第五話:すずちゃんがあぶない 中編


 ヒコが急かす様にセルジュに叫ぶ。

 「何をやっておるのだセルジュ!人間如きに遅れをとるほど老いぼれではあるまい!」

 大きな羽をバサバサと忙しくはためかせながら、セルジュはある不審を覚えていた。

 「坊ちゃま、あ奴めどうやら儂の間合いを一定に保ちながら飛んでおる様ですぞ!」

 こちらをちらちらと振り返りながら飛んでいる相手は、全力で逃げているというより、むしろ引きつけるペースで速度を緩める。セルジュが疲れてはためきを緩めた瞬間、相手もスピードを落とした。

 だがヒコは、セルジュに全力飛行を命じた。

 「馬鹿者!あの人間はすずを山から引き離す方向に進んでおるのだ!下手すると祟り神になってしまうのだ!いいから全力で追え!」

 主の罵声を受け、セルジュの翼が大きくはためいた。


 すずがさらわれた、兎に角誰かに連絡を取らなければならない・・・恐らく相手はチャーチだろう。チャーチに関しては夕凪にはすずほどの知識しかないのでよくはわからないが、チャーチだとしたらヒコにすずの奪還を頼むしかない。夕凪は久々に己の身体を足先まで具現化させ、囲炉裏の傍においてあったままのすずの携帯電話を握りしめると、すずが「山道をずっと下ったすぐそこ」にあるという酒屋へと走った。夕凪には携帯の操作方法がわからない。人間ならば、何かわかるかもしれない。そう思っての事だった。

 酒屋は山道の入り口に、ぽつねんと建っていた。中に入ると、すずがいつも持ってきてくれていた銘酒が所狭しと並んでいた。背の低い壁(夕凪はそれがカウンターという名称だと知らなかった)の奥に、幽霊の様にひっそりと座っていたお婆さんが、夕凪の長着の格好を見た途端、くわと目を見開いて、

 「ま、まさか・・・山神様のとっと様でございましょうか?」

 「ああ、そうだ。頼みがある。・・・手を合わせないでくれ、成仏しそうだ。疲れてんだ」

 南無南無と唱えながら両手を擦り合わせて夕凪を拝んでいるお婆さんに、携帯の使い方がわかる人間はいるかと尋ね、七、八回拝むなと頼んで、その雰囲気に呼ばれたのか、店の奥から中年の女性が出てきてあっと声を挙げて、こちらも床の間にすっと正座して南無南無言い始める。

 「あー・・・頼むからそれはやめてくれつってんだろ・・・。すずの携帯、使える奴は居るか?」

 「は、はい・・・私めが山神様に献上したものですから・・・」

 「じゃあ、これで司という奴に電話してくれねえか。俺にゃさっぱり分からねえ」

 携帯をおばさんに渡し、恭しく礼をされた夕凪。

 「あ、もしもし、こちら山神様にお世話になっております妙月酒屋のものですけど・・・」

 どうやら電話が繋がったのか、また恐る恐る夕凪に携帯を手渡す。喋り方はすずの見よう見まね。

 「司、俺だ。夕凪だ」

 『ゆっ、夕凪さん!?なんで夕凪さんが電話なんか・・・』

 電話口から慌てた司の声が響く。どうやら下校途中らしい。

 「いいか。すずがさらわれた。ヒコに助けに行く様言ってやってくれ」

 ばたん、どたどたどた、と電話口から物音がする。司はこのとき家に着いて、ただいまも言わず二階の自室へと向かっていた。そして自室を覗いて、

 『夕凪さん・・・もうヒコは追いかけに行ったみたいです』

 よほど慌てていたのかエアコン付けっぱなし、窓から飛び出したのか窓も全開。司は無意識に、ベッドの脇に立ててある華炎に手をやっていた。

 「・・・そうか。わかった。じゃあ切るぞ」

 そうして緊張した面持ちで待っているおばさんに再び携帯を手渡し、通話を切ってもらうと夕凪は溜息をついた。ヒコがうまく助け出してくれるといいが。何も出来ない、出来なかった自分に腹が立った。




