第一話:ヒコのおめざなのだ 中編


 それはまるで墓石のてっぺんから巻き起こったかの様だった。各々の墓石に紫色の煙が巻き出たかと思うと、しゅうと音を立てこれも様々なかたちの異形に姿を変えた。鬼の様に角が生えているもの、長い髪をだらりと顔前に垂らしたもの、髑髏だけの小さなもの、それは司が小学生の頃に学校の図書室の本で見かけた「お化け」そのものだった。

 「来るぞ、怯むな!怯めば取り憑かれるのだ!」

 「だーっ!そんな事言ったってこれ幽霊じゃねーか!」

 「悪霊だから幽霊に決まっておるのだ・・・馬鹿か貴様は」

 言いながらヒコの身体が物凄い速さで悪霊の群れへと飛び込んでゆく。薊丸を鮮やかに振り、次々と紫の化け物共を斬り棄てる。すると斬り捨てられた霊が断末魔を挙げながら光る石へと姿を変え、ぽとりと地面に落ちる。慣れた手つきで悪霊を斬って石へと変えてゆくヒコの刃を逃れてきた一匹の髑髏が、刀を構えたまま硬直していた司の元へと飛んでくる。

 「うわーっ!」

 思わず身体が反応していた。お面の要領で髑髏を縦に真っ二つに切り裂いた。薊丸ほど切り口は鋭くはないが、髑髏は音も立てずにその場から消えていった。

 「そっか、薊丸じゃないと石は出ないんだ・・・」

 一度斬ってしまえば少し冷静になれた。しかしそんな間も束の間、腹に響く様な重低音のうなり声が辺りに木霊した。あらかた悪霊を斬ってしまったヒコがひとつ舌打ち、

 「矢張りヒコが狩らぬ間に『溜まって』おったか」

 墓地の中心からうなり声は響いてくる。司の目が釘付けになる。ヒコはもう一度薊丸を構え直し、

 「がしゃどくろなのだ。貴様は下がっていろ」

 言われなくても既に司の足は墓地から遠ざかろうと踏ん張っていた。墓地の中央から巨大な髑髏が現れたかと思うと、砂埃をあげて鎖骨、肋骨、ひょろ長い上腕骨が次々と姿を現す。そうして上半身をさらけ出したがしゃどくろはひとつ雄叫びを挙げて背伸びの様な動作をして、どすんとヒコの方に上半身を傾けた。

 途端、今まで仕舞われていたセルジュの羽が指輪から抜き出てきて、ヒコの小さな身を上空に舞い上げた。そうでもしなければがしゃどくろの巨大な身体を斬る事は不可能と考えての上昇であった。ヒコの背丈ほどもある髑髏をかちかちと鳴らして、がしゃどくろはヒコを見上げて巨大な歯を剥いた。しかしヒコの身体はがしゃどくろの頭を過ぎて背骨の中央に降り立ち、古ぼけた乳白色の関節に思い切り薊丸を突き立て、切り裂く様に横に抜いた。逃げている司の背後からがしゃどくろの悲鳴が聞こえる。思わず振り返った。

 がしゃどくろは背骨を失い、巨大な肋骨が地面にどおんと叩き付けられた。力を失った背骨がきらきらと光る様々な色の石へと変化し、ぼろぼろとこぼれ落ちた。がしゃどくろは自身の背中に乗っている小さな魔物を忌々しそうに百八十度首を回して振り向き、また吠えた。しかしそれに怯む様な様子も見せず、ヒコは次々とがしゃどくろの弱点であろう関節を斬り倒してゆく。腕を失い、肋骨にも罅の入ったがしゃどくろは為す術もなく、崩れ落ちる、かの様に見えた。しかしがしゃどくろは首をまた正面に戻して、今度は固まって動けない司の元へと這いずり寄ってきた。

 司は動けなかった。どでかい髑髏がこちらに迫ってくる。

 「わ、わわ・・・!」

 踵を返そうとするも、身体が言う事を聞かない。足が凍った様に重く、がしゃどくろの歯の隙間から洩れる冷気が司の頬を撫でてゆく。それがまた一層司の身を凍らせ、身動きする事を許さない。

