第三話:おんなのけっとう 後編


 ガブリエイラは傷が完全に癒えるまで、ミーシャの教会でミーシャの手伝いをしろ、との通達が老師から出された為、上背がありすぎて似合わないシスター服を着て教会の庭先、花壇の花に水をやっていた。

 あれから対ヴァンパイア作戦は何度もミーシャと話し合った。お互い熱心に必勝の手順をぶつけあっていたが、ガブリエイラはヒコの事を語る時のミーシャの表情がどこか暗い事を不審に思っていた。

 「お疲れさん。あまり力仕事はしなくていいぞ、怪我人なんだから」

 背後から聞こえたミーシャの声。嬉しくて振り返る。

 ・・・嬉しくて?

 「首チョップで悲鳴を挙げるあなたほど貧弱じゃないのよ、私」

 一見普通の会話。だが会話の奥底に何か言葉にならないものがたゆとうている、そんな感覚。




 両親に先日のガブリエイラからの狙撃の件がばれたら拙いと思い、司は部活をしばらく休んでオーピック邸に通っていた。両親はまだチャーチの事は知らない。もし知られたら、・・・どうなるだろう。多分父も母も変わるまい。しかしヒコは?あの性格である、自分に責任を感じて出て行ってしまうかもしれない。

 そんなの嫌だ。

 いつの間にか、ヒコを友達だと思っている自分がいる。はじめは血を吸われて怖かったり、勝手な行動されてきりきり舞いになったり、色々あったが、それでもヒコは決して司を侮ったり、邪険にしたりはしなかった。むしろ狩りに連れていったり、すずの庵やオーピック邸に連れていってくれたり、ヒコはヒコなりに司を一人前の「人間」として見てくれて、評価してくれている。そうして、ガブリエイラとの戦闘に巻き込まれた際も自分の防御は置いてけぼりで、司を優先的に守ってくれたり、大事にされているのがひしひしと判る。

 しかしだからこそ、司は強くならないといけないのだ。

 「ヒコはヒコなりに君の事を考えてやってるのさ。美しいL'amitiéだね」

 縫った傷口を抜糸しながら、マティーナはなんでもなさそうに言った。相変わらずのフランス語混じりなので、何と言ったのかは司は判らず終いだが。


 ちなみにこうしている間、ヒコはエミリオの対チャーチ用戦闘プログラムのデータ取りに協力する為、中庭で海嘯片手にエミリオと練習試合している。マティーナとて、今現在はチャーチに手を貸してやっている手前もあって五月蠅くは言われないが、いつまた対ミーシャの様に手のひらを返されるかわからない。

 「くそっ・・・!」

 マティーナの組んだ数十もの対応マクロで動くエミリオは、力の加減がいらないという事でひどく強い。ほお桁をぶん殴られたらヒコの軽い身が三メートルは吹っ飛ぶ程の威力を持つ。

 しかしながらヒコは嬉しかった。確実に、エミリオの強さに手応えを感じていた。本気を出して練習できるとは、これは貴重な経験。ヒコも必死の形相で海嘯を握り締め、エミリオの懐へ飛び込んだ。


 「はい、出来た」

 上半身裸の司の背中を、マティーナがどんと叩いた。抜糸は終わったらしい。

 が、司は何かを考え込んでいる。そうしてしばらくあらぬ方向にやっていた目線をマティーナに向け、真摯な声で言った。

 「マティーナさん。ただの人間が魔物とタイ張るってどうすればいいと思う?」

 司の茫漠とした問いに、マティーナは真剣に答える態度を見せない。医療器具をかちゃかちゃと仕舞いながら、吐き捨てる様に言った。

 「無理だね。ピラニアが兎を追いかけようとする様なもんだ。次元が違う」

 「でもマティーナさんは・・・」

 「僕が目を付けられているのは兄さんがいるからだ。僕ひとりが凄い訳じゃない。僕の身体はむしろ一般人より出来損ないだ。やせっぽっちで、ひ弱で、何より片輪だ」

 片輪。司の心がずきんと痛む単語だった。だがしかし、当の本人が片輪だと言い切ったのだから、どうしようもない。そんな心配も何処吹く風、司の方を見ずに、何を思ったか、コツンと自分のこめかみを人差し指で叩いた。

