ロマネスクバンパイヤ

かむいかやな

ヒコのおめざなのだ

第一話:ヒコのおめざなのだ 前編


 僕の家には古い蔵がある。

 蔵が在るほどでかい家という訳ではない。どちらかと言えば閑静な住宅街の中、そこだけぽつんと古い蔵が建ち、そこに寄り添う様に十数年前に建て替えた小さな家があるだけの、ごく普通の家だ。

 そこで僕は生まれ育った。蔵の中に何が入っているのか、その日まで考えた事もなかった。

 

 それは年末だった。久しぶりに蔵を開いて虫干し兼大掃除をやるという。馬鹿馬鹿しい程仲が良いと近所でも評判の両親が言うには、蔵を開くのは60年か70年振りくらいになるらしい。僕も貴重な男手として招集され、冬休みの半分をその蔵の大掃除に費やす事になった。


 言い忘れた。僕の名前は上城司。どこにでもいる中学二年生だ。友達もそれなりに居るし、別に変わった趣味もない。平々凡々の、つまらないちっぽけなガキだ。


 「司ー、これ、そっちの方持ってちょうだーい」

 お袋の声だ。でかい着物箪笥を動かしたいのか、僕を呼んで手伝いを乞う。言われた通りに持って、そろそろと外に向かって歩く。そんな風に色んなものを動かして外に出し、埃を払ってまた蔵の中に戻る。

 「なんだこりゃ?」

 親父が素っ頓狂な声を挙げたのが気になって、僕は親父の元に駆け寄った。そろそろメタボとか言う言葉が気になってきた歳の親父の目線の先には、奇妙な箱があった。人っ子一人入れそうなでかい箱で、蓋には昔の文章なのか、何やら達筆で書いてあるが、親父も僕もこういう文章には疎いから何て書いてあるのか読めなかった。

 「お袋-、これ何?」

 昔から蔵を管理していたのは専らお袋の家系だ。親父は謂わば婿入りしてきた形で、蔵の事など何も知らなかった。当然僕も知らない。庭先で古い着物を虫干ししていたお袋がいそいそと蔵の中に戻ってきて、

 「あら、なにかしらコレ。お母さんも知らないわ」

 と、その時だった。何やら箱の中からコトコトと音がし始めた。一家三人、ひっと声を挙げ同時に息を飲んで後ずさった。蓋が緩んで上下に揺れている。お袋は親父にしがみついて、僕はその場で腰を抜かしていた。一体うちの蔵になんでこんな奇妙なものがあるのか、これは一体何なのか、頭の中は?マークの渦で一杯だった。

 そうして、箱はどーんと大きな音を立てて開いた。というより、蓋が蔵の天井近くまで吹っ飛んだ。きゃあとお袋の悲鳴が耳に入る。僕も頭を抱えてその場に踞った。親父はお袋の肩を抱いて箱を凝視している。

 蓋が吹っ飛んで1分くらいだろうか、そろそろと僕は顔を挙げた。見えた光景は全く奇妙なものだった。

 箱の中から、旧日本軍のものらしい軍靴が一本ニューと突き出ている。これで蓋を蹴破ったものらしい。ただその足は軍靴を履くにはとても小さく、小学生くらい、とにかく僕よりは年下だろう、そのくらいの大きさの足だった。

 「・・・ふぁ~、」

 箱から奇妙な欠伸の音が響く。僕もお袋も親父も、何も反応できなかった。ただただ見てるだけ。

 突き出ていた足を降ろし、代わりに小さな上半身が箱の中から覗き出てきた。黒髪の、子供。まさか60年近く箱の中で眠っていたのか? とてもじゃないがそんな化け物然とした様子はその子供には見られない。子供はまだ眠たそうに両手で目を擦り擦り、僕等の存在に気付いたらしく。

