すずちゃんがあぶない

第五話:すずちゃんがあぶない 前編


 バラバラバラバラ、と、黒塗りの所属不明大型ヘリが二機、烈風を巻き起こしながら工場跡地の棟と棟との間、広い中庭に降り立った。着地すると間もなく、中から四人の黒ずくめの戦闘スーツに身を纏い、いかつい銃で武装した男達が走り出て、身を屈めながら真っ直ぐ、第七小隊が倒れている建屋へと音もなく入っていった。

 ヒコ達の姿は既に無く、第七小隊四人の、まるで屍の様に倒れた姿が発見された。男達はそれぞれの第七小隊面々にひとりずつ付くと、抱えていた大きな箱の中から衛生器具を取りだし、何やら調べ始めた。

 『生存反応確認。これより回収する。各自はどうか』

 『こちらも確認しました。回収作業に入ります』

 男達は血塗れの4人を担いで、再びヘリへと戻っていった。その間、わずか十分。ヘリに全員が乗り込むと、順々に空へと戻っていった。

 そして由川の上空に差し掛かった時、先刻の黒ずくめの救護班とは違った将校服に身を固めた眼帯の男が、窓の外から住宅街の灯りを眺め、軽く溜息をついた。


 「こんな夜中に珍しいな。ヘリが飛ぶなんて」

 司は上空を見上げたが、音は聞こえても姿形は確認できなかった。

 何とか気力を振り絞り(勿論ヒコの血を貰って、幾分か体力が回復していた事もあるのだが)車椅子についたマティーナをオーピック邸まで車椅子を司が押し、ぼろぼろになったエミリオの残骸をコロが担いで小門地区へと繁華街を避けて遠回りする形。時折痛むのか、マティーナの顔が痙攣する事はあっても、致命的な傷ではないらしい。

 「マティーナさん、傷、どうするんですか?」

 「・・・あの出血だと弾は貫通してる。ほぼゼロ距離から撃たれたんだからね。ヒコの血がなかったら死んでたよ。まだ多少ふらふらするけど・・・止血くらいならひとりでやれる」

 「なんか某無免許医みたいだ・・・」

 「ま、円でホッペタ引っぱたけば大抵の医者は黙るもんだけど。

 兄さんの事がばれちゃ拙いし、全く、不便だ」

 と、流石に馬鹿力でも重いエミリオをおんぶする形で運んでいる人型のコロが、思わず不平を漏らした。

 「なんっか・・・すんっげー重いんだけど、これ・・・お屋敷ってまだなのかよ?」

 「『これ』とか言わないでくれる?chien stupide!」

 曲がりくねった裏道を抜けながらそうこう言って居るうちに、丁度オーピック邸の裏側についた。


 その頃ヒコは一足先に上城家へと辿り着いて、その身なりでママ上を仰天させた。

 「ひ、ヒコちゃんどうしたの!血まみれじゃない!とにかく病院に・・・」

 「ママ上、病院は人間の行くところなのだ。それにもう傷はふさがっておるのだ・・・兎に角、風呂に入らせてもらえぬか」

 頬にこびりついて乾き、ぱらぱらと砕けて粒子になり落ち始めた血糊を、多少痒そうに少し袖で拭って、ヒコはなんともなさげに言った。そうして狼狽えている両親を尻目に、つかつかと風呂場へと直行していった。

 身体に纏わり付いた血を擦って落とし、かぽーんと湯船に浸かってぼーっと考え事をしているヒコ。そして風呂の外で待っている、これも鞘ごと血に塗れた薊丸。デュファイはひとり、考え込んでいた。

 いくらエクソシストとはいえ、「人間を斬る」というものは複雑な気分になるものだ。食事として血を吸うなら兎も角、理性もくそもない幽体相手でも兎も角、・・・矢張り「先代」の素質をヒコは受け継いでしまったものらしい。




 『あと一撃ですわよ、主上!』

 向かってきたチャーチの男はまだ若かった。二十歳になるかならないかそこそこの、まだ顔に幼さの残る兵士。真夜中の叢に仰向けに倒れ、首からダンダラ模様の血の毛束を垂れ流して、恐怖に表情を痙攣つらせて息荒くこちらを凝視していた。

