第四話:ぜんいんしゅうごう 中編


 肩に掛けている雑嚢に放り込んでおいた、先日ママ上に買って与えてもらったばかりの携帯電話がぴろりろと鳴って、ヒコはあわあわと取り敢えず覚えておいた「電話の取り方」を行って、なんとか通話を開始することができた。戸の上霊園の雑霊もヒコの手によってあらかた斬り尽くしてしまって、そんなに数も居ないのが救いだった。

 「けーたいヒコなのだ。・・・なんだ司か、・・・へ?マティーナが変?常時もの事ではないか」

 と、無視して電話を切る訳にもいかなそうだ。司の声は緊張と焦燥で震えていた。只でさえあんな馬鹿げた霊力の持ち主と会ったばかりなのである。何かあったのかもしれない。思うが早く、適当に相づちを打って、電話を切り、ヒコはセルジュの翼でオーピック邸へと飛んでいた。


 オーピック邸大広間の破壊は凄まじく、ヒコは足を踏み入れ息をのんだ。階段には司とコロ、そして司が近所の自販機で買ってきたのであろう暖かい紅茶の缶を握りしめて、膝に焼け焦げた生首を置いて俯き肩を震わせているマティーナの姿があった。

 「どういう事だ、司」

 「それが・・・よくわかんねーんだ。言ってる事殆ど日本語じゃないし」

 「ふむ」

 ヒコは機転を利かせ、デュファイを刀から元の女性の姿に戻し、マティーナの話を聞いてやる様に指示した。西洋暮らしの経験がある使い魔ならフランス語もわかるだろうと思っての事だった。ヒコや司には分からない言語でぽつりぽつりとやりとりするデュファイとマティーナの姿を確認して、兎に角司がここに来た理由とそれからの経緯、事の次第を聞く。

 「だから俺とコロが屋敷に入った時はもうぼろぼろでさ。エミリオさん首取れちゃってるし、マティーナさんはあの調子でぶつぶつ何か言ってるだけだし。俺に出来る事っていったら取り敢えず落ち着かせる位しか思いつかなかったから、コロを見張りにつけて自販機で紅茶買ってきてマティーナさんにやったんだ。

 でもなんか、単語の端々に『チャーチ』って言ってた。多分、チャーチの仕業なんだと思う」

 「しかし今までマティーナは散々あの天使連れやあの狙撃女の治療をしてやっていたではないか。どういう事だ?」

 「俺がわかるかよ・・・多分ヒコが言う様に、俺が昨日会った外人さんがチャーチなら、その人達がやったんじゃないか?」

 「ふむ」

 そう言ったっきり、ヒコは口を閉ざし考え込んでしまった。と、タイミング良く、大体の話を聞き取れたらしいデュファイがこちらによってきた。

 「あたしのフランス語は随分古いから結構苦労したけど・・・チャーチで間違いないわね。しかも相当強い奴」

 「多分昨日司が会ったとかいう奴であろう。霊力の陰りが同じなのだ」

 「そうみたいね。相手は魔銃使いと、空間制御能力の持ち主。かなり厄介よ。

 しかも隊長・・・あの天使連れが関知していない命令で動いてるらしいわ。マティーナは様するに裏切られた形ね。兎に角、決戦は金曜の満月の日ですって。チャーチがマティーナを狙い始めたって事は、確実にうちにも来るわ。どうするの?」

 ヒコは暫く俯いて黙っていたが、ふと赤い瞳を階段にへたり込んでいるマティーナの姿へと移した。青い瞳はぼんやりと前を見据え、ぬるくなった紅茶の缶を傍らに置き、焼け焦げた己の兄の生首をただただ愛しそうに撫でている。

 手を組む他あるまい。ヒコとてこの強大な霊力の持ち主を有するミーシャ達一同に勝てるかどうか危ういものだ。早急に正気を取り戻してもらって、エミリオを修理し、協力してチャーチに立ち向かうしかない。