 「往生際が悪いのだ、さっさと散れ!」

 ヒコの叫び声でようやく正気らしいものを取り戻した司が見たのは、背骨を駆け上がり髑髏のてっぺんに立ったヒコが、がしゃどくろの頭に薊丸を突き立て、セルジュの翼の推進力を利用して一気に切り下げてゆく姿であった。がしゃどくろは悲鳴をあげて縦真っ二つになり、まばゆい光で墓石群を照らしたかと思うと、他の霊と同様無数の石になって崩れ落ちてゆく。

 とすん、とヒコが司の前に立ち、ぱちんと薊丸を鞘に収めた。セルジュの羽がまた指輪の中に収まってゆく。

 「さて」

 ヒコは振り返り、山の様に積み重なった光る石を、これまたきらきらした目で見つめていた。危機が去って安心したのか、平静を取り戻した司がヒコの顔を覗き込み、

 「これ・・・どうすんだ?」

 光る石の山を指さし問うた。

 「食うのだ」

 呆気に取られている司の横をすり抜け、ててと石の山に近寄ると、手近な石をひょいと拾ってくるくる眺めた。石はどれもあめ玉を少し大きくした位の大きさで、確かに食べるには丁度良いサイズだった。赤く光る石を、何事もなさげにひょいと口に入れてぼりぼりとかみ砕く。

 「さすがにでかいだけあって量もそれなりなのだ。一週間は困らんのだ」

 嬉しそうに懐から出した風呂敷を広げて、石を積み上げると慣れた様子で包んでゆく。風呂敷は何枚も用意していたらしく、次々と広げては石を拾い集める。ぽけっとしている司にも風呂敷が数枚投げられた。

 「貴様も手伝うのだ。ぼーっとするな」

 「・・・まさか拾うの手伝わせる為に連れてきたんじゃないだろうな」

 「ん、それもあるのだ」

 包みながら我慢できないのかひょいと摘んでは食べ、摘んでは食べを繰り返すヒコの後ろ姿を見て、司はこれからもこんな事が続くのだろうかと頭を悩ませた。

 「でもこんなに大量には持って帰れないだろ」

 「なーに、放っておけばまた元の悪霊に戻る。腹が減ればまたその時狩りにくればいいのだ」

 そうして二人、五、六個もの包みを抱えて何事もなかったかの様に家路についた。


 「あらお帰りヒコちゃん、司。ヒコちゃんの布団、司の部屋に敷いておいたわよ」

 午後11時を回る頃に帰ってきた二人を見て、家事が一段落したのか居間で休んでいた母が言い放った一言に司は言葉を失った。確かに空き部屋はうちにはないが、まさかこんな化け物と一緒の部屋に寝るハメになるなんて!

 「かたじけないのだ。母上殿」

 「あら嫌だヒコちゃんたら、もううちの家族の一員なんだからママって呼んで頂戴」

 母はにっこりと笑ってヒコにそう言った。司でもママなどと呼んだ事はないのに、である。

 「ママは西洋かぶれっぽくて嫌なのだ。ママ上と呼ばせて頂くのだ」

 ママ上。最早意味が分からない。五百年近く生きていると思考回路もひとのものと乖離してくるらしい。


 司が風呂から上がって部屋に戻ると、既に先に風呂に入っていたヒコは床に敷いた布団でぐっすりと眠っていた。

 これからこんな化け物と一緒に暮らさなければならないんだろうか。もう元の平穏な日常は訪れそうにない。今日の様なお化けにも沢山遭遇する事だろう。しかし眉尻を下げて呑気に眠り入っているヒコの顔にはそんな緊張感はまるで見られない。

 「お疲れ、司ちゃん」

 ヒコの枕元に置かれていた薊丸からデュファイの声が聞こえた。主人が寝ていても或る程度の行動は出来るらしい。デュファイの声は、どこか司をからかう様な響きを蓄えていた。

