第5話 レオンとアイ(前編)

 アイは全てを諦めたような顔をしていた。水の女神の血をひく巫女として、その役割を全うするためだけに生きていた。神殿の外に出ることもほとんどなく、色白で細い身体は、風が吹くだけでも倒れそうだった。ただ、そのきれいな青い髪が印象的だった。

 水の巫女は短命だという。時にアイは自分の運命というものを恨んでいたという。それでもアイには、いや……誰にもどうすることもできなかったのだ。だから彼女は諦めて、自分の運命を受け入れたんだ。色を失った瞳。生気のない表情。俺はそんなアイを見て、最初は苛立っていた。

 でも、なんでかな。放っておけなかったんだ。そうだ。妹に似ていたんだ。

 俺には妹がいた。物心ついたときに持っていたロケットペンダント。そこに投影されていた”写真”に家族の姿があった。その時にはもう、ペンダントはなくなっていたが、俺はアイに自分の妹の姿を映し出していたんだ。

 妹がいたらどんな感じだったのだろう。兄として、妹を守っていただろうか。そんな風に考えていたら、アイのことを何が何でも守ってやらなきゃって想うようになった。俺の命に代えても守るってな。


 水の大陸での一件以来、アイは俺たちと共に旅に出ることになった。その時はとても嬉しかったことを覚えている。本当の妹ができた、そんな気がしたんだ。

 アイはとにかく身体が弱かった。体力はないし、しょっちゅう熱出すし、モンスターとかにさらわれるし。でも、アイは頑張った。必死に俺たちについてきた。

 アイは優れた魔法の力を持っていた。そう、この大陸セフィルの大神殿で修業を積むと、その秘められた力が一気に覚醒した。大神官のレオナの教えをすべて吸収し、多くの魔法を身につけることができた。

 それでも戦いは過酷なもので、アイにとってはつらいことの連続だっただろう。目を背けたいような出来事もたくさんあったし、悩むことや苦しむこともあった。死にかけたことだってあった。俺はそんなアイを常に励ました。俺はアイを守り続けた。


 いつからだろう。

 守られてばかりいたはずのアイに、守られていると気づいたのは。

 俺が苦しい時には、常に傍らにいてくれた。強敵を前に苦戦している時も、この手を汚さなきゃいけなかった時も。悲しい時、辛い時……アイは、すぐ側にいた。

 妹の幻影は消えていた。アイは守るべき妹なんかじゃない。大切な仲間なんだと……俺は知った。


 アイは本当によく笑うようになった。

 元気で明るく、皆に力を与えてくれた。

 俺たちが四天皇の結界に閉じ込められた時なんか、たったひとりで助けに来てくれた。

 俺はアイの笑顔に何度救われたかわからない。


「レオンさん、お願いがあります」

 最後の船旅の前、海を眺めながらアイが俺に言った。

「なんだ?」

「この戦いが終わったら、一緒に旅しませんか? わたし、もっと色々なことを知りたい。見てみたいんです」

「……そうだな。のんびりと旅するのも、悪くないかもな」

 アイと一緒ならとても楽しいだろうと、俺は思った。

「ほんとう!? 約束ですよ、レオンさん!」

「ああ、約束だ」

 俺たちは指切りをした。月明りの下、嬉しそうな彼女の顔を、俺は忘れることはないだろう。


 しかし。

 約束は果たされていない。


 魔王のいる大陸。

 そこには強大な結界が張られていた。その結界を破れるのは、アイの力だけだった。アイは結界を破るために、力を使い果たしてしまったのだ。彼女はもう、戦うことができなかった。

「レオンさん。必ず……魔王を倒してくださいね」

「ああ。任せておけ!」

 アイの傷ついた身体を癒し、そして力を回復させるために、精霊たちが清浄なる世界樹の泉へと彼女を連れて行ってくれた。

 

 すべての戦いが終わった後、仲間たちの中で唯一交流があったのがアイだった。

 突然、アイからの手紙が届いた時にはびっくりした。鳥が俺の目の前で手紙に変化するんだもんな。

 風の精霊が力を貸してくれて、手紙を届けてくれたのだという。そこから文通のようなことが始まった。

 といっても、俺の方はほとんど書くことがなかったけれどな。傷がある程度回復してからは、町の復興手伝ったり、酒飲んだり、自由気まま。アイはだいぶ力を取り戻し、元気にしているといった内容だった。

 俺は近々会いに行くと伝えていたが、アイはちゃんと元気になってから会いたいと手紙につづっていた。

 俺は馬鹿だ。すぐに会いに行けばよかったじゃないか。どうして……俺は、5年も動かなかった。どうして気づけなかった。アイが苦しんでいることに。どうして俺は、自分の気持ちに気付かなかった。どうして。


 傷が今になって痛む。拳の皮はめくれて血が滴っている。顔の血はぬぐったが、怖くないだろうか。獣たちの血でだいぶ汚れてしまったな。俺は扉の前で深呼吸した。

 俺は扉を開ける。


 ベッドの上、上半身を起こした、彼女の姿があった。

 美しかったあの青い髪は、真っ白くなってしまっている。

「……レオン……さん? レオンさんなの?」

「ああ。俺だ。レオンだ。遅くなってごめんな、アイ」

 俺はうまく笑えていただろうか。

「……レオンさん」

 アイの目から涙が零れ落ちた。俺の視界はゆがんでいる。涙が勝手に流れていく。

 アイはベッドから起き上がり、俺に歩み寄った。そして両手で俺の頬を撫でる。

「ああ……レオンさん。会いたかった」

 アイは俺を抱きしめた。

「血で……汚れちまうぞ」

「……レオンさん。レオンさん」

 アイは俺の名前を呼び続けた。



 俺も強く――強く、強く、アイを抱きしめていた。

 

 

 

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