 妙月山より街一つ隔てた所に、開発もすっかり済んで山神のいなくなった小さな山がある。その中腹、市民公園広場には悲鳴が響いていた。

 「こちらは警察です!市民公園高台付近から爆発物らしきものが発見されました!除去作業を行いますので、市民の皆様はただちに避難してください!こちらは警察です!」


 高台には、爆発物除去車に偽装したチャーチの車が居座っていた。爆発物と警察が判断した小型コンテナを詰んだトラックの上で、レミーが逆立ちして遊んでいる。サリエルは警察の指揮官らしき人物と何やら話し合っている。

 チャーチの権力は至る所に及んでいる。県警に頼んで市民を避難させる事など、老師の命令があれば朝飯前の仕事だ。

 「レミー、避難させたとは言え何処から誰が見て居るか分からないんだぞ、勝手に遊ぶな!」

 「だーってラグがやまがみ連れてくるまでオレ暇じゃんかよぅ」

 よっ、と声を出してコンテナから降り、レミーは何の警戒心も抱かずコンテナを開いた。

 「爆発物、ねぇ・・・間違っちゃいねーや」

 中にはぎっしりと、重火器やロケットランチャー・・・まるでこれからここで戦争でも始めるかの様な類いの装備が入っていた。サリエルが持ち込んだ装備だ。装備に触ろうとしたレミーを、戦いやすい様にコートの前を開けて革のグローブを手に嵌めながらサリエルは浅く溜息を吐き、

 「勝手に触るんじゃない。弾けて飛ぶぞ、その身体」

 「弾けたって元に戻りゃいい話じゃん!」

 ケラケラ笑いながら言う。全く、老師も珍妙な部下ばかり自分に押しつけてくるのだからたまったものではない。と、その時サリエルの耳に嵌められていた小型の無線機から、ラグの声が響いた。

 『着くぞ。準備できてんのか糞野郎』

 「ああ、避難は終わった。警察の封鎖も完了だ。出だしはブリーフィング通りに」

 『了解。まぁ誰が居ようがやばけりゃ口塞ぎゃいい話だ』

 「馬鹿野郎。一般人は巻き込むなよ」

 サリエルは上城家の方向へと目をやった。きらりと何か飛んでくるものが、ふたつ見えた。急いでコンテナの前に立ち、ロケットランチャーを取り出すと、肩に担ぎ、狙いを定める。


 ラグはすずを抱えたままくいと一度、ヒコを振り返った。鬼の形相でこちらを睨んで追いかけてくる。怒りと焦りで、普段の判断力を失っているのは明らか。ラグはニヤと唇を歪め、再び前を向くと、今までの煽る様なジグザグ飛びをやめ、一直線に駆ける様に飛んだ。

 「坊ちゃま、様子がおかしいですぞ、お気を確かに!」

 「うるさい、わかっておるのだ!・・・、・・・!?」

 目の前の黒い影が、ふいと消えた。否、消えたのではなく、中空を蹴る様にして急上昇したのだ。ヒコが危ないと感じ、セルジュもまた上昇しようとした、が、

 「若、危ない!」

 気付けば目の前に、巨大な弾頭が襲いかかってきていた!


 「ひゅー、百発百中!」

 コンテナに座って居るレミーが、中空で弾けたロケットの爆発を見て手を叩いた。が、撃った張本人のサリエルは。

 「さ、サル?」

 「・・・ふふ、ふふっふふふっふ」

 俯いて上半身を屈め、不敵に笑っている。表情は窺い知れない。そうしてしばらくして顔を挙げ・・・けたたましく嗤いながら、レミーに叫んだ。

 「レミー!弾ァ持ってこい!俺の足下にありったけ置けえええ!!」

 急に叫ばれたものだから、レミーは目を丸くして身を竦めてしまった。が、すぐにコンテナの中から適当な重火器を見繕って抱え、サリエルの元に走り、がっしゃんがらがらと彼の足下に撒いた。

 「い、今殺ったんじゃねえのかよぉ!」

 「馬鹿野郎、あんなもん一発でやられる位なら第七小隊でカタぁついてんだろうが!」

 サリエルの言う通り、空から紫色の塊が降ってきて、地面に激突するかと思うと華麗に受け身を取ってヒコはサリエルとレミーの手前百メートルくらいの地点に着地した。

 「セルジュ!回復まであとどれくらいかかる!?」

 セルジュが咄嗟にヒコの全身を覆い、爆発からガードしてくれていたお陰でヒコは殆ど無傷だった。だが銀の詰まった砲弾に直撃を受けたセルジュのダメージは大きく、暫く飛ぶ事は出来なさそうだ。