 「お疲れじゃないよ・・・お疲れどころで済むもんか」

 霊感がまるでない司でもはっきり見える悪霊となると、今日対峙した悪霊は相当強い力を持っているのだろう。それを一薙ぎに斬り倒してゆくヒコである。

 「ほんとはこれからが若の活動時間なんだけどね。明日はちょっと昼間に用事があるのよ」

 「ちょ、ま、また悪霊狩り!?」

 慌てる司を見てデュファイの笑い声が聞こえた。

 「ちーがう違う。今度の用事は怖いことは何にもないわ。ちょっと妙月山の方に用事があってね」

 妙月山。近所にある小さな山だ。この家からはちょっと距離があるが、セルジュの羽で飛べばすぐに着くくらいの距離にある。

 「どうせだから司ちゃんも一緒に来ない?上城家の跡取りとして紹介して損はない相手だからね」

 また何かややこしい事に巻き込まれるのか。司は首に巻いたタオルを握りしめて溜息を吐いた。




 よっぽど疲れが溜まっていたのか、その後沈む様に寝た司を叩き起こしたのは、ヒコの枕元の薊丸から聞こえてくるデュファイの大声。

 「わーか!わーかー!もう朝よ、起きて頂戴!!」

 司が枕元の目覚まし時計に目をやると、既に時刻は午前十時を指している。昨日の出来事でそれだけ疲れていたのだろう。母も気を遣って起こしに来なかったらしい。

 「ちょっと司ちゃん、見てないで若揺さぶるなり何なりしてよ!」

 「あー・・・ちょっと待って」

 ベッドからのっそり降り、敷き布団の中ですやすや眠っているヒコの肩をぐらぐらと揺さぶってみる。ヒコはびくともしない。

 「ヒーコー、起きろよー、」

 ふわぁ、と司の口から欠伸が洩れた。司だって眠いのだ。

 「でも何だってこんな朝っぱらから・・・」

 「今日会う子は朝早い子なの。若の寝坊癖だっていっつも叱られてんだから」

 「ヒコー!起きないともう血ィ吸わせないぞー!」

 血、に反応したのか、がばちょとヒコの身体が起き上がった。司のお下がりのパジャマを着たヒコは、ゆっくり赤い眼を瞬かせ、壁掛け時計に目をやると、みるみるうちに唇の血の気を無くしてゆく。

 「ば、ばばば馬鹿者!何故早くヒコを起こさなかったのだ!」

 「へ?」

 パジャマを脱ぎ、枕元に畳んでおいた軍服をいそいそと着付けるヒコ。それをぽかんと見ている司。

 「司ちゃんも早く準備して!準備できたらとっとと行くわよ!」

 薊丸から聞こえるデュファイの声は、相変わらずの焦りを含んでいた。


 出掛ける準備を整えて、母と父に行ってきますと告げ、半ば無理矢理庭先に立たされた司は、自転車のチェーンの鍵を持って玄関先に停めておいた自転車へと向かった、が。

 「馬鹿者、自転車で間に合うか!ヒコに掴まって飛んでくのだ!」

 「え?」

 ヒコが言うなり、ばさと指輪からセルジュの羽が伸びる。まさか二人分の体重を抱えて飛べるとでも言うのか?司の頭の中の疑問符も虚しく、ヒコの小さな腕が司の腰に回る。

 「ちょ、ちょ、ちょ!えー!えー!」

 バサァっ、と頭上で音がする。物凄い風圧が司の髪を薙いでゆく。気付けば自分の足は地についていなかった。

 「じーっとしてて頂戴よ司ちゃん、下手に動くと落ちるわよ」

 デュファイの忠告も虚しく、既にヒコと司の身体はこのまま墜落すれば死ぬのが当たり前の高度にまで達している。セルジュの翼の風圧に固まって動けない司と、自分より一回りも身体の大きな司を抱えて平然としているヒコ。やっぱり化け物なんだ、そう思って司は或る意味覚悟を決めた。こうなったら目的地に着くまで黙っているしかない。


 妙月山。麓に小さな酒屋、そうして山菜採りや猟師が居るだけの、住宅街にもならない小さな山だ。空気も綺麗で、なだらかな斜面が美しい、住むにはもってこいの山。しかしここは住宅地にはならず、今流行の郊外型ショッピングモールも出来ない。それには昔からの古い因縁がある。

