第11話 許し
「どこに行こうとしているのじゃ、セエレよ」
真夜中。音もなく外に出たセエレに、気配を殺してそこにいたタマモが声をかけた。
「……ワタシはもう、クレスちゃんの側にいられない。クレスちゃんのこと、お願い」
クレスが眠り続けてから3日経過していた。怪我はすっかり治っているのに、意識だけが戻らずにいた。
「目覚めた時におぬしがいなかったら、クレスは寂しがるだろうの」
「そんなワケないわ。ワタシ、あの子を殺そうとしたのよ。恨みをぶつけて、首を絞めて……」
「それでもクレスは許すじゃろ。あやつは優しいこころの持ち主じゃ」
「ワタシがワタシを許せないの。自分の中で折り合いをつけたはずだったのに……どうして」
セエレは震える。
「瘴気の影響を受ければ、内にある黒い感情が剥き出しになる。ま、それが本来のわしらの本能でもあるのじゃがの。そして、その本能の赴くままに人間を殺し、喰らおうとするのじゃ」
そう静かに言うタマモを、セエレはキッと睨みつけた。
「あなた、ダンジョンの異変にすぐ気づいていたんでしょ? どうして助けにきてくれなかったの!?」
「ふむ。クレスの持つ剣の力は知っておったからな。あの程度は大丈夫だと思ったのじゃ」
「大丈夫じゃなかったわ。クレスちゃんも、ワタシも……」
剣の力で傷こそ完治しているクレスだが、それまでに負った“痛み”は生半可なものではなかった。肉体とその精神に受けた損傷は身体の芯に苦しい記憶として蓄積されている。未だにクレスが目覚めないのは、意識が目覚めるのを拒んでいるからなのかもしれない。苦痛を味わいたくないという無意識の顕れなのかもしれないと、セエレは思っていた。
「あやつは逃げぬよ。おぬしのようにはの」
「あなたに何がわかるの!?」
「さぁてな。ワシには失うものがないからの。じゃが、かつての戦いで多くのものを失ったのは何もおぬしだけではない。愛するものたちを失い、傷ついてきたのは人間も同じじゃろ」
「でも、勝ったのは人間。虐げられる立場のワタシたちが生きる道はないわ」
「ふむ。おぬしももう少し、この世界を知った方がいいのぅ。人間たちすべてが愚行に興じているわけではないぞ。中にはモンスターと共存しようとしている連中もおる。実際に、いくつかの町では人間、モンスター垣根なく生活しておる」
「……恨みを抱えたまま?」
「奴らはお互いを“許す”ということを選択したのじゃ。確かに、そう簡単に割り切れる問題ではない。しかし、時代は変わりゆくものじゃ。同じ世界に住む命を憎み、蔑み、軽視するような姿を子供らには見せたくないじゃろう。憎しみは憎しみしか生み出さぬ。だから、許し合うのじゃ」
「そう簡単にはいかないわ。この胸の奥にある黒い感情は、消したくても消えない……」
「その割に、クレスには執心だったのぅ。おぬしは感じたのじゃろう。クレスであれば、自分を受け入れてくれると」
「……」
タマモはやれやれと大きくため息をついた。
「ま、好き勝手やってきたわしが、あれこれ言えた立場ではないし説得力もないか。仕方ない……今夜だけじゃぞ、2人きりにしてやるのは」
「え?」
タマモはすっと、溶けるように姿を消した。
そこでセエレはやっと気がついた。意識を取り戻したクレスが、後ろにいることに。
「……クレスちゃん……ワタシ」
「セエレさん、助けてくれてありがとうございました。ちゃんと守れなくて、ごめんなさい」
クレスが泣きそうな表情で、頭を下げた。
「どうしてクレスちゃんが謝るの? ワタシを責めてよ……。ワタシはあなたを殺そうとしたのよ?」
「セエレさん」
クレスがセエレの手を取った。
「僕は、モンスターが怖いです。人間に対する憎しみの感情も、実際に目の当たりにして、すごく怖かったです。でも……」
クレスはセエレをしっかりと見据えている。
セエレはその場から動けずにいた。クレスの、いや人間の側から遠く離れ、また独りで生きていこうと強く決意したはずなのに。その手を振りほどくことができずにいた。
「僕は、その全部を受け止めたいと思います。モンスターも人間も、変わらないことを知ったから。大切な誰かがいて、それを守りたいと願っている」
クレスは強く、セエレの手を握りしめた。
「セエレさんのこと、もっと教えてください。僕に色々と吐き出してください。何もできないかもしれないけれど、僕はセエレさんのことを受け入れます。受け止めます。だから、ひとりで行かないでください」
セエレの目から涙が溢れる。
「……いいの? ワタシ、一緒にいていいの?」
クレスは頷いた。
セエレは泣いた。声をあげて、クレスの胸の中で泣いた。
クレスは何も言わず、ただ、その頭を静かに撫でるのだった。
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