第4話

4 泰姫



「てんしえんじゅんって?」


「誉め言葉だよ。簡単に言えば容姿と性質。光圀公が27歳の時にね。お嫁さんを迎えたんだ。京都の近衛尋子泰姫このえちかこたいひめっていう、17歳のお嬢様を」


「まあっ! そんな若い娘を?」


紫穂は、目を丸くして驚いている。


「うん。泰姫は、美人で頭が良くて、性質も素直で愛らしかった。その様子を光圀公に仕えた儒学者・辻了的が泰姫を称えて《天姿婉順》と表現したんだよ。天真爛漫と似たような意味かな」


「そうなの。つまり天然っていう事でしょ? 若いから、世間ずれしてなかったのね。光圀さまは幸せよね?」


「うん。そうだね。幸せだったと思うよ。泰姫が素直で明るい性格だったのも、そうだけど、光圀公は彼女の賢さに驚いたんだ。文学の素養があった。光圀公の知らない文学世界を語る彼女に興味を感じた。だから本気で何でも話せた。と僕は思うんだ」



光圀に仕えた和学者・安藤年山は著書『年山紀聞』の中で「御生質の美なるのみならず、詩歌をさへ好み給ひて、古今集、いせ物語はそらに覚え、八代集、源氏物語などをよく覚え給ひしとぞ。また三体詩をも暗記し給ひけるとぞ」と記している。


安藤年山(あんどうねんざん)とは国学者(1659~1716)。京都に生まれ、兄の為実と共に最初は伏見宮に仕え、後に光圀に招かれて二人とも彰考館の寄人となった。



「ところがね……その幸せは僅か4年しか続かなかった」


「どうして?」


「尋子(ちかこ)夫人は……泰姫の結婚後の呼び名だけど。赤痢にかかって、21歳で病死しちゃったんだ」


「まあっ! そんな若いのに。かわいそうに」


「うん。可哀想だよね。光圀公も31歳で、まだ若かったのに。でも、その後は正室を迎えなかった」


「そうだったの…………そんな若いのなら再婚したって悪くないのにね」


「よっぽど奥さんを忘れられなかったんだろうな。というより尋子(ちかこ)夫人との思い出を大切にしたかったんだと思うよ。きっとね。だからこそ、尚更に大日本史の編纂に没頭した」



「そうだったの。泰姫っていう人は、かわいそうだけど、羨ましい」


「羨ましい?」


「だって、泰姫は永遠に光圀さまを独占したんだもの」


紫穂は立ち止まり、梅の花の匂いをかいだ。



「なるほど。たしかにそうだ。光圀公は、ちかこ夫人を偲んで手記を残しているぐらいだからね」


「手記を?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る