第6話 奪われた翼

 俺たちが見たのは、血だまりに倒れるシエルの姿だった。


「こんなところでハーピーを狩れるなんて思わなかったぞ……ひひっ」

 俺の拳が飛ぶよりも早く、ダガーの拳が男の仮面を叩き割っていた。折れた歯とひしゃげた鼻から噴き出した血が宙に舞い、落ちていく。男は顔面から地面に叩きつけられ、全身を痙攣させた。

「シエル!」

 ダガーが血で汚れたシエルを抱きかかえる。背中や肩、そして翼の腕が矢で打ち抜かれいる。息はあるようだが、誰の目から見ても危険な状態であることは明らかだった。

「……レオン、頼みがある。おれはシエルを応急処置して家に連れていく。港町に腕のいい医者がいるから、おれの家に連れてきてくれ。彼ならばモンスターも診てくれるはずだ。キサマなら誰よりも早く医者を連れてこられるだろう。頼む」

「わかった。すぐに行ってくる」

 あいつが俺に頼み事をするとは、よほどのことだ。急がなければ。俺は久々に全速力で走り出した。



「出血の割に、傷はそれほど深刻なものではありませんでした。しばらくは貧血が出るかもしれませんが、命に別状はありません。しかし――」

 俺が担いで連れてきた医師の老人は言葉を止めて、ベッドの上のシエルを見た。


「腕――翼に通っている神経がやられてしまっています。彼女はもう、二度と……飛ぶことができないでしょう」

「なんだ……って」

「残念ながら治す方法はないでしょう。私にできることはもう、ありません」

 俺たちは言葉を失った。もう、飛ぶことができないだって?

 重い沈黙だけが、時間とともに重苦しく流れ、漂う。


 傷が腫れ、シエルは熱にうなされた。ダガーは氷を布に詰め、それをシエルの頭の下に置いた。

「傷から少し菌が入っていたようですが、大事には至らないでしょう。炎症を抑える薬、痛み止めなどを置いていきます」

 ダガーは医者から薬の入った包みをいくつかもらい、頭を下げた。

「ありがとうございます。助かります」

「急に連れてきてしまって悪かったな、先生。町まで送るぜ」

「そ、それは助かりますが、今度はもう少しゆっくりと運んでもらえると助かります」

 連れてきた時、腰抜けかけてたもんな。急いでいたとはいえ、重ね重ね申し訳ないことをした。あとで診てもらったお礼を多めに渡しておこう。

「ダガー、先生を町に送ってからまた来る。いいか?」

「……ああ」

 ダガーはうなされるシエルの額の汗をぬぐいながら、力なく応えた。

「レオン」

「なんだ?」

「……ありがとう」

「……いいってことよ」

 俺は医者の先生を背負い、今度はゆっくりと走り出した。


 その帰り道。

 俺は暮れ行く空を眺めながら歩いていた。

 雨雲が流れてきている。風が冷たい。

 俺がもっと早くに連中の動きに気付いていれば……狩人の戯言に耳を貸さなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。

 悔やんだところでどうにかなるわけではない。

 今まで自由に空を羽ばたいていたハーピーの少女。もう2度と飛べなくなってしまったという事実を、どうやって受け入れていくのか。受け入れられるのか。わからない。

 とにかく今は、傷が早く治るように看病してやることくらいしか、俺たちにはできない。

 ぽつぽつと雨が降り始めた。

 雨に濡れる土と草のにおいを感じた直後、強い勢いで雨風が俺を叩きつけてきた。足が、重い。俺は足を引きずるように、ダガーの家へと戻っていった。


 家のドアを開ける。

「……おかえりなさい、レオンおじさん」

「シエル!? 気が付いたのか」

「……うん。いたたた」

 シエルは身体を起こそうとしたが、傷の痛みで動くことができないようだった。

「無理をするな。寝ていろ」

「……うん」

 俺の身体から雨水が床に滴り落ちていく。とても……とても静かだった。


「……レオンおじさん。あたし……あたし、もう、飛べなくなっちゃった。おじさんとまた、競争したかったのになぁ……」

 シエルの身体が震える。

「シエル……」

 俺がいない間に意識を取り戻し、ダガーから聞いたのか。もう、二度と空が飛べなくなった事実を。

「あたしね、あたしね……空を飛ぶの、好きだったんだ。お父さんとお母さんがいなくなっても、空を飛んでいれば元気になれた。空から下を見るとね、いろんなものが小さく見えてね、いろんなものがきれいに見えたりね、それでね」

 シエルの目から涙が溢れる。

 シエルを見つめるダガーの顔もまた、泣きそうに見えた。

 「やだよぅ……とべないの、やだよう……ううぅぅぅ」


 シエルの悲しい鳴き声が外の激しい雨音と重なった。

 俺たちは何も言えず、ただ、そこに立ち尽くしていることしかできなかった。

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