 「だけど僕には知識と技術がある。君と僕の違いなんてそんなもんだ。知識の差さね」

 知識、と、司は頭の中でその単語を反芻した。




 緞帳の裏で、その人物はぎりりと歯噛みした。ガブリエイラも駄目だった。第七小隊の直属の上司にあたる老師は、執務机をどんと叩いた。

 出来る事ならば、「あいつ」は出したくない。

 「出せばいいと思うんじゃがのう」

 怒りを執務机にぶつけた老師に、もうひとりの老師が呟いた。相手の考えている事などお見通し、そんな口ぶりだった。

 「ミーシャでもガブリエイラでも駄目となると、最早第七小隊全員を動員するのが筋じゃろう」

 喋っている老師は、扇でぱたぱたと自分の白い頬を仰ぐ。

 「ま、気持ちはわからんでもないわい。一度破門にしたもんをもう一度呼び寄せるのは面子が・・・」

 「それが問題なのではない!」

 執務机についている老師は叫んで、また机を握り拳で叩いた。

 「『ウル』は最終手段じゃ!危険すぎる!まだ出せん!」

 暫しの沈黙。そして扇を手にしていた老師は、執務机に突っ伏す様に屈み込んでいる老師に耳打ち。

 「お前さんが『ウル』を出す気がなければ・・・うちの『第十三小隊』を出すしかないのう」

 老師は気まずそうな顔をして、ややの間を置くと、・・・、

 執務机の電話に手を伸ばした。


 「でも、私も駄目だったとなると・・・第七小隊全員でかかる事になるかもね」

 水やりを終え、ホースを仕舞っているガブリエイラが、ぼそりと言った。第七小隊全員集合。何のかので、今まで過去数度の大規模作戦以外、殆ど集合した事のない第七小隊が。

 たったひとりの小さなヴァンパイアの為に、第七小隊が総出でかかる。

 「どうかしたの?」

 ミーシャの顔色が悪い事に気付き、不審そうにガブリエイラがミーシャの顔を凝視していた。

 「・・・いや、何でも無い」

 「あなた・・・」

 言ってはいけないのかもしれない。指摘すべきではないのかもしれない。だが。

 『チャーチ』として許されないそれを、黙って見過ごす事は、ガブリエイラには出来なかった。

 「あなた本当は・・・ヴァンパイアを殺したくないんじゃないの?」

 ひどく拙い空気が流れたその時。ミーシャの胸ポケットにしまわれていた携帯電話が鳴った。老師からの通達だ。慌てて電話を取り、会話をヘブライ語に切り替える。

 『はい、第七小隊長ミーシャです』

 『ミーシャ。よく聞け』

 老師の声は、どこか覚悟を決めている様な色を帯びていた。

 『第七小隊全員出動を命ずる』

 その命を受け、ミーシャは頭が真っ白になるのを感じた。ホースを持ったまま傍でこちらを見て居るガブリエイラは、命令の内容を察した。第七小隊全員で、ヴァンパイアを討つ。血湧き肉躍るのを感じた。そうしてしばらく会っていなかった同僚との再会もある。うれしさで頭の中が一杯になりそうだった。

 しかし、ふと見たミーシャの顔は、ひどく暗く、沈んでいた。

 『・・・了解しました。第七小隊全員で、ヴァンパイアを討ちます』

 通話が終わった。ミーシャは呆然とした顔で、すうと携帯電話を元の胸ポケットに仕舞い、ガブリエイラの顔を見る事なく、教会の中へと帰っていった。ガブリエイラはなぜミーシャがヴァンパイアを討つのを躊躇っているのか、それがわからずに、彼女もまた呆然と、ふらつくミーシャの後ろ姿を見て居た。


