第7話

7 英勝院



頼重は京都天龍寺の塔頭慈済院で育ち、出家する筈であった。


だが、水戸藩主の後継が光圀に確定した頃、英勝院が再び頼重の行く末に介在する。


彼女は頼重を将軍・家光に拝謁させたのである。


頼重(17)は寛永16年(1639)に常陸国下館5万石の大名に取り立てられ、その3年後には讃岐高松12万石の城主となった。


この年、8月21日に英勝院は逝去する。


翌年の1周忌に、頼房、頼重、光圀は連れ立って英勝寺を訪ねている。


英勝寺の山号は東光山。現在も鎌倉唯一の尼寺である。


英勝寺は、水戸藩主・徳川頼房、第3代将軍・徳川家光の庇護のもと、玉峰清因(頼房の娘・小良姫)を門主に迎えて開基した。


代々、水戸徳川家の子女を門主に迎えていた為、「水戸御殿」・「水戸の尼寺」とも言われる。英勝寺の山門の造営は頼重が、また英勝院の墓所は光圀により建てられた。




「歴史の陰に女ありだよ。もし、英勝院の働きかけがなかったら」


「ああ、そういうことなのね? 英勝院が、水戸藩の後継問題を起こさずに、上手に頼重を助けたっていう。頭のいい女性ね」


「うん。そう! 頭のいい女性だ。だけど、英勝院の働きかけだけで歴史が動いた訳じゃない。頼重が高松藩主になった時、光圀公は、次の水戸藩主に頼重の息子を指名した。そして自分の息子を高松藩主に据えたんだ」


「まあっ! 自分の息子より、お兄さんの息子を大切に?」


「うん。頼重は、どれほど嬉しかったか! この二人は、白夷・叔斉を地で行ってるよね」


「わあっ! 信じられない! 権力の座を譲り合ったなんて」


「光圀公のこうした生き方は、人間として美しいよね。権力の座にある者は民衆から良く言われないものだけど、光圀公は違った。水戸の領民だけでなく江戸の町人からも称えられた」


「そうなの?」


「うん。光圀公が亡くなった時に、江戸中に広まった歌がある。

《天が下 二つの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門》

こんな歌からも光圀公の遺徳が偲ばれるよね」


「ほんとね。でも、どうして光圀さまを黄門って呼ぶのかしら?」


「当時の決まり事で、領民は藩主の名前を気やすく口に出来なかった。権中納言という役職名を中国では黄門というんだ。そこで、水戸黄門と呼べば不敬にならない。良く考えたもんだよ」





「わっはっはっ! わっはっはっはっはっ!」


不意に後ろで高らかな笑い声が響いた。


ぎょっとして振り返ると、水戸黄門一行の扮装をした酔っぱらい達が赤い顔をして歩いている。

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