 「なんで勝手に動いた!?」

 机をどんと握り拳で叩いて、ミーシャは目の前に立つウルとラファエロを強く睨んだ。第七小隊の責任を負う事に異論はないが、自分のあずかり知らぬ所で勝手な事をやられたのでは、腹が立つのも無理はない。こういう時の対処を心得ている心算なのか、ウルは気まずそうに頭を掻いて何も言わない。

 「オーピック兄弟にまで手を出す事はないだろう!彼等は俺やガブリエイラの手助けもしてくれた!チャーチから感謝される事はあれ、標的になる理由は何一つない!」

 ラファエロはくいと片手で眼鏡をあげ、ぼそと呟いた。

 「僕達は新任の挨拶と隊長やガブリエイラ先輩がお世話になった礼を老師の命に従い、言いに言っただけです。それを勝手に襲撃と勘違いして襲ってきたのは向こうの方ですよ。また、僕ひとりでは太刀打ちできなかったところをウルさんが助けて下さっただけです。

 相手は欲に狂って死体蘇生術にまで手を出した気違いの錬金術師ですよ。一回や二回助けられた位で信用する方がおかしな話というものです。僕はそう痛感しましたけどね」

 「・・・ッ、」

 言われてみればその通りなのである。本来マティーナは味方にも敵にも転ぶ危険分子だった筈だ。それを勝手に信用した自分のミス、と指摘されたら異論は挟めない。

 それを部屋の隅、壁に身を預けてただ見て居たガブリエイラは、ラファエロの言葉に何やら不穏なものを感じていた。言葉にはできないが、こいつは危険だ。

 「説教はもういいでしょう。ちょっと私、ミーシャに話があるんだけど。出てってくれない?二人とも」

 たまりかねて動いたガブリエイラの動向を待っていたのか、ウルはまだ言い足りなさそうな顔のラファエロを引っ張ってさっさと部屋を出て行った。


 廊下をふたりが行く。と、唐突に、ラファエロの頭にウルの拳骨が振ってきた。威力こそそれほどないものの、こちらを見ずに放った事から察するに、相当頭にきているらしい。

 「おめー、喋りすぎだ。見てみろ、脳筋女に気付かれちまった」

 「・・・僕は老師の言った通りを言ったまでですよ」

 詳しい経緯はウルも知らない。老師はウルをも疑っている。だから、第七小隊のメンバーに何の気もかけていないラファエロを今回初めて実戦投入という形で送り込んだ。ラファエロは作戦を決行するのに最低限の情報だけをウルに教えたが、それだけの事である。実質ラファエロは老師と直接コンタクトを取り、ほぼ自分のみの力で作戦を決行している訳である。ウルは置いてけぼりにされた形であるが、彼の性格上自分が知らなくていいと判断したことはすかっとする位どうでもいいと思い込む人間である為、大した問題とは思っていない。むしろ今回の事態、自分の親友であるミーシャが窮地に立たされているという事が彼にとっては大問題である。自分の事などどうでもいいが、あの表で笑っておきながら本当は泣き虫の根暗が苦しい立場に置かれる事が我慢ならない。そういう所、このウルという人間は一本気な所がある。


 「・・・あなた、疑われてるわよ。老師に」

 「わかってるよ」

 努めてなんでもなさそうに、窓辺に立つガブリエイラに言った。わかってはいるが、納得がいかない。宵闇しか映らない窓の外を、ガブリエイラはぼんやりと眺めた。由川の住宅街の団らんの灯りが、やけに寂しく感ぜられた。

 ガブリエイラはミーシャ達よりやや早く、チャーチに拾われた。内戦の酷い国の出身で、武装孤児を率いて、裕福そうな大人・・・政権側も反政府側も関係なく襲って、その日その日を食いつないでいた。やがて政府側の孤児狩りにあって、処刑されそうになった所をチャーチに見初められ、「師匠」と彼女が呼ぶ旧第七小隊隊長・・・当時は彼は一兵士にしか過ぎなかったのだけれども・・・について銃の本格的な扱い方、