 母は息子を抱いたまま、頭を打ち抜かれて殺された。

 がたがたと震える息子の額にも銃砲がひたと指されていたが、

 寸での所で反撃に転じた政府軍が、ゲリラ達を真後ろから撃ち殺した。

 血塗れの自分と、くまのぬいぐるみ。


 それ以降子供は、言葉を失って過ごす事となった。




 「ヒコ!終わったよ!」

 司が中庭に面した渡り廊下から、エミリオと格闘を続けるヒコに呼びかける。その司の後ろからマティーナがやってきて、パチンと指を鳴らした。エミリオの動きがぴたと止まる。ヒコは荒い息を押し殺し、額に浮かんだ汗を拭った。

 「お疲れさん。いいデータが取れたみたいだ」

 マティーナはその場にへたり込む様に座って動かないエミリオに近づき、肘掛けに作られた簡易テーブルにノートPCを置いて、何やらかちゃかちゃと数値をいじっている。エミリオの戦闘データを書き直しているらしい。

 「現代の錬金術師は便利な板を持っておるのだな」

 昔なら3日は掛かっていた作業を、たった数分で完了させてしまうのである。

 「判るかい、司。これが魔物と僕等人間の違いだ」

 「え・・・?」

 急に言われて慌てた司を尻目に、マティーナは作業を進めながら語る。

 「魔物ってのは古くさい概念を持つ奴が多くてね。それに、自分自身の力と能力で勝たなければならないという強い固定概念が存在する。

 僕等は道具を使える。道具を駆使して、魔物の上をいったり魔物の裏をかいたりする。

 それが人間の強みだ。Tu as compris?」

 司はその言葉を受け、ヒコの方に視線を向けた。確かにヒコは未だに軍服を脱ごうとしないし(流石にコートは持ち合わせていなかった為司のお下がりを着ているが)、セルジュとデュファイを使役して戦うスタイルは恐らくヒコがばんぱいやになってから変わらないものなのだろう。

 と、急にヒコがよそよそしく咳払いをして、どこか照れくさそうに言った。

 「その道具を今日は受け取りにいくのだ」


 そしてヒコに掴まって空を飛び、降りた先は、すずの庵の庭。

 「いいか。今から貴様の前で起こる事をすべて受け入れるのだ。嫌だと言ってはならん。例えそう思っていてもな」

 「え・・・?」

 ふたり、庵の中を覗き込む。そこには普段の紫色の、丈の短い着物を着たすずは居なかった。既に現れて煙管を吹かしている夕凪の傍で、白装束を着てきちんと正座しているすずがいた。

 「ふたりとも入っていいのよー」

 ふわりと、堅かった横顔をヒコ達の方へ傾け、笑ってすずは言う。お言葉に甘えて庵に入り、普段通り夕凪の真っ正面にヒコが座るのかと思うと・・・。

 「今日は貴様がここに座れ」

 ヒコは、司が座るだろうと思われていた隣の席にすとんと収まり、まっすぐ真っ正面を向いて動かなくなった。何が何やらわからず、司は夕凪の前の座布団に腰を下ろした。

 「すず。出せ」

 夕凪の投げやりな一言に、神妙な面持ちのすずが頷き、右手側に置いていた緋色の鞘に収められた刀を、夕凪と司の間に恭しく置く。すずは何を思ったか、緊張で細かく震えている司の手をぎゅっと取り、刀の美しい翡翠色の束へと導いた。

 「刀、にぎって」

 「あ、ああ・・・」

 言われるまま束を握った司の手を握ったまま、すずは古代のやまとことばで何やら唱え始めた。それはお経にも祝詞にも似ても似つかず、何処か唄の様な、しかし呪文の様な・・・。

 「つかさちゃん。刀、ぬいて」

 どくん、と心臓が跳ねる。真剣を扱うのは、ヒコと最初に出会った日、戸の上霊園で海嘯を貸してもらって以来のことである。力を入れて徐々に刀を抜くと、すう、と音を立てて刀身が鞘から滑り出てきた。すずは傍らに置いておいた御神酒を絹の布地に含ませると、やまとことばを唱えながら、司が構えた刀の身を絹で拭ってゆく。