 「五、六分と言った所ですじゃ!何、老いぼれとは言えやるときはやりますわい!」

 その時レミーの瞳が輝いた。「コピー」するなら今だ。思うが早くレミーはよろよろと立ち上がったヒコに向かって猛ダッシュで近づいてくる。

 ヒコは「そいつ」に違和感を覚えた。人間なら多かれ少なかれ誰でも持つ霊力の陰りが、あのバンダナの派手な服装の少年兵からは感じられない。まさかと思いつつ、激突する寸前で海嘯を抜いて構え、走ってきた所を串刺しにする。その心算だった。だが相手は海嘯を見てもスピードを緩めることなく、むしろ体当たりする勢いでヒコにぶつかってきた!

 「おのれ小僧が!」

 海嘯は真っ直ぐに、少年の鳩尾を貫いた。が。手応えがない。まるで豆腐に釘を刺したかの様な感覚。

 レミーはニヤと笑い、

 「んじゃちょっと息苦しいかもしんねーけど!」

 それはヒコの想像の範疇を超えていた。突然服の下の生身が銀色に輝いたかと思うと、ぶわりと膨れあがり、ヒコの身に泥の様に覆い被さってきた。

 「なっ!?」

 腕と足を絡め取られ、ずるずるとヒコの全身を銀色の液体が覆ってゆく。液体はヒコを覆った口から金属の様にまた凝固し、身動ぎを許さない。液体は胴を固め、遂には首にまできて、ヒコの頭まですっぽり覆ってしまった。そのまま一分ほど経ったところで、金属はまた液体に戻り、どろどろと元着ていた服に収まっていく。息苦しさと銀の匂いに咽せて踞ったヒコが、力を込めて顔を挙げると、

 「コピー完了っとぉ!」

 そこには薊丸を携えてチャーチの衣服を着たヒコが立っていた!

 「きっ・・・貴様何をした!」

 「だァから言ってんじゃんかよぅ、コピーさせてもらったんだって!」

 ヒコと同じ顔をしたチャーチのヒコが、薊丸でヒコを袈裟懸けに切り裂いた。寸での所で斬撃を躱そうとしたが躱しきれなかったヒコの胸から浅く血が漏れる。しかし薊丸にも妖力は感じられない。

 どうやら相手は・・・。

 「若、こいつ新手のロボットよ!」

 「おいおい、アンドロイドって言ってくれよぉ、そんなだっせー名前じゃなくってさぁ!」


 それを中空にとどまり見届けていたラグは、頬を痙攣らせ、大きく舌打ちをした。またあいつの悪い癖が出た。レミーはチャーチの科学院で開発された、自立思考や感情を持つ液体金属アンドロイド。命令に従い、液体状になって足下を固めてくれていればこちらの仕事も楽なものを、どういう訳か戦う相手をコピーし全く同じ姿になって、同じ戦闘スタイルで戦うのが好きらしい。勿論レミーはラグの姿もコピーしているのだ

から、二人同時に戦えば有利に進められる、が、それもしない。

 作られた動機が動機だから、仕方ない話なのかもしれないが。

 と、ふと自分が抱きかかえている山神に目をやった。顔色が段々と青ざめてきて、小さな唇から漏れる息も苦しげだ。兎角自分も早いところ山神を何処かに置いて、戦闘に加わらなければならない。

 ラグはヒコとレミーの戦闘範囲から少し離れた木陰にすずを置いて、くるりと振り返ると、何をか外国語で唱え、手を胸の前でクロスさせた。瞬間、ラグの腕に、脚部のブースターと同じく青白く輝いている小手が現れ、ジャキンと音を立て、小手から大ぶりの片手剣が一対ずつ伸びた。そしてブースターを作動させ、地面を蹴る様に戦闘範囲に飛び込んだ。

 置いていかれたすずは、ひゅうひゅうと弱々しく呼吸をしている。その合間に、譫言の様に、ヒコちゃん、とっと、たすけて、と、呟いていた。

 レミーの眼前を、青白い光が横切った。

 「邪魔すんなよぉ、ラグ!」

 ヒコの胸元を、純粋な霊力で形作られた剣が薙いでいった。ヒコは思わず呻き、背後に蹌踉めき光の行く先を見た。すずを連れ去った女の様な男が、ブースターで急停止すると、くるりと中空に僅かに浮く形で再びこちら目掛けて飛んできた!今度は真っ正面から海嘯で相手の両手の剣を受け止めた。