 ここの土地を買い取って開発しようとした輩は今までに何人もいる。しかしその度に、古くからの住民が猛反発して開発を止めにかかるのだ。それでも構わず工事を続行させようとすると、必ずと言って良い程事故が起こる。最初は鉄骨が外れて作業員が足を踏み外し落ちたとか、そんな小さな事故で済むが、工期が長引けば長引くほど事故はでかくなってゆく。山に住む人々は、それを「山神様のたたり」だと言う。実際そ

んな事件や事故ばかり起こるものだから、もう手を出す輩も居ない。

 そんな怖い山の中腹、少し雑木林の開けた所に、小さな庵と畑がある。

 庵の中からとててと出て来たのは、柄杓と水桶を抱えて、丈の短い着物を着付けた小さな少女。慣れた手つきで畑の隅にある井戸から水を汲み出し、水桶に注ぐ。そうしてまた柄杓と水の一杯に入った水桶を抱えて今度は畑へと向かい、徐に畑の作物に水を掛けてゆく。畑の白菜は美事に大きく育っており、少女の手のかけ方がまこと繊細なる事を物語っている。

 その時、少女の周辺は一瞬暗くなった。見上げると、上空に影を見つけた。影は螺旋を描きながら、くるくると静かに高度を下げてゆく。それに呼応する様に、影の正体を思い出した少女はみるみるうちにその顔を花を咲かせた様な笑顔に変え、降りてくる来客を出迎える。

 とすん、と、影が開けた土地に舞い降りた。必死に掴まっていた司は、自分の足が地面に付いたのを確認してヒコから離れ、セルジュの風圧で乱れた髪を手櫛で直していた。

 「ヒーコーちゃーん!」

 水桶と柄杓を投げ出した少女は甲高い声で叫んで、身なりを整えていたヒコに体当たりする様に抱きついた。抱きついて、風で乱れた胸元に縋り付き、うりうりうり。

 「ばっ、馬鹿者!離れろ!」

 「いやー!もうすずちゃん、ヒコちゃんからはなれないんだから!ヒコちゃん、ヒコちゃん!!」

 この少女の名前は、すずと言う。今から凡そ百年前にこの地に山神として産まれ、ヒコに出会って一目惚れした。自分の立場の自覚はないのか、事ある毎に結婚してーとヒコに迫ってくるが、ヒコは強烈にそれを嫌がっている。が、すずを泣かすと山が荒れ、この地方一帯に地震を起こしたり大火を放ったりするものだから、ヒコも嫌だと強く言えない。それに出来の良い野菜をこれでもかと言う程貰っている恩もある。すずの育てた野菜を上城家に持っていって漬けてもらうのがヒコの四季の楽しみとなっていたのも事実である。

 すずは出来た野菜を麓の酒屋で酒に変えたりもしていた。すずが酒を飲む訳ではない。酒を待つ主は庵の中に居た。

 「夕凪はどうしておるのだ?」

 「ん、とっと?とっとはおうちの中なのよー。ヒコちゃんがきたらよろこぶのよー」

 そう言ってすずは踵を返し、庵の中へと入っていった。呆気に取られていた司がヒコに問う。

 「なにあの子・・・ヒコの彼女?」

 殴られた。魔物の一撃は痛かった。

 「馬鹿が。彼女のわけがなかろうなのだ」

 「じゃあ何でわざわざ・・・」

 ヒコは司の問いを無視する様に、霊刀海嘯を腰から抜いて、右手に携えるとさっさと庵へと入って行った。デュファイも薊丸の姿から本来の女性の姿に立ち戻り、またセルジュも、指輪の中から抜け出して陽光の中佇んだ。

