ぜんいんしゅうごう

第四話:ぜんいんしゅうごう 前編


 「いやーニホンはいいねぇ!女の子も可愛いし!あ、ちょっとそこの君~道聞きたいんだけど~」

 「ウールーさーん!いい加減にしないとキレますよ僕!」

 呉倉の大通り、通りすがるちょっとだけでも綺麗そうに見える女性に片っ端からナンパかける奇妙な白系の外国人・・・と、その首根っこを引っ張ってマップル片手に歩く眼鏡の青年・・・その二人がまさかチャーチから送り込まれた第七小隊の残りの二人、ウルとラファエロとは誰も夢にも思わないだろう。そうしてこの二人が何を目的にこの街に来たのかも、大部分の一般人は多分知らないだろう。

 「ちぇっ、堅っ苦しい新人だなぁおめーはよ・・・」

 「そんなんだからクビになるんです!ウルさんは!」

 老師が出撃させるのを恐れたウルと呼ばれるこの青年、見た目は只のかるーいちゃらんぽらんの兄ちゃんだが、嘗てはミーシャと第七小隊の隊長職を巡って火花を散らせた・・・と言われているが、実際はウルにはそんな気は無く、面倒な責任を負わされるのも嫌いで、チャーチ所属の教会にやってきていた篤信の女性を適当にたらし込んで問題を起こし、適当にクビにしてもらった(チャーチに拾われて育てられた彼等に辞職の文字はない為である)という、何とも破天荒な本当にちゃらんぽらんの兄ちゃんである。

 かたやその傍でマップルと格闘している眼鏡の、まだ幼さを横顔に残す青年・・・ラファエロは、今年第七小隊に配属となった、チャーチの神学校出身のキャリアコースの新人である。天涯孤独の身となってチャーチに拾われたミーシャの様なタイプと違い、産まれた元から高い霊力を持ち、それをチャーチに見初められエリート街道を歩む事となった、珍しいタイプである。キャリア故か少々プライドが高いのが玉に瑕だが、実際の所は心優しい・・・

 「あっ、なあなあラファエロ、『銘菓ぽんつく』だってよ!ミーシャ達に買ってこうぜ!」

 「い・い・加・減・に・してください!!燃やしますよ!!!」

 とっても心優しい・・・とはいかない人物の様だ。


 「・・・といった経緯でやってきました、ウルさんはともかく、ラファエロと言います。

 これからよろしくお願いします、隊長」

 聖堂の裏にあるミーシャの住む家にようやくたどり着き、居間に通されラファエロは深々と頭を下げた。向かいに座って居たミーシャは自分にもこんな時代があったなぁと感慨深げにラファエロを見つめ、ガブリエイラは興味なさげにコーヒーを啜って、・・・ラファエロの隣に座っているニパニパ笑うウルの右目にはガブリエイラにちょっかい出して殴られた痕らしい青丹が生々しく残っていた。

 「やーでもひっさしぶりだなミーシャ!相変わらずの女っ気無し暮らしか?腐るぞ色々!」

 「・・・悪かったわね、女っ気なしで」

 ガブリエイラが手にしたコーヒーを、先刻殴った調子でもう一度、ウルの頭に引被せようという勢いを押し殺して呟いた。

 「お前は女じゃねーだろ!」

 「・・・」

 「ま、まぁまぁ、な?せっかく数年ぶりに第七小隊勢揃いなんだし、」

 「僕はお初です」

 「あ、そうだねお初だね、よろしくラファエ、」

 「随分と小生意気な口利くじゃない、新人のくせに」

 「なーなーミーシャ腹減った!この辺マックないのかよ!」

 「ア゛ーーーーーーーー!!!」

 ミーシャはきりきりまい。




 「む」

 司は勉強机で宿題に取りかかっており、ヒコは流石500年生きた記憶力とも言うべきか、もう小学六年生の算数の教科書まで読み進んでいた。そんな中、夜半時、ヒコは前述の奇妙な声を上げた。

