第13話
13 フェートン号事件
「ええ、遠いのです。九州の西の端です。ここで事件が起こった。【フェートン号事件】と言うのです。文化5年8月15日(1808年10月4日)、イギリス海軍のフェートン号が、オランダの国旗を掲げて国籍を偽り、長崎へ入港したのです」
「まあっ、偽りの旗で」
「これをオランダ船と誤認した出島のオランダ商館では、商館員ホウゼンルマンとシキンムルの2名を小舟で派遣し、慣例に従って長崎奉行所のオランダ通詞らと共に出迎えの船に乗り込もうとした。ところが、イギリス武装船は突如、態度を変え、オランダ商館員2名だけを強引に連れ去ったのです!」
「それは、人さらいではありませぬか!」
「そうです! 人さらいです。それと同時に船はオランダ国旗を降ろしてイギリス国旗を掲げた。そうして非礼にも、武装船で長崎港内を探索した」
「まあっ! 何て勝手な!」
「そうです! 無礼にも程がある! 長崎奉行所ではフェートン号に対し、オランダ商館員を解放するよう書状で要求したのです。しかし、それに応じぬばかりか、彼等はオランダ商館員を人質として、水と食料を要求したのです!」
「もうっ、なんて卑怯な!」
「オランダ商館長ヘンドリック・ズーフは長崎奉行所内に避難し、商館員の生還を願い出た。長崎奉行の松平康英は、商館員の生還を約束する一方で、湾内警備を担当する鍋島藩・福岡藩の両藩にイギリス側の襲撃に備える事、またフェートン号を抑留、又は焼き討ちにする準備を命じた」
「船を燃やしてしまおうと?」
「そうです。船を燃やして逃げた者を捕らえようと考えたのです。ところが長崎警衛当番の鍋島藩が守備兵を無断で減らしており、長崎には100人ほどしか在番していなかった。やむなく長崎奉行は、急ぎ、薩摩藩、熊本藩、久留米藩、大村藩など九州諸藩に応援の出兵を求めた」
「そんなに沢山の応援を」
「そうです。沢山の応援が必要な時でした。翌16日、フェートン号の艦長は人質の1人ホウゼンルマン商館員を釈放して、薪や水や食料を要求し、供給がない場合は港内の和船を焼き払うと脅迫してきた。人質を取られ、充分な兵力もない状況下にあって、長崎奉行はやむなく要求を受け入れることとした」
「まあっ! ……でも仕方がありませんわね。オランダ人の命には代えられませんもの」
「長崎奉行は要求された水を少量しか提供せず、明日以降に充分な量を提供すると、その場をしのぎ、応援兵力が到着するまで時を稼いだ。奉行は、食料や水を準備して舟に積み込み、オランダ商館から提供された豚と牛と共にフェートン号に送った。こうして漸くシキンムル商館員も釈放された。そしてフェートン号は出航の準備を始めた」
「ではオランダ人は皆、無事だったのですね。良かった」
「いや、良くはないのです。この後に悲しい出来事が…………17日未明、近隣の大村藩主大村純昌が藩兵を率いて長崎に到着した。長崎奉行・松平康英は大村純昌と共にフェートン号を抑留もしくは焼き討ちにするための作戦を進めていたにも関わらず、詰まるところは取り逃がしてしまった」
「イギリスの船は逃げ足も早いのですね」
「しかしです! 侵入船の要求にむざむざと応じざるを得なかった長崎奉行は、国威を辱めたとして自ら切腹したのです!」
「まあ、それは……」
「勝手に兵力を減らしていた鍋島藩の家老等数人も責任を取って切腹です」
「それは、お可哀想に。お身内の方は、さぞ、お辛かったでしょう」
「そうです。悪いのはイギリスであって長崎奉行ではない! 奉行はオランダ人を救ったのです! しかし、幕府は鍋島藩が長崎警備の任を怠っていたとして、藩主・鍋島斉直に百日の閉門を命じたのです」
「まあっ、藩主様まで罰せられたのですか」
「これは、大津浜・宝島事件の起こる16年前の事です。今から52年前にも、このような事があったので、幕府は宝島事件の翌年に【異国船打ち払いの令】を出したのです。しかし、」
「待って」
紫織は廊下を見た。障子は3尺だけ開けてある。
「そこに居るのは誰?」
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