第9話

9 左近桜



「英勝院に、後に水戸の初代藩主となる頼房公を育てよと命じたのは、家康公なんだ。これだって英勝院が4歳の娘・市姫を亡くして悲しんでいたからで、言わば家康公の優しさだったんだけど」




「まあっ! そんなことが」


「実際、英勝院は頼房公の養母になることで、悲しみから救われたんじゃないかな ? 市姫のことを完全には忘れられなかったとしても」


「ああ、そうね。そうかも」


「もし、頼房公の養母が英勝院ではなくて、別の女性だったら、こういう流れになっていたかどうか……尊皇という概念は水戸学が源流なのだから」


「待って ! 明治維新は、黒船来航が原因じゃなかった ? 」



「うん。そうだね。1853年にアメリカの軍艦が浦賀に現れて開港を迫った。一旦は断ってペリーは帰った。幕府は早速、お台場を造り始めた」




「公園を造り始めたの?」




「まさか! 砲台だよ。中国がイギリスに侵略されたという話が伝わっていたからね。戦争の備えとして、そして外交するにしても不利にならないように。ところが、この外交問題のさなかに、将軍継嗣問題が起こった」




「将軍の後継ぎの話でしょ?」




「そう。第13代将軍・家定が亡くなった時に、次の将軍に誰を立てるかで、斉昭公は井伊直弼と対立した。一橋派と南紀派。候補は慶喜と家茂。この時、孝明天皇が難局を乗り切るには年長者が良いと意見したのに井伊大老は聞かなかった。井伊直弼が強引に13歳の家茂を将軍に据えた。その上、天皇の許可を得ずに通商条約を結んでしまった」




「まあっ! 勝手に?」




「うん。その前年に老中首座の阿部正弘が急死したんだ。井伊直弼は大老職に就いたばかり。前例の無い暴挙だ。孝明天皇は激怒した。幕府を飛び越えて水戸藩へ直接、勅諚を出した。諸藩の大名と評議を尽くせと。これが戊午の密勅」




「ぼごって何?」




「安政5年のこと。天皇からの密勅を知った大老・井伊直弼は斉昭公を目の敵にした。将軍の命令と称して斉昭公を蟄居に追い込んだ。その上に水戸藩の家老・安島帯刀を呼び出して切腹させた」




「まあっ! ひどい!」




「更に勤皇の志士達を次々と投獄して獄死させた。吉田松陰、橋本左内まで百人も。これが安政の大獄。これに憤慨して水戸藩士が起ち上がった。登城途中の井伊大老を斬首した。安政7年(1860年)3月。これが桜田門外の変。これをきっかけに、薩摩と長州が動き出す。明治維新へ向かう。斉昭公は、その夏に60歳で亡くなった。そうして天下の魁・徳川斉昭と称えられた」





「ああ、そうだったの。英勝院から全部、繋がってるのね。不思議な話ね」




「だろ? だから歴史は大いなるミステリーって言われる訳さ」




「ミステリー? 推理小説?」




「ははは……常磐神社の由来をひもとくと、こういう話になるって事だよ。でもね。光圀公と斉昭公のスピリッツは世界最高峰だ。「領民とともに」それを、さりげなく伝える水戸の気風もね」





新太と紫穂は、好文亭の前に居た。




不意に一陣の風が吹き、左近桜の枝が揺れた。



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