第8話 羽ばたく翼

「ひゃっはー! 酒だぁ、酒もってこい!」

「なんだてめぇ! やるかごるぁ!」

「くいもんがねぇぞ! はやく持ってきやがれ!」

 懐かしい雰囲気だな。深夜、酒場がもっとも賑わう時間。港町の酒場は他の大陸からの船乗りもいて、なかなか荒れている。シエルはすっかり怯えてしまっている。

 ダガーはシエルの翼の腕を引き、酒場の前の舞台へと連れて行った。


「なんだぁ、こんなところにモンスターなんざ連れてくるんじゃねぇよ! 酒がまずくなる!」

「踊りでも見せてくれるってのか?」

「けっ、色気ねぇガキだぜ。おもしろくもなんともねぇ」

「ガキは帰んな! それとも叩きだしてやろうか!」

「捕まえて売っぱらっちまえばいい!」

「オレのダチを殺したモンスターはゆるしちゃおけねぇ!」

 酔っぱらった男たちから怒号のような野次が飛ぶ。シエルは今にも泣きそうだった。

 この酔っ払いども全員、ぶん殴って黙らせてやろうか。俺はダガーを見たが、静かに首を振っている。大丈夫だと言うような、強いまなざしだった。ここはダガーを信じて任せる他はないか。


「シエル。大丈夫だ。怖くない」

 ダガーがシエルの頭をなでている。

「おれの楽器に併せて歌ってくれ。思いっきり、心のままに」

「……そんな、無理だよぅ。いきなりそんな……歌えないよ」

「目を閉じて、深呼吸するんだ。いつも空を飛んでいるような気分で……さぁ、羽ばたいて」

 シエルが目を閉じ、すぅと息を吸い込み、吐き出した。そして、ゆっくりと羽ばたき始めた。それを見た後で、ダガーが楽器の弦を大きくかき鳴らした。

 酔っ払いたちが驚き、野次が止まる。一瞬の静寂のあと、ダガーがあの曲を弾いた。最初はゆっくりと、ゆっくりと曲が弾かれ、そしてゆっくりと、ゆっくりとシエルが歌い始めた。

 先ほどまでの喧騒が嘘のようだった。酒場はまるで別の空間へと変わっていた。まるで神聖で厳かな教会にでもいるかのようだった。誰もが息を呑み、歌に聴き入っていた。体中に、心の中に歌声は響いてくる。とても透き通った綺麗な歌声に、皆が聞き惚れていたはずだ。


 歌が終わる。シエルは息をふぅぅっと吐き出した。

 ほんの少しの静寂のあと、酒場は歓声に包まれた。

「すっげー! なんだ、今の!? 大都市の酒場の歌姫よりもすげーきれいな歌声だったぜ!?」

「サイコーだ!」

「うぅぅ……かーちゃーん!」

「もっと、もっと聴かせてくれー!」

 男たちがわんわんと泣いている。なんてこった……このべろべろに酔った荒くれものたち全員の心を、歌だけで魅了しちまった。シエルは目を丸くして驚いている。

 ダガーがそこらのテーブルにあった水をダガーに飲ませてから言った。

「さぁ、次いくぞ」

「え、あ、え!? でもあたし、あの歌しか知らないし」

「アでもラでも、適当でもいい。曲に併せて、とにかく歌うんだ。いくぞ」

「え、え!?」

 ダガーが楽器を鳴らす。

 シエルは戸惑っていたようだったが、目を閉じ、深呼吸をするとやがて歌い始めた。今度はとても明るく、楽しい曲だった。それに合わせるように、シエルも楽しそうに歌った。舞台を飛び跳ね、笑顔で。俺たちにはその言葉はわからなかったけれど、皆が楽しい気分になっていた。酔っ払いたちが踊り、歌い始める。

 シエルの歌で気持ちが一つになっていた。

 何曲か歌った後で、ダガーは一度楽器を置いた。シエルの身体を心配しているようだった。食事も摂っていないし、傷も痛むだろう。と、そこへ酔っ払いたちが飲み物や食べ物を持ってダガーたちを囲み始めた。

 もはや何を言っているのかわからないが、どうやらあれもこれも奢ってやるし、お金を払ってでもいいからもっと歌を聴かせてくれと言っているようだ。

 シエルは酒のにおいに目を白黒させていたが、皆が嬉しそうにしている様子を見て、笑顔になっていた。そしてシエルは食事を口にした。

 お腹と喉を潤したあとで、今度はシエルがダガーにお願いしているようだった。もっと歌いたい。次の曲を弾いてくれと。ダガーは少し困惑していた様子だったが、再び楽器を手にし、指を動かし始めた。

 それにしてもダガーもすげえな。俺が知っている曲もあったが、たぶん今この場で即興でつくった曲もあるはずだ。

 そういえばあいつは音にかなり敏感だったな。暗殺者という職業柄か知らないが、どんな些細な音も聞き逃さないし、足音や呼吸の音で誰かを判別することもできた。

 とにかく、シエルがまた笑うことができて……本当によかった。

 俺はふと、酒場の外に出た。


「少しでも動けば首をはねる。声をあげても首をはねる。よく聞け、くそやろう」

 俺はそいつのすぐ背後から殺気を突き刺した。

「二度とこの大陸に近づくな。シエルに手を出すな。もし手を出したら、殺す。お前がどこにいても、必ず殺す。地の果てまでも、どこまでも追いかけて、殺す。わかったら、仲間を連れて消えろ」

「ひ、ひぃぃぃ……」

 狩人が腰を抜かし、地面を這いずる。全身から汗を拭きだし、涙や尿を垂れ流しながら、ヤツは闇に消えていった。

 やれやれだ。これであの連中はもう二度と来ないだろうが、アホウな輩は後を絶たないだろうな。


 さて。俺も酒でも飲むか。シエルの歌を聴きながら。

 今日は……いい夜だ。久々に気持ちの良い夜だ。俺は再び酒場の中へと入っていった。


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