第三話:おんなのけっとう 中編


 冬の陽は長くない。気付けば既に日は落ち、辺りを夕闇が覆い、ちりりっと音を立てて街灯の灯が灯る。

 ヒコは由川中学校武道場いの床の空気窓から、剣道部の練習試合の様子をしゃがみ込んで見て居た。ここ最近の剣道の流派の脈を見てみたかったのだ。

 司は剣道場の隅で、自分の順番を待ちながら目を閉じ、深く呼吸を繰り返し、精神統一していた。ふむ、とヒコは気付かれない様に息を吐いた。ここまでは堂に入っている。

 しかしながら、ヒコはややの落胆を感じていた。現代の剣道は、最早飾りとお体裁にしか過ぎないものになっていた。流派に凝り固まり、刀の途を既に忘れ、只のお面、お小手、お胴の叩き合いにしか見えなかった。これでは期待できないかもしれない、と思ったが、実際司の実力を見なければ始まらないと思い、この狭いコンクリートとコンクリートの壁の間、狭い細道に忍び込んで道場を眺めている訳である。

 やがて司の名が呼ばれ、はい、と司の声が武道場に微かに反響する。位置に付き、相手に深々と礼。顧問の教師の合図と共に竹刀を構え、一時の間を置いて、はじめ!と教師の声が高らかに響く。両者雄叫びを上げて相手に突っ込んでゆき、バチン、バチンと、竹刀の鋭くぶつかり合う音が武道場を震わせる。ヒコは段々苛々してきた。司の劣勢を見るに堪えなくなってきたのだ。しかしながら、ここで言う劣勢とは「決められたルール」内での事。身の捌き方や竹刀の太刀筋、これらは他の選手と違い独創性が光る。ヒコの目から見れば、言い方は悪いが、「ひとを斬る為の剣術」に微かに似通っていた。

 と、鍔迫り合いの勢いに負けて、司の身体が軽く2メートル程後方へ吹っ飛んだ。試合はそれで終了。明らかに悔しさを滲ませている司の瞳を見て、ヒコは思うところあったらしく、そのまますっくと立ち上がり、細道を抜けてセルジュを呼び出すと、暗くなった呉倉の街をひゅうと滑った。


 そしてヒコが降り立ったのは、すずの庵であった。右手には、洋酒の瓶が握られていた。とすん、と軽く地面を踏んで、セルジュを仕舞う。庵の中を覗き込むと、麓の酒屋に頼んだのか、ぶり大根のいい匂いがヒコの鼻をくすぐった。囲炉裏端でぶり大根の鍋をじっと見て居たすずは、ヒコの来訪に驚き半分うれしさ半分、花の咲いた様な笑みを見せて、

 「ヒコちゃん!ちょうどいいとこに来たのよー、今日はねー、酒屋さんからもらったぶりで・・・」

 だがヒコは、血相も表情も変える事なく、すずに言い放った。

 「夕凪を呼んでほしいのだ」

 2、3回瞼をぱちぱちさせて、すずはててと台所に走ると、常時もの古い杯と日本酒を・・・

 「いや、ヒコの土産がある。口に合うなら飲むといいのだ」

 琥珀色の洋酒のラベルには何やら英語が書いてあったが、ヒコにもすずにも英字が読めない。ヒコも知らずに、洋酒など夕凪は飲んだ事がないだろうと思って買ってきたのである。

 すずはつっけんどんにヒコから突き出された洋酒を恭しく受け取って、夕凪の座布団の前の杯にこくこくと注いだ。普段とは違う酒の匂いが気に入ったのか気にくわなかったのか、ややの間を置いて夕凪は姿をあらわした。