 「おい、そこの人間」

 反射的に親父はお袋をかばう様に、子供とお袋の間に立ち塞がった。ノーガードな僕に子供は視線を投げた。つまりは、僕と目が合ったという事だ。

 「は、はい?」

 子供の目はまるで白兎の様に真っ赤で、肌は透き通る様な乳白。小さな身体を旧日本軍の軍服に包んで、これまた小さな手には似つかわしくないルビーの指輪が填められていた。

 「今何年だ」

 見た目の割には尊大な口ぶりで、子供は僕に問いかける。

 「え、えっと・・・西暦だと2020年、平成だと32年、」

 「へ、平成!?」

 何かしら驚いた事でもあるのか、子供はまん丸な目を余計に見開いて、僕の顔を凝視した。

 「陛下が御崩御されて32年だと!?」

 蔵はもう70年近く開けられていない。という事はこの子供が蔵の中で寝たのはそれ以上前という事になる。昭和の真っ直中で眠りに就いたこの子供は一体何者なのか、僕にも、親父にも分からない。ただ一人この子供の氏素性を知って居るかもしれないお袋は、突然現れた子供の形をしたモンスターに怯えきって声も出せないでいる。と、ここで子供は桐の箱から飛び出して、へたり込んで居る僕の前に座り込んで僕に

目線を合わせ、

 「貴様が上城家の跡取りか」

 「へ?あ、ま、まぁ・・・跡取りっちゃ跡取りです、」

 偉そうな口ぶりに当てられたのか、僕はいつの間にか敬語になっていた。

 「そうか。なら聞くが、まだ如月寺は残っておるか」

 如月寺。昔からここに住んでいる奴なら大抵は知っている。禿頭の、長い白髭の、如何にも目出度そうな風貌のお坊さんが住んでいる寺だ。幼稚園の遠足や小学校低学年で地域の授業をやる時は大抵そこに行くのがこの辺の学校の習わしになっている。僕は訳も判らずぶんぶんと頭を縦に振って然りの意思表示をした。それに納得したのか、子供は古くさい軍服についた埃をぽんぽんと叩いて、

 「如月寺に行く」

 そう言い放って子供はすたすたと蔵を出てゆく。と、一瞬日の光に怯んだのか、蔵の出口で立ち止まり、眩しそうに目を擦った。僕は声も出せず(こんな時に声を出せる奴が居たらお目に掛かりたいものだ)、親父とお袋もそれは一緒の様で、ただぽかんと呆気のアンポンタン・ポカン然とした様子で、子供の後ろ姿を見つめていた。蔵の掃除なんて、もう頭になかった。

 ここでまたも僕等を唖然とさせる光景が目の前に広がった。子供は指に填めた真っ赤な宝石を天に掲げた。すると烈火の速さで指輪から真っ黒な蝙蝠の大きな羽がばさと伸びて、子供の小さな身体を軽々と宙に浮かせた。そうしてそのまま、どこかへ(否、恐らくは如月寺だろう)飛んでいってしまった。

 「・・・司、お母さん心配だからちょっと如月寺まで行ってきてちょうだい」

 「え!」

 お袋は何か大事な事を思い出そうとしているかの様に顔の片側を抑え、僕に呟いた。

 「もう少しで思い出せそうなのよ。大丈夫よ、害のあるものじゃないと思うわ」

 たまにお袋はこういう無茶を言う。巻き込まれる僕や親父はたまったもんじゃないが、うちじゃお袋がニコニコ笑う絶対者なのだ。逆らう事は許されない。

 ともかく、僕とヒコの出会いはそんなあっけらかんとしたものだった。




 「随分お目覚めスッキリじゃない?若」

 ヒコの腰に差された日本刀から、妖艶な女性の声がする。

 「陛下の御崩御に立ち会えなんだ。完全に寝坊なのだ」

 悔しそうに唇を歪めて、ヒコは呟いた。すると羽の生えた指輪からも声がした。こちらは円熟した青年とでも言おうか、そんな声であった。

 「今上天皇が即位して32年と申しましたな。いずれ御挨拶に伺わねばなりますまい」

 「いや、いいのだ」

 ヒコはふいと少し淋しそうな顔をして、

 「もうヒコ達が跳梁跋扈する時代も終わったのだ。見ろ、この街の光景。まるで西洋の町並みなのだ。ヒコはもう静かに暮らす。

 それに敗戦から半世紀以上、この様子では『チャーチ』がどこを彷徨いておるかも分からぬ。暫しの間は温和しくするのだ。とりあえずは如月寺の住職に挨拶して、それから・・・」

 「すずちゃんは元気なのかしら」

 何故かヒコの顔が真っ赤に染まる。

 「すずは関係ないだろう!

