第16話 青はアイより出でてアイより青し
雨が降り続けている。
誰かが俺を呼ぶ声がする。
「レオン様。少しは食事を口にしてください。もう3日間も何も食べていません。身体がもちませんよ」
レオナの声だ。3日?
あれから3日経っていたのか。
身体を動かす気力もない。何の感覚もない。ただ、手にはアイの温もりが残っている、そんな気がした。
俺は無力だ。俺が判断を誤ったせいで、こんなことになったんだ。
あれもできたかもしれない。これもできたかもしれない。そもそも、もっと早くにアイと会うことができていれば……俺がはやくに行動していれば。後悔しても、もう、取り返しがつかない。何もかもが手遅れなんだ。
心に開いたこの穴は、もう、埋まることがない。これからどうやって生きていけばいい。
(レオンさんなら大丈夫。きっと、立ち上がれます。何度でも、立ち上がれます)
アイの、そんな声が聞こえたような気がした。
俺がかつての戦いで挫けた時、アイはずっと励ましていてくれたもんな。
少しだけ、身体に力が戻る。アイは俺に、力をくれる。支えてくれる。そんな彼女は、もう、どこにもいない。いないんだ。
身体を打ちつけていた雨が、急に止んだ。
太陽の日差しが降り注ぐ。冷たい空気が、すぐに温められていく。
音がなくなった世界は、とても静かだ。
「レオン様、見てください!」
その声に、俺は微かに顔をあげる。草一本残っていない地面に、僅かな緑が伸びていく。
瘴気の消えた今、森は再生しようとしているのか。
「あの花は……なんでしょう。私には“視た”ことのない花です」
花?
俺は周囲を見渡した。そこには急速に成長していく……あの花があった。
たくさんの、エリーゼの花。
どうして、この森に咲いたのだろう。
そうか。アイか。アイが咲かせてくれたんだな。
一度だけ、賢者のじいさんのところに帰った時、アイに見せてやったことがあったっけな。
最後の最後まで……俺を励ましてくれるんだな。でも、俺は……立てそうにないよ、アイ。
「レオン様」
レオナの声色が変わった。
エリーゼの花たちの中央に蠢いている“それ”の姿があった。
――スライムだ。
まだ、生きていやがったのか。
そのスライムは少しずつ大きくなる。陽の光を受けたそれは、美しい青色の宝石のように輝いている。俺は思わず、見とれてしまった。
……この、この青は。
「レオン様、少し離れてください。焼き払います」
レオナの手に炎が集まる。レオナが手を前に突き出すと、炎の球が放たれた。
「れ、レオン様!? 何を!!」
俺は背中で炎の球を受けた。すぐにレオナの回復魔法が飛んでくる。熱さなんて気にならないくらい、俺は衝撃を受けている。
「ど、どうして、スライムをかばったのですか!? そのスライムは、きっとまた」
「……アイだ」
「え?」
「このスライムは、アイだ」
「レオン様! 正気に……戻ってください! アイさんは、アイさんはもう……!!」
「感じないのか、レオナ! お前なら、俺よりはっきりとわかるはずだ!!」
「――そんな。まさか。いえ、アイさんの魔力を取り込んでいるだけです。はやく排除しなければ、取り返しのつかないことに」
スライムはさらに大きく、人の大きさほどになる。そして、形が、その形が……アイの姿を
『ア……ウ……ぅぅぅ』
「レオン様、惑わされないでください! 離れてください! 危険です!」
レオナの声は、俺に届いていない。
俺は、そのスライムを……抱きしめた。
「アイ……アイなんだな。よかった……よかった!」
アイが、俺を抱きしめる。
(レオンさん、レオナさん)
頭の中に、直接声が聞こえた。レオナにも声は届いているようで、目を見開いて驚いている。
「そんな……! 本当に……本当にアイさんなのですか!?」
(はい。まだうまく喋れないので、魔法の力を借りてお話ししています)
やっぱりだ。
やっぱり、アイだった。
間違えるものか。
(レオンさん、ありがとう、信じてくれて。わたし、戻ってこられました!! スライムになっちゃいましたけど!! あ、あの。こ、こんなわたしになっちゃいましたけど、あの、レオンさんと一緒にいても……いいですか?)
俺はもちろん、即答した。
「ばか。忘れたのか? また言うけど、俺はどんなアイでも素敵だと思うって言ったろ。アイはどんな姿をしていてもアイだ。俺の一番大切な存在だ。好きでいられる。好きだ。愛している」
(レオンさん……大好き!)
俺たちは強く抱きしめ合った。つやつやふよふよして、それでいてちょっとひんやりしていてとても気持ちいい。なんだかいいにおいもする。
心地よい風が吹く。風に揺れるエリーゼの花の祝福を受け、俺たちはただ、抱きしめ合い続けていた。
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