 「なんだよ、どした?」

 司は振り返らず問うた。

 「なんかヤな予感がするのだ」

 「へぇ?」

 「やな予感というか・・・貴様、今日奇妙なやつに出会ったりとかしたか?」

 ヒコの問いで、今日の帰りがけ、奇妙な外人に声をかけられた事を思い出した。それをヒコに伝えると、今までどこかのほほんとしていたヒコの顔が、焦りと不安に滲み始める。

 「・・・そいつらに何かされたか?」

 「え?いや、何も。道聞かれただけだよ」

 「それだけの接触で・・・この霊力か?」

 司の身体に残った霊力の陰り・・・普通の霊能力者なら考えられない程大量の残り香(実際には無色無臭である)が、司の身体から漂ってくるのがヒコには感ぜられた。

 司が言うにはとてもチャーチ・・・聖職者とは思えない程軽いノリで話しかけられたという。が、恐らくこんな強力な霊力の持ち主はチャーチ以外考えられない。

 こんな馬鹿げた霊能力の持ち主と、恐らく今回は複数人対ヒコひとりで対峙する。

 ヒコの唇に血の気はなかった。




 『お前、言い返せばいいんだよ。言い返さないからいじめられんだよ』

 くまのぬいぐるみを取られて踏みつけられ泥だらけにされて、声も上げずに泣いていた幼い彼の仇を取ったのは、施設に同時期に入ってきた同い年の子供だった。流石にアーレフが子供の喧嘩に手を出す訳にもいかず、黙って見て居るしかなかった状態を覆したのは、二、三人相手に傷ひとつ付かず勝って追い返したその子供であった。

 実はまだその当時、アーレフは彼と正式に「契約」していなかった。彼が喋れない・・・祝詞を唱えられないのが原因だった。アーレフは元の主人、つまり彼をこの施設に連れてきた黒服のおじさんから離れ、次の主人となる彼について契約の機を待っていたが、彼が言葉を発しようとしても、うまくいかなかった。何度か試してみたが、遂には喉から声を、あ、と振り絞ったっきり、発しようとしなくなった。諦めたらしい。

 『声も出ないんだったらな。笑ってやんだよ。弱い物いじめしかできねーのか、ってよ。どうせあいつらその天使も見えないくらいなんだから、ここにゃ居残れねーよ。その内自分のターンが来るって。

 その時までに笑う訓練くらいしとかねーと、損だろ』

 逆光の夕日を浴びて振り返った子供は、以後、言葉を話せない彼の代弁者・・・親友となってくれた。


 深夜、執務室で明日の説教会の準備をしていたミーシャを、ウルが尋ねてきた。

 「わり。布団が硬くて眠れねーんだわ。ちっとばかし話し相手してくんね?」

 あの時の、いじめっこ達を追い返してくれた時の笑顔そのままのウルの顔。執務机に突っ伏してきょとんとしていたミーシャも、釣られて笑った。あの時よりはずっと、器用に笑える様になっていた。しかしその笑顔は、どこかまだウルの目には作り物臭く、否、どこか悲しく見えるものであった。

 ミーシャは笑っていないのだ。いつも心の何処かで泣いているのだ。それは昔の事を思い出している時であったり、浄化する相手が天国に入れず彷徨う羽目になった経緯を考えてしまった時であったり、・・・今回の様に、子供を殺さねばならぬ時であったり、重役に押しつぶされそうになっている時。それをウルは、痛いほどよく知っていた。

 「だいぶ隊長職が板についてきたじゃねーか」

 「俺はお前の方が実力的には上だと思ってるよ。今でも」

 ミーシャのほめ言葉が痛い。褒めたつもりが、相手には毒になる時もある。ウルは自分の『能力』が嫌いだ。それを思い出し、迂闊に触れてしまった自分を責めて、ミーシャは俯いてしまった。だがウルはいつもの笑顔を崩さず、

 「だーって俺、隊長なんか御免だもんね。だから辞めさせて頂いたんだし?」

 「お前ねぇ・・・よく老師もお前をも一度雇ったもんだと思うよ」

 「しつけーんだよ電話魔なんだよ老師の野郎はよ。お陰で計画してたイタリア旅行がパーだっつーの」

 けらけら笑って、目をくるくるさせてウルは言った。老師が電話魔とはよく言ったものである。どうせイタリア旅行というのも女絡みのものなのだろう。その辺は残念がり方から容易に想像がつく。

 と、電話魔からの電話。ウルも悟って、苦笑いして肩を竦めた。同じ様に苦笑いを浮かべて電話を取ったミーシャは、無意識のうちに軽くお辞儀しながらヘブライ語でへどもどしていた。