 だがデュファイが「主上」と呼んだそのヴァンパイアは、くるりと踵を返すと、チャーチに一瞥もくれずすたすたと歩き始めた。

 『・・・もういいだろう。贅沢は身を滅ぼす』

 そしてセルジュに命じ、ばさとその場を離れてしまった。血を思う存分吸ったのだからもういい、という事の様だ。

 そのヴァンパイアの名は、アスフォデルという。彼は生まれついてからのヴァンパイア・・・黒い霧から現在の麗しい見目形そのままで生まれ出て、あらゆる知恵を備え、戦闘にも長けていた。戯れに人を切り裂き、相手が死ぬるまでその生き血を啜るのがヴァンパイア本来の姿であった。そして恐れ戦き神に縋り神故に人を傷つける人間共と相反する事を確約された存在。

 七百年前。まだ欧州には未開の土地が数多く、暗い森の中に城を作り上げてそこに住み、徐に森の中に点在する集落を襲って腹を満たし、人がいなくなればまた転居し同じ事を繰り返す、というヴァンパイアが多かった中、アスフォデルの行動は明らかに異質であった。

 まず彼が行った事は、ありとあらゆるジャンルの本を集め読みあさる事であった。自分の産まれ持って得ていた知識では飽き足らず、新しい発見を、見聞を求めた。その欲求は自然に「自分で見て歩きたい」というものに変化していく事は当然の帰結と言えた。

 最低限にしか人を襲わず、それ以外の時間は昼は眠りにつき、夜になると城の蔵書を読んで暮らす。そんなストイックな生活を送っていた。が、見境無く村々を襲う他のヴァンパイアとは違い、害になる様な事は殆ど行わないこのヴァンパイアの存在をも、チャーチは許さなかった。

 仲間を増やそうと思えばいくらでもできた。彼は生粋のヴァンパイアである。「儀式」なしに相手をヴァンパイア化させる秘術も彼は知っていた、が、しなかった。興味がなかったからである。

 その内に彼は、東へ行ってみたいと思った。シルクロードを通り、本で得た色んなものをこの目で見てみたくなったのだ。チャーチがひっきりなしにやってきて、うんざりしてきていたのもある。しかし、ヴァンパイアである彼が陽の元を何の対策もなしに歩けばたちまち日光のぎらぎらした毒に中てられて粉塵へと還ってしまう。

 故に彼は、ヴァンパイアの長・・・スラヴの「女王」に謁見を願い出た。「陽の下を歩ける様になる道具が欲しい」、と。その代わり、面白い東洋の道具や知識を集めて持って帰ってくる、と。女王は興味を惹かれ、東洋への旅を許可し、・・・アスフォデルに秘宝「蝙蝠の指輪」と「薊」を与えた。蝙蝠の指輪には、効果こそ短時間であるものの、見えない力で肌に当たる日光を弱める効果がある。また「薊」には魔を斬り、それを主の力の源とする力がある妖刀である。人間や悪霊などに使用すれば、数日間血を吸わずとも生きていけるが、元々アスフォデル自身が小食の為、悪霊をモルクワァラとして溜めておいて非常食にするか、チャーチが襲って来たときにやむなく使うか、それだけの事であった。

 そうして彼はふたつの秘宝を持ち、旅へと出た。スラヴの女王がとある原因で部下から襲われ、失脚し陽の元に晒されて消える刑を受けたという知らせを聞いたのは、宵闇の中行われていたアラブの夜市での事であった。元の主人が殺された事を受け悲嘆に暮れる秘宝と、押し黙って俯いてしまったアスフォデル。

 旅は長く続いた。猛烈な砂嵐に三晩足止めを食らう事もあった。だがどんな困難に遭おうとも、様々な見聞を追い求めていく内に、自分の中が何か幸福なものに満たされていく感覚は消えなかった。結果彼は、大陸を寄り道しながら横断していくのに、二百年の時間を注ぎ込んだ。

 そしてアスフォデルは、中国の洛陽にて、東方見聞録にある黄金の国が実在するとの噂を聞いた。ここが最東端であると思い込んで、多少の落胆を覚えていたアスフォデルは、その不思議な文化を持つ国に興味を抱いた。また、秘宝をアスフォデルが持って居るという情報がどこから流れたものか、秘宝を狙ってわざわざ洛陽くんだりまでチャーチの部隊が送られてきており、それから逃げたかったのもあった。

 兎も角、貿易の船に大金叩いて乗り込み、アスフォデルは初めて海を渡った。そこにはある意味では未開とも言えるし、ある意味では洗練されたとも言える、何とも不可思議な文化があった。アスフォデルはそれを心地よいと思った。




 「だめでしょコロちゃん、司!ヒコちゃんと一緒なら兎も角、ふたりだけで夜遊びだなんて!」

 オーピック邸から家まで歩いて帰ってきて、へとへとになって帰ってきた司とコロを出迎えたのは、あの惨劇を知らない母の怒りであった。

 「だ、だってコロが、ヒコが危ないって・・・」

 「だったらなんでそれを一言言ってから行かないの!お母さん心配したんですからね!司もまだ十四なのに夜遊びに出かけるなんて、そんな不良に育てた覚えはないわよ!