 「これから会う相手はね、ちょっとばかし気むずかしいのよ。やれる範囲でいいから礼を尽くしなさいね」

 布にくるまれてわからない人差し指を唇に当てる様な動作を見せて、デュファイはこそっと言った。

 「なに、司殿が何を申さねばならぬ訳でもございませぬ。きちんと正座して真っ直ぐ前を見ておればよいだけの話ですじゃ」

 セルジュが言い含める。庵へと踏み込むふたりの後について、司は前を覗き込んだ。

 不思議な光景だった。古めかしい囲炉裏のある居間の板の間に、とても大きな太刀が飾られている。その前には、座るものの居ない座布団。その傍らにすずがついて、真新しい酒をこれまた古い杯に注いだ。ヒコはその前に正座しまんじりともせず、霊刀海嘯を膝の前に置くと、ただ目の前の太刀を見つめていた。

 セルジュとデュファイがそのまた後ろに用意された座布団につく。すずが用意してくれたものか、ご丁寧に司の分まで座布団は敷かれていた。ヒコが特に何も言わずとも、何らかの神通力ですずは司が上城家の跡取りだという事を知っているらしい。

 「久しぶりなのだ、夕凪」

 誰も居ない空間に向かって、ヒコは語りかけた。

 するとしゅうと空間が歪む様な音がして、黒い靄が辺りを覆った。靄は次第に、だれも着く者の居ない座布団の上に集まり、ひとかたまりになって、遂にはひとの形をとった。

 それは古い長着に身を包んだ男の霊だった。乱暴に投げ出された足許は空気と混ざる様に消えている。すずの注いだ酒を手に取り、くいと煽ると、傷だらけの顔をヒコに向けてじっと見つめた。

 「・・・海嘯の調子はどうだ」

 男はたった一言、それだけを発した。ヒコが70年振りに目覚めただとか、そんな事はこの男にとってはお構いなしの事で、用があるのは霊刀海嘯、それだけだと言いたいばかりの口ぶりだった。

 「お陰様で70年を経ても切れ味に変わりはないのだ。そこの上城家の『人間』が使っても容易に霊を斬れる。しかしながらがしゃどくろ級の霊を斬るには至らんらしい。打ち直してほしいのだ」

 「薊丸じゃねえんだから70年も放っときゃ錆びるに決まってんだろ・・・貸せ」

 ふうと酒臭い息を吐いて、夕凪と呼ばれるこの男はヒコの膝元に捧げられていた海嘯へと手を伸ばし、鞘から静かに抜いた。銀色に濡れた様に光る霊刀海嘯に、司の素人目では何の異常もない様に見られた。

 夕凪は無い足ですくと立ち、海嘯を携えて庵の隣、小さな鍛冶場へと向かった。ヒコとセルジュも後をついてゆく。

 残されたのは、司とすず、デュファイ。

 「えっと・・・すずちゃんだっけ。すずちゃんは行かないの?」

 「かじばにおんなのこが入っちゃだめなのよ。あっこから先はとっとの仕事場」

 「そ。だからアタシ達の踏み込む領域じゃないって事」

 デュファイはすずが出してくれた番茶を心底美味そうに飲む。番茶の付けに出された梅干しが旨い。

 「とっとはね、かたなかじなの。そこのおっきな太刀に憑いてここにいるのよー」

 妖刀夕凪、と描かれた立て板が司の目についた。そうか、だからヒコは彼の事を「夕凪」と呼んでいたのだ。そうひとりごちて、姿勢を正して番茶を啜った。

 しかしながら奇妙な太刀である。何しろでかい。すずの身長ほどあるのではなかろうか。浅黄色をした柄には、僅かではあるが奇妙な染みが見てとれる。その赤黒い染みが血である事に気付いて、司は身震いした。司には霊感はまるでないが、この妖刀が凄まじい妖気を放っているのが肌で分かるくらいであった。

 「すずちゃんはね、うまれてすぐにとっとのおせわになったの。だからすずちゃん、とっとをおまつりしてるのよ。とっとはおさけが大好きだから、ふもとの酒屋さんにいってお酒とお野菜をとっかえっこしてもらうの」