 とにかくデュファイもセルジュも、これからは今の人間の暮らしぶりが飲み込めるまで温和しくするのだ。ヒコも悪霊を食らって我慢するのだ。人間の血はほとぼりが冷めてからでいいのだ」

 そんなやりとりをしている内に、ヒコの小さな身体は如月寺の境内に差し掛かっていた。指輪から生えた羽、則ちセルジュの羽はゆっくりと境内へと降下する。とすん、とヒコの足が境内の白い砂利を踏みしめ、音もなくセルジュの羽が指輪の中へ元の様に収まってゆく。ヒコはきょろきょろと周囲を見回し、本堂へと足を進めた。

 「住職。住職はおられるか」

 声を張り上げた。だが声は本堂のがらんとした空間に反響しただけだった。

 「ヒコのおめざなのだ。住職はおられんか」

 と、奥の方から真っ白な髭をたくわえた黄色い袈裟姿の老人が目を瞬かせて出て来た。その表情はまこと驚きの色濃く、七十余年ぶりに見たこの小さな魔物の姿に懐かしさの籠もった声をかけた。

 「もしやヒコ坊か?」

 「そうなのだ、久しぶりなのだ!」

 七十余年前、まだこの寺の小坊主だった住職は、自分の胸に飛び込んできた小さな魔物の頭を愛おしそうに撫でてやった。

 如月寺は遙か昔、このヒコの世話を見てやるために建立された寺であった。悪霊を成敗する魔物として地元の人間から尊敬の念を受けていたヒコは、およそ五百年前この地に生を受けた。しかし、どうして、何をきっかけにしてこの魔物が生まれたかは、寺に伝わる縁起書に記されているものの殆どの人間の知る由ではなかった。

 「随分長い眠りじゃったのう。もう起きてこんかと思うておったよ」

 「寝坊しちゃったのだ。でもよく寝たのだー」


 自転車を繰る司のジャケットの胸ポケットから、彼のお気に入りのアーティストのメロディが流れた。家族からの電話だ。自転車を止め、急いで通話ボタンをタップした。

 「お袋?どした?」

 『司?わかったわ、思い出したわお母さん。あの子の事。

 あの子はばんぱいやよ!』

 司の頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされる。ばんぱいやってまさか、あの映画のヴァンパイア?

 「ば、ばんぱいやって・・・化け物じゃんか!血を吸うあれだろ!」

 『でも大丈夫。確かひいおばあちゃんに聴いた話だと滅多にひとは襲わないらしいのよ。その代わり悪い霊を食べてくれるってひいおばあちゃん言ってたわ』

 悪い霊って。兎も角、司のこれまでの人生をひっくり返しかねない大事件が今起こっている事は理解できた。ヴァンパイアと言うことは、住職の身にも危険が及んで居るかも知れない。司は適当に生返事を返して電話を切り、ペダルを漕ぐ足に力を込めた。


 と、その時、ヒコの腹がぐるると鳴った。思わず住職から離れ、自分の腹に目を落とし、また顔を挙げて住職に問うた。

 「よく寝たらお腹が空いたのだ。おめざ代わりの何か『食い物』はこの辺に涌いてないのか?」

 住職は長い顎髭を右手で撫でながら首を傾げ、ヒコの『食い物』になる様なものの噂を頭の中から引っ張り出そうとした。

 「『食い物』か・・・そうじゃのう」

 ヒコの腹がしつこく鳴いている。ヒコはちょっと困った顔をして、住職の顔を見上げて返答を待つ。

 その瞬間、キキーッと自転車のブレーキの音が境内に響いた。ヒコを追いかけてきた司が焦った顔をしてこちらに走ってきている。

 「住職さん!大丈夫ですか!」

 身の上を心配されているらしい住職はきょとんとした顔で目を瞬かせ、息荒い司の様子を見ている。

 「お前さんは確か上城の・・・」

 「そいつは化け物です!早く逃げ・・・!」

 住職とヒコの関係を知らぬ上に、前代未聞の事件に巻き込まれかけて混乱している司には、住職が今にも『ばんぱいや』というものに襲われそうに見えているらしい。

 と、ヒコの姿が一瞬消えた。あまりにも動作が速すぎて司の目では追えなかった。

 「丁度良い。味見しておくのだ」

 目の前にいたヒコの声が背後から聞こえる。尋常ではないスピードで司の肩を背後から押さえ、

 露わになっていた首筋にがぶりと噛みついた!