 「ラグ!レミー!」

 若干の遠くから聞こえてきた声。それを合図にするかの様に二人はヒコから少し離れた。

 その瞬間、ガブリエイラの射撃とは比べものにならない威力の銀弾がヒコ目掛けて飛んできた。見ると眼帯の男がこちらに片手ずつ機関銃を抱えて撃ってきている。あんなものに当たったら大変、と、思わずわわっと声を挙げ、ヒコは地面すれすれまで体勢を落とした。頭の上を大口径の弾丸がダダダダダ、と音を立て飛んでゆく。

 「相手は三人か・・・くそっ!」

 早くこいつらを蹴散らして、すずを妙月山まで連れていかねばならない。すずの姿はここからでは見当たらないし、神通力も微かで場所まで把握できない。




 司は慌てて華炎を竹刀入れに入れると、自転車を全力で漕いで妙月山の山道を走った。兎に角夕凪に会わないと、その一念しかなかった。夕凪なら、もしかすると意外な形ですずの居場所がわかるかもしれない。

 庵の前に自転車を放り投げ、ばたばたと靴をほっぽらかす様に脱いで囲炉裏に上がり込んだ。そして妖刀夕凪の前の座布団に腰掛け、正座すると、

 「・・・やっぱり来たか」

 司が声を挙げる間もなく、夕凪の方から姿を現した。酒は飲んでいなかった。

 「夕凪さん、俺、今からヒコに電話かけます!その電波を感じて居場所を突き止める事はできませんか」

 だが夕凪は目を瞑り、首をゆっくり横に振った。

 「携帯電話の電波なんてそこら中を飛び回ってやがる。その中からヒコの物だけ探し出すのは無理だ」

 「そんな・・・でも、何かしないと・・・!」

 司は無念を感じ、膝の上の両の握り拳に力を込めた。夕凪は煙管の灰を灰入れにことんと落とし、何をか考えた後、少し悔しそうに、呟く様に言った。

 「もし俺達にすずの居場所が分かるとしたら、そいつぁすずが祟り神になりかけの時だ」

 「え?」

 「今すずはかなり衰弱している筈だ。多分近くに居るだろうヒコにも居場所が分かんねー位な。でもな、今のすずは火縄銃の導線に火が付いている状況だ。火薬まで火が及べば、

 バチンと爆発する。ここにいても分かる位どえれー爆発が、な」

 慌てて司が問う。

 「でっ、でもそうなったら祟り神になってお終いじゃないですか!」

 「ああ、そうだ」

 夕凪は間を置いて、悔しさを滲ませて、

 「つまりヒコがすずをここに連れてこない限り、俺達にゃ何にもできねえ」

 ふたり、思い悩む。暫しふたり無言で・・・その時、司はあっと声を挙げた。

 「夕凪さん!俺、ヒコの居場所に連れて行ってくれるひと、知ってます!」

 夕凪の目が、くわと見開かれた。




 「山神を人質に取っただと!」

 緞帳の奥、執務室にて第七小隊老師の叫び声が響いた。もう一方の老師は、あまりの大声に耳を両手で塞いだ。

 「貴様・・・チャーチを人質を取る様な卑劣な組織に貶める心算か!」

 「何を言っておる。お前さんの第七小隊はその山神に潰されたんじゃよ。危険を取り去る事は罪にはなるまい」

 「しかし祟り神にでもなってしまったらどうする!」

 第十三小隊老師は、己の片割れの顔をじっと見つめて・・・嗤った。

 「祟り神になれば、ヴァンパイアも殺せるじゃろうな。儂等の手を汚さずして」

 「きっ、貴様・・・ヴァンパイアを殺す為なら大勢の無辜の人間を犠牲にしてもいいと言うのか!」

 「何を言っておるのかさっぱりじゃのう」

 怒りに震える手を押さえ、強くこちらを睨み付ける老師に、飄々と答えた。

 「儂等の生きる意味を忘れたのか?人間なぞ所詮徒花、ひとが住めなくなる地が増えるだけじゃよ」




 妖刀夕凪を背負って自転車を漕ぐのは難儀な事だった。何しろ長すぎる。下手すると地面で擦って傷でもつけてしまいそうだ。更紗に巻かれた夕凪は、妖刀の中に入ってじっと黙っている。何しろ山から出たのは数百年ぶりの事なのだ。一面に広がっていた畑や田んぼや藪は全て開拓されて西洋式の住宅になっており、その光景は幾分かの郷愁と多少の怒りを覚えるものであった。もしすずの山がこんな風になってしまったら、自分はどうなるのだろう。また人を斬る狂った妖刀に立ち戻ってしまうのか。