 すずの言葉を受けて、司は不意に玄関から見える畑に目をやった。白菜や冬野菜が見事に大きく実っており、口にしなくても食べて美味いのは明かに見える。

 と、やおらすずが立ち上がり、玄関先にててと走ると、すずの小さな身体では大振りに見える鎌を取って司を見て笑った。

 「おにいちゃん、かみじょうさんとこのひとでしょ。すずちゃんのお野菜、あげるのよ」

 「あら。今年もすずちゃんの白菜の浅漬け食べられるのね。楽しみにしてたのよー」

 デュファイがケラケラ笑って言う。司は固く笑って、白菜を刈りにいったすずの背中を見ていた。


 じゅうっ、と霊気を含んだ水蒸気が鍛冶場に溢れた。ヒコは夕凪の鍛冶の様子をじっと見ている。

 海嘯は夕凪に打って貰った三本目の霊刀だ。それ以前に使っていた霊刀も、勿論夕凪に全て任せていた。夕凪もヒコにそれだけの恩があるので、黙って刀を打ってやった。


 話は三百年ほど前に遡る。夕凪は自分の元の名前すら覚えていない。ただ、小さな村で、村人達の鍬や鎌を打ってやって、妻子を持って細々と暮らして居た。

 鉄を仕入れに行った、その間だった。村は山賊に襲われ、呆気なく壊滅した。外に出ていた彼だけが助かった。必死で我が家に走り、彼が見たものは、台所にて背中から袈裟懸けに斬られ絶命していた妻と、囲炉裏の傍で心臓を一突きにされて横たわっていた小さな娘の姿だった。街に出て買ってやった真新しい赤いべべは、心臓から洩れた大量の血に染まって尚のこと赤く見えた。

 彼は叫んで娘を抱いた。力無く四肢をだらりと下げた娘に息は勿論無かった。

 それから彼は夢中で刀を打った。何本も何本も、納得がいくまで打った。幾本打ったのか数知れず、そして出来上がったのが、今現在庵に飾られている妖刀『夕凪』である。彼の怨念の籠もった銘刀であった。それを携えて夢中で辺りを彷徨い、遂に山賊の隠れ家を見つけた。ひとであってひとでなくなっていた彼の手に掛かれば、山賊などその辺の野の草ほどの手応えもなかった。唯々、まるで刀に操られる様に、向かってくる山賊を斬り倒した。山賊を全て斬り殺したあと、彼もまた、妻と娘の所に旅立とうと、己の腹を夕凪で斬った。

 だが彼は死ななかった。否、死んでいたが、意識だけが刀に乗り移って残った。それから先の記憶は朧気で、現実味が無い。山賊の焼けた小屋に興味本位で入ってきた子供の手で、子供の友人達を斬り殺した。その噂を聞きつけ夕凪を手に入れた庄屋の腹を戯れに斬ってやった。それから幾人もの人間の手に渡っては血を流させ、妖刀夕凪の名を不動のものとした。時の将軍に献上され、厳重に封印された。彼にはそれが退屈でならなかった。故に自分を封印した将軍を、呪った。

 呪いを恐れた将軍は、放浪の身であったヒコを呼び、妖刀夕凪の呪いを解く様に願った。ヒコも何を断る事無く、薊丸を引っ提げて、封印を開いた。

 それは正しく死闘だった。将軍家の隠された記録によれば、死闘は三日間に亘って続いた。ヒコの身体も大打撃を受け、また夕凪も、浅黄色の柄まで真っ赤に染まってしまった。結果はヒコが寸での所で何とか夕凪の呪いを押さえ、清めを施した更紗布を取り出すと、暴れて宙を舞う妖刀夕凪を全身で床に押さえつけて巻き付けた。それで終わりだった。

 しかし夕凪そのものが浄化された訳ではなかった。浄化はヒコの手を以てしても不可能であった。それ程夕凪の怨念は深かった。

 そこでヒコは妙月山の庵に夕凪を持ち込み、時の山神であった女神に夕凪の封印を依頼した。夕凪は三日三晩清めの泉で儀式を受け、なんとか人の手に渡ってもその人を狂わせない程度の呪いにまで弱まった。女神は縁起書を描き、これから先自分に続く山神の使命として夕凪の封印を約束した。夕凪は時折外に出る事はあっても、ひとに危害はくわえなかった。たまにやってくるヒコの為に、霊を斬る為の霊刀を打ってやったりした。山神も、それを見守っていた。