 それにコロちゃんもコロちゃんです!勝手に鎖を解いて出かけちゃ駄目って何度も言ったでしょ!?」

 コロはママに怒られて本気でしゅんとしている。司の隣で、狼形態で玄関先におすわりさせられ、

 「・・・ごめんなさい」

 まさか満月でテンション上がってたから、とは言えない。暫くお説教が続きそうな夜十一時半。




 ミーシャが目を覚ましたのは、チャーチが陰で出資している大病院のICUのベッドの上での事であった。種々様々な医療器具の音が静かな病室に響く中、薄ぼんやりと何を思うでもなく天井を眺めていると、

 「・・・目、覚めたの?」

 ふと機械音に混じって聞こえた声の元を見ようと、首を捻ろうとしたが、・・・激痛でうまく動かせなかった。

 「ああ、いいのよ。そのままで居て」

 ガブリエイラの声だ。ラファエロの治療が効いていたのか一番に目を覚ましたのは彼女らしい。キュイ、とリノリウムの床に車椅子のタイヤが擦れる音がする。どうやら彼女も完全回復している、とまでは言えない身の様だ。

 「俺・・・どれだけ寝てた?」

 「丸三日。あなたの隣にウルがいるわ。向かいにはラファエロが」

 「ふたりは・・・」

 「結構死ぬ寸前だったらしいわよ。何せあれだけの出血と怪我ですもの。まだ寝てる。私はラファエロの回復弾を食らってたから、もう一般病棟に移ってるけど」

 その時、ベッドの脇に居たガブリエイラの背後辺りから、軍靴の音が聞こえた。軍靴の主はガブリエイラと軽く挨拶を交わし、首を動かせないミーシャの顔を覗き込んだ。その顔は、見覚えがあるとかそんなレベルの話では済まされない、ミーシャの最も尊敬する人物だった。

 「しょっ・・・少佐!」

 「よっ。昨日よりは顔色良くなったじゃないか」

 三途の川を渡る寸前だった第七小隊を救出したあのヘリに乗っていた、眼帯の男であった。

 嘗てミーシャの先代の第七小隊隊長を務めていた男。今は現役を引退して、教官職についたと聞いた筈だが、何故こんな所に・・・、

 「師匠、りんご食べます?同室に入院していたおばさんからお裾分けしてもらったんです」

 ガブリエイラの手には、立派に紅く実った見るからに旨そうな林檎があった。少佐は自分も新兵だった頃その銃の腕を買われ、幼いガブリエイラに銃の使い方を叩き込んだ、ガブリエイラにとっては師匠に当たる存在である。今でも彼女は、彼の事を「師匠」と呼んで慕っている。

 「馬鹿、お前に剥ける訳ないだろう、そんな手で。後で丸かじりするさ」

 言われてりんごを左手で手渡したガブリエイラは、徐に自分の右手を見て苦々しい顔をした。痛みは引いたものの、その右手は火傷痕で爛れていた。多少の不自由感もある。医者からはすぐにリハビリに入れると言われたが、銃の解体組立の練習も出来ない今現在の自分を呪わしく思った。

 「でも、どうしたんですか急に日本に来て・・・教官職の方はどうなったんですか?」

 「・・・」

 少佐は暫く押し黙った。その様子から、ただの見舞いではなく何らかの命を帯びて日本に来た事は間違いないと推測された。

 「・・・ミーシャ。暫く教会を借りるぞ」

 「え?・・・いや、まぁ、それは平気ですけど・・・」

 「それじゃあ、あんまり長居して喋らせるのも悪いからな。俺はもう行くぞ。ウルと新人によろしく」

 少佐は暗に、深い詮索はするなと言って居る。ガブリエイラも何か言いたそうに少佐の顔を見上げていたが、少佐はガブリエイラも連れ出す気なのか、彼女の車椅子のハンドルに手をかけて、ふたり一緒に病室を出ていった。