 こちらにも捧げられていた御神酒の杯をくいと煽って、夕凪はすずの神事が終わったのを見届けて、ぶっきらぼうに言った。

 「そいつぁてめーの刀だ。てめー用に作られた只一本の妖刀だ。

 名は華炎。頭で華炎と呼んで掲げてみろ」

 「は、はい・・・」

 華炎。答えてくれ、華炎。そう心の中で唱えてみた。すると、ぼうと一瞬刀身が燃えたぎる様が見えて、司は思わず仰け反った。刀身から物凄い熱を感じる。しかし、一回、二回、瞼をぱちぱちさせると、刀身を覆っていた炎が嘘の様に消えていた。温度も元のままであった。司は不思議そうに華炎を凝視する。

 「成る程な・・・それがてめーの妖力の現れ方だ。超高温で相手を焼き切る。そういう刀だ」

 「・・・これが俺の力、なんですか?」

 「打ったのは俺だがどういう形で相手を斬るかは持ち主次第だ。ま、尤も見抜いている奴ぁ見抜いていたらしいがな」

 ふと首を捻って、ヒコを見た。夕凪は「華炎」という名前をつけたのはヒコだと暗に言って居る。相手の能力を見抜くのも、ばんぱいやの力なのだろうか。

 「兎も角その華炎は貴様の刀なのだ。マティーナも言っておったろう。人間は道具が肝心だと。

 大事にするのだ」


 帰ってきたヒコと司を玄関先で出迎えたコロは、怪訝そうな顔をして、

 「なんか司のその刀、変な匂いするー・・・」

 さっさと家の中に入ってしまったヒコは常時もの事だから無視するとして、司は何処か嬉しそうな声でコロに言った。

 「俺の刀だよ!コロ、後で散歩いくぞ」

 そう言ってコロの頭をぽんと叩く様に撫でると、家へと帰っていった。

 暫く経って、刀を置いてきた司は、コロのリードを引っ張って宇部山公園・・・歩いて一キロほど先の公園へと向かった。

 「なーなー司。ヒコに言えよー、コロに礼くらい言えって」

 「俺から何言ったってヒコは礼なんか言わないよ」

 ふん、と鼻で溜息をついて、コロはまだ明るい4時過ぎの空を見上げた。

 「オレのおやつ買ってこいってママが電話しないと、助からなかったくせにさ!」

 「いや、そりゃあ・・・俺は助かったと思ってるよ。ありがとうとも思ってる。多分ヒコも一緒さ。

 でもそんなの表に出して言うヒコじゃないだろ?」

 あの時母から電話でコロのおやつのささみジャーキーを買って来て欲しいと頼まれた時、咄嗟にヒコはコロに電話を替わってくれと母に頼んだ。困惑した様子で、電話など触った事もないコロがこわごわ喋ると、どうやら司が怪しいやつに鉄砲で撃たれて危ない事、自分も結界に閉じ込められて出られない事、洗いざらい聞いた。ヒコだけなら軽く無視する所だが、司が危ないとなると話は別だ。上城家のカーストはママを最上とし、それからパパ、司、自分、そのまた下の下にヒコがいる、位の感覚である。自分より立場が偉い司を助けにいくのは当たり前の行為であった。

 ヒコが言っていた通り、一軒家の表の、隅から隅まで匂いをかいで、硝煙の匂いが微かに混じった人物の匂いを探り当てた。これと決まれば最早追い詰めたも同然、コロは匂いを辿って走り、ついに狙撃手を見つけ、食らいついた。それがあの夜のコロの真相。

 宇部山公園について一息。春が来ればこの公園は、園内に植えられた桜が一斉に満開となり、絶好の花見スポットとなるが、今はまだつぼみの姿も見えず、寒風吹き荒ぶ寂しい光景となっている。