 そして百年前、夕凪の封印を施した女神から数えて三代目、清めの泉から少女のかたちをした神が生まれ出た。二代目の山神は、次に生まれ出る山神は明治時代の急激な環境の変遷を経て力が弱まっている、貴方に山神の世話を願いたいと言い残し、この世から消え去っていった。夕凪はその通り、生まれ出た弱々しい少女の義父代わりとなり、少女にすずと名付けた。

 彼がたったひとつ覚えていた、自分の殺された娘の名前だった。


 「はい、白菜。浅漬けのしかた、わかる?」

 「た、多分・・・お袋ならわかる、と思う」

 何せ大きな株が5つ、である。これを全部浅漬けにしてしまうのは勿体ない。お袋に鍋でも頼もうか。司はそんな事を考えては、昼飯抜きの腹をぐうと鳴らした。

 ごとん、と音がしたので、音の方向を三人が向いた。見ると真新しく彩られた鞘に収められた霊刀海嘯を携えたヒコと、神妙な面持ちのセルジュ、そして久々の鍛冶で疲れたのか、頭を掻いて煙管を燻らせる夕凪がぞろぞろと鍛冶場から出て来た。また三人、元の席に戻り、ヒコは最初と同じ様に霊刀海嘯を膝元に置くと、うやうやしく夕凪に礼をした。

 「かたじけないのだ」

 「これくらいどーってこたねー・・・また切れ味が悪くなったら来な」

 セルジュもデュファイも、主上に続く様に礼をした。司も見よう見まねで頭を下げる。暫くして顔を上げると夕凪の姿はそこになかった。また妖刀夕凪の中に戻ってしまったものらしい。

 ヒコは立ち上がり、続いて立ち上がったすずの頭をぽんと叩いて撫でてやった。すずのほっぺたが真っ赤に染まった。

 「白菜、有り難く頂くのだ。また暇があったら遊びにくるのだ」

 「・・・うん。ヒコちゃんもいっぱいあそびにきてね。すずちゃん、まってるから」

 ヒコがデュファイを薊丸の姿に変え、霊刀海嘯と一緒に脇に差す。セルジュに指輪を翳して彼の身体を指輪に収め、庵を後にする。司が慌ててついてゆく。

 「どうしようヒコ・・・流石に白菜5つ抱えて俺載せて飛ぶ訳にはいかないだろ。俺歩いて帰るよ」

 「なーに、大した事は無い。しっかりと腕に掴まっていればいいのだ」

 そうしてヒコは半ば無理矢理司の手を取ると、セルジュの羽を伸ばし、やって来た時と同じ様に広場に立ち、見送るつもりのすずを一瞥して、ばさと飛び上がった。ひっ、と司の悲鳴が小さく響いた。

 「またあそびにきてねー!ヒコちゃんもつかさちゃんも-!」

 そして来た時とは一転、雪が降り出しそうな曇り空の中、ヒコは空を切って飛んでいった。




 「あ、雪」

 如月寺の境内で、奇妙な二人組のひとりが手の平に雪の気配を感じ、空を見上げた。その彼は、厚手の貴族風のコートを身に纏い、膝掛けを掛けて車椅子に座っていた。膝掛けから見える筈の右脚が、彼にはなかった。

 「ホワイトクリスマスならぬホワイトニューイヤーか。神様も粋な事をやるもんだ。ね、兄さん」

 兄さんと呼ばれた背後の彼は、車椅子を押しながら黙って境内を進んだ。その男に表情は無く、打って変わってクスクスと笑う彼の弟・・・車椅子に乗った彼の眼前を見ていた。

 「全く、新居の大掃除をやろうと思ったらこの様だ。新年までには『あれ達』を処分したいものだね」

 境内を掃除していた住職が、二人に気付き、箒を繰る手を止めた。奇妙な西洋人ふたりは、ジャパニーズビショップを見て、軽く礼をした。

 「ここで雑霊の退治を請け負って下さると聴いたのですが」

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