするというか、ふらふらするというか、ぼやけてゆくというか。レミーの液体金属の下でしっかと妖刀夕凪の束を握りしめたままの夕凪が、徐々に姿を変え、何という事か、サリエルの姿に変化した。

 「レミー、何をやってる!さっさとヴァンパイアを片付けにいけ!」

 「え?え?」

 レミーに感情と自立思考があるが故の罠だった。例え相手が金属でも、相手に「仮初めでも心があれば」夕凪の幻惑は通じるのだった。一応の形、上官であるサリエルの命令を第一に動く様プログラミングされているレミーは困惑の心を持ちながらも元のレミーの姿に立ち戻り、妖刀夕凪を持ったまま力なくふらふらとヒコの元・・・本物のサリエルの居る場所を目指して歩き始めた。霊力が妖力に浸食されてゆく。正気(?)が狂気へと変貌していく。

 急に目の前が真っ暗になった。視覚を妖力でふさがれてしまったのだ。

 「・・・あれー?サル、サルどこだよぉ、何だよこれー!」


 夕凪はレミーの中に潜り込み、その感情と思考と記憶の構造に慄然とした。この金属の塊には「悲しみ」と「恐怖」が無い。思考はやや子供っぽい所もあるが、きちんと成り立っている。そして記憶。なんとこのアンドロイドには記憶があった。普通の子供として産まれ、普通の子供として育ち、友人達と遊んだり、学校の勉強で忙しくしたり、そんな「普通」が存在していた。その異常さに興味を持ったが、今はそれどころではない。再び夕凪はレミーの視界をこじ開けた。


 「あー!チビ居たぁ!」

 妖刀夕凪を振り下ろした先は、デュファイの蔦にグルグル巻きにされ身動きが取れなくなったサリエルの真っ正面であった。デュファイが蔦を放すと同時に、

 「ばっ、馬鹿野郎ッ!!」

 レミーの持つ妖刀夕凪が、サリエルを袈裟懸けに斬った!大量の血を噴き出し、その場に頽れたサリエルの血を浴びて、レミーはケラケラと笑った。

 「やったぁ!オレがチビやっつけたぁ!」

 レミーの哄笑のみが、その場に響き渡っていた。暫くして、レミーの霊力も完全に尽きたのか、どろどろと身体が瓦解し始め、くしゃくしゃになった服の下、銀色の血だまりを形作った。




 自分がやらなきゃこの人たちは全部消し飛ぶんだ、そう思って司はコロの背中に掴まっていた。そう思えば奇異なものを見る人々の目も気にならなかった、というよりそれどころではない心境だった。背中のすずは妙月山に近づく毎に段々と震えが小さくなってゆく。これは回復の兆しと取っていいのだろうか。

 庵の傍に、更に上へと登る獣道があるのを司は発見した。殆ど勘で、これが泉への道だと思った。コロから降り、すずを背負って獣道をゆく。

 それは静かに、そこに存在していた。ちろちろと水の流れる音が、一層の事静寂を際立たせていた。更紗を剥ぐと、むっとした悪臭が司の鼻を襲った。すずの肌は土色に変化して、目や口から溢れだしていた液体はすずの紫色の着物を毒々しい色に染めていた。悪臭で吐きそうになるのをなんとか堪えてすずをゆっくり抱きかかえ、泉の中に沈める。真っ青だった泉の色が、濁った赤に染まってゆく。すると、信じられない光景が司の前に広がった。すずの手足から蛭の様な物質がぬるぬると這い出て来て、泉の水に溶けてゆく。それは恐らく、身体中に溜まった毒素が毛穴から抜け出ていっている証左なのだろう。

 ふと見ると、森に住まう獣達・・・猿や猪、鼠や鹿などが泉をひっそりと木陰から見守っていた。悪意は感じられない。その獣達の誰もが、己の住む山の神の安否を気遣っていた。