 「春になったら、ここにみんなでお花見に来たいな」

 ぼそっと言った司の言葉。




 ヴァンパイアを殺す事を躊躇っている。ガブリエイラから指摘された傷口の様な物が、ずきずきと音を立てて痛む。自分でも信じられない。「自分は今命令に背こうとしている」。

 命令に背いたらどうなる。ロンギヌスもアーレフも奪われ、またもとの独りっきりになる。

 アーレフが奪われる。

 それが何より怖かった。


 孤児院の隅、ミーシャは薄く赤黒く汚れているくまのぬいぐるみを抱いたまま、他の子供達が遊ぶのをぼんやりと見て居た。混ざろうとは思わなかった。

 ミーシャは言葉を失った。あの日、両親を目の前で惨殺された日から、声が出なくなったのだ。精神的なものだろうからいずれは治る、と医者は言っていたが、あの悪夢は時が経る毎に薄れてゆくどころか、よりはっきりと、鮮明に、ミーシャの瞼の裏に映り込んでくる。だがそれを誰にも打ち明けられない。助けを呼べない。声が出ないのだから。また、ミーシャは銃を異常に怖がった。水鉄砲の先端を向けられただけで、言葉にならない声で、あ、あ、と苦しそうに喘いで、固まって動かなくなる。誰もミーシャの本当の心を知る事はなかった。

 そんな中、黒ずくめの長いコートを着たおじさんと、鎧甲で武装した、鳥の羽を持つ生き物・・・天使を園内に見つけた。ミーシャは不審とも思わず、ただぼうっと、きらきら太陽の光を浴びて輝いている甲冑を見て居た。天使はふとこちらを見ると、隣のおじさんに耳打ちした。おじさんは驚いた表情でこちらをまじまじ見て、駆け寄ってきた。

 『坊や、この天使が見えるのかい?』

 ミーシャは人と目を合わせる事を拒んだ。悲しそうな顔でぷいと横を向き、そのまま動かなくなった。見かねた園の先生が、その子はしゃべれないんです、とおじさんに説明した。だがおじさんは何かを察したらしく執拗にミーシャに迫って来た。

 『見えるんだね?天使が。見えたのなら首を縦に振ってくれないか』

 あまりのしつこさに耐えかねたのか、こくり、とゆっくりミーシャは首を縦に振った。おじさんは尚驚いた様な表情を見せ、ミーシャから離れると、天使と何かを話し込んでいた。

 そして暫くして、またミーシャの元へ戻ってきた。何かを決意している様な、そんな目をしていた。

 『坊や、うちに来ないか』

 おじさんが差し出した名刺には、『Church』と書かれていた。


 「ミーシャ」

 声と共に、ドアがノックされる音が響く。自室の書机に突っ伏していたミーシャは、夢が覚めたのを確認してじわりと頭を擡げた。立ち上がって、ドアを開けに行く。そうして開けて、

 そこには小銃をミーシャに向けて真っ直ぐ構えたガブリエイラが立っていた!