狙撃の基本をたたき込まれ、現在に至る。

 故に彼女は団らんというものを知らない。ひとと飯を食うのが基本的に苦手・・・というか、飯を食うときに人がいるとどうしていいかわからない。最近になってやっと、気など下手に使わず自分のペースで物を食えばいいと気付いたくらいである。

 「あのラファエロとかいう小僧、私は気にくわない」

 本心がぽろりと出た。ミーシャを困らせる一言である、と分かっていたにも関わらず。振り返り彼の顔を見ていると、何処でもないどこかに視線を置いて、眉をひそめて考え込んでいた。ミーシャも同意見らしいが、小隊の編成は老師が決める事であって自分の管理内の話ではない。与えられた課題をクリアすればいいだけの話であるが、今回はそれがかなり難しい。




 久しぶりにデュファイの通訳にて、フランス語でゆっくりと会話できて落ち着いたのか、マティーナの瞳に光が戻ってきた。普段使いの車椅子はウルによって壊されてしまった為、予備のちゃちな車椅子を用意して、早速エミリオの修理に取りかかった。ヒコとの協力は、二つ返事で了承してくれた。

 さて、応接間に残された司とヒコは、これからの出方を考えていた。

 「俺も華炎持って協力するよ」

 「馬鹿者。チャーチとの一戦に一般人を巻き込めるか。貴様は上城家そのものがやられん様にコロと家に居るのだ」

 チャーチが上城家そのものに直接手を出す事は無い、と分かっていても、矢張りヒコは不安だった。否、ルルは上城家も危険大と言って居た。オーピック邸の破壊の様子から見るに、あながち心配のしすぎとも思えなくなってくる。矢張りここは悔しいがコロと司に自衛を願うしかあるまい。

 「・・・満月か。ヒコをなめおって」

 ヒコはギリと奥歯を噛みしめた。




 そうして数日後、上城家のポストに、送り主の名のない封筒が入っていたのを学校から帰宅した司が発見した。宛名はヒコ。開けずとも、誰から来た物かわかっていた。自室に帰ってヒコの帰りを待っていると、暫くして、ただいまなのだー、と常時もの声が聞こえてきた。そうして司の部屋にノックもなしに平然と入ってくる。その両手には、大量の文庫本が入った古本屋の袋が携えられていた。どうやら教科書もあらかた読み切ってしまい、読むものがなくなったので仕入れてきたらしい。

 ヒコと一緒に手紙の封を開けた。丁寧な日本語で、決戦は三日後、霧崎紡績工場跡地、と、それだけ簡素に書かれていた。恐らくマティーナの元にも同じ文面のものが行っているだろう。相手は分かっているだけで4人、ミーシャ、ガブリエイラ、そしてマティーナを襲撃した二人組。

 「・・・霧崎紡績工場跡地に二十一時、だってさ」

 「ふむ」

 その時、ぴろりろ、とヒコの携帯が鳴った。けーたいヒコなのだ、と電話を取ったっきり、暫く押し黙って、

 「・・・そっちにも来たか。エミリオはもう直ったのか?」

 どうやら電話の相手はマティーナらしい。同じ文面の手紙が届いて居た様だ。


 「お陰で目が覚めたよ。君の使い魔に礼を言いたい位だね。でも随分古くさいフランス語だったけど。僕も兄さんも、九割方は回復した。後は僕のメンタル面と、兄さんの起動テストだけだ」

 マティーナはエミリオの横たわる寝台に設置されたモニタを覗き込みながら、ヒコとの会話を続けていた。起動はモニタ上では順調そのもの、あとは実地で動かして調子を見る。そういう手はずだ。エミリオの首の付け根にはまだ生々しい傷跡が残ってはいるものの、実地検査に支障はないと判断した。