 夕凪の真っ正面に座ったヒコは、予想外の事を口走った。

 「もう一本、刀を打って欲しいのだ」

 夕凪の深い眉間の皺が、怪訝そうに更に深くなる。

 「もう一本たァてめー、こないだ海嘯打ち直したばっかりじゃねえか」

 「ヒコが使うのではない。

 威力は薊丸ほど無くて良いから、人間が使える程の妖力の刀を打って欲しいのだ」

 ぴくり、と夕凪の片眉が上がった。今回依頼する刀を使う人間とは・・・考える間もない。

 「・・・上城家の餓鬼か」

 「人間だからと言って安全ではいられなくなった。司には強くなってもらわねばならんのだ。

 それには貴様の打つ刀が必要なのだ」

 夕凪は少し考え込んでいた。確かに夕凪の腕ならわざと妖力を落として刀を打つ事もできる。しかし、夕凪の打つ刀は、如何に本人(?)の暴走が止まったとは言え、普通の人間が持てる代物ではない。

 物理的に。

 妖力が足りなければ、その刀は持つ者に呼応しない。そもそも持ち上げられないのだ。だが司はヒコと出会った最初の日に、海嘯を振るっている。司本人にその実感はなくとも、そもそも司の妖力は高いのだ。

 現在の司の実力は、まさに氷山の一角。鍛えれば鍛える程、司は強くなる。

 「・・・名はどうする」

 ヒコはしばし黙って、そして答えた。

 「華炎」

 妖刀には名が必要だ。武士にとって刀は我が身と同然、名をつける事によって愛着とでも言おうか、そういうものが育つ。そして刀自体に魂が宿り、妖力を増幅するのだ。

 夕凪がゆらりと立ち上がる。自分の顔をじっと見て居るすずに一瞥もくれず、ただ何処を見る訳でも無く、鍛冶場へと入っていった。とは言え、前回の海嘯の様に研ぎ直しならともかく、一から作るとなると夕凪の腕を以てしても、最低二週間はかかる。それまでは司に海嘯を持たせるしかあるまい。




 戸の上霊園の隣には、廃ビルがある。老朽化が進み、来月にでも取り壊し作業が始まる。

 その一室に、ガブリエイラは居た。

 固定三脚にセットした大型のスナイパーライフルを構え、戸の上霊園を丁度見渡せるこの位置から、今日もやってくる筈のヒコを狙う。

 時刻はもうすぐ8時。ガブリエイラはスコープを覗いたまま動かない。




 「今日はどこ行くんだ?」

 玄関先で、家から出てきたヒコと司に、コロが尋ねる。悪霊狩り、というものを一度見てみたいらしい。コロにはあまり妖力がない為、よっぽど強い悪霊・・・夕凪が見えなかった位だから相当の実力の持ち主・・・でないと、姿を見る事もままならない。

 「ふん。貴様には関係の無い話なのだ」

 「ぁんだよけっちいの」

 お互い同時にぷいと横を向いた。そうしてヒコは司の腕をがっしと掴むと、ばさと戸の上霊園へと飛び立った。司は相変わらず空を飛ぶのに慣れてないらしく、がっちがちに固まって身動きひとつしない。

 飛んで5分ほど経っただろうか、呉倉の中心街を高い高度で飛んでいると、不意に司が叫ぶ様に言った。叫びでもしなければ、風圧の音で物音がよく聞こえなかった。いい加減聞きづらいのに苛々したのか、ヒコはセルジュに、滑空に切り替える様命じた。

 「何だ司!」

 「俺さー!今日すんげー怖えーの見たよ!多分お化けと思うけど!」

 ルルのくれた妖力増強ビスケットのお陰で、司はかなりここ短期間で霊感とでも言うべきものを身につけ始めたらしい。

 「学校の近道の駅の地下道歩いてたらさー!壁からなんか生えてるんだよ!」

 「・・・見えたのか!?」

 「ばっちり。膝の所に顔があってさー!それがくるくる回ってさー!」

 ヒコは何か納得したらしく、聞こえるか聞こえないか位の声で言った。滑空モードに入ったからか、騒音もやや治まってきた。

 「それは『まもるくん』なのだ」

 まもるくん。意味がわからない。ヒコは説明を続ける。

 「貴様が見たのは壁から生えているものだが、時折人の身体の特定の部位から生える事もある。大きさもまちまちなのだ」

 「なんか害があるもんなのか?」

 「無視しておれば害はない。気付いてじっと見て居る方がやばいのだ。自分の家まで付いてきて、屋根から生えてくる事もあるのだ。まあ悪霊と言うよりは、何かの思念体なのだ」

 「ふーん・・・無視すりゃいいんだな。でも無視できるってレベルじゃねーぞあれ・・・」

 そうこう雑談している内に、戸の上霊園上空までやってきた。

 ふたりとも、まさかそこに罠が仕掛けてあるとも知らず。


 ガブリエイラの瞳が、ヒコの頭へと留まった!