 司の自転車が止まった。玄関先の庭には、見覚えのある犬がいる。司は乱暴に靴を脱ぎ、ただいまも言わず妖刀夕凪を抱えて自室まで走った。

 そして部屋の中央に立ち、

 「えろいむえっさいむ!」

 妖刀の中でそれを聞いていた夕凪は、突拍子のない司の行動に唖然とした。・・・そして暫し間を置き、

 「悪魔生協お呼びでございますかぁー!?」

 相変わらずの挨拶を叫んで、机の引き出しの中からルルが飛び出てきた。が、ヒコが居ない事を不審に思ったのか、

 「あら・・・ヒコ様は?それにそちらの方、お会いするのは初めてでしょうか?」

 夕凪に向かってペコリ一礼。自転車を全力で漕いで息荒く肩を揺らしている司が、ルルに問うた。

 「ルルさん!今ヒコが何処にいるか、悪魔生協ならわかりますよね!」

 問いの意味が判らなかったのか、二度瞼をぱちくりさせて、

 「も、勿論ですわよ?我が悪魔生協の力を持ってすれば楽ちんぷいですわ」

 司の目に、希望の光が灯った。

 「でもってルルさん、何処にでも行く事ができるんですよね!」

 ルルは司の企みを理解して、・・・にこりと笑った。

 「勿論任意の場所に皆様をお送りする事も可能ですわ。でもちょっとお値段の方が・・・」

 「う・・・どれくらいかかるんですか?」

 鞄の中からサービス料金表を出して、ルルはうーんと唸った。司と夕凪は、黙って見て居るだけ。電卓を取り出し何やら計算しているルルを見て居るしかない。

 「そうですわねぇ・・・場所追跡が五千円、お二人分の移動料金で七千五百円・・・その他私の随行オプションを含めて・・・。

 占めて一万七千になりますわ」

 電卓を司に見せて、また微笑む。司は額の大きさに青ざめている。

 「あ、後払いじゃ駄目なんでしょうか・・・」

 「申し訳ございません、前金制なんですの」

 しかしルルは何やらチェックシートを取り出して、司に恭しく鉛筆と共に手渡した。司がよくよく見てみるとそこには何やら、服用している薬はありますか、血液の病気にかかった事はありますか、等と書かれている。まるで献血シート・・・。

 「そこの妖刀様が我が社と契約していただければ、司様の血液と半額のお値段で承りますわ」

 「つまり・・・これから俺は定期的に献血するって事ですか?」

 「そういう事ですわ。昨今血液の在庫がめっきり少なくなりまして。どうでしょう?」

 何だかヒコからも血を吸われ、これから悪魔生協にも血を提供しなくてはならない様だ。しかし迷っている暇はない。

 「今回のみサービスですけど、血液だけで前払いというのはどうでしょう。ヒコ様に先刻モルクワァラの換金で二万円をお支払いしておりますの。残りの半額は、ヒコ様から後で請求させて頂く形、という事で」

 「お願いします!兎に角一刻を争う事態なんです!」

 司の返答に、ルルはありがとうございます、と言ってぺこりと頭を下げた。そして鞄の中から点滴パックほどの大きさの真空パックを取りだし、

 「では少々痛みがありますけど、左腕を拝借願えますか?」

 言われるがままに司は袖を捲って、ルルの用意した献血針をルルの手で腕に刺した。夕凪はそれを見つめて、契約すると言ってもそんな事に時間を費やすのも惜しく、

 「早くしてくんねえか。すずが祟り神になるかどうかの瀬戸際なんだぞ」

 「ほんの数分で終わりますわ。少々お待ちを。妖刀様には後々ご自宅の方に書類が届きますので、このメモに住所だけ控えて頂けます?」

 商魂逞しいとはこの事である。夕凪は見た事も無いボールペンを手渡され、途方に暮れた。住所なんてあってない様なものだし・・・とりあえずの形、妙月山の山神の庵、とだけ書いた。