 「じゃあ、検査しないといけないから切るよ。待ち合わせは僕の家に三十分前集合でいいね。それじゃ」

 そう一方的に喋って、ヒコに何を言わせる間もなく電話を切って。手短な卓の上に携帯を置くと、そっと、目を閉じ眠りいって居るエミリオに顔を寄せ、・・・深いキスをした。


 そうしてヒコは、一方的に待ち合わせ場所を決められた事を苦々しく思いながら通話を切った。

 「仕方の無い事ですじゃ。仏蘭西人のわがままっぷりは昔から変わらぬものですからのう」

 指輪の中から、セルジュのやんわりとした声が響いた。

 「なぁ、ヒコ」

 ふと、司の呟く様な声が、ヒコの耳に入った。勉強机についている司の方を見てみると、こちらを振り返らない司が、また、独り言の様に言った。

 「すごい基本的な事聞くけどさ。

 ・・・なんでヒコのととさまは西洋人なのに日本に来て、ヒコを引き取ったんだ?」

 案の定、ヒコは俯いて黙ってしまった。

 「・・・。全ては、チャーチとの決戦が終わったら話す。それまでととさまの名を出すな。心が乱れるのだ」

 「ごめん」

 魂ここにあらず、といった両者の会話は、それだけで終わった。華炎の振りの練習をしに戸の上霊園に連れて行ってもらおうか、といった試みも司にはないではなかったが、この調子だと暫くヒコに構う事はしない方がよさそうだ。ヒコは明らかに、チャーチ四人との直接対決に緊張している。放っておいたほうがいい、そう司は判断した。兎も角今は、上城家が狙われない様にコロと手を組んで防備に徹するしかない。コロ、と思い出して、司はあっと声を挙げた。コロの散歩を、すっかり忘れていた。急いでコートを着込み、階段を下りて玄関に向かい、リードを持って庭先のコロの小屋を覗く。

 ごろごろと背中を地面になすりつけながら、コロは不満そうな顔をしていた。

 「さんぽ、忘れんなよ。きんちょーしてんのは分かるけどもさー」

 「ごめんごめん。あとでささみジャーキー買ってやるから」


 そうして一人と一匹、すっかり陽の暮れた由川の住宅街を歩く。約束通り通り道のペットショップでジャーキーを買ってやり、自販機でホットココアを買って、コロの後をついてゆく。今日のコロの気分は、妙月山の庵らしい。暫し坂を登って、すずの庵についた。すずは大根の煮付けを作っていた手を休めて、コロと司の元に駆け寄った。

 「ちょうどよかったのよー、つかさちゃん。今日はね-、だいこんが良い具合に漬かったのがあるのよ。たくあん、すき?」

 「ああ、ありがと。有り難く頂くよ。散歩の途中だからゆっくりはできないけどね」

 そう言って笑う司の表情に何らかの陰りを感じたのか、それとも山神としての神通力が働いたのか、すずは一瞬目をぱちくりさせて、そうして・・・少し悲しそうな顔をして、

 「ヒコちゃんになにかあったの?」

 「え、なんで?」

 「そうゆう顔してるもの。つかさちゃん」

 流石神様の前では隠し事は出来ない、という事であろうか。土間で水とジャーキーを与えられてごろごろしているコロを見ながら、司は先刻の事を話した。マティーナが襲われた事、そのマティーナとヒコがタッグを組んでチャーチと正面衝突すること、ととさまの事を聞いてしまってヒコの気分を害してしまった事。すずは囲炉裏の、司とは向かい側の席について、ただただ黙ってじっとそれを聞いていた。

 「つかさちゃんびっくりするかもしんないけど、すずちゃんからしたら、今回の件がおわったらととさまの事を話すきぶんになったヒコちゃんのほーがびっくりなのよ」

 「え?」

 「だから」

 すずは鍋の蓋を取って、大根の甘煮の煮汁をお玉ですくってちょいと啜って、何でもなさそうに言った。

 「すずちゃんはうまれて30年か40年くらいヒコちゃんとあってたけども、ととさまのおはなしはこないだ言ったくらいにしかしらないもの。それを、まだ知り合って一月経つか経たないかのつかさちゃんに話す気になったってだけでも、すずちゃんびっくりなのよー」