 『はい、二名とも無事にこちらに着いております・・・女?いませんでしたよそんなもの。新人の方とも挨拶は済ませました。能力はまだ見ておりませんが・・・。

 ・・・来週の金曜?・・・満月ですか』

 ウルの顔がぴしと硬くなった。作戦決行の日取りが決定したのだ。いくらちゃらんぽらんのウルとはいえ、満月のヴァンパイアがどれだけ危険な存在なのかは分かっている。老師も無茶を言う。無理矢理呼びつけられた苛立ちも相まって、反吐でも吐きたい気分になった。


 「なーんじゃ。結局ウルは素直に動いたんかい。儂の十三小隊を出すチャンスじゃと思うたのにのう」

 「・・・そう簡単に「あれ達」を出されてたまるか。貴様のやり口こそチャーチにとっては外道じゃ」

 電話を切った第七小隊老師は、背後で腕を組んで立ち、にやにや笑っている第十三小隊老師を強く睨んだ。元より第七小隊老師は、この老獪な人物・・・己の人生の相方を、快く思ってはいない。言う事は軽々しく、しかし深淵で、理解するのに小難しい事この上ない。

 「お前さんのやり口が綺麗すぎるだけじゃよ。今時真っ正面から向かっていってどうするんじゃ」

 「儂等は神に仕える身じゃ、その手段に潔白を期して何が悪い!」

 気付けば声を荒げて、椅子から立ち上がっていた。それをにこやかな、しかし冷めた目で見ている老師は色味の無い唇をこう動かした。

 「こんな呪われた存在を生み出しておいて何が神じゃ。

 儂ゃいざという時お前さんを仕留める為に居るんじゃよ。逆もまた然り」




 今日出会った外国人と、それの存在を知ったヒコの表情が頭からこびりついて離れず、司は眠れない夜を迎えた。なんだか嫌な予感がした。

 「・・・なぁ、デュファイ?」

 「ん?どしたの司ちゃん」

 すやすやと眠り込んでいるヒコとは対照的に、デュファイもまた眠れなかったらしく、返事は割合すぐにかえってきた。デュファイも司が出会ったという霊力のずば抜けた存在が気になっている様だ。

 「くだらない事聞くけどさ。・・・ととさまって、ヒコより強かったのか?」

 一瞬、デュファイが言葉に詰まるのが感ぜられた。

 「・・・それはあたしから言う事じゃないわ。若から直接聞いて頂戴」

 「・・・」


 ヒコはととさまの夢を見ていた。

 ととさまの馬の鞍に乗せてもらって、背中にととさまの暖かさを感じ、ひゅうと頬をくすぐるそよ風を感じて顔を挙げると、そこは一面の碧い水田。

 「ととさま。もうすぐせみが鳴き始めるのだ。ととさまは、せみ、見た事あるか?」

 「さぁ・・・ととさまはニホンに来たばかりだからな。ヒコほどものを見た事は無いな」

 ととさまのお世辞だと分かっていても、ととさまの知らない事を自分が知っていると思うとなんだか嬉しくてたまらなくなった。

 ととさまは変な刀を持っていた。れいぴあとかいう形状の剣らしかった。西洋にはふしぎなものがあるものだ。thistle、とととさまは呼んでいた。それはどういう意味なのだと聞くと、

 「・・・ニホンでは薊、とか言う名前だったか。ととさまの住んでいた国では魔除けの花と言われている」

 ととさまが昼間に動くのは珍しい事だった。大抵夜移動し、昼間は解けかけている荒ら屋や、小さな寺などに休ませてもらいながら、旅を続けていた。時折ヒコを安全な寺などに預けて、何処かへ夜出かける事もあった。何をしに行ったのか住職に聞いても、知らぬと返されるか、狩りに行ったのだよ、とだけ教えられるだけだった。

 狩りに行って初めて、ととさまが他者の血に塗れて帰ってきた日、ヒコはととさまが怖い事をして帰ってきたのだと思って泣いたことがある。その時のととさまの紅い、悲しそうな瞳をヒコは忘れられない。

 思えばととさまはずっと我慢していたのだ。血に飢えながら、それでもヒコの柔く幼い肌に狂気の牙を突き立てる事はなかった。ヒコは結局、ととさまから血を吸われた事が一度も無い。処女と幼子の生き血ほどヴァンパイアの吸血衝動を突き動かすものはないのに、である。