 一方ヒコは、ラグと空中戦にもつれ込んでいた。回復したセルジュで空を飛び、高い所からすずを見つける心算だった。しかしラグがしつこくブースターで宙を蹴って飛んできて、両手の剣でガンガンと海嘯と渡り合う。

 「ええい、邪魔なのだ!」

 「てめーが早えとこ死にゃ済む話だろ!500年も生きたじじいはとっととくたばれ!」

 ヒコが少しでも間合いを取ろうと離れると、地上から銀弾の雨霰が飛んでくる。レミーは流石にセルジュまでトレースできなかったのか、ラグが空中戦に持ち込んでいる間はサリエルのサポートに徹している。

 「ラグー!地上で遊んでくんねーとオレやることねーじゃんかよぅ!」

 言われてむっとしたが、それも正論。自分の仕事はあくまで「ヒコを飛ばせない」事である。海嘯を薊丸に持ち替えこちらに突進してきたヒコの切っ先を寸での所で躱し、背後に回り込むと、セルジュを出して掲げていたヒコの右手を縦に切り裂いた!バランスを失って墜落したヒコに、今度はレミーが笑みを浮かべて斬り込んできた。慌ててヒコは薊丸を鞘に仕舞い、海嘯でレミーの胴を居合い切りした。決まった。レミーの上半身と下半身が真っ二つに切り倒される。だがレミーはそれでも笑っていた。元より生命を持たぬ身、痛みなど感じる訳が無い。またどろりと溶け、再び結合しようとする。


 その瞬間、銃弾の補充をしていたサリエルの携帯電話が鳴った。軽く舌打ちし、携帯を見てみると、ガブリエイラからの着信であった。

 「なんだガブリエイラ、今戦闘中だ!」

 『師匠!どういう事ですか、山神を人質に取るなんて!』

 恐らく第七小隊老師が教えたのだろう、ガブリエイラの声には焦りと怒りが滲んでいた。

 「そういう作戦でいけっつー老師からの命令だ!」

 『でもチャーチはそんな事をやっていい組織ではありません!それに山神が祟り神になったら一般人にも被害が及びますよ!』

 「いいかよく聞けガブリエイラ!おめーらがヘマこいた所為でヴァンパイア討伐の仕事は十三小隊に回ってきた!もうおめーらの口出しする問題じゃねえ!」

 電話口のガブリエイラの、詰まった様な呻きが聞こえてきた。

 『・・・祟り神になられでもしたら、師匠も無事では済まないんですよ!そんな事ッ・・・!』

 サリエルは一瞬黙った。娘二人の顔が頭を過ぎった。母無し子の上、今回の件で自分が死んだらどうなるのだろう。

 いや。考えてはいけない。チャーチに属している以上、命を投げ出す事も覚悟していた筈だ。

 「・・・、もう切るぞ」


 病院の携帯使用コーナーで、車椅子のガブリエイラは俯いた。泣きそうになった。ああ、もう師匠は死ぬ事も厭わない覚悟でいる。自分の所為で。自分の力が及ばない所為で、師匠を苦しめる結果に。


 はっ、はっ、とすずの呼吸が段々息苦しい音に変わってきた。先刻までうっすらと開いていただけの目をかっと見開いて、激しい痛みに耐えている様な表情をしている。もう譫言すら言えない程苦しい。ヒコが墜落していく姿を見て、尚一層喉の奥が詰まる様な感覚を覚えた。

 その時、すずは見た。

 すずの目の前に、人一人通れる程のワームホールが現れた。そして手が出てきた。見間違える訳が無い、とっとの手だ、震える手をゆっくりと差し出して、すずは夕凪の手を取ろうとした。

 刹那、顔を真っ白に染めたすずの両の瞳と小さな唇から、ごぼと血液の様な、泥の様な、奇妙な色の液体が溢れ出した。義理の娘の異変を、遂に顔を出した夕凪は見て、思わずすずの名を叫んだ。

 すずが、祟り神になろうとしている。

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