 そう言われればそうだ。

 「なんかふくざつなきぶん」

 そう言ってりんご色の頬を若干膨らませながら、すずは鍋の蓋を閉じた。そうしてちょっとまってて、と司に告げ、ててと隣の部屋に引っ込んで、

 しばらくして、何をか持ってまた帰ってきた。

 「これ、ヒコちゃんにわたして」

 小さなお守り袋。どうやらすずお手製の刺繍布で出来ているらしい。

 「すずちゃん、何だこれ?」

 「おまもり。ご神体の中身はきいちゃいけない、開いちゃいけないきまりがあるのよ。

 そのままヒコちゃんにあげて」

 考えてみたら山神が自らの手で作ったお守りである。相当の力を持つに違いない。そうして手元のお守りに落としていた目をすずの顔にやると、先刻より若干前髪が部分的に短くなっていた。

 「まさか・・・髪の、」

 「だめ!」

 すずの大声に、司の身がすくむ。コロも何事かと思い、顔を土間の陰から覗かせた。

 「しってても、中身がわかっても言っちゃだめ。それがきまりなの」

 「わ・・・分かった」

 そうして帰って、司は何も言わずに、狩りに出かけようとしていたヒコに、すずのお守りを渡した。余計な真似を、とヒコは呟いたが、その白い頬は若干赤く染まっていた。




 三日間は、短いものだ。

 その日ヒコは特に司に何も言わず、黙って普段通りに家を出て行った。だが微弱なぴりぴり感を感じ取った玄関先のコロは、顔を挙げて、また彼も何も言わず、セルジュの羽で飛び立つヒコを見送った。そうして、もしかしたら家にもチャーチとかいう奴らが来るかもしれない、その時ママとパパと司を護るのは自分だ、そういった決意を改めて実感した。

 上空の闇を切り裂く様に、ヒコは前へ前へ、オーピック邸へと進んでゆく。徐に腰に引っかけた薊丸と海嘯

の調子を確かめる。ママ上が空を飛ぶとき寒いからと買ってくれた毛糸の手袋越しに、良い調子の妖力が

伝わってきた。気分は上々。

 オーピック邸の玄関に降り立ち、新調された大きな木製の扉をこじ開けた。

 大広間には、大きな鞄を車椅子に引っかけ、貴族然としたトレンチコートを身に纏い、すっかり修理を終えたらしいエミリオを伴って待っていたマティーナが居た。

 「その鞄は何だ」

 「ん。秘密道具」

 そう言って、マティーナはクスクスと笑った。

 「これがなきゃ僕はただの兄さんのお荷物の片輪だからね」

 鞄のバックルに手をやって、首を傾げてほほえんでいる。本人曰く片輪の錬金術師が何をするつもりなのか、ヒコにはよくわからないが、

 「ヒコの足を引っ張らなければそれでいいのだ」

 言って踵を返そうとすると、ふと、マティーナの顔つきが変わったのが一瞬見え、不審に思ってもう一度邸内の方を見た。マティーナは何をか感じ取ったのか、ヒコを指さし、

 「・・・君、何か変な道具持ってない?」

 「変な道具?」

 マティーナは目の色変えて、フランス語で、La poche de la poitrine、と呟いて、自分の左胸をぽんぽんと叩いた。何を言いたいのか一瞬分からなかったが、胸ポケットの事かと気付いて、ヒコは呟いた。