 「ぁ痛ッ!」

 注射針を刺された様な一瞬の激痛の後、今度は物凄い力で皮膚が吸われる。身動きができない。お袋の言った事は出鱈目じゃないか。現にこうやって自分が襲われているのだから!

 暫く三者固まったままだったが、すぽんと音がしてヒコの唇が司の首筋を離れた。司はヴァンパイアの話を思い出していた。映画で得た知識の上でのヴァンパイアによれば、吸われた人間もまた呪いによってヴァンパイアになる。自分は今血を吸われた。これから先の長い人生が日の目も見れない呪われた存在になるのだ。そう思うと頭がぐるぐると暗くなって、ついには涙さえ出て来た。

 と、住職が懐から白いガーゼのハンカチを取り出し、ヒコの唾液と血の混じった司の首筋を拭いてやりながら、落ち着いた声で、泣いている司に諭す。

 「大丈夫じゃよ。これくらいでばんぱいやになる事はないんじゃよ。少しばかりヒコ坊も腹が減っておったからのう。荒っぽい洗礼じゃが、まあこれから徐々に慣れていくわい」

 「上城家の跡取りが血を吸われた位で泣いてどうするのだ。しっかりするのだ」

 「で、でも・・・」

 ヒコは腕を組んでふんぞり返り、司を一瞥して言った。

 「どうやら『チャーチ』がある事ない事日本人に吹き込んでおるようだな。相変わらず奴等はろくな事せんのだ。住職、説明してやってくれんか」

 ハンカチで司の頬を拭ってやりながら、住職は落ち着いた声で司に言い含める。

 「長い話になるからのう。お茶でも飲みながら話をせんか」


 住職の家に招かれ、居間で住職とヒコ、そして向かいに首筋に絆創膏を貼った司が座布団に着く。

 「ばんぱいやと聴いて映画のヴァンパイアを思い出したんじゃろう。

 あれはのう、殆ど出鱈目じゃ。西洋の『チャーチ』という組織が人々の悪魔信仰を抑える為に吹聴した作り物の話じゃよ。実際には日光の下でも生活できるし・・・」

 「でも日の元は嫌いなのだ。眩しくて目と肌がちくちくするのだ」

 司は身体を揺さぶって、住職の話に集中しようとした。身体にヴァンパイアになりそうな異変はない。どうやら住職とヒコの言っている事に間違いはなさそうだ。

 「確かに人間の血は大好物じゃが、主食はあくまで悪霊の類じゃ。ヒコ坊、薊丸を」

 言われてヒコは腰のベルトから一本の太刀を抜き、カタンと木造のテーブルに置いた。ヒコが鞘から太刀を抜き出すと、濡れた様に妖しく光る刀身が露わになった。

 「妖刀薊丸。これで切られた悪霊はヒコ坊の栄養となって吸収されるという仕組みじゃ。そして」

 住職は少しその身をひと一人分ほどずらし、ヒコに一言を促す。

 「デュファイ。もういいのだ」

 薊丸が一層その輝きを増し、ついには司の目が開けられないまでに光り始めた。瞼の裏を焼く光が徐々に収まっていくのを確認して、司は目をじんわりと開けた。

 信じられない事に、そこには今の今まで居なかった、赤い髪の女性が住職とヒコの間に座っていた。

 「はーい、上城の跡取りちゃん」

 「こいつはデュファイ。あるらうねと言う妖樹の化け物なのだ」

 デュファイと紹介された女性はニコと人懐っこそうな笑顔を浮かべて、手の先まで覆っている袖を振った。まさかこの女性が太刀に変化していたとでも言うのか?