 なんだか司からととさまの事を切り出すのも憚られる気がした。ヒコが三日前、霧崎紡績工場跡地でひとり佇み流した涙。あれを見たら、そう簡単に・・・興味本位で聞ける話ではないと思った。

 学校は平和だ。この街で起こったあの惨劇も知らず、皆それぞれがそれぞれに好き勝手に若い頃特有の自由を謳歌している。考えてみたら、自分の身に起こっている出来事・・・ヒコが蔵から起き出して、マティーナさんと出会い、コロを飼い始め、悪魔生協なんぞに加入し、そうしてチャーチに襲撃された、そんな非現実的な事は誰も信じまい、と、友人の誰にも言っていない事にふと気付いた。

 「司ー、焼きそばパン!奇跡的に二個ゲットだぞ!」

 「え、まじで?くれんのか!?」

 「ばーか、ただでやるかよ。半額にまけてやるよ」

 そんな何でも無い、友達との会話。司は重大な隠し事をしているという良心の呵責に、ちろと襲われた。


 そうして一方、上城家で昼寝しているヒコ。えあこんというのはいいものだ。温度をいじったりモードを変えたりする様な複雑な動作は覚えられないが、とりあえずオンオフの切り替え方は司から教えて貰ったのでぽかぽかした部屋の中、もふもふの布団にくるまってすうすうと寝息を立てている。

 「・・・ねえ、セルジュ?」

 ヒコを起こさない様な小声で、デュファイが囁いた。

 「何じゃ」

 「若、ほんとに先代の事、司ちゃんに話す気なのかしら・・・」

 指輪の中に収まっているセルジュは、間を置いて答えた。

 「分からん。ただ、黙ってはおれんじゃろう。いつかは分からんが、話す気ではおるじゃろうな」

 「・・・別に若の所為じゃないのに」

 「仕方ない。目の前でお隠れになってしもうたんじゃ。坊ちゃまは儂等が何を言おうと聞く耳を持つまい」




 ガブリエイラを病室まで送った少佐は病院を出て迎えの黒いベンツに乗り、その足で何処にも寄らずに街外れのミーシャの教会へと向かった。

 街並みは平和そのものだった。一度焼け野原になったこの国は、底から這い上がり、世界に名だたる経済大国となり、繁栄を極めた。今はやっと落ち着きを取り戻してはいるものの、その日本の立て直しによる雑多さに、近年増してきたアジア系移民の文化が入り交じって、何とも言えない独特の文化が今、作られようとしている。

 「彼等」には、聖堂で待っている様に通達している筈だ。そろそろ陽も落ちかけてきた午後四時、少佐は聖堂の扉を開けた。すると奥の方から何かがすっ飛んできて、

 「いよぅ、サルー!」

 おもっくそジャンプして少佐・・・サリエルに飛びついた。チャーチの軍服こそ着ているものの、着崩しにも程がある。頭に青いバンダナを巻いて、そばかすの浮いた鼻の頭に絆創膏を貼っている、およそ軍人とは思えない、幼い見た目。およそ十五、六歳といったところか。そうして、よっ、と声を出してサリエルから飛び退き、自分よりずっと背の高いサリエルを見上げて、・・・にんまり笑った。害もくそもない笑みであった。

 「聖堂では静かにしていろと言ったろう、レミー」

 そうしてこつんと頭を小突かれる。軽く叩いただけに見えたが結構痛そうに反応して、

 「さっきまで温和しくしてたって。オレがなんか言おうとしたら、ラグのやつすぐひとの首刎ねにかかるんだよぉ、サル叱ってくれよぉ」

 不満そうにレミーは聖堂の奥を指さして愚痴をたれる。その指の先には、オリーブ色をした豊かな髪の後ろ姿があった。名前を出されて振り返ったその人物は、伏し目がちのエメラルドグリーンの瞳を濃い睫毛に縁取り、厚い唇、すうっと通った鼻立ち、そして細い肩、ガブリエイラとはまた違った美貌を頌えていた。