 「何、大した事はない。山神のお守りが入っておるのだ」

 「山神って・・・君、顔広いね」


 流石にマティーナだけ徒歩で行かせる訳にもいかないと思い、ヒコも霧崎紡績工場まで歩く事にした。車椅子の西洋人と、その付き人の西洋人、そしてこんな夜に不似合いな小さな子供の三人・・・まあ、正確にはふたりと一台・・・と言えばいいのか、よくはわからないが、その組み合わせが繁華街を闊歩するのは非常に目立って煩わしい事この上なかった。とは言え、霧崎とオーピック邸のある小門地区は呉倉の街の中心部を通り抜けなければならないのだから、仕方ない。ヒコは普段飛んで上空を過ぎ去っているだけだから気付かなかったが、夜の繁華街の眩しい事眩しい事、これでは昼間より目がちかちかしてしょうがない、と早速弱音を吐きそうになった。

 「あっは。君目立つね」

 「・・・貴様に言われたくないのだ」

 「時間があればどこかでお茶でも飲みたいけど。クレクラの繁華街なんて滅多に来ないからね」

 とか言いながら、おろおろとティッシュを配るお姉さんにMerci、と言って微笑んでティッシュを受け取り、

 「なんだ。新手のナンパかと思ったら広告か、これ。サービス精神旺盛な国だね、ここは」

 残念そうにエミリオに手渡す。エミリオは黙って自分のジャケットのポケットにティッシュを突っ込んだ。ヒコもひとつ貰ってくるりと裏返すと、「カラオケ」とかなんとか片仮名で書いていたが、赤と黄色を基調にしたデザインがこれまた鬱陶しく、しかめっ面をしてすぐに司のお下がりのコートのポケットに突っ込んだ。通りすがる人の何人かが、物珍しそうにこちらを見ては過ぎ去っていく。

 と、暫く歩いてやっと繁華街を抜け、道幅も狭く人も少なく、ヒコから言わせれば常時もの暗い夜の住宅街へと入っていった。霧崎はこの先にある。ふたり、黙って夜の闇を行く。

 そうして、灯りのない、暗い建物が見えた。高い煙突が2本、ニューと宵闇に付きだしている。

 「貴様は入り口で待っておれ。ヒコが中を確かめるのだ」

 「そうさせて貰うよ。こんな廃墟を兄さんの介助なしで車椅子で進んだらガタガタ言って仕方ない」

 ざっ、ざっ、と、エミリオは足でマティーナの進行方向に散らばる窓ガラスの欠片や木片を蹴って取り除いてゆく。それを尻目に、薊丸を抜いたヒコが、かつんかつんと軍靴を鳴らしながら、広い工場の、何もない広間の中央に立って、周りを見渡した。壁に沿う様に張り巡らされた金属製の足場が、どこからでもあの女の狙撃を浴びる可能性がある事を思い起こさせた。

 しかし、何かおかしい。違和感をヒコは感じていた。強い妖気の陰りが、向こうの壁一枚隔てた所から僅かに漏れてきている。

 「マティーナ、気をつけろ!」

 ヒコが叫んだ直後、tirare、と何かの単語が聞こえ、ぴしん、ぴしんと小さな音が鳴った。・・・そして、あろう事か、ここにはいない筈の怨霊二匹がこちらに向かって鋭い牙の生えた口を開けて襲いかかってきた!

 思うより早く、ヒコの反射神経が薊丸を振っていた。怨霊の一匹は、いとも簡単にすぱりと縦一文字に切り裂いた。しかし取り逃した一匹が、建物入り口に居たマティーナに向かって素早く飛び込んでいった。

 ヒコは目を剥いた。ガキィン、と音がしたかと思うと、髑髏型の怨霊のおでこを、革手袋に包まれた右手で引っ掴んでいるエミリオの姿があった。マティーナはまるでそれが当たり前かの様に、肘掛けに肘をついて微動だにしない。

 「やっぱり魔銃に怨霊を込めて連れてきていたか。見え見えなんだよ、新人くん」

 そうして引っ掴んだ怨霊を床に叩きつけ、エミリオは革靴の底でぐしゃりと踏み潰した。どうやらエミリオの手足に、対霊力用の力を含ませた革を身につけさせることで、ヒコの薊丸と同じ効果を人工的に作り出しているらしい。