 「信じらんないかもしんないけど、あたしが薊丸のデュファイ。あたしが斬った悪霊が若のおやつになるって寸法。よろしくねん」

 「は、はぁ・・・」

 真っ赤な唇、首の薔薇飾り。見た目は綺麗なお姉さんといった風貌だが、奇妙なのは腕から手にかけてが更紗で覆われて見えない、という事。

 「ああ、手ね。あたし手がないのよ。手の代わりに枝があるって訳」

 手ではなく枝・・・とは言うが、目の前に置かれている湯飲みを器用に取ってお茶を啜る。

 「それからさっき貴様が見たのが、大蝙蝠のセルジュなのだ。出てこい」

 途端、ヒコの左手に飾られている真っ赤な宝石から、人間の背丈ほどもあろうかという蝙蝠の翼がばさと現れ、そこから若い長髪の、奇妙な目隠しを巻いた男が出てきて、デュファイとは反対側、ヒコを挟んでその場に正座した。長いロングコートに身を覆ったその青年は、腕が異様に長く、そうしてこれまた長い指の間に膜の様なものを張り巡らせている。セルジュと呼ばれる青年は長く細い親指と、これまた長い人差し指で湯飲みを器用にとり、お茶を一服すると、ひとつ後ずさりして、ぽけっとしている司に恭しく礼をした。

 「我が主ヒコ坊ちゃまに仕えております、大蝙蝠のセルジュと申す。以後お見知りおきを」

 「ど、どうも・・・」

 つられて司も頭を下げる。

 「セルジュの翼で空も自由に飛べる。謂わばヒコは完全無欠の魔物というわけなのだ」

 ほっほ、と住職が笑いながら、呆気に取られている司を見て言った。

 「上城の家はのう、代々ヒコの面倒を見ておる家系じゃ。戦争に負けて西洋人がどっと日本にやってきたじゃろ。『チャーチ』も勿論ばんぱいやを追って日本に来る。そこで七十余年前、ヒコ坊は『チャーチ』が自分の居場所を知って、そうして身の回りの人間に迷惑をかける事を恐れて眠りについて、今目覚めた。そういう事じゃから、上城の坊もそんなに心配しなくていいんじゃよ」

 「で、でも、ということは俺これからそこの・・・ヴァンパイア、」

 「ばんぱいやのヒコなのだ。間違えるでない。そうだな、腹が減ったらちょっと血を貰う事になるのだ」

 「マジで!?」

 司は腰が抜けた。これからヒコは上城家の世話になる事が確定してしまっている。お袋は悪い者じゃないと断言していたが、この調子で血を吸われ続けていたのではたまったものではない。

 「というわけで世話になるのだ。上城の跡取り。・・・そういえばまだ名前を聞いてなかったのだ」

 「つ、・・・司といいます」

 「随分とハイカラな名前なのだ。とりあえず、司。この辺に悪霊が出る場所はないか」

 悪霊と言えば墓地辺りだろうか。ここから3kmほど離れたところに戸の上霊園というでかい墓地がある。夜の肝試しスポットとして有名だ。

 「戸の上か・・・まだあったのか」




 『貴殿には日本という極東の国に行ってもらう』

 がらんどうの劇場の様な空間に、重苦しい緞帳が降りている。声は緞帳の向こうから発せられているのか、緞帳の両横に設置されたスピーカーからこれもまた重苦しく響いてくる。

 男は緞帳の前、中央に立ってまんじりともしない。その表情は張り詰めた様に真摯、蒼い瞳は目の前の緞帳の向こう、声の主が居るであろう位置をじっと見つめていた。

 『五百年前に仕留め損ねたヴァンパイアが「代替え」を使って血脈を保っている証拠がようやく揃った。何時目覚めてもおかしくない状況じゃ。直接対決も辞さぬ覚悟で行ってもらわんとのう』