 司は片手ですずの身体が浮かない様に軽く抑え、もう片方の手で顔にこびりついた液体の塊をそっと拭ってやった。生気のなさは相変わらずだったが、もう痙攣も止まり、その表情は幾分か安らかに見えた。

 と、その時司の携帯が鳴った。見るとヒコからの着信だった。

 「ヒコ?そっちは無事なのか?」

 『ああ、なんとか大丈夫なのだ。だがセルジュが酷い怪我を負っておる、歩いていくしかあるまい。少し時間がかかりそうなのだ。・・・すずは無事か?』

 「なんとか泉を見つけて、夕凪さんが言った通り沈めてる。間に合ったみたいだ」

 ヒコはやや間を置いて、

 『・・・とにかく、今からそっちに行くのだ』

 ヒコの声は、どこか涙に濡れている様に聞こえた。




 うーん、と、小さくうなり声が聞こえた。カーテンに遮られ見えないが、どうやらウルが目を覚ましたらしい。

 「・・・ウル?」

 暫しの静寂の後、

 「・・・ミーシャ?そこにいるのか?」

 「ああ、居るよ。大丈夫か?」

 「あんま・・・うまく喋れねえ。・・・ラファエロは?」

 「無事だそうだ。ガブリエイラの方は車椅子で動けるまで回復してるよ」

 「そっか・・・」

 そうしてまた二人、押し黙った。先に口を開いたのは、ウルだった。

 「俺、チャーチ戻るわ」

 「え?」

 「全部・・・さっきガブリエイラが言ってた事、聞いた。・・・おめーを無碍にする連中の中に・・・おめーだけほっぽる訳にゃいかねーだろ」

 「・・・そうか。ありがとう」

 そう言った瞬間、がらがらとICUが騒がしくなった。

 「ベッドふたつ、準備できています!」

 「すぐに心肺蘇生に入れ!君は縫合の準備を!」

 どうやらふたりほど、患者が増えたらしい。




 泉に着いたヒコと夕凪は、すずの様子と司の証言に絶句した。まさに祟り神になる一歩手前の状況だったのだ。まさかそこまでとは思わず、ヒコは慌てる司を尻目に、ぽろぽろと涙をこぼした。

 「ヒコの・・・ヒコのせいなのだ」

 泉に浸かったままのすずを見て、段々と感情が抑えられなくなってきたのか、仕舞いには暗くなってきた天を仰いで号泣し始めた。

 「ヒコのせいなのだ!またととさまと一緒なのだ!ヒコのせいで、ヒコの・・・」

 「・・・ヒコ」

 司は思った。こうやってヒコは、どれだけの間大事な人を失いかけたり、実際に失ってきたのだろう。五百年の間放浪し続けていたというのも何処か納得できる気がする。人に感情を寄せたくないから、大切に思った人を失う悲しみを味わいたくないから、諸国を回って見聞を広げる一方、大事なひとから逃げてきた。

 終戦と同時に外国人が出入りし始めるのを警戒して眠りについたヒコは、今回目覚めて、やっと日本からチャーチの陰は消えたと思っていた。だが違った。事態はより重くなってきていたのだ。

 「・・・泣くな。すずは無事で済んだんだ」

 「でも、でも・・・」

 「俺は怒ってねえ。チャーチじゃなくても人間たぁそういうもんだ。この山だって何度も切り開こうとする輩からすずが護ってきた。大事なもんを抱えてるのは悪い事じゃねえ」

 ぽん、と夕凪の手が、涙に頬を塗らしたヒコの頭を軽く叩いた。

 泉を覗いたコロは、恐る恐る、具現化している夕凪に尋ねた。

 「あのさ、すずちゃん、いつ怪我治るんだ?」

 「そうだな・・・最低三日はかかると思っていいだろうな」

 「またすずちゃん、オレのことなでくりしてくれるよな?」

 余りにも阿呆な質問(コロは真剣そのものだが)に、夕凪はランタンを手に踵を返して庵に向かった。慌てて二人と一匹もついてゆく。静謐の中、すずの安らかな寝顔が、宵の暗闇に飲まれていった。