 「出ておいでよ、新人くん。君もこないだの兄さんみたくばらばらにしてやらないと気が済まないからさ」

 どこか禍々しい笑顔を綺麗な顔にへばりつかせて、ハハ、とマティーナは笑った。ヒコも第二撃に備えて、何処から何が出てきても良い様に薊丸を構えた。

 「そりゃどうも、また宙に浮かせて泣きを見させてやるよ!」

 聞こえた瞬間、ヒコの背後の足場から何者かが飛び降り、大きな十字架を模した鈍器を床に叩きつけた。床を通じてヒコの身にも振動が届いた途端、ひゅうと空間がねじ曲がる音が耳に入り、これはやばいと思った。タイルの床に散乱していた廃墟のゴミが一斉に浮き上がり、ヒコとマティーナに襲いかかる!咄嗟にヒコはセルジュの翼で身を覆い、飛んでくる破片をガードした。マティーナの方は、オーピック邸地下で使用している結界石の小さなタイプを持ってきていたらしく、紫に僅かに歪む光の壁が破片を跳ね返していた。ヒコがガードを解こうとした途端、何者かに強く背中を殴られ、げほ、と痛々しい咳を吐いた。

 「ミーシャか!」

 ヒコの背後には、大剣でヒコの背中を強打したアーレフの姿と、ロンギヌスを携えてヒコに突撃してくるミーシャの姿があった。ガキィン、と音がして薊丸とロンギヌスとがぶつかる。と、そのまま勢いに乗ってロンギヌスで押し切ると思われたミーシャが、ふと背後に下がった。危ないと思うが早く、パパパパパ、と機関銃の音がして、セルジュの羽のガードに穴を開けた。ガブリエイラが外二階の壁に開けられた銃眼から、アサルトライフルでこちらを狙っている。と、再びあの男が、十字架を床に叩きつけた。また小さな欠片が宙に浮かぶ。しかし、男は驚いた表情で、もう一度床を叩いた。

 「どうしたウル、さっさとヴァンパイアと錬金術師を吹っ飛ばせ!」

 ミーシャの怒号にも似た叫びが、廃墟内に反射する。しかしウルと呼ばれた男は、

 「さっきからやってるって!でもこいつら重いんだよ!!」

 慌てる第七小隊を尻目に、はは、と入り口付近から、マティーナの笑い声が響いた。

 「悪いけど重力をちょっといじらせてもらったよ。君、あんまり重い物は動かせないらしいね。前回だって、僕を浮かせても兄さんは浮かせなかったもんね・・・まぁ、人に体重を聞くのはよくないけど。

 ヴァンパイアも山神のお守りを持ってる。君がここで動かせるのは、

 ・・・まぁ精々瓦礫の破片と自分の仲間、くらいじゃない?」

 マティーナの指先には、先刻まで首に巻いていたスカーフを留めていたトパーズ色のスカーフ留めがあった。どうやらこれが、そのものの重力を意図的に重くしているらしい。エミリオは中身が機械という事もあってか、通常の人間よりは重量がある様だ。

 また、マティーナは山神のお守りについても言っていた。すずのお守りが、期せずして自然の摂理に反するウルの「能力」に対抗して力を発揮しているらしい。思わずヒコの手が、胸ポケットの中のすずのお守りに触れていた。すずはこうなる事を予知していたのだろうか。しかし今そんな事を考えていても仕方ない。兎に角、こうなったら近接攻撃しかできないミーシャは後回し、破片を小うるさく飛ばしてくるウルとかいう男と、しつこくこちらの体力を削ってくるガブリエイラを優先して片付ける。

 その頃、壊れかけた壁の裏に隠れ、銃弾に緑色の霊力を込めたラファエロは、ひとり誰にも聞こえない様に呟いた。

 「・・・vaffanculo!」

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