 ツターンッ。


 「・・・、・・・ぁぁあああああッ!!!」

 司の喉から、声にならない音が響く。急な突風で煽られて弾道と標的が逸れ、ヒコの頭を狙った筈の弾丸は、司の左肩へとめり込んだ。迷彩柄のコートがみるみるうちに溢れた鮮血で汚れてゆく。ヒコは一瞬何が起こったか分からず、左肩を押さえて地面にへたり込んだ司を見て慌てている。

 「司!どうしたのだ司!見せてみろ!!」

 血塗れの司の右手を退けると、弾痕が衣服を突き破って皮膚の奥深くへと入ってしまっているのが分かる。何かに気付いたデュファイが、何処か悲痛な色を込めて叫んだ。

 「若逃げて!これ銀製だわ!!」

 ヴァンパイアの弱点、銀。これで出来た武器や道具で出来た傷は、ミーシャのロンギヌスや妖刀夕凪に斬られた時と同じ様に治りが遅い。


 「はずしたか・・・何でカミジョウ家の人間が居るのよ!」

 ガブリエイラは内心、半分焦ってはいたが、残りの半分は切れる程冷めていた。逆に考えれば、・・・。


 「狙撃ですじゃ。何処から来よるかもわからんからには逃げるしかありますまい!」

 セルジュとデュファイの進言に、ヒコは泣きそうな顔をして首を横に振る。

 「馬鹿者!司を置いて逃げられるか!!それに今司を担いで飛んだらそれこそ格好の的なのだ!!」

 ヒコは逃げられない。矜恃が許さない。ヒコのプライドを逆に取れば、これは大いなるチャンスだ。もう一度狙いを付けて、慎重に。

 ピシッ、ツターンッ!

 銀の弾丸は、ヒコの左手首に命中。痛みと勢いで、薊丸が飛んで地面へと突き刺さった。

 「・・・ヒコ、いいからヒコは逃げろよ!」

 「黙れ馬鹿者!最初の夜ここに来る時言っただろう、貴様を傷つける様な真似はさせんと!

 チャーチが貴様を傷つけたからには、チャーチの下衆から逃げたり許したりする訳にはいかんのだ!

 見つけて骨の髄まで食らいつくしてくれるわ!!」

 しかし問題は多い。戸の上霊園は三方を高いビルに囲まれている。残りの一方は一軒家で狙撃出来る様な建物ではない。逃げるならそっちの方向が最も安全だ。

 だが。


 ヒコのきょろきょろと自分を探す目線をスコープ越しに見て、ガブリエイラは緊張で乾いた唇を舐めた。

 「そっちしかないわよね・・・。

 普通はね」


 左手をやられた以上、セルジュとデュファイを同時に使う事は出来なくなった。少なくとも司にだけはこれ以上傷をつけたくないと判断したヒコは、デュファイを元の姿に戻し、踞ったままの司の側につけてやった。デュファイはふっとひとつ息を吐き、枝切れにしか過ぎないはずの両腕をまっすぐ前に伸ばした。枝を覆う更紗が途端にびりりと破け、まるで剪定された囲いの様に、司をドーム状に覆う蔦群を形作った。

 狙撃手は恐らくひとり。攻撃の間合いと、まるで何かを急かして居る様な弾道。

 明らかに相手は、ヒコが一軒家の上空から逃げるのを期待している。ブービートラップ。

 こうなったら、相手が居そうな場所を虱潰しに飛んで探していくしかない。ヒコはデュファイに目配せして、セルジュの羽を指輪から出した。しかしその瞬間、もう一度、今度は明らかに司を狙って一撃が繰り出された。デュファイの蔦が何とかそれを凌いだものの、デュファイ自身にもダメージは来る。使い魔も魔物、銀には弱いのだ。つまり相手は、ヒコが下手な動きをすれば、司を殺す事も辞さないと意思表示しているのだ。相手の居る部屋を見つけ、一発で仕留めないと、司とデュファイの命が危ない。