 ・・・が、その口から漏れ出た言葉は、その美貌から与える印象をぶち壊すものであった。

 「・・・うっせーぞ糞餓鬼、何でもかんでもサルに言やぁ俺が言う事聞くと思ってんのか。首刎ねるぞ」

 「あーまたなんかゆったー!サルどーにかしてくれよぅ、オレこんなやつと組むのやだよぉ」

 どうやらこの三人、互いの面識はまだ浅いらしい。サリエルはレミーの事もラグの事もよく知っている様だが、レミーとラグはほぼ初対面の様子。

 「一週間前からお前達は小隊として行動する事が義務づけられてるんだ、文句なら老師に言え」

 サリエルの腕を掴んでぶんぶん振り回しているレミーの手を振り解こうともせず、サリエルは冷たい宣告を下した。

 「いーですか。俺を含めてこの三人は、特別な任務を受けてここに来てんだ。

 遊び半分でやってたら死ぬぞ。真面目に」

 ふとサリエルの脳裏に、第七小隊の惨状が浮かんだ。


 「・・・第十三小隊、ですか?」

 病室に戻る最中に聞かされたその単語に、ガブリエイラは首を傾げた。そんな存在、聞いたこともない。チャーチの小隊は十二までしか存在しない筈。

 「チャーチ最強のお前達が負けたのを受けて、今回特別に組まれた隊だ。安心しろ、俺も参加している」

 僅かにサリエルの頬が痙攣った。嘘を吐くときの癖だが・・・ガブリエイラやミーシャ、ウル、そして老師くらいしかその癖を知っているものは居ない。

 「師匠が直々に・・・指揮をとられるのですか?」

 「そうだな、そういう形になる」

 「どういった作戦で」

 「・・・機密事項だ。何せ特殊編成だからな」

 ガブリエイラは俯き、悔しさを顔に滲ませた。自分たちの手でヴァンパイアを殺せなかった事が、悔しくてたまらなかった。

 「そういえば、娘さんはお元気ですか?」

 話を変えよう。ガブリエイラはやや間を置いて、サリエルに問いかけた。サリエルは嬉しい様な悲しい様な複雑な表情で笑って、

 「ああ、上の子は相変わらずだ。俺を嫁殺しだとしか思ってない。下の子は懐いてくれるんだがなぁ」

 そうしてハハ、と笑う。サリエルの首にかかっているロケットペンダントが、陽光を浴びて光っている。


 「その五月蠅い餓鬼以上にチビの雑魚に四人掛かりで負けるカスの話なんかどうでもいいだろ」

 三人、聖堂の説教台前に集まって、これからの作戦の確認をする。

 「やまがみってなんだ?神様ってひとりじゃねーの?」

 「まあ俺達が知っている地霊の強いやつだと思えばいい。ガブリエイラからの情報だと、山神のお守りの所為で有利だった戦局が一変したらしい。山神を兎に角どうにかしなきゃいけない」

 話をまるで聞いていない様子のラグは胸ポケットから煙草を出そうとして、サリエルに頭を小突かれた。

 「お前なぁ・・・煙草は止めろって前から言ってただろ。少なくとも聖堂内では吸うな」

 「・・・ちっ」

 心底憎々しそうに舌打ちして、煙草を仕舞った。

 「簡単な話じゃねえかよ。山神を潰しゃいいんだろ」

 「ばっかだなーラグ、そうできるなら苦労しないってサル言うぞ!・・・、・・・サル?」

 どうでもよさそうな顔のラグを尻目に、レミーは笑ってサリエルの方を見た。何か考え込んでいる。

 「・・・それしか無えかな、やっぱり」

 「それしか無えもくそもねえだろ、この腐れ眼帯のくそ少佐」

 ラグの罵倒にもサリエルは怒る様子もなく、その表情を固めたまま黙り込んでしまった。作戦内容は既にサリエルの中で決まっているものらしい。

 「・・・ラグ。お前、激昂したヴァンパイアをつかず離れずで引きつけられる自信は」

 厚い唇をとんがらせて、不満そうな表情で、ラグは吐き捨てた。

 「楽勝だろ。古くせえ蝙蝠なんぞが俺に追い付けるかよ。ちったぁひとの実力を・・・」

 ラグの口から機関銃の様に飛び出す口汚い台詞を切る様に、サリエルの右手がラグの肩を叩いた。少し考える様に俯いて・・・しかし何処か覚悟を決めた様な顔を見せて、サリエルは命じた。