 どうやら緞帳の向こうには二人の人間が居るらしい。同じ声色であったが、口調がやや異なる。

 『任務に際して一ヶ月の猶予を与える。対ヴァンパイア用の対策と訓練を存分にやり込んでおけ』

 男の手には古ぼけた豪奢なレリーフの施された槍が握られていた。そしてその背後にすうと音もなく現れた影、男に寄り添う様にぴたりと静止した。

 槍を足許に立て、男は心持ち大きな声を放った。

 「第七小隊ミーシャ、神の名に誓い、摂理に反する者を討って参ります」




 ばんぱいやという者は大胆なのか横柄なのか、上城家の食卓で、まるで今までずっと家族と寝食を共にしてきたかの様な態度で、母の炊いたご飯のおかわりを受け取った。

 「・・・あのさ、ヒコさんって言ったっけ?」

 「ひとの名前を何度も聞くのは失礼なのだ。ヒコと呼び捨てでいい」

 「・・・」

 父も少し怪訝な、少し不安な顔をしてヒコを見つめ、味噌汁を啜っている。鷹揚にヒコと接しているのは母くらいのものだ。

 「さぁさぁヒコちゃん、どんどん食べて頂戴。流石に人間の血はあげられないけどねー」

 「有り難いのだ。人間の血は三日に一日くらいで丁度良い。贅沢は身を滅ぼすのだ」

 その三日に一度の血は自分の首筋から吸われるのは容易に想像できる。噛まれた瞬間のちくりとした痛みが司の首筋に蘇る。

 「戸の上霊園に行ってくるって言ってたけど、もう日が落ちちまってるよ?」

 思いがけず上ずった声が司の喉から漏れた。ヒコは司の隣で平然と飯をかっ食らっている。

 「馬鹿者。ばんぱいやというものは夜に活動するものだ。悪霊だって夜に出るものなのだ」

 それもそうだ。馬鹿な話をしてしまったと司は俯いた。

 三杯目の茶椀を空っぽにしたヒコが、ごちそうさまと手を合わせ、ガタと席を立った。

 「そろそろ行くのだ」

 と言うや否や、何の心算か呆気に取られていた司の襟首を掴んで引っ張り玄関へと行く。司は何が何やら分からず手足をじたばたさせて抵抗するも、流石に化け物の力には敵わない。

 「な、なんなんだなんなんですかー!?」

 「貴様も上城家の跡取りならヒコの『狩り』の様子を見ておくのだ」

 イコール、悪霊渦巻く墓地に置かれる、という事になる。司は一層暴れるもヒコに司を放す様子は見られない。

 「大丈夫だ、ヒコを信じるのだ。貴様に危害を加えさせる様な真似はさせん」


 戸の上霊園に明かりはなく、ぼんやりと御影石の墓石群が闇の中に浮かび上がっている。冬だからとかそういった類の冷気では説明できない位、芯から冷えた空気が辺りを覆っている。

 「・・・で、悪霊ってどうやって出てくる訳?」

 寒さからくる苛立ちを含めて司は呟いた。隣に立つヒコの姿は改めて見れば小さく、学校でも特に背が高い訳でもない司と比べても頭一つ分近く背が低い。その為か、携えている薊丸ともう一本の脇差がひどく長く見える。ぼーっとしていた司の目の前で、何を思ったかヒコは薊丸でない方の脇差を鞘ごと抜き、こちらを見ずに司の元に突き出した。

 「貴様も剣の覚えがあるなら持っておくのだ」

 「な、何でそれを・・・」

 確かに司は小学生の頃から、街の剣道場に通っている。しかし何故それを今朝目覚めたばかりのヒコが知っているのか問おうとした。が、その前に、

 「居間に剣道の賞状が飾ってあったのは出鱈目ではあるまい」

 そうだった。しかし、それも小学三年生の時、地区大会で三位と大した事のない成績である。悪霊に立ち向かえる程の腕前があるとは自分でも思えない。

 「それは霊刀海嘯というのだ。薊丸には敵わんがそれなら悪霊も或る程度は切れる。ヒコの妖力に誘われて強いやつも出てくるかも知れぬ。いざという時の為なのだ」

 言うなりヒコは薊丸を抜いて、眼前にぴしと構えた。

 ビョオオと妙な、今までの冷たい冬の風とは違う、何か気配の様なものを乗せた風が司とヒコの頬を殴って吹き抜ける。司も何かを覚悟したかの様に、霊刀を構えた。

 「来るぞ。かなりでかい奴なのだ」

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