 「くせ者が!どこに居る、姿を現せ!」




 ミーシャは教会の執務室でひとり考え事をしていた。

 あの時、アーレフが蝙蝠を串刺しにした時に見せた、ヒコの泣きそうな顔。

 まるで親を殺された時の様な顔。

 確かにそうだろう。情報によれば、ヒコは500有余年前ヴァンパイアになった時から、父の形見としてセルジュとデュファイを受け取った。形見がやられたのである。泣きそうになるのも無理はない。

 自分もあんな顔をしていたのだろうか。あの日。


 ミーシャの生まれた街は、民族対立が酷かった。どういう理由でそうなったのかは、ミーシャ自身も知らない。ただ、あそこの地区に入ったり、地区の子達とは遊んじゃいけないよ、そう両親から言われただけだった。それを不思議とも思わず、7歳の誕生日を迎えた。

 ミーシャの国は貧しかった。両親は貧しい中でも、ケーキを作り、チキンを焼き、精一杯のお祝いをしてくれた。ミーシャへのプレゼントは、大きなくまの縫いぐるみだった。自分の半分ほども大きさのある縫いぐるみを抱きかかえて、家族みんなでお祝いの歌を歌おうとしたその時。

 ニュースや歴史の教科書では、「大虐殺」と呼ばれる時間が始まった。不満をため込んでいた敵対民族が武装蜂起し、何人かの衛兵を置いただけの首都を一気に覆い尽くしたのである。兵や男は殺され、女は嬲りものにされた後に殺された。

 だがそんな事はミーシャは知らない。成人になってから、ニュースのアーカイブなどで知っただけの真相である。ミーシャが知っている「大虐殺」はたったひとつだけである。

 歌の中、パパパ、パパパ、と外から微かに聞こえた音に、父は怪訝そうな顔をして窓へと向かった。そうして窓の外を見て、血相を変え、

 『逃げるんだ!早く!あいつ等が来る!』

 ミーシャには訳がわからなかった。あいつとは何かさえ知らなかった。だが母は知っているらしく、縫いぐるみを抱いてケーキを物欲しそうに見て居るミーシャの手を引いて、玄関先へ走ろうとした。が、そこには。

 玄関を蹴破って、およそ民兵とは思えないほどの武装を身につけた敵対民族であった。寝室に置いておいた散弾銃を取って武装集団に向けて立って居た父の背中へ、母は回ってへたり込み、ミーシャをきつく抱いた。

 『ここには何もない!出ていけ!撃』

 父の言葉を最後まで聞くことなく、武装集団の先頭に立って居た男は、サブマシンガンで父を蜂の巣にした。ぴしぴしぴし、と、弾ける様な音の後、父は真っ赤になってドスンと仰向けに倒れた。

 残った母とミーシャは、家の一番奥、寝室へと逃げ込んでいた。母は壁に寄りかかり、ミーシャだけはとでも言わんばかりに抱きしめた。ミーシャはと言えば、一体何が起こっているのか、あのぴぴぴ、という音の後に父の身体からシャワーの様に吹き出した紅い水は一体何なのか、そればっかりを考えて


 「ミーシャ。考えるな」

 白昼夢の中から目を覚ましたミーシャの目の前には、机越しにコーヒーのお盆を持って立って居るアーレフが居た。

 「思い出しただけだよ・・・心配ない」

 うーんと軽く唸って背伸びをしたミーシャは、まるで子供の様に笑った。それがまた一層、アーレフにとって辛い事であった。




 手のつけようがない。司とデュファイは動けないし、ヒコとセルジュだけ逃げる訳にもいかない。左手首の傷も、普段なら司の血を貰えばすぐに回復する話だが、今の司に吸血に耐えられるだけの体力はなさそうだ。兎にも角にも、相手を見つけなければ意味がない。