 「・・・お前がスターターだ、ラグ。作戦はあの錬金術師が出てこない早い内の方が良い。今日やるぞ」




 やっと起き出したヒコは、真新しい換えの軍服を着付け、狩りに行こうとしたその時、何かを思い出し、えろいむえっさいむ、と叫んだ。10秒くらい待つと、またがばーんと司の学習机の引き出しが勝手に開き、すぽーんとルルが飛び出してきた。

 「悪魔生協お呼びでございましょうかー!?」

 「うむ。魔石と金とを交換してほしいのだ」

 ルルは営業スマイルを崩さず、ヒコの雑嚢から取り出された大量のモルクワァラを恭しく受け取り、鞄の中から鑑定鏡を取り出して、モルクワァラの質を計算する。

 「見事に大きなモルクワァラばかりですわね。流石ヴァンパイア様は格が違いますわ」

 「当たり前なのだ。薊丸で切った大物ばかりだからな」

 「そうですわねぇ、これくらいですと・・・一個六千円程度になりまして・・・あとの分を全部合わせてしめて二万円となりますが、如何でしょう?」

 「構わん。換金してほしいのだ」

 モルクワァラ専用の革袋を取り出し、ルルはモルクワァラを仕舞うと、鞄の中からピン札二万円を出して恭しくヒコに渡した。そして、あ、と声を挙げ、

 「そういえばヒコ様。第七小隊をやっつけたそうですわね。魔界ではその話で持ちきりですわ」

 「ふん、満月のヒコに突っかかってくる方が馬鹿なのだ」

 「でもお気を付け下さいましね。まだチャーチは諦めてらっしゃらない様ですから」

 そしてルルは、枕元に置いてあったすずのお守りに目を落とし、またヒコの顔を見て微笑んで、

 「あと、山神のお守りは三日間しか持ちませんわよ。そこでどうでしょう、我が社の開発したアミュレットなら持続時間はなんと・・・」

 「ええい、営業はもういい!今日は買わなくてはならんものがあるのだ!」


 その頃すずは、何も知らずに呑気な顔で、庵の隣に立てられている小さな鶏小屋の掃除をしていた。と、わら束の巣の中に、卵が一個あるのに気付いて、花が咲いた様な笑みを浮かべた。

 「こっこちゃん、いただきます」

 近くにいた二、三羽の雌鳥に手を合わせて、嬉しそうに卵を拾った。そうして、ててと外に出ると、地面に黒い影を見つけた。ヒコが来てくれたのだろうか。ぱぁっと笑って空を見上げる。

 違う。

 飛び方が、まるで中空に浮いた飛び石を踏んで渡るような、ジグザグな感じ。あんな飛び方をする生き物なんて、自然界に居ない。それに今までに無い強い霊力を感じる。

 「え・・・?」

 ぽうっと空を見上げて呆然としているすずに向かって、まるで獲物を狙う隼の様に「それ」は急降下してきた。目にも止まらぬスピードで、

 不意に庵の中から微かに声が聞こえてきた。

 『すず、はね飛ばせ!そいつはやば・・・』

 夕凪の霊声も虚しく、すずはどんと強い衝撃を小さな身に受けて、意識をなくした。山に突風が吹き、ざわざわと木々を揺らした。すずを抱きかかえた「それ」は地面を蹴って再び急上昇し、追いかけてくる烈風からいとも簡単に逃げ去った。

 後に残ったのは、地面に落ちて割れてしまった卵が一個、のみだった。


 しつこいルルを帰らせ、古い革財布の中に二万円を大事に入れ、雑嚢に仕舞い、いつもの様に狩りに出かけようとしたその時。強い霊力がこちらに飛んでくるのを察知したヒコは、窓から外を覗こうとした。が。

 びょう、と音を立てて、ヒコが窓から顔を出す前に、なんと人間が空を飛んで窓辺に現れた。

 その腕には、意識をなくしたすずが抱きかかえられていた。

 女みたいな顔をした、黒ずくめの、ぴったりとした戦闘スーツを身に纏い、両足に付いた青白く光るブースターから発せられる霊力で重力に逆らい宙に浮いているその男は、オリーブ色の髪を掻き上げて、ニヤと笑い、

 「付いてこれるもんなら付いてきな、チビの糞餓鬼」

 「きっ・・・貴様!すずに何を・・・!」

 男は問いに答えず、くるりと向きを変え、妙月山とは逆の方向に、ジグザグ飛びで跳ねる様に飛んでいった。ヒコは血の気を無くし、慌てて窓から身を乗り出し、セルジュの羽で空へと舞った。

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