 ととさまは耐えていた。ヒコを傷つけまいと耐えていた。そしてヒコの知らない所で逃げて、戦って、血塗れになって帰ってきて、怖がったヒコに泣かれた。それはどれだけ辛い事だろう。悲しい事だろう。

 今のヒコならわかる。ととさまが、あの時、あの当時、どれだけ苦しかったのか。




 朝、一番に起きたのは、ラファエロであった。客間のベッドでぼんやりとしていた彼はやおら身を起こして枕元に置いてあったバッグに手をやった。

 ベッドに腰掛け、寝間着のままバッグを開け、中身を取り出す。

 銀色に光る小銃が、ラファエロの左手の中にあった。バッグの中の銃弾を取り出し、右手で強く握ってみると、指の隙間から紅い光がぴかりと一瞬漏れた。

 彼は立ち上がり、冷静な顔で銀色の小銃に先刻の銃弾を込めると、天井に銃砲を向けて、

 「・・・tirare!」

 ぴしん、

 ばちばちばちばちばちっ!!

 まるで爆竹を何十発もいっぺんに鳴らしたかの様な轟音が、客間を襲った。驚いてウルとガブリエイラが跳ね起きる。どたばたばたん、と廊下から音がして、エプロン姿のミーシャが飛び込んで来た。彼もまた何事が起きたのかと思って、朝食の調理を中断して来たらしい。

 「てめー起こしたいのは分かるが方法を考えろっ!」

 寝癖頭のまま、ウルが平然としているラファエロに叫ぶ。ガブリエイラは何も言わず、頭を掻いて鼓膜に残っている爆音を沈めようと軽く頭を振って居る。

 「目覚ましが新人の役目ですから。おはようございます、皆さん」

 ラファエロは平然と、眼鏡を整えて言った。

 「・・・なかなか刺激的な新人じゃない」

 「とっ、兎に角ラファエロ君、次からそれはやめよう・・・な?」

 「自分の『能力』が衰えない様に訓練したつもりだったのですけど。隊長が言うならやめます」

 「・・・」

 ラファエロの右手に光る小銃を上目遣いに睨んで、ガブリエイラが呟いた。

 「なるほど・・・あんたも銃を使うわけね」

 「ガブリエイラ先輩ほどの腕はありませんが、少々特殊なもので」

 銀細工が繊細に施された、一見すると飾り物にしか見えない銃。しかしそれは、第二次世界大戦末期、己が死んでいることを自覚できずに彷徨い始めた兵士達の亡霊を天国へ導く為に開発された、言うなれば『魔銃』である。概要と存在だけは知っていたが、詳しい事も知らず現物を見るのも初めてのミーシャがおそるおそる尋ねた。

 「・・・よかったら説明しくれないかな、ラファエロ君」

 ラファエロが自分の得物について説明しようと口を開く前に、ウルが口を利いた。ラファエロに説明させると話が長く、ややこしくなる。ラファエロはそういう性格である。

 「よーするにさ、てめーの霊力を銃弾に込められるんだよ、その魔銃は・・・」

 「一言でまとめるとそういう事です。よろしくお願いします」




 「ヒコ!ヒーコー!」

 ぐらぐら頭が揺さぶられる感覚で、ようやっと目が覚めた。冬の夕暮れの短い陽が窓から差し込む中、ヒコは夕方まで眠り入っていたものらしい。目を瞬かせると、ぼんやりと薄く涙に滲んだ瞳に、心配そうな顔をした学生服姿の司が居た。

 「もう夕方だぞ、ずっと今日寝てたのか?具合、悪いのか?」

 まさか夢の所為、とは言えず、まだ半分眠い目を擦って、ヒコは上半身を起こした。

 「いや・・・別に、たまに昼間起きるのがだるい時があるだけなのだ。心配するな」

 そう言ってヒコは立ち上がり、枕元にきちんと畳んで置いた軍服に手を伸ばした。これから狩りにいく心算だ。軍服を常時も通りに着付け、薊丸を携えると、ヒコは、竹刀を背中に携えたまま心配そうにこちらを見つめる司を置いて、すたすたと階段を下りていった。

 ともあれ、ようやく傷も治り、部活に復帰できて、司もご飯が出来るまでの間コロの散歩に出かけねばならない。学生服の上着をちゃっちゃと脱いで普段着に着替え、ヒコの後を追う様に階段を下りていった。