 その時。

 司の胸ポケットの携帯電話が、例の電子音を響かせた。


 「何なの・・・?」

 ガブリエイラの顔に焦りが出始めた。早く相手が一軒家の上を飛んで脱出しようとしてくれないと、ガブリエイラは一般人を巻き込んだとして罰せられる可能性もある。勿論「ヴァンパイアに同行していた契約者です」と弁明すれば通る話だが・・・後味の良いものではない。ヴァンパイアは携帯電話で何かしらの通話をしたっきり動かない。どこか怪しいものを感じるが、考えていても仕方ない。スナイパーライフルを持ち上げ抱えると、ガブリエイラは照明の全くない暗い廊下をひた走った。狙撃ポイントを変えるつもりだ。今現在は東から狙っていたが、今度は北側から狙う。相手にその気がなくとも、一軒家の上に追い込まなければならない。

 北側の部屋にたどり着いたガブリエイラは、手慣れた早さで固定三脚にスナイパーライフルを固定して、ヴァンパイアが動くのを待った。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 「・・・早く動きなさいよ!」

 ぴしっ、ツターンッ・・・

 しかしヴァンパイアは寸での最小限の動きで、頭を狙った一撃を軽く小さく躱した。そしてスコープの向こう、ガブリエイラを睨んでいるのに気付き、彼女はぞっとした。見つかった。思わず小脇に抱えていたアサルトライフルに触れた。最悪こいつで近距離戦に持ち込まなくてはならないかもしれない。


 司も痛みに慣れてきたのか、うめき声をあげることをしなくなった。そんな体力も無くなってきたのかもしれない。ヒコと使い魔二匹も動かない。

 「待つのだ」

 ヒコは遠く北の方角、人間の微かな匂いがする方を睨んだまま呟いた。

 そのまま動かない。手首からはだらだらと、呪われた血が地面へと導かれ、吸い込まれていった。




 変な事を思い出した所為か、ガブリエイラの事が妙に気になって仕方なくなってきた。本当にひとりで大丈夫だろうか。普段のミーシャなら、小隊のメンバーに全幅の信頼を寄せ、割り振られた仕事を完遂できるかどうかなどと心配する事はないのだが、・・・。

 「どうしたミーシャ」

 がたんと席を立ったミーシャに、不思議そうにアーレフが問う。

 「ガブリエイラが心配だ。ちょっと行ってくる」

 作戦内容はミーシャも知っている。戸の上霊園。




 焦りと不安がガブリエイラの胸を焦がし始める。駄目だ、平静を取り戻せ、私はスナイパーだ、そう言い聞かせても、一体あの小さな魔物が何を待っているのか、見当もつかなかった。助けを待っているのか、しかしそれは無意味だ。ガブリエイラはヒコが霊園の定位置にさしかかるのと同時に、チャーチからの支給品、ガブリエイラの霊力で作り上げた、銀の弾丸だけを通す結界を以てして、霊園の上空を塞いだ。霊園からは、出る事も入る事もできない。ただひとつ、一軒家の上空を飛ぶルートしかないのだ。

 あそこさえ通ってくれれば。

 一軒家の上には、妖力を吸い取る効果のある、霊力によって作られた見えない「スパイダー・ネット」が張り巡らされている。それにさえ引っかかってくれれば、妖力を吸い取る事により使い魔二匹を出せなくなり、ヴァンパイア自身も動きに制限がかかって身動きができなくなる。そこを狙い撃ちする事なんぞ簡単だ。秘宝も傷つけること無く手に入る。それが当初の計画だった筈。

 「・・・ちっ、」

 ガブリエイラの舌打ちに反応するかの様に、突然鼓膜にぶつかってきた音。

 「バウッ!」

 「え?」

 鳩が豆鉄砲食らった様な顔をして、ガブリエイラは振り返った。するとそこには、部屋の入り口から上下合わせて4つの牙をむき出しにしてこちらに飛びかかってきた大きな犬・・・否、狼が居た!

