第4話 笑う! ミノさん!

 頭がふらふらする。泣きすぎて目がじんじん痛い。


「ごめんなさいねぇん。ちょっと、調子にのりすぎちゃったわぁん。だってクレスちゃん、かわいいんだもぉん。ああ、楽しかったわぁ」

 セエレさんが僕のほっぺたにちゅっと口をつけた。

 僕は全然楽しくなかった。死ぬかと思った。何が何だかわからなかった。とにかく怖い想いをしたことだけは、しばらく忘れられそうにない。

「歩くのつらかったら、ワタシのおしりに乗ってもいいわよぉん」

「いえ……自分で、歩き、ます」

「そう? 無理しないでねぇん。ところでクレスちゃん、どこに向かおうとしてたのぉん?」

 僕は西の町に行き、そこで剣師さまを探して弟子入りするつもりだということを話した。セエレさんはほんの少しだけ、眉を細めた。

「西の町、ねぇ。ちょっと危険かもしれないわぁ」

「何かあるんですか?」

「西の町の近くの山岳に、ミノタウロスの住処があるんだけどぉ、最近ちょ~っと暴走しているみたいなのよねぇん、彼ら」


 ――ミノタウロス。


 僕のかつての記憶がよみがえる。

 あの恐ろしいモンスターが、この大陸の西に住んでいたなんて……知らなかった。

「あの人たち、興奮しちゃうと見境ないからぁ。要注意ねぇん。とにかく、姿を見かけたら逃げるのが一番ねぇん」

 あの大きなアリに勝てなかった僕が、ミノタウロスに敵うはずがない。僕はまだまだ弱かった。それを認めて、また一から修業しなおすしかない。ミノタウロスを倒すことを当面の目標に、剣師さまに稽古をつけてもらおう。頑張って強くならなきゃ。レオンさんの強さに、少しでも近づくために。


 西の町に向かう途中、セエレさんはこの大陸について教えてくれた。

 遺跡がたくさんあり、そこに様々なお宝が眠っていること。それを目当てにたくさんの狩宝者たちが大陸を訪れていること。多くの種類のモンスターが生息していること。最近、北の火山地帯に火の精霊サラマンダーが棲みついたこと。僕はこの大陸に住んでいながら、そんなことは何も知らなかった。

 この大陸について色んなことを知っているセエレさんだけど、この世界のことはほとんど知らないらしい。それだけこの世界は広いのだということを教えてくれた。話しを聞いて、僕はわくわくしてきた。世界中を冒険して、この目で色々なものを見たい。そのためにも、もっと強くならなきゃ。


「……クレスちゃん。そこの岩陰に隠れるわよぉん」

 セエレさんが小声で言った。その視線の先。荒野の遠くの方で土煙が上がっているのが見えた。地響きが段々と大きくなる。何か大きいものがこちらに近づいてくるようだった。僕とセエレさんは大きな岩の陰に隠れた。セエレさんの表情は険しい。

 まるで地震のようだった。僕たちの身体が大きく揺れる。

 僕は知っている。この気配、圧力を知っている。

「セエレさん、あれは……」

 僕は岩陰から、恐る恐る、ほんの少しだけ顔を出す。

「ミノタウロスねぇん。その中でもちょっとヤバ~いヤツよぉん」

 僕はその姿をはっきりと見た。

 右手には巨大な戦斧。炎のように揺らめく赤い髪。あのミノタウロスは……間違いない。“あの時”のミノタウロスだ。

「あれは、この大陸のミノタウロスの中で最強の戦士。女傑ジェミナよぉん。そして……この大陸で一番の巨乳の持ち主なのよぉん!」

 最後の情報は必要なのかなぁ。

 この大陸のミノタウロスの中で最強。そのミノタウロスを一撃で倒したレオンさんは、とんでもなくすごいんだなぁ、やっぱり。

 ふよんふよん。

「ええと……あの、セエレさん、僕の頭に何かのっているんですけど」

「あんな筋肉質より、ワタシのおっぱいの方がやわらかくて気持ちいいはずよぉん。どうかしらぁん」

「知りませんよ」

「さわって確かめてみてぇん。ハァハァ」

「ちょ、やめて、やめてください! こわいよー!」


 ゴガンという大きな音と共に、僕たちが隠れていた岩が砕け散った。

「あ」

「いやん」

 恐ろしい形相のミノタウロスが、僕たちを見下ろしている。

「エモノ……ミツケタ!」

 にいぃとミノタウロスが笑う。

「完全に暴走してるみたいねぇん。逃げましょ」

「ちょ、セエレさん! もう!」

「エモノ、逃ガサナイ! 勝負シロ!!」

 なんでこうなるの!?

 

 僕たちは広い広い荒野を、走り回ることになるのであった。

 ミノタウロスの鼻息を、その背中に受けながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る