 静かな夕暮れである。マティーナはこの様な夕暮れを好む。オーピック邸二階のテラスに出て日向ぼっこの心算で、エミリオを隣に座らせて学生時代から愛読しているボードレールを読んでいたら、気がつくとクリーム色に煤けている筈のページがほんのり赤く染まっている事に気付き、顔を挙げてみると、妙月山の麓へと陽が沈んで赤くぶるぶると煮えたぎる様にじりじりと落ちていくのが見えた。もうかれこれ十年以上読

み込んでいる本にまだこれ程までに夢中になれるのか、と自嘲しながら、

 「今日は何を食べようか、兄さん」

 すっと音もなく立ち上がり、マティーナの車椅子に手をかけたエミリオの、血の温もりのない手に、そっと触れて言った。

 今日は兄さんに、先週フランスから取り寄せて冷凍してある鶉肉のライス詰めでも焼いてもらおうか。そう思いながら、エミリオに抱きかかえられ、一階へと下りる大広間の階段を下りる。

 と、玄関先にひとの気配を感じた。

 チャーチの制服に身を固めているが、マティーナは彼を知らなかった。大理石の大広間へと差し込む逆光に、眼鏡の銀縁がきらりと光る。

 『・・・新人さんのご挨拶かい?』

 フランス語で尋ねると、銀縁眼鏡の彼は緊張の糸を切らす素振りを見せず、懐に手をやった。それだけで充分だった。エミリオが烈火の早さで階段にマティーナを下ろし、大理石の間を駆けると、チャーチの青年・・・即ちラファエロの右手に握られた魔銃の照準が合う前に、バキと音を立てて魔銃を蹴り上げた。魔銃はラファエロの小さな悲鳴と同時に軽く吹っ飛び、天井にまでその銃身を投げ出すと、ガシャンと見た目より重い音を立てて大理石の床に落ちた。

 『・・・ミーシャは知ってるのか?』

 マティーナの問いに、踞って右手を押さえているラファエロは答えない。恐らくミーシャの関知しない命令なのだろう。

 第七小隊隊長を通さず、第七小隊隊員ラファエロに、錬金術師マティーナ=エーダス・オーピックの殺害命令が発令された。ミーシャを通さなかったのは、今までミーシャとガブリエイラへの治療を施した恩を感じてミーシャが命令に背くかもしれない、との疑いからだろう。

 だとすればチャーチ上層部は、ミーシャの言動に不審を感じていることになる。狙撃と暗殺の名手ガブリエイラを以てしてもヴァンパイアを倒せないのは、ミーシャの過去に因果する「迷い」からであろう、と。

 このままいけば、ヒコが手を下さなくても、チャーチ第七小隊は瓦解する。

 しかし、その前に、この新人は一人の「爆弾」を持ってやってきた。

 『・・・ったくダメだなぁ、おめーはよォ・・・ガブリエイラほど筋肉脳にならなくても、口と頭ばっか鍛えたって実際動けなけれァ意味ねーだろ』

 門口を振り返ったラファエロの目に、彼の姿が映った。

 大きな十字架を模した鈍器を抱えて、逆光を浴びて立って笑って居る、第七小隊で一番の危険人物、

 ウル、その人であった。

 『・・・へぇ、復帰したんだ、君。あれだけチャーチを嫌がってたのに』

 『変な縁でね。親友がちょっくらあらぬ疑いを掛けられてる所を黙って見てられるかっつーの。

 ミーシャは関係ねえ。俺が「問題」を片付けりゃいい話だろ』

 格闘の構えを取ったエミリオの握り拳に、力がこもる。階段の手すりに寄りかかったマティーナは口こそ達者なものの、内心の怯えを隠せずにいた。

 ウルはハハ、と軽快に笑いながら、十字架をくるりと持ち替え、ふっ、と声を出して、どぉん、と勢いよく黄金の装飾が施されたそれを床に叩きつけた!途端、揺れの所為でもなんでもなく、不思議な事に、階段に座っていたはずのマティーナの身がふわりと中空に浮き上がった。

 空間制御能力。範囲こそこの大理石の間程度と狭いものの、霊力の届く範囲内であればそこに存在するものを自由自在に動かせる能力。つまり自在にポルターガイストを起こせる能力、と思えば話が早い。