 「あ・・・!」

 がくんと膝の力を失い、ミーシャはへたり込みかけた・・・が、なんとか腕で倒れる事だけは免れた。

 「やっぱり」

 ガブリエイラの瞳は、どこか憐憫とでもいうべき情を含んでいた。

 「あなた、未だに昔のことを引きずってるのね」

 「・・・」

 すっとガブリエイラの小銃が、シスター服の長いスカートをたくし上げた下の、太腿にベルトで固定された小銃入れに収まった。

 「あなたそれであのちみこいヴァンパイアを殺す事が出来なかったのね」

 ミーシャは何も言えない。図星だった。言われてようやく納得した。そういう事だったのか。自分はあのヒコの姿に、昔の自分を見ていたのか。

 ガブリエイラの手が、中腰のままの体勢だったミーシャに差し出される。立て、という事らしい。

 「私の前でならいいけど、他の隊員の前でそんな弱み見せちゃ駄目よ」

 差し出された手を頼りに立ち上がり、神父服の裾をぱたぱたと叩いた。そうして、あの子供の様な無邪気な笑みを見せ、

 「大丈夫だ。誰かひとりが判っていてくれれば、俺はひとりじゃない」




 「えろいむえっさいむ!」

 ヒコの声が、司の部屋に木霊する。暫くの静寂の後・・・最初の様に司の勉強机の引き出しから出てきたルルが素っ頓狂に挨拶。

 「悪魔生協お呼びでございますかー!?」

 「うむ。呼んだのだ。」

 ぴょんと飛び出し、すちゃっと着地。そしてヒコに向かって四十五度のお辞儀。

 「ちょっとものは相談なのだがな。とりあえず席についてくれんか」

 契約したときと同様に、ふたり向かい合って卓に付く。

 「相談って・・・何のご相談ですの?」

 「相談というか・・・教えてほしいのだ。

 チャーチは今、どれくらいの規模で動いているのだ?」

 ルルはくそ長くマスカラを塗りたくった睫毛をぱちぱちさせて、質問の意味を問うた。

 「チャーチがどれほどの規模の組織なのか、それは判りませんわ。ですけれども今日本に来て、ヒコ様を狙ってらっしゃるチャーチの人間がどういう人間なのかは存じております」

 「あのミーシャと狙撃手の女以外にまだ来る可能性は?」

 「大ですわ。ミーシャと仰る方は、チャーチの第七小隊・・・特殊部隊を率いるリーダーですの。そして狙撃手の方・・・あの方はガブリエイラと申しまして、彼女に殺された魔物は数知れず。うちの顧客様も何人もやられておりまして、困っているところですわ」

 そこまで喋って、ルルは片頬を押さえ首を傾げ、何かを考え込んでしまった。

 ヒコは姿勢を崩さず、ルルの瞳を真っ直ぐに見つめ、言った。

 「という事は、これから第七小隊なる部隊が襲来してくる、というのか」

 「そうお考えになった方がようございますわね。オーピック氏の様にチャーチに或る程度の協力をしているならば見逃してもらえる事も無きにしも非ずですけども・・・ヒコ様の様に強大な力を持つ悪魔に協力している司様はどうなるかわかりませんわ」

 「矢張り司も狙われる可能性大、か・・・」




 その翌日、司は今日もまたマティーナの治療を受けに、部活を休んでオーピック邸を尋ねる所であった。勉強の成績がここの所下がり気味の司は居残りで補習を受けさせられたので、時は既に夜の七時。真っ暗な住宅街の道を、司は歩いていた。

 と、その時。

 「おーい、そこのぼうずー」

 呼ばれる様な相手は他に居なさそうだから、自分の事だろうか。くるくると司は辺りを見回した。すると、司の丁度背後に、白系の外国人が二人居た。

 もしかしてチャーチだろうか。しかし司を呼んだらしい方の男は、やけに人懐こく笑ってこちらに手を振っている。もう片方の眼鏡をかけた、まだその頬に幼さを残す青年の顔は緊張に染まっていたが、何故か必死に両手に広げたマップルを凝視している。

 「ちょっと俺等道に迷っちまってさー!教えてくんねーかな!」

 「は、はい・・・?」

 流暢な日本語。と、急に眼鏡の青年が叫んだ。

 「あ!判りました、こっちです!」

 「え?何だよお前、ひとが勇気出して現地人に道を尋ねてるってのに・・・まぁいいや。

 ぼうずさぁ、この辺に美味しい店知らねーか?俺たち腹も空いちまってさー」

 「・・・お、美味しい店、ですか?学生の俺に聞かれても・・・」

 眼鏡の青年が苛々しているのか、どこか刺々しい口調で、司に絡む青年に叫んだ。

 「もー!ご飯は向こうに着いてからでいいじゃないですか!

 行きますよ、『ウル』さん!!」

 そうして眼鏡は、ウルと呼ばれた人懐っこい青年のパーカーのフードをぐいぐい引っ張ってどこかへ行ってしまった。司はただ、その嵐の様な勢いに圧され、呆然としていた。

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