 思わず神速でアサルトライフルをセットし、狼の眉間を目掛けて撃った。しかし慌てて発した一発が当たる訳も無く、また人狼特有の勘の鋭さもあって、あっさりとかわされ、馬乗りになられてガブリエイラは背中をコンクリートの床に強打した。


 コロの咆吼に反応して、ヒコは右手をすうと挙げた。バサァッ、とセルジュの羽が広がる。


 「ちょっ、何よっ・・・どきなさいよッ!!」

 腰にくくっておいた小銃で、なんとか狼の脇腹を撃つ事が出来た。キャインと悲鳴を挙げて狼は後ずさり、強い痛みに踞った。銀玉は勿論人狼にも効果を来す。

 はぁ、はぁ、とあがった息をゆっくり整えて、ガブリエイラはアサルトライフルを構え直した。

 「携帯であんたを呼んでたのね。・・・全くあのカミジョウ家の存在は邪魔そのものだわ・・・、

 あんたから先に逝きなさいよ、犬ッコロ!」

 ガシャンと安全装置を外し、アサルトライフルの引き金を引こうとした、その瞬間!

 「結界がお留守だぞ、チャーチの下衆!」

 背後、結界で銀玉以外くぐれない筈の窓をぶち破って、セルジュの羽で飛び込んできたヒコが、振り返ろうとしたガブリエイラの首根っこを引っ掴んで、

 ミーシャにやった様に、動脈を狙って噛みついた!

 「かはっ!」

 勢いよく吹き出す鮮血に白い顔を汚し、それでも尚ヒコは、さも司の分までと言わんばかりに牙をガブリエイラの喉の奥まで押し込んだ。げほっ、と音がして、ガブリエイラの色味のない唇から血の毛束が漏れた。

 「ガブリエイラ!」

 突如聞こえた声に、その場の全員の視線が釘付けになる。

 やってきたのは、ロンギヌスを掲げて血相を変え、こちらに飛び込んでくるミーシャの姿であった。

 「み、ミー・・・」

 仲間をやられた激怒に顔を歪め、ミーシャはひと飛びにヒコに飛びかかろうとした・・・が、右足首を足下に居たコロに噛まれてコンクリートの床にもんどり打った。

 と、ここでヒコの表情が変わった。目をぱちくりさせて、牙を抜き、青ざめたガブリエイラの顔を見張って、


 「貴様、・・・、処女か!」


 ぽかーん。血の味で判明した、戦闘とは全く関係の無い事実。まさかこの見た目と歳で処女だとは思わなかったヒコと、それを知ってしまって何故か気まずい顔をして俯いたミーシャ。そもそも処女の意味が判ってないコロ。

 三者三様で固まってしまったこの場の空気の中で、ガブリエイラはぜえぜえ息を漏らしながら言った。

 「うっ、さいわね・・・処女で、何が悪い、のよ・・・」

 がくん。決着。ヒコの勝ち。




 司の傷は出血は派手だったもののそう深くなかったらしく、帰りに寄ったオーピック邸で治療を施して貰ったヒコは、エミリオから差し出された紅茶を啜りながら、司の治療に当たってくれたマティーナの背中を見て居た。ヒコの傷はガブリエイラの血ですっかり癒えている。

 「そりゃ処女さ。チャーチに入るくらいの鋼鉄の美女なら。いいんじゃない、Une vierge de l'acier」

 「にしたって・・・あの歳で処女の味がするとは思わんのだ」

 マティーナは溜息を吐いた。何故にまたしても、ヒコ達はまあ兎も角、チャーチの面倒まで見なきゃならんのか、マティーナは便利屋扱いされて心底ご立腹の様子。ヒコの血を(仕方なく)飲ませてやったコロは床に敷いた毛布の上で寝息を立てている。そうして、

 ミーシャは、気絶してベッドで寝ているガブリエイラの傍に寄り添って、鋼鉄の処女と称された彼女の顔をじっと見て居た。そこに何かを察する事は、難しくなかった。

 が、ヒコにはこういう機微は判らぬ様子。とりあえず司が無事であれば、それでよかった。

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