 エミリオが無表情のまま駆け出し、宙に浮いて手をばたばたさせているマティーナの手を取り抱き寄せ、マティーナの両手をしかと階段の手すりに掴まらせた。

 すると、大理石の間に飾られていた大きな陶磁の花瓶がバリンと音を立てて割れ、踞ったマティーナ目掛けて破片の鋭い刃がありとあらゆる角度から襲いかかってきた!反射的に頭を抑えたマティーナの頬を、破片のひとつがぴしと切り裂いていった。続いて第二撃、第三撃と破片は断続的に飛んできたものの、全てマティーナに覆い被さる様にガードを固めたエミリオの、血の出ない背中に刺さるのみであった。

 『何故僕を狙う!あれだけしてやって・・・!』

 『だからです』

 冷徹なラファエロの声が響く。ウルの攻撃が止み、かつん、かつんとラファエロの軍靴の音が大理石の間に響く。ちゃきっ、と音を立てて、エミリオのこめかみにひたと魔銃の銃口が押し当てられた。

 『オーピックさん。貴方の様にどちらにも傾くひとが一番怖いんですよ。どちらか一方に堅く付いてくれれば、ヴァンパイアを擁護するなら始末すれば簡単な話、僕達チャーチに付くと宣言してくれれば巧く協力関係を築けばよし。

 ですが貴方はそうしなかった。どっちつかずでふらふらされるのが、戦争では一番怖い存在なんです。分かるでしょう?民間人かも?敵兵かも?いや、ひょっとしてゲリラ?

 そんな疑念を抱きながら戦える程、隊長は図太くない。的確ですが、繊細すぎるのが難点です。

 だから僕達が来た。勿論、隊長やガブリエイラ先輩は知らないし、今後知らせる心算もない。ご安心を』

 そして、マティーナの目の前で、エミリオのこめかみに押し当てられた銃砲が火を噴いた。




 それから30分ほど後、何をかくんくんと地面の匂いを嗅ぎながら、コロは司の持つリードを引っ張って、すっかり日の沈んだ住宅街を歩いていた。コロの散歩ルートを無理矢理引っ張って変えるのは至難の業、コロの気の済む方向に歩かせるのが疲れないし余計なストレスもかからない。勿論ヒコほど司は嫌われてはいないから、さっさと行こうとかこっちに曲がろうとか言えば、コロは割合すんなり言う事を聞いてはくれるが今日はなんだか様子が違った。

 「どしたんだよ、コロ?何探してんだ?」

 「んー・・・なんかさー・・・」

 コロは確信に至っていないのか、若干言葉を濁しながら言った。

 「こないだのピストル女に似たよーな匂いがすんだよなー・・・」

 司の顔色が、さっと変わった。

 「そっ、それって・・・チャーチが居るってことか?」

 そうしてくんかくんか匂いを辿って、一人と一匹は手に汗握りながら歩く。華炎を持ってくればよかった、と一瞬司は思ったが、あんな物犬の散歩に背負って歩いていたら銃刀法違反でまず捕まる、と思い直した。

 「ふたりぶん、匂いがするけど・・・今はもう居ないみたいだ。ここだ」

 そうしてコロが見上げた先は、紛う事なき、オーピック邸。

 「ここにチャーチが?」

 「んなもん知るかよ。でもなんか、血のにおいが・・・」

 血、その単語を聞いて顔の色味を無くした司が、慌てて半開きのままの玄関をくぐっていった!

 「お、おいちょっと待てよ司ー!」

 灯りの灯っていない大理石の間は暗く、街灯のオレンジに慣れていた司の目には最初は只の暗闇しか見えなかった。だがじわじわと闇に目が慣れてきて、現状が見えてきた。落ちたシャンデリア、破裂した様に崩れた花瓶、煤けたカーペット、そして、

 階段にへたり込み、頭のないエミリオを抱きかかえて、ぐったりと手すりに寄りかかって青い目の焦点を合わせず放心しているマティーナの姿。

 「マティーナさん!」

 マティーナの貴族風の別珍のショールは鋭利な刃物で切り裂かれており、司の黒い大きな瞳をぼうっと

見つめ、ゆっくりと色味のない唇を動かした。

 「・・・Guerre」

 「え・・・?」

 そして狂った様に、エミリオの、焼け焦げた首をなで回しながら、マティーナは叫んだ。

 「戦争だよ、戦争!司、ヒコを連れておいで!戦争だ!

 チャーチと僕等の戦争だよ!アッハハ、アッハハハッハハッハ!!」

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