 次の日、ヒコはオーピック邸を司と共に菓子折を持って訪ねた。第七小隊戦の礼と、傷の治療を頼みに。

 「へぇ。感情を持つアンドロイド?」

 上半身裸にしたヒコの背中に消霊液を塗ってやりながら、興味深そうにマティーナは問うた。

 「うむ。自分で状況を判断でき感情を持つ液体みたいな金属なのだ。ヒコに変身しおったのだ」

 「液体金属か・・・あれが実戦配備されるとはね。チャーチも流石だ」

 「馬鹿者。敵を褒めてどうする」

 司は応接間のテーブルで、この街の名産菓子「呉倉日記」を頬張りながら、茶を啜ってヒコとマティーナの会話を聞いていた。詳しい戦闘の経緯は、司も知らない。ヒコの語る人間離れしたチャーチの能力を聞きながら、よく自分もあんな戦場から離脱できたものだと思っていた。

 「あとマティーナ、貴様にセルジュの治療も頼みたいのだが・・・」

 「Veuillez ne dire pas de chose stupide!こっちだって全治一週間なんだ、よしてくれ」

 「そうか、なら別にいいのだ。ところでエミリオは直りそうなのか?」

 エミリオの名が出た途端、マティーナの顔色がさっと暗くなった。どうやら巧くいっていないらしい。

 「どうにも人工皮膚が足りなくてね。司、君の尻の皮、分けてくれない?」

 突拍子もない頼みに、ぶっ、とまずい茶を吹いた。 どうやらマティーナは茶を煎れるのは下手らしい。

 「ななななんでっすか!?」

 「冗談冗談。C'est une blague、君の尻の皮を兄さんの顔に使うなんてとんでもない」

 はは、とヒコは笑って・・・何かを思い出した様に、司に問うた。

 「そういえば司。この辺りに玩具屋か何かないか?」

 「おもちゃ屋?・・・あ、すずちゃんに何か買ってあげるんだ、ヒコ」

 感づいてニヤニヤしている司とマティーナを見て、顔を真っ赤にしてヒコは俯いてしまった。そういえばヒコはモルクワァラを現金化したとルルが言っていた。事件が起こる前から、何か買ってやる心算だったのだろうか。珍しい事もあるものだ。と言っても、ルルの空間移動代で半分近く無くなってしまったのだが。

 「ヒコがおもちゃ屋に行って何が悪い!」

 「山神の誕生日かい?赤い薔薇百本じゃ一万円じゃ足りないよ、ヒコ」

 「一日中畑いじりばっかりしておるあ奴に花を贈ってどうする!もっとこう、なんか・・・」

 女の子の喜びそうなもの。司にもわからないし、マティーナは女には興味はないから(同性愛的な意味ではなく、自分の兄だけしか頭にないから)わからない。




 第七小隊の戦闘から一週間、ラファエロが動ける様になってから、チャーチの面々の回復はスピードを増した。医者も驚くほどの回復力を見せ、各々が各々の病室に移る事になった。

 先に退院していたガブリエイラがその日訪ねたのは、ミーシャではなくサリエルであった。サリエルの意識が回復したと聞き、暇を潰すものを病院の本屋で探し、ナンプレ?とかいうパズル雑誌を買い、病室に向かった。

 サリエルの傷は深かったらしく、また妖刀に斬られた事もあって、ラファエロの手でもなかなか治癒が進まなかった、とラファエロ自身がぼやいていたのを思い出し、眠っていたら失礼だなと足音を殺して静かにカーテンを開けた。

 サリエルは上半身を少し起こして、窓の外を見ていた。そういえば今日は雪が降っている。ガブリエイラの気配に気付き、顔を見て、照れくさそうに笑った。

 「やられたよ。完敗だ」

 あっけらかんとした物言いに、ガブリエイラも苦笑した。傍にあった椅子を取り腰掛けて、サリエルの顔をじっと見て、

 「山神に迂闊に手を出すからですよ」

 「あの馬鹿が妖刀にやられたからだよ。あれがなければ・・・」

 「サルーっ!!」

 叫び声と同時にバカンとカーテンが開けられ、第十三小隊のチビが乱入してきた。呆気にとられているガブリエイラを無視してサリエルに飛びつき、傷口のある胸板にうりうりうり。

 「目ぇ覚ましたんだな、生きてたんだな、よかったよぉ!オレサルの事殺しちまったらどうしようかと思ってたんだよぉ、よかったー!」

 「ばっ、痛い!痛い痛いレミーそれ痛い!」

 「・・・馬鹿が」

 レミーの傍にひっそり立っていたのは、ガブリエイラと同じくらい、否、ガブリエイラより線の細い綺麗な顔立ちをした第十三小隊のラグ。片手に自分用の紅茶が入った売店の袋を持っている。どうやら歩けるまでには回復しているらしい。

 「なんだ、意識が戻ったと思ったら恋人といちゃいちゃしてる所を邪魔したか?あ?糞隊長」

 「恋人なんて軽々しい言葉使わないでくれる?私は恋人じゃない、師匠の直弟子よ」

 「成る程な。おめーも馬鹿って事か」

 綺麗な顔しておいて毒ばっかり吐く奴だ。毒ならいくら吐かれても平気だが、自分より綺麗なのが癪に障る、何故か。ガブリエイラだって女の子。

 「さっき老いぼれから連絡があった。暫く七人体制で日本に滞在しろ、だと」

 「日本に?まだミッションがあるのか?」

 「俺が知るかよ。兎に角日本に滞在、ヴァンパイアを監視せよ、だとよ」

 それだけ言って、ラグは自分のベッドに戻ってしまった。ガブリエイラはまだ騒いでいるレミーを見た。こんな見た目少年兵にしか過ぎないやつが、まさか液体金属で出来ているアンドロイドだとは。師匠も碌でもないやつばかり押しつけられたものだ。ミーシャも老師から信用されず可哀想だと思ったが、師匠も信用されすぎてこんな羽目に陥るのだから、全く老師とはひとの事を駒としか考えてない様だ。師匠は自分の命を賭けてまで戦った、というのに。


 その日ヒコはデパートの袋を持って、すずの庵を訪ねた。毒素は抜けた様だがまだ身動きがうまくできないのか、布団を敷いて寝ていたすずはヒコの顔を見て微笑んで身を起こそうとしたが、

 「馬鹿者、まだ動くな」

 「だってうれしいんだもの。ヒコちゃんきてくれるの。コロちゃんから聞いたんでしょ?」

 コロは散歩の度にすずの庵に寄って、司に頼んで夕凪からすずの様子を聞いてもらっていたらしい。意識が戻った、とコロから聞いて今日ここを訪ねた次第である。

 「ほれ」

 つっけんどんにヒコから突き出された、デパートの紙袋。

 「開けていい?」

 何故か顔を真っ赤にして、こくりと頷いた。すずは覚束ない手で包装紙を解き、真っ白な箱を見た。

 「なあに、これ?・・・わぁ!」

 水晶で彩られた、手鏡。プレゼントの意味がわからず、ヒコと手鏡を交互に見て、

 「こないだ貴様の誕生日だったろう。たまにはいいだろうなのだ」

 「うれしい!ヒコちゃんだいすき!」

 手鏡を枕元に置き、正座していたヒコの手を、すずの小さな白い手がぎゅっと握った。雪がしんしんと降り積もる中、ばかもんやめろ寝てろと慌てたヒコの声が、庭